187 / 293
第八章
184話 偽物の言葉
しおりを挟む焦らすようにやわやわと触れていたヒオゥネの熱い唇が、突然強く押しつけられる。
食べるように自分の唇を口に含まれそうになって、それを甘んじて受け入れれば、ちゅうっと長く吸い付いてから、角度を変えて何度も何度も、吸われる。それがやがて深いキスへと変わり、口を開ければスっと音もなく口いっぱいに熱さが入り込んでくる。
「ん……ん」
ヒオゥネの舌に絡め取られる自分の舌を、相手に気づかれないように、押し付けて擦り付ける。合わさった唾液を意識的に飲み込んでいく。
もう、訳が分からなかった。
必死になってヒオゥネとのキスを味わっていた。
やめたくない、ずっとこうしていて欲しい。もっと深くてもいい、もっと、もっと、たくさん……してほしい。
ヒオゥネの熱い舌と唇に吸い付けば、ヒオゥネのキスの質が変わる。擦り合わせていた舌が引っ込んで、ぢゅぅっと乱暴な音を立てて名残惜しいと言いたげにゆっくりと離れていく。
目を開ければ、目と目が合う。熱い眼差しを受けて思考がショートしそうになった。
「………………………」
「…………………」
「…………………もう一回……」
もう一回!?
「……あ、あの、さ!」
「はい?」
一回キスしただけなのに、俺はもう息が乱れてしまっている。ヒオゥネは平気そうなのに。
でも、ここで止めないと、その先を望んでしまう気がする。
心臓を落ち着かせようと、ヒオゥネから視線を外して顔を俯ける。
「あの時、ヒオゥネが言ってきた、言葉の意味が知りたいんだけど……」
「あの時?」
「祭りが始まる前、森で会った時、最後に言ったことだ……」
ドクン、ドクンと、全身から振動を感じるくらい、心臓が暴れ回っている。聞き出すのが怖い、聞くのが怖い。何故怖いと思うのか、それすらも怖い。
ヒオゥネとのキスは終わったのに、顔を俯けたのに、どんどん、どんどん熱が上がっていく。
ヒオゥネが答えるのを待っていれば、彼は目をぱちぱちとさせてから言った。
「……祭りが始まる前に……森で会った? 舞踏会以降僕と貴方が会ったのは今回が初めてですが……」
え……??
「で、でもっ、俺その時女の子だったけど、俺であることは伝えたし……。ヒオゥネは目が見えなくて、女の子になった俺の姿見てみたいって言ってたから……だ、だから、舞台見に来てくれたんだろ……?」
「いえ……僕の分身なら常に記憶が共有されていますので、見たことも言ったことも全てわかります、その様なことはありませんでした」
「で、でも!」
「何を言われたのかは分かりませんが、その人は僕ではないですよ」
風が吹く、その風によって熱かった熱が冷めていく気がした。
顔を俯け、森でヒオゥネに言われた言葉を思い出す。そして……いや、あの声も、匂いも体温も、絶対にヒオゥネだった。絶対に。
「……言った」
「はい?」
だって、言ったじゃないか。
もしもからかってるなら、質が悪すぎる。ずっと、その言葉について考えていたというのに。
「絶対に、言った……」
「ヴァントリア様?」
「あ、愛してるって言った……!」
恥ずかしい気持ちを誤魔化そうと、キッとヒオゥネを睨んで言えば、ヒオゥネの顔が呆ける。
――それを見た途端、羞恥でかああっと頬に熱が押し寄せた。
喉が締まって息がしづらい、掠れて震えた声が出ていく。
「お、俺のこと、愛してるって……ヒオゥネが、言った……」
「……は?」
ヒオゥネは眉を寄せて首を傾げる。ちょっと怒っているようにも見えた。
「森で、愛してるって……」
ヒオゥネは本当に記憶にないらしく、目をぱちぱちさせる。顔に変化はない気がするが、でも、空気が明らかに変わった。ヒオゥネは不機嫌だ。
気まずい……これじゃ、言って欲しくて強請ってるみたいじゃないか。
それとも、妄想だと思われているんだろうか。俺が妄想と現実に区別がつかなくなってるって、ヒオゥネに思われちゃってるんじゃないのか。
なんで不機嫌になるんだ、俺が勝手に、ヒオゥネが俺のことを好きみたいに考えていたからか?
何となくヒオゥネから目を背けて顔を俯けていると、予想以上の冷たい声が降ってきた。
「ありえません。僕が誰かを愛することはありません」
――っ!
「で、でもお前が――」
「あなたは呪いが強い、僕が兵士やセルに化けている間、貴方には僕の姿で見えていた筈です。しかし魔法はダメダメでしょう? 僕以外の誰かが、魔法で、僕の姿に変わっていたのでしょう。それは僕からあなたへの言葉ではありません」
そうか、この世界じゃ呪いより魔法の方が身近なんだもんな。
そしてヴァントリアはザコキャラだから使える魔法は少ないし、どれもしょぼい。魔法を掛けられていてもおかしくはない。
そっか、そっか。あれは、ヒオゥネじゃなかったのか。
「そ、そっか……そうなんだ。そっか……」
別に、ヒオゥネにどう思われていようといいじゃないか。
「ヴァントリア様?」
「あ、いや、ごめんな、急に、変な話して……」
何でか分からないけど、涙が出そうになるのを必死にこらえる。
「いえ、誤解が解けたなら良かったです。それでは、僕は忙しいので失礼します」
「え」
ヒオゥネは立ち上がって俺に向き直る。
「……僕はこれから本格的な実験に取り組むことになります」
「なっ!? 実験って!」
掴みかかろうとしたが、ヒオゥネがすぐ目の前にいて立ち上がることができない。
実験……何でわざわざ教えてくるんだ? 止めるのは無駄だと言いたいんだろうか。
「僕が相手をするのは魔獣ですから、万全の体制で望まなくてはなりません。……まあそういうわけで忙しくなるんです。分身の数も減らすので、こうして会う機会も減るでしょう」
「そ、そうなんだ」
実験をすると知って何もしないなんて、嫌だと思うけれど、今は、我慢しないといけない。
41層の奴隷達を見捨てるわけにはいかないんだ。また作戦を立て直して、逃がしてあげないと。ヒオゥネが実験する度に救いに行っていたら切りがない。
……でも、時が来れば必ず。その人達も助けてみせる。
ヒオゥネは俺の前に立ったまま見下ろしてきて去ろうとしない。
「ヴァントリア様、誰がなんと言おうと信じないでください」
「え?」
「僕が貴方を愛することは決してありません」
…………え?
「――う、うん! も!もう誤解だって分かってるって」
胸をギュッと締め付けられているような感じがする。胸の内にせり上がるような、吐き気に似た感覚、それがずっと吐き出されずに喉と胸の辺りに停滞しているような、変な感じ。
簡単に言えば……モヤモヤする。ズキズキと、痛む。
……なんか変なものでも食べたのか。
堪えたものが溢れだしそうで、怖い。
「例え僕の姿をしていてもそれは全て偽物です」
「え……?」
全て偽物? 急に何を言い出すんだ。
「今の僕もそうです。僕は本体の擬似呪い――いえ、呪いから作られた分身です。確かに、本体と類似した意志を持っているので、僕自身であると言えるでしょう。
ですが、常に記憶を共有しているだけの分身であることも確かです。分身の中には僕の意志を持たず、そして僕の形をしていないものもあります。
そして僕も偽物です、なぜならこの僕は擬似呪いで出来ているからです。まず、本体の僕が降りてくることはありません」
降りてくることがないって。下の階層に降りてくることがない、と言うことか?
「……じゃ、じゃあ44層や、45層で会った時のことは?」
「見ていたでしょう、あれは分身です」
「じゃあ、ルーハンの城で会った時の!」
「あの時の僕は分身です。兵士の姿に見えるように、周囲の人に呪いをかけていた状態でした。しかし貴方の呪いの方が強いから、僕の姿で見えてしまったようですね。数年ぶりに会ったのに、貴方は僕に気づきもしなかった……約束をしたんですよ、過去に。まだ行っていないんですか?」
行ったって、テイガイアの記憶の世界のことだよな、たぶん。
「何の話だ? ど、どこに行くんだ……」
絶対にあったことになんかしてやらないぞ! 何度だってとぼけてやるからな。
だって、あんなことがあったなんて……て言うか、あの記憶の世界からずっと変なんだ、あったことにしてしまったらもっと変になってしまう気がする!
「……覚えてないんですね。まだ行ってないってことですか……しかし、会ったことがあるんですよ。現実では起きていないことですけど」
「…………もしかして、それが、本体?」
ヴァントリアが14歳くらいだった……ってことは、ヒオゥネは確か、前世のゲームの情報によると、俺の1つ上のウォルズと同い年だから、15歳くらい?
「僕は未来の僕に言われて、あなたを悪い人にする為に分身を送りました」
それは聞いたな。
「しかし、その後すぐに未来の僕に言われたんです。貴方がある人に襲われると。だから本体が向かいました。あの人を本気で怒らせた時、対処出来るのは本体しかいませんから」
ノス・イクエアの時の後のこと、44層でテイガイアの実験をした時のことか? いや、ある人って会うのはたぶんゼクシィルのことだから、部屋に飛び込んできた時だろうか。あれが本体だった?
……て言うか、ヒオゥネの本体ももちろん15歳の筈、なのに本気で怒らせたゼクシィルを対処って……。
そう言えば記憶の世界でもぶっ飛ばしてたよな。あれが本体だったのか? うう、分かんない。
「あの日初めて、生まれてから1度も出たことのなかった城を出ました。初めて自らの足で街の中を走り、研究室へと向かったんです。あの時は、空を見上げる暇もなかった……」
ヒオゥネは空を見上げて小さな声で呟く。敬語が抜けているから、独り言のつもりだったんだろう。
「あれ? 生まれてから1度も出たことがないって……ま、待ってくれ、その、襲われそうになって本体が助けに来てくれたってことは、その時に初めてヒオゥネの本体に会ったってことでいいのか?」
「はい。貴方には間に合わなかったと怒られましたけど」
「お、怒ってはないけどさ……」
「はい?」
「あ、い、いや、そんな感じがする! だって、襲ってきた奴が悪いんだし……」
ヴァントリアを襲う奴なんて存在するのかって話だけど、もう二人くらいはいるって知っちゃってるからな……。
やっぱり、今のヒオゥネの言葉で考えてみれば、ゼクシィルに強姦されそうになった時に助けに来てくれたのがヒオゥネの本体。
……でも、その時まで城から1度も出たことがないってことは、14歳のヴァントリア―――いや、もっとそれ以前の過去のヴァントリアが会ってきたヒオゥネも、アトクタでランタールと一緒にラルフに呪いを掛けていたヒオゥネも、そして、俺の前でテイガイアを実験台にしていたヒオゥネも、全部全部本体ではなく、分身だったってことになる。
「そ、その時以降は会ってるんだろ!?」
だって、ヒオゥネが言った通り、アレは記憶の世界で起きたことだ、俺がなかったことにしたかった出来事――いや、現実では起きていないんだから、実際になかった出来事なんだろう。
でもそれじゃあ……俺は、現実ではヒオゥネに1度も会ったことがないってことになるじゃないか!
俺とヒオゥネはまだ、出会ってすらいないってことになるじゃないか……っ!!
10
お気に入りに追加
1,952
あなたにおすすめの小説
社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈
めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。
しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈
記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。
しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。
異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆!
推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!
【第1章完結】悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼第2章2025年1月18日より投稿予定
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる