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第六章

妖精からの依頼 2

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 もう鼻先同士が触れ合うほどに、色素の薄いデッドさんの唇が近い。
 呼吸音すら感じ取れる距離だ。

 と思うや否や。

 ――がぷっ!

「あ痛っ!」

 おでこを噛まれた。

 ――べろんっ。

「ひゃわぅ!」

 次いで舐められた。

「よっしゃ!」

「よっしゃ、じゃないでしょーが!? なにするんですか、いきなり!」

 デッドさんは満足げに舌舐めずりをしてから口元を腕で拭うと、ようやく解放してくれた。

「あー。めんどくさいから、アキに風の精霊の加護を与えたんだよ。これで谷くらい越えられんだろ」

「加護? 精霊の加護ってなんです?」

「ん? だから、あたいとおんなじ、精霊魔法が使えるようになったってことさね」

 なんでもないふうに、デッドさんはさらっととんでもないことを告げてきた。

「は?」

「? どうかしたか?」

「え? でも待って。そんな簡単に精霊魔法って使えるようになっていいものなの? え、あれ? 俺の認識のほうがおかしいのかな?」

 戸惑う俺を見たからか、今さらながらにデッドさんがぽんっと手を打った。

「そうだった! 無闇に他人に加護を与えねーように、長老たちから念を押されてたんだった!」

「ええええー……」

 もしかして、まずい? こっちが損害を被るパターン?

「ま、いっか。やっちまったもんはしょうがねー。今のうちに、さっさか渡っちまおうぜ、アキ!」

「って、どうすれば?」

「まずは初歩的な『風精の舞靴』だな! 慣れないうちは言霊を使えよ。『風に舞い躍らせ賜え』、はいっ!」

「か、風に舞い躍らせ賜え?」

 デッドさん手拍子に合わせて復唱すると、跨っている疾風丸の4つのタイヤから、うっすらと光の波紋が広がった。
 同時に、足元が不安定に揺れたかのような浮遊感――

 地面からほんの10数センチほどだが、車体が確かに浮いていた。

「こいつは重そうだから、こんなもんか……でもまー、上々さね。ほら、今度は崖のほうに向けて進む進む!」

「あ、は、はい」

 促されるがまま、いつものように風の魔法石を発動させて、風を一気に噴出させる。

 が――

「うわわわわわっ!?」

 スタートダッシュからすでに尋常ではなかった。
 タイヤと地面の摩擦、駆動部の抵抗という重枷がなくなった車体が、とんでもないスピードで発進した。

 谷どころか、その先の丘や河まで一跨ぎして、疾風丸はその名の通り、風のように突き進んだ。
 周囲の景色を、軒並み後方に押し流している。

 これはもう車ではなく、ジェット機もしくはロケットと呼ばれる類ではないだろうか。

「にゃはははは! いいぞ、すげー! はえー! ひゃっはー!」

 デッドさんは大はしゃぎだが、こっちはそれどころではない。
 襲いくる風圧が凄まじく、必死にハンドルに縋りついているのがやっとの状態だ。
 ちょっとでも気を抜くと、身体ごと後方に吹き飛ばされかねない。

「あれ? どったの、アキ? おもしれー顔になってんぞぉ」

(いやいや、必死なんですぅー!)

 とてもではないが、前方からの風圧で声が出せる状態でもなく、必死に視線で訴えかけていると――デッドさんがようやく察してくれた。

「ああ、そーゆーことね。そんなときも、精霊に頼んでみるんだよ、ほい」

(風の精霊さん――どうにかして――!)

 縋る思いで声にならない叫びを上げた途端、嘘のように風圧を感じなくなる。

 どうにかコントロールする余裕が得られた。
 風の出力を落として滑空し、疾風丸の車体を比較的傾斜のゆるやかな地面に降ろす。

 空中ではブレーキが利かないので、タイヤが接地してから、徐々にブレーキを強めて減速することにした。
 まさに飛行機の着陸形式そのままの気がしないでもない。

「なんか……とんでもないな、これは……」

 疾風丸を停車させてから背後を見やると、たった1分にも満たない走行(飛行?)だったにもかかわらず、先ほどの渓谷は遥か視界の後方で、景色と区別がつかないほどの距離になっていた。

 タイヤが回っていなかったので、スピードメーターが反応せずに正確な速度は判断できないが……少なくとも時速150キロ以下ということはないだろう。
 よもや、メジャーリーガー投手の投げたボールの気分を味わうことになろうとは思わなかった。

 なんというか、文明と魔法と精霊の利器という、とんでも乗り物に生まれ変わったような。
 いやもう、自分でもなに言ってるかわからない。

「はあ~。えらい目に遭った」

 とはいえ、今回は初めてで失敗したが、使いこなせれば心強いことは間違いない。
 むしろ、こんな力を容易に手にしてしまったことに恐縮してしまう。

「これだったら、予定よりも早く着きそうだな~」

 で。これを与えた張本人のデッドさんはというと、とても気楽なものだった。
 本当に問題にならないかと、こちらが心配になってくるというものだ。

 俺の不安を見て取ったのか、

「心配すんなって、アキ! どーせ、すぐに加護の効果は消えるんだしよ。バレなきゃ大丈夫だろ!」

 あっけらかんと笑っていた。

(なんだ、よかった。すぐに消えるんだ)

 とりあえず安心した。

 ただ、精霊魔法のすごさを知った今、すぐに消えると聞いてしまうと今度は逆に少し惜しい気がする。
 せっかくの機会なのだから、しばらくは精霊魔法使いの気分だけでも、味わってもよかったかもしれない。
 なんて、余裕も出てくる。

「ちなみに、すぐってどれぐらいなんです?」

「んー……3年くれえ?」

「いやいや! だから、それすぐじゃないですって! エルフの時間感覚って、どうなってんの!?」

 まさかの3年。良かったような、悪かったような。
 発覚して酷い目にだけは遭わないように、もはや祈るしかない。

 その後、当初は3日ほどかかる予定だった行程だが、新生・疾風丸の活躍により、その日の夕刻前には目的地のエルフの郷に到着することになった。
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