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第1章 幼年期
令嬢、手駒を得る
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コンコンコンっと私の自室のドアをノックする音。
「どうぞ」
私は紅茶を飲むのを止めて、カップを置く。
「し、失礼いたします。お嬢さま……」
おどおどした様子で入室してきたのは、メイド服の少女。
少女と言っても、今の私よりはずっと年上の18歳だけれども。
名前をパティリス・シリルバーグ。
かつてのシリルバーグ男爵家というと、商取引で財を成した名家だったらしいけれど……
老当主の跡を継いだ若当主、つまりは彼女の父親が新規事業に手を出して失敗し、多大な負債を抱えた上、あろうことかメイドと駆け落ちするという醜聞を広めたものだから、あえなく爵位剥奪となった没落貴族。
私が生まれるよりも前のことだけれど、彼女はそれからずいぶん苦労したみたい。
当家に雇われる以前にも、いくつもの家を渡り歩いたようね。
「パティ、と愛称で呼ばせてもらっても構わないかしら?」
「……はい。お嬢さまのお望みのままに」
彼女――パティは、ドアの前に立ち尽くし、とても居心地が悪そうにしている。
「どうしたの? まるで借りてきた猫のよう。ふふっ、普段の貴女はもっと活発と聞いていますよ?」
活発というか、素行が悪いというか。
パティは使用人の中で、あまり評判はよくない。
当時のわずか3歳児にすら見破られるほどなのだから、猫の皮くらいでは覆い隠せてないみたい。
仕えてる家を転々としているのも、きっとそれが原因ね。
「お戯れはご容赦くださいませ、お嬢さま」
「まあ、そんな余所余所しい。私たちは拳で語り合った仲ではありませんか?」
私が澄まして紅茶に口をつけると、パティは目に見えて動揺していた。
右脇腹に手を添えているのは、無意識かしら?
パティはぷるぷると震えていたけれど、やがて盛大に嘆息して両手を挙げた。
「はいはい。降参です、お嬢さま。それでご用向きは、私をいたぶることですか? それでしたら、どうぞ心ゆくまでお好きなように。もともと、2年前のあの日に、懲罰の上で解雇されることを覚悟しておりましたから。今さら多少のことは屁でもありません。あら、お嬢さまの前ではしたない。あはは!」
「開き直るのもいいのですけれど、それは貴女の勘違いですわよ? 私は今では貴女のことを嫌っても疎んでもおりません。むしろ、好意を抱いている……と言ったところでしょうか」
「……はぁ?」
「そうでなければ、わざわざお父さまにお願いして、貴女を私の専属になどしていませんわ。すでに他の使用人は任を解いています。これからは、貴女が私の唯一の傍付きなのですよ」
「……あの、本気で意味がわからないのですが?」
「私には目的がありますの。貴族とはいえ、見ての通り、私はまだ幼い子供にしかすぎませんわ。目的を達するためには、お淑やかなお嬢さまというだけでダメ。時に私の手足となり、共犯となることも惜しまない協力者が必要不可欠なの」
「つまり、それが私だと?」
「ええ。貴女でしたら秘密を共有していただけると思いまして。いかがでしょう? 私のお友達になっていただけないかしら?」
「断わったら……などとは訊けないのでしょうね。お嬢さまが一言云い付ければ、私は今日にでも路頭に迷いますから。悪ければ、命を失うことにもなるでしょうね。ちなみにお嬢さま、これは脅迫という行為ということはご存知ですか?」
「ええ、もちろん」
私が躊躇なく答えると、パティは一瞬唖然とした後、腹を抱えて笑い出した。
「ああ、おっかしい! 得体の知れないお嬢さまだと不気味に思っていましたが、不敬ながら、どうやらお嬢さまは私と同類のようですね」
「ふふ。理解していただけて有り難いですわ。なってくださいますわね、私のお友達に?」
私が握手のために差し出した手。
パティはその手の甲に口付けをした。あたかも忠誠を誓う騎士のように。
「それはもう、喜んで。ただし、一言だけ訂正させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。なんでしょう?」
パティはにやりと笑って言った。
「それは友達ではなく、『手駒』と言うのですよ、お嬢さま」
「ええ、知っているわ」
私は満面の笑みで返した。
「どうぞ」
私は紅茶を飲むのを止めて、カップを置く。
「し、失礼いたします。お嬢さま……」
おどおどした様子で入室してきたのは、メイド服の少女。
少女と言っても、今の私よりはずっと年上の18歳だけれども。
名前をパティリス・シリルバーグ。
かつてのシリルバーグ男爵家というと、商取引で財を成した名家だったらしいけれど……
老当主の跡を継いだ若当主、つまりは彼女の父親が新規事業に手を出して失敗し、多大な負債を抱えた上、あろうことかメイドと駆け落ちするという醜聞を広めたものだから、あえなく爵位剥奪となった没落貴族。
私が生まれるよりも前のことだけれど、彼女はそれからずいぶん苦労したみたい。
当家に雇われる以前にも、いくつもの家を渡り歩いたようね。
「パティ、と愛称で呼ばせてもらっても構わないかしら?」
「……はい。お嬢さまのお望みのままに」
彼女――パティは、ドアの前に立ち尽くし、とても居心地が悪そうにしている。
「どうしたの? まるで借りてきた猫のよう。ふふっ、普段の貴女はもっと活発と聞いていますよ?」
活発というか、素行が悪いというか。
パティは使用人の中で、あまり評判はよくない。
当時のわずか3歳児にすら見破られるほどなのだから、猫の皮くらいでは覆い隠せてないみたい。
仕えてる家を転々としているのも、きっとそれが原因ね。
「お戯れはご容赦くださいませ、お嬢さま」
「まあ、そんな余所余所しい。私たちは拳で語り合った仲ではありませんか?」
私が澄まして紅茶に口をつけると、パティは目に見えて動揺していた。
右脇腹に手を添えているのは、無意識かしら?
パティはぷるぷると震えていたけれど、やがて盛大に嘆息して両手を挙げた。
「はいはい。降参です、お嬢さま。それでご用向きは、私をいたぶることですか? それでしたら、どうぞ心ゆくまでお好きなように。もともと、2年前のあの日に、懲罰の上で解雇されることを覚悟しておりましたから。今さら多少のことは屁でもありません。あら、お嬢さまの前ではしたない。あはは!」
「開き直るのもいいのですけれど、それは貴女の勘違いですわよ? 私は今では貴女のことを嫌っても疎んでもおりません。むしろ、好意を抱いている……と言ったところでしょうか」
「……はぁ?」
「そうでなければ、わざわざお父さまにお願いして、貴女を私の専属になどしていませんわ。すでに他の使用人は任を解いています。これからは、貴女が私の唯一の傍付きなのですよ」
「……あの、本気で意味がわからないのですが?」
「私には目的がありますの。貴族とはいえ、見ての通り、私はまだ幼い子供にしかすぎませんわ。目的を達するためには、お淑やかなお嬢さまというだけでダメ。時に私の手足となり、共犯となることも惜しまない協力者が必要不可欠なの」
「つまり、それが私だと?」
「ええ。貴女でしたら秘密を共有していただけると思いまして。いかがでしょう? 私のお友達になっていただけないかしら?」
「断わったら……などとは訊けないのでしょうね。お嬢さまが一言云い付ければ、私は今日にでも路頭に迷いますから。悪ければ、命を失うことにもなるでしょうね。ちなみにお嬢さま、これは脅迫という行為ということはご存知ですか?」
「ええ、もちろん」
私が躊躇なく答えると、パティは一瞬唖然とした後、腹を抱えて笑い出した。
「ああ、おっかしい! 得体の知れないお嬢さまだと不気味に思っていましたが、不敬ながら、どうやらお嬢さまは私と同類のようですね」
「ふふ。理解していただけて有り難いですわ。なってくださいますわね、私のお友達に?」
私が握手のために差し出した手。
パティはその手の甲に口付けをした。あたかも忠誠を誓う騎士のように。
「それはもう、喜んで。ただし、一言だけ訂正させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。なんでしょう?」
パティはにやりと笑って言った。
「それは友達ではなく、『手駒』と言うのですよ、お嬢さま」
「ええ、知っているわ」
私は満面の笑みで返した。
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