逆さまの迷宮

福子

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第五章 ◆ 本道

第三節 ◇ 家

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 ボクたちは、ハトがプレゼントボックスを落とした、古い家に近づいた。

「ねえ、トキワ。この家って、『象徴シンボル』なのかな。」

 ボクは、決して大きくはない、古い家を見上げた。

「違うだろうな。手紙に書かれていたことから、次への鍵を運ぶハトは間違いなく『象徴シンボル』だろう。ハトが運んでいたプレゼントボックスも同じだ。だが、この家のことは手紙に書かれていなかった。」

「つまり、『象徴シンボル』ではない、ということだ。……そうよね、トキワ。」

 ヒマワリが楽しそうに言った。トキワは、ああ、そうだ、と笑った。ボクは、そんなふたりをぼんやり見ていた。

 コンクリートの道に戻ってきた途端、出口を思わせる手紙が現れた。なぜ『審判』なのかも解らないまま、ボクたちはハトを追いかけてここまで来て、『象徴シンボル』ではない家に入ろうとしている。木の道の小屋に入るのとは訳が違う。漠然とした不安がボクを飲み込んでいく。

 ふと、ヒマワリがボクを見て微笑んだ。

「不安なんでしょ? 大丈夫よ。わたしたちがついているから。」

「その通りだ。ハトが、わざわざこの家にプレゼントボックスを落としたということは、この家で私たちを待っている何かがある、ということだろう。次への鍵の他にもな。」

 確かにそうだ。今までも、この世界に導かれるままに、さまざまなものと出会ってきた。でも、無駄だったと思ったことは一度もなかった。

「そう考えると、不思議ね。なんだか、全てが儀式めいているわ。」

「実際、儀式なのだろうと思う。」

「儀式?」

「そうだ。コンクリートの道の途中で出会った私たちは、道の端で始まりのベルの手紙を受け取った。ここから、私たちの旅が始まったわけだ。それからは、手紙を受け取り、『象徴シンボル』を探し、それについて考察し、何らかの答えを見出すというプロセスを繰り返してきた。」

 そこまで言うと、トキワはボクと真正面から向かい合った。

「これだけでも十分儀式と言えるが、さらに君は定期的に成長した。五歳、十歳、十三歳、そして、十七歳。これ以上成長しないのか、それともまだ成長を続けるのかは分からないが、君の年齢には意味があると思うのだ。」

「そう言われると不思議ね。わたしもトキワも、あの入道でさえも成長なんかしないのに、何故かあなただけは成長しているわ。」

 トキワが、そうだとうなずく。そして、イチョウの絵のペンダントを見つめた。

「もしかしたら、君のこれからの時間に関係があるのかもしれない。なあに、心配はいらないさ。謎はいつか解明されるのだから、そのときを待てばいいのだ。」

 ボクは、うん、とうなずいて微笑んだ。

「さてと。」

 トキワは家をまっすぐ見た。

「みんなでもっと思考を巡らしていたいのだが、ずっとここにいるわけにもいかないな。」

 ヒマワリは、そうね、と言って、家の入り口を見た。

「……開けるよ。」

 ボクは、立てつけの悪そうなアルミの引き戸に手をかけた。手にグッと力をこめると、ガタガタ、ガタッと、とんでもない音を立ててようやく開いた。

「ひどい音だな。」

「レールに油をさしたほうがいいわね。」

 トキワとヒマワリが苦笑いしている。

 玄関から中を見渡した。見た目が古いから埃だらけだと思ったけれど、誰か掃除でもしているのかと思うほど綺麗だった。
 トキワとヒマワリが先に中に入り、家の中の様子をうかがっている。

「誰かいるような気配はないわね。」

 ふたりの後ろから、ボクはコンクリートでできている土間に足を踏み入れると、戸を閉めようと振り向いて、取っ手に手をかけた。

「あ……、あれ……?」

 力を入れてみたけれど、立て付けの悪い引き戸はレールから外れてしまったのか、ビクともしなかった。
 ボクの様子が気になったのか、トキワとヒマワリがボクの近くにやってきた。

「どうした?」

「あら、引き戸と格闘してるわね。」

 ヒマワリが、ふふっと笑った。
 ボクは、取っ手から手を離して額の汗を拭い、振り向いた。そして、ふたりを見て苦笑いをした。

「ここ、開けたままでいいかな。」

 トキワとヒマワリは、顔を見合わせて大笑いした。ボクもつられて身をよじって笑った。

 ひとしきり笑うと、ボクはふたりを抱きあげ、土間でスニーカーを脱ぎ、誰もいない家の中に足をふみ入れた。

「一階から調べようか。」

 一階にあるのは、洗面所、トイレ、浴室、居間。洗面所とトイレは隣り合わせに設置されていた。確認したけど、特に変わったところはなかった。

「ここはお風呂場ね。」

 ヒマワリが浴室のドアの前でボクを待っていた。
 ドアを開けると、寒色系の小さくて丸いタイルが敷き詰めるように貼られた、それほど広くはない浴室が姿を現した。なんともレトロな浴室だ。

「あら、トキワ、どうしたの?」

 振り向くと、トキワが浴室から少し離れたところで、警戒するようにこちらを見ている。

「いや……。その浴室に近づいてはいけなような気がしてな。」

「あら、そうなの。」

「その様子じゃ、よっぽど怖い思いをしたんだね。」

 良く分からないけれど、もしかしたら、向こうの記憶なのかもしれない。
 浴室も、特に変わった様子はなかった。ドアを閉めて、居間の調査を開始する。

 カーペットが敷かれた居間の中央には、ちゃぶ台がちょこんとあった。壁側には、こじんまりとした台所が設置されている。

「特に、変わったところはなさそうね。」

「ハトのプレゼントボックスも無いみたい。」

 一階は、変わったところもなければ、ハトのプレゼントボックスもなかった。

「階段はこっちだ。」

 トキワが玄関からボクたちを呼んでいる。目を向けると、トキワは一階の奥のほうへと歩いていった。
 トキワを追って一階の奥に進むと、二階へと続く階段があった。木でできたその階段は、かなり古いもののようであちこち欠けている。気をつけなければ足を滑らせてしまいそうだ。

「一階には何もなかったということは、二階に目的のものがあるということだな。」

 ボクはトキワとヒマワリを抱き上げると、よし、と気合を入れて階段を上った。この世界で、いろんな階段を上ったり下りたりしたけれど、初めての生活を感じる階段に、ボクはドキドキした。

 階段を上がってすぐ、左手に部屋があった。古ぼけたガラス障子は開けられたままになっている。家具も何もない、がらんどうの和室だ。畳はすっかり色あせて、ところどころ毛羽立っている。

「中に入ってみるね。」

 特に何もない、ただの和室。畳には、家具が置かれていたらしいへこみがあった。

「この部屋じゃないみたいだね。」

 ううん、と、トキワがうなった。

「そうなると、残るは、あの部屋か。」

 ボクは和室を出ると、二階の奥にある、もう一つの部屋の入り口に向かった。
 この部屋の入り口は古ぼけたドアだ。ボクは、ちょっと錆びたノブに手をかけてドアを開けた。

 その部屋は、これまでの部屋と明らかに違っていた。

「この部屋だけは、生活感があるな。」

「この部屋で間違いないわね。」

 ふたりの言う通りだ。この部屋だけはしっかりと家具が置かれていて、今にもこの部屋の住人が帰ってきそうなほどに、部屋がいた。

 ドアを開けて正面に、モノトーンの机が置かれていた。その机の左側には、机と同じデザインの本棚が横づけされている。本を出し入れするところが机の天板のほうを向いていて、まるで机の脚のように見える。その大きな本棚の隣に、小さな本棚も置かれていた。

 机の反対側でドアと同じ並びの壁には、スチール棚が置かれていた。この部屋にあるどの本棚も、本がぎっしり詰まっている。この部屋の住人は、本が好きなのだろう。トキワじゃなくても、簡単に推理できる。

 ドアを背にした右側には壁はなく、レースのカーテンがかけられている。その向こうには、どうやらもう一つ部屋がありそうだ。

「この机は面白いな。本棚が机の脚になっているようだ。机の天板が本棚に差しこまれている。」

 ボクの腕から机に飛び移ったトキワが、机と本棚を興味深そうに見ている。

「本がたくさんあるわね。前後二列にして置いてあるわ。あら、辞書もあるのね。」

「英和辞典、和英辞典、英英辞典、仏和辞典、文学辞典、哲学辞典、英和大辞典……、国語辞典は、出版社の違うものが何冊かあるようだな。ここの住人は辞書が好きなのか?」

「こっちの小さい本棚は、文庫本専用みたいよ。」

 ふたりは、本棚に夢中になっている。本棚はふたりに任せて、ボクは机を調べることにした。

 机の上には、原稿用紙が積み上げられている。何百枚もありそうだ。その横には、万年筆とインク瓶が置かれている。その万年筆に目を奪われた。七色に煌めく装飾が施されている。ボクは、吸い寄せられるように手に取ると、ポケットにしまった。

 万年筆とは違う理由でボクの目を強く引いたのは、原稿用紙の上に置かれていた、二つの奇妙なモノだった。

 一つは、赤くて小さい箱のようなもの。手に取って見てみると、真ん中で二つに折りたたまれた、何かの機械のようだ。おそるおそる開いてみると、小さなテレビのような部分と、たくさんのボタンがある部分とでできている。ボタンには、ゼロから九までの数字が書かれていた。

 計算機……じゃないな。このボタンの配置は電話かもしれない。

 ボクは、赤い機械を机に置き、もう一つの黒い機械を手に取った。
 黒い機械は、テレビの画面のような部分だけの機械だ。赤い機械より、幅が広くて重い。

 テレビ? アンテナも無いのに、どうやって見るんだろう……。

 まったく想像できない。ボクは首をかしげて黒い機械を赤い機械の隣に置いた。
 あとでトキワに聞いてみようか。もしかしたら、知っているかもしれない。

 ボクは、視線を原稿用紙に移した。

「あれ? 何か書いてある。」

 一枚目は真っ白だけど、二枚目の文字が透けて見えた。ボクは、一枚目の原稿用紙に手を伸ばしてそっとめくった。

「逆さまの迷宮……? ……子?」

 タイトルかな。じゃあ、その下にあるのは、これを書いた人の名前、かな。でも、どうしてだろう。子、意外の文字が黒く塗りつぶされている。

 三枚目からは、びっしりと文字が書かれていた。
 どうやら物語のようだ。『気がついたら、ボクは階段の上にいた。』という一文で始まっている。ここの住人は作家なのだろうか。なるほど、それなら本や辞書がたくさんあるのも理解できる。

「ねえ、トキワ、ヒマワリ。」

 分かったことを伝えようと思って振り向くと、ふたりの姿はどこにもなかった。いつの間にか、カーテンで仕切られた、隣の部屋に移動していたらしい。

「まあ、いいか。だってこれは、この世界の秘密なんだから。」


 ──えっ。ボク、今、なんて言った?


 ボクは、自分のひとり言に驚いた。ボクは、この世界の秘密を知っているのだろうか。

 まさか、そんなのありえない。きっと、トキワたちと旅をしているうちに、この世界の秘密を知ったような錯覚をしているだけだ。

 ボクは、首をはげしく横に振って、ほっぺたをパンパンとたたくと、カーテンを開けて隣の部屋に入った。

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