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第二章 ◆ 本道
第ニ節 ◇ 観覧車
しおりを挟むどこまでもまっすぐなコンクリートの道。歩いても歩いても、真っ白な空間と灰色の道が続くだけで景色は変わらない。
ボクはトキワと話をしながらのんびりと歩いた。
さっき見た氷の山の話題は、ボクもトキワも避けていた。ボクたちには、カニさんたちが自分から氷を破ってくれることを願うしかできないから。
「確か、ここ……。」
ボクは立ち止まって辺りを見渡した。見覚えのある場所だった。
「トキワと出会った場所だよね!」
何の特徴もない場所だけど、トキワと出会った場所だとボクはピンときた。
「ああ、そうだな。確かに、この場所だ。」
トキワと出会ったのはついさっきなのに、なんだかとても懐かしい。ほんわか流れる穏やかな雰囲気に乗せて、トキワに気になっていたことを聞いてみた。
「どうしてトキワは『象徴』のことを知ってるの?」
トキワはこの世界のことをいろいろ知ってるけれど、それは一体、誰から教わったものなのだろう。ボクは、それが不思議だった。
「私にも解らない。いつの間にか頭の中に情報が入っていたのだよ。それに、どうやら何でも知っているという訳でもないらしい。何でも知っているなら、目覚まし時計の止め方や氷の山の存在理由について、君に説明できたはずだ。」
トキワは、そう言いながら首をかしげた。
「確かにその通りだね。」
そういえばボクも、ここがトキワと出会った場所だとすぐにわかった。『象徴』がある場所以外はどこも同じ景色なのに、どうしてわかったのだろうか。
「封筒だ!」
ハッとして顔を上げた。トキワは、バサバサッと羽ばたいて飛び立った。空間を切るようにまっすぐ飛んだかと思うと、今度はくるりとターンしてコンクリートの道の下に滑り込んだ。音が消えた。トキワが消えてしまったと不安になったとき、飛び立ったのと反対側の道の下から、封筒をくわえたトキワがスッと姿を現して、ボクの前に降りた。
「三枚目だな。」
トキワから封筒を受け取ったボクは、大急ぎで封を切った。
┏━━━━━━━━━━━━┓
『運命の輪』
順調に進むことは
必ずしも幸運とは限らない。
┗━━━━━━━━━━━━┛
「順調に進むって、すごく幸運なことだよね。」
手紙を読み、ボクは口をとがらせた。
「私は、何となく解った気がする。」
トキワの目にキラリと光るものを感じ、ボクはますます不機嫌になった。
「トキワは大人だもん。ずるいよ。ボク、子どもだから解んない。五歳くらいだもん。」
ボクはくるりとトキワに背を向けて、その場にしゃがみこんだ。トキワは、ボクの目の前に移動しながら、そうなのか? と不思議そうに言った。
「君は確かに子どもだが、五歳には見えないな。」
トキワの言葉に驚いて、ボクは顔を上げた。
「いくつくらいに見えるの?」
「そうだなぁ、十歳くらいかな。」
そんなのおかしい。空豆の時計で見た自分の姿は間違いなく五歳くらいの子どもだったのに、トキワは十歳と言った。でも、トキワは真剣に話していたから嘘はついていないと思う。
これは、どういうことだろう。
考え込んでいると、ボクたちの後ろでガタンと大きな音が聞こえた。金属の機械のような音だ。振り返ると、そこには巨大な観覧車がそびえ立っていた。赤、青、黄色、緑、ピンク……。さまざまな色の丸いゴンドラが、ゆっくりと回っている。
「ここで待っていろ。」
そう言うと、トキワは観覧車の周りをくるくる飛び回った。ときどき観覧車に近づいては、嘴でコンコンとゴンドラを突いていた。しばらくするとトキワが戻ってきた。
「どうやらこの観覧車は安全なようだ。」
「ボクたちも乗れそう?」
「ああ、乗れそうだ。今回は積極的に関わるタイプの『象徴』のようだな。もちろん、乗るだろう?」
もちろん、とボクはうなずき、トキワを肩に乗せて観覧車に向かった。
「これが……、ボク?」
ゴンドラの前で呆然とした。扉のガラスに映っていた子どもは、そら豆の時計で見たのよりも、ずっと成長していた。白く美しいトキワがボクの肩の上にいる。ゴンドラに映っているのは、間違いなくボクだ。
「トキワ、ごめんね。トキワの言う通りだった。」
うなだれるボクの首筋を、トキワが嘴で優しくカリカリすると、ボクの耳元でそっと囁いた。
「……気にするな。」
「……ありがとう。」
トキワと出会えてよかった。ボクは、心から思った。
呼吸を整えた。
緑色のゴンドラの扉を開けて中に乗り込み、ドアをロックした。ボクらは向かい合って座席に座った。窓から見える枠組みから、かなり大きな観覧車のようだから、一周するのに結構な時間がかかりそうだ。まだ上り始めたばかりだから景色はそんなに映えしない。座り心地も手触りも抜群の座席に、ボクはゆったりと腰かけた。
「ボクね、そら豆の時計で自分の姿を初めて見たんだけど、そのときは本当に五歳くらいだったんだよ。」
トキワは、向かい側の座席にうずくまって、ボクの話を聞いている。
「もう、五年も過ぎたってことなのかな。」
「前にも言ったが、この世界には時間など存在しない。だから君も私も、本当は何歳なのか見当もつかない。ただ君の場合は、もしかすると、心の成長にともなって体も成長するのかもしれないな。」
トキワの言葉には説得力があった。トキワと出会ってから、たくさんのことを考えた。心が成長したのは事実だと思う。それがボクの成長に関係しているのだろうか。
「もし、私の仮説が正しいとすると、私が見たあれは、気のせいではなかったということだろう。」
「……何のこと?」
トキワはボクを見て、ああ、と微笑んだ。
「氷の『象徴』の手紙を覚えているか? あれを読んで、君が『本当は動いているはずなのに、わざと留めておいてる』と言った直後に、身体がひと回り大きくなったような気がしたのだ。」
あのとき、ボクを見て驚いたんだ……。
やっと納得できた。
窓の外を見ると、観覧車は四分の一地点に差し掛かっていた。
「さて、この話はこのくらいにしよう。この観覧車が一周するまでの間に、答えを導きださなくては。」
……一周?
時間なんて存在しない世界だから、どんなに時間をかけても大丈夫なんだと勝手に思っていた。
「一周しても答えが出なかったら、どうなるの?」
トキワは、少し顔を曇らせた。
「残念ながらそこまでは分からないが、この観覧車から降りられなくなるのではと思っている。降りたいと思っても、答えを出さなければ扉も開かないのではないだろうか。」
それは嫌だ。
ボクは、ゴンドラのロックに手をかけて確かめた。ロックはボクの手の動きに強く抵抗した。それはまるで観覧車に意志があるかのようだった。
「思った通りだな。まあ、開いたとしても、こんな高さから降りるのは、お勧めしないが。」
トキワはモゾモゾと体を動かし、態勢を整えた。
「ところで、今、この世界は朝だろうか。」
ボクは目を真ん丸にした。
「え? どうだろう……、分からないな。」
「そうか、では質問を変えよう。今、この世界は昼だろうか。」
朝が昼になっただけで、さっきと何も変わっていない。トキワの言いたいことはちっとも解らないけど、質問をしたくても時間がない。ボクは慌てて答えた。
「そんなの分かんないよ。朝が分からないんだから、昼なんて分かるわけないよ。」
するとトキワは、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「それならどうして、朝が分からないのだろうか。」
――どうして?
理由を聞かれて困った。でも、悩んでいる余裕もないらしい。観覧車はもう少しで頂上に到達してしまう。ボクは急いで考えた。
お日様がのぼって朝がきたって分かる。でも、お日様が見えなければ? それでも、朝がきたって分かる。それはどうして? それは……、それはきっと……、
「朝が分からないのは、きっと、夜がないから。」
ボクの答えに対して、トキワは微笑んだだけだった。
「では、次の質問だ。私と出会ったとき、君は、どう思っただろうか。」
さっきの質問との関係性がまったく分からない。でもトキワのことだから、何か意味があるに違いない。ボクは首を傾げながら答えた。
「すっごく嬉しかった。だって、ひとりぼっちで寂しかったから。」
あれ……? これは、どういうことだろう? 胸の奥で何かが引っかかっている。
「どうした? どこか具合でも悪いのか?」
黙り込んだボクを、トキワが心配そうに見ている。
「何でもないよ。ただ何か引っかかるんだ……。」
時間に余裕がないのは分かっているけれど、ボクはじっくり考えた。
第一の質問。今、この世界は朝? それとも昼?
夜がないから、朝が分からない。朝が分からないから、昼も分からない。
第二の質問。トキワと出会ったとき、どう思った?
ひとりぼっちで寂しかったから、すごく嬉しかった。
つまり――、
「順調を順調と思うには、何が必要か。」
地面まで、残り四分の一……。トキワの質問に答える前に、ボクは観覧車の位置を確認して呼吸を整えた。
「たぶん、失敗とか病気とか。とにかく、何かさまたげになるようなもの。……だと、思う。」
答えてすぐ、ボクは自信が無くなって下を向いた。
「必死に導き出した答えだ。自信を持ちなさい。考えた自分に失礼じゃないか。」
自分に失礼だなんて、考えたこともなかった。ボクは驚いて顔を上げた。目の前のトキワが笑っていた。
「正解だ。いつも順調に進んでいたら、それが当たり前になってしまって、順調なことを幸運だと思えなくなってしまうからね。」
トキワは窓の外を見やり、ため息をついた。
「私たちも、この世界が当たり前にならないように気を付けなければならないな。」
ゴンドラの窓からもゴールが見えるほど、地面はすぐそこだった。
「さて、降りるか。」
トキワは、すぐに降りられるようにボクの肩に乗って待機した。
今度は大丈夫だろうか。ドキドキしながら鍵に手をかけると、さっきと違って抵抗がなかった。鍵は、ガチャンと大きな音を立てて外れた。ゆっくり押すと、緑色の扉は錆びた金属独特のきしみ音とともに開いた。
ゴンドラは、すでに地上から離れ始めていた。ちょっと足がすくんだけれど、ボクは勇気を出して自分の身長と同じくらいの高さのゴンドラから飛び降りた。
着地をすると、全身がじーんと痺れた。ちょっと足が痛いけれど、観覧車から降りられた喜びと安心感で、むしろ心地いい。ボクは深呼吸して振り返り、さっきまでボクたちが乗っていた観覧車を見上げた。
「大丈夫だよ、トキワ。ボクたちが悩んでいるうちは、この世界を当たり前だとは思わないから。」
そしてまた、コンクリートの無機質な道を、軽快に歩き始めた。
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