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第10話
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外から聞こえてくる喧騒で、私は強制的に目を覚まされた。
大使館は高貴族の居住区にあり、そのため周囲でそうそう騒ぎなど起こるものではない。
私は一抹の不安を覚え、昨夜から着っ放しのドレスの上にカーディガンだけを羽織って、騒動のもととなっている大使館の入り口へと向かってみた。
門のところで、誰かが押し問答している。
こちらに背を抜けているのはレオーネだ。
黒いスーツに後ろに流した黒髪、尖った耳と間違いない。
では、その相手は――?
私は門扉のところまで歩み寄り、その相手を確認した。
それはリセルドラ王国の衛兵だった。
その数、およそ30人。完全武装ではないけれど、槍を携帯し、あろうことかその穂先をアリシオーネ大使であるレオーネへと向けている。
「ええっ!?」
私は目を疑った。
寝起きの幻であればどれほどよかったか。
その国の衛兵が駐在する大使に向かって武器を向けること自体、有り得ない話だった。
「どうしたの、レオーネ!?」
「姫様!? こちらに来てはなりません!」
私の存在に気づいたレオーネが、顔色を変えた。
「え?」
同じく私に気づいた衛兵の槍が、私に矛先を変える。
「フィリ・フィール・マーテル・フォン・アリシオーネだな。王妃様の命により参った。大人しくご同行を願おう。王妃様は貴女の脱獄にいたくご立腹で、即刻、牢に引き戻せとのご命令だ」
「は?」
あまりの予想外の展開に、言葉がそれしか出なかった。
脱獄? なにそれ?
反応できずに私が固まってしまっていると、衛兵がどやどやと大使館の敷地内に入ってこようとしていた。
「貴様らっ! ここをどこだと思っている!? ここはアリシオーネ大使館! アリシオーネ聖王国の法に乗っ取って裁かれる治外法権の場だぞっ!? ここより踏み入ることはまかりならん! 殺されても文句はあるまいな!?」
これまで見たこともないほどにレオーネが激高する。
衛兵たちは怯むと同時に殺気立ち、反射的に武器を構えていた。
「やめなさい、レオーネ!」
私は一瞬先に我に返り、叫んでいた。
レオーネは一般の妖精族だけに、私たち神代妖精族のような聖樹の加護は受けてはいない。
それでも、エルフは元来、誰もが精霊魔法を扱う戦士の一族である。文官であるレオーネといえども、人間の武官に劣るものではない。
しかし、それがわかっているからこそ、私はレオーネを止めた。
この場で安易に人傷沙汰を起こすべきではない。それは最終手段。
そこに至ると、もう取り返しが付かなくなってしまう。
「姫様……」
「私は逃げも隠れもいたしません。ですから、質問にだけは答えてください」
私はレオーネを押しのけて、数歩前に出た。
「この件について、国王陛下はご存知なのでしょうか? 私は今朝、国王陛下の手ずから牢を出していただきました。王妃様におかれましては、なにかすれ違いがあったのではないでしょうか?」
国王の名を出したことで、わずかに衛兵たちに動揺が見られた。
お互いに顔を見合わせ、なにか目配せしているようだった。
「我らが受けた命は、貴女を牢に戻すこと、それだけだ。他の命は受けていない」
「でしたら、一度、国王陛下にご確認いただくというのはいかがでしょうか? 誤解も解けるかと思うのですが」
「そのような命は受けていない」
「ですが、これはアリシオーネ聖王国とリセルドラ王国の双方にかかわる問題。小さなすれ違いが、国政を巻き込む大事になることもあります」
「そのようなことは我らには関係ない。我らは受けた命を忠実に執行するまで。異議があるなら、いったん牢に戻った後で、貴女自ら正式に問われるがよい」
(ああ……これはダメだ……)
聞く耳すら持たない。自分で判断しようともしない。
ただ、上からの命に忠実であれ。それが真の忠義であり、美徳とすら思っている輩だ。
「……わかりました。まずは牢に戻りましょう。然る後、弁明させていただくとしましょう」
「姫様! それはなりません!」
必死に食い下がろうとするレオーネを私は制した。
レオーネにだって――いえ、私以上に彼のほうが現状を理解しているはず。
この衛兵たちは、国同士で決められた法を犯すことなど、なんとも思ってはいない。
それは、自国の主が、そう命令したから。それは至上であり、絶対なのだろう。
いくらここで抗ったとしても、相手は逆に免罪符を得たとばかりに数で圧し掛かってくるだろう。
法という共通の認識が通じなくなった今、所詮は多勢に無勢だ。ふたりとも、生命の危機に晒される恐れがある。
この大使館がアリシオーネ聖王国の法で守られていても、実際にはアリシオーネ聖王国ではなく、ここはリセルドラ王国なのだ。
大使館内に我がアリシオーネの兵はいない。そもそも大使館を守る役目は、目の前のリセルドラ王国の兵が担っていたはずなのだから。
諦めて歩み出た私の手に、枷が嵌められる。
それを見たレオーネは唇を噛み締め、口から血を流していた。
「貴様ら、覚えておくがいい……この代償がいかに高くつくかということを……!」
その迫力に怯えた様子で、兵たちは私を連れるとそそくさと大使館を後にした。
場所が高貴族の居住区だけあって、連行される最中、成り行きを窺っていた幾人かの貴族と目が合ったのだけれど……結局、なにか行動を起こそうとする者は、ただのひとりもいなかった。
そうして私は、たったの四半日も経たない内に、元の牢屋に戻された。
湯浴みどころか服を着替えることさえできず、昨夜と同じ格好のままで。
私は地下牢の薄汚れた天井を見上げながら思った。
ああ、これで終わったな――と。
どうしてこの国の人間は、こうも自滅願望があるのだろう。
私なりに、これだけ頑張って問題を回避しようと努めたのに。
結局、牢に連れ戻せと命じた王妃が、ここにやってくることはなかった。
私は数日もそのまま放置され――そして、数日後に起こった騒乱の最中、慌しく牢から連れ出されることになった。
大使館は高貴族の居住区にあり、そのため周囲でそうそう騒ぎなど起こるものではない。
私は一抹の不安を覚え、昨夜から着っ放しのドレスの上にカーディガンだけを羽織って、騒動のもととなっている大使館の入り口へと向かってみた。
門のところで、誰かが押し問答している。
こちらに背を抜けているのはレオーネだ。
黒いスーツに後ろに流した黒髪、尖った耳と間違いない。
では、その相手は――?
私は門扉のところまで歩み寄り、その相手を確認した。
それはリセルドラ王国の衛兵だった。
その数、およそ30人。完全武装ではないけれど、槍を携帯し、あろうことかその穂先をアリシオーネ大使であるレオーネへと向けている。
「ええっ!?」
私は目を疑った。
寝起きの幻であればどれほどよかったか。
その国の衛兵が駐在する大使に向かって武器を向けること自体、有り得ない話だった。
「どうしたの、レオーネ!?」
「姫様!? こちらに来てはなりません!」
私の存在に気づいたレオーネが、顔色を変えた。
「え?」
同じく私に気づいた衛兵の槍が、私に矛先を変える。
「フィリ・フィール・マーテル・フォン・アリシオーネだな。王妃様の命により参った。大人しくご同行を願おう。王妃様は貴女の脱獄にいたくご立腹で、即刻、牢に引き戻せとのご命令だ」
「は?」
あまりの予想外の展開に、言葉がそれしか出なかった。
脱獄? なにそれ?
反応できずに私が固まってしまっていると、衛兵がどやどやと大使館の敷地内に入ってこようとしていた。
「貴様らっ! ここをどこだと思っている!? ここはアリシオーネ大使館! アリシオーネ聖王国の法に乗っ取って裁かれる治外法権の場だぞっ!? ここより踏み入ることはまかりならん! 殺されても文句はあるまいな!?」
これまで見たこともないほどにレオーネが激高する。
衛兵たちは怯むと同時に殺気立ち、反射的に武器を構えていた。
「やめなさい、レオーネ!」
私は一瞬先に我に返り、叫んでいた。
レオーネは一般の妖精族だけに、私たち神代妖精族のような聖樹の加護は受けてはいない。
それでも、エルフは元来、誰もが精霊魔法を扱う戦士の一族である。文官であるレオーネといえども、人間の武官に劣るものではない。
しかし、それがわかっているからこそ、私はレオーネを止めた。
この場で安易に人傷沙汰を起こすべきではない。それは最終手段。
そこに至ると、もう取り返しが付かなくなってしまう。
「姫様……」
「私は逃げも隠れもいたしません。ですから、質問にだけは答えてください」
私はレオーネを押しのけて、数歩前に出た。
「この件について、国王陛下はご存知なのでしょうか? 私は今朝、国王陛下の手ずから牢を出していただきました。王妃様におかれましては、なにかすれ違いがあったのではないでしょうか?」
国王の名を出したことで、わずかに衛兵たちに動揺が見られた。
お互いに顔を見合わせ、なにか目配せしているようだった。
「我らが受けた命は、貴女を牢に戻すこと、それだけだ。他の命は受けていない」
「でしたら、一度、国王陛下にご確認いただくというのはいかがでしょうか? 誤解も解けるかと思うのですが」
「そのような命は受けていない」
「ですが、これはアリシオーネ聖王国とリセルドラ王国の双方にかかわる問題。小さなすれ違いが、国政を巻き込む大事になることもあります」
「そのようなことは我らには関係ない。我らは受けた命を忠実に執行するまで。異議があるなら、いったん牢に戻った後で、貴女自ら正式に問われるがよい」
(ああ……これはダメだ……)
聞く耳すら持たない。自分で判断しようともしない。
ただ、上からの命に忠実であれ。それが真の忠義であり、美徳とすら思っている輩だ。
「……わかりました。まずは牢に戻りましょう。然る後、弁明させていただくとしましょう」
「姫様! それはなりません!」
必死に食い下がろうとするレオーネを私は制した。
レオーネにだって――いえ、私以上に彼のほうが現状を理解しているはず。
この衛兵たちは、国同士で決められた法を犯すことなど、なんとも思ってはいない。
それは、自国の主が、そう命令したから。それは至上であり、絶対なのだろう。
いくらここで抗ったとしても、相手は逆に免罪符を得たとばかりに数で圧し掛かってくるだろう。
法という共通の認識が通じなくなった今、所詮は多勢に無勢だ。ふたりとも、生命の危機に晒される恐れがある。
この大使館がアリシオーネ聖王国の法で守られていても、実際にはアリシオーネ聖王国ではなく、ここはリセルドラ王国なのだ。
大使館内に我がアリシオーネの兵はいない。そもそも大使館を守る役目は、目の前のリセルドラ王国の兵が担っていたはずなのだから。
諦めて歩み出た私の手に、枷が嵌められる。
それを見たレオーネは唇を噛み締め、口から血を流していた。
「貴様ら、覚えておくがいい……この代償がいかに高くつくかということを……!」
その迫力に怯えた様子で、兵たちは私を連れるとそそくさと大使館を後にした。
場所が高貴族の居住区だけあって、連行される最中、成り行きを窺っていた幾人かの貴族と目が合ったのだけれど……結局、なにか行動を起こそうとする者は、ただのひとりもいなかった。
そうして私は、たったの四半日も経たない内に、元の牢屋に戻された。
湯浴みどころか服を着替えることさえできず、昨夜と同じ格好のままで。
私は地下牢の薄汚れた天井を見上げながら思った。
ああ、これで終わったな――と。
どうしてこの国の人間は、こうも自滅願望があるのだろう。
私なりに、これだけ頑張って問題を回避しようと努めたのに。
結局、牢に連れ戻せと命じた王妃が、ここにやってくることはなかった。
私は数日もそのまま放置され――そして、数日後に起こった騒乱の最中、慌しく牢から連れ出されることになった。
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