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第四章

55話 どうしようもない莫迦

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 ヒオゥネは眠り姫にキスをするように、優しくそっと唇を重ねてちゅっと音を立てて唇を離した。


 しかし、その後も「もう一回」「もう一回」と執拗に口付けるヒオゥネに向かって、ジノは振り絞って「やめろ」と声をあげるが。小さく響いたその声はヒオゥネの耳には届かない。

 届いていてもやめる気はないだろう。

 力の抜けた唇の間を割ることは簡単だったようで、ジノやイルエラに見せつけるようにヴァントリアの口内から舌を引き摺り出し、上下に顎を揺らしながら舌を口いっぱいに含んで彼の舌を味わい尽くす。

 味を占めた獣のように今度は口を覆って、ヴァントリアの口の中をやりたい放題掻き混ぜて唾液を吸い上げゴクゴクと喉を動かす。そんな様をただ見ることしかできないジノは涙目でイルエラに助けを求めたが、彼も動揺している上に同じように身体を動かそうと必死だった。

 何なんだこの拷問は。

 ジノは思わずヴァントリアから目を逸らす。

 ヴァントリアと女性とのそういう行為は散々見せられてきた。吐き気だってしたし、相手の女性を哀れだとも感じていた。助けられるなら助けたいと何度願ったことか。

 自分の中で今のヴァントリアは女性の立場にあるのだろう。ざまあみろ、自業自得だ。そんなことを思う反面、恍惚の表情を浮かべて好き放題しているヒオゥネに激しい怒りを感じてしまう。彼とヴァントリアの口付けを見て、どうして吐き気がするのだろう。いや、男同士のキスなんか見せられたら吐き気もするかもしれない。なら、何故。

 こんなに胸が痛むんだろうか。

 ヒオゥネはヴァントリアの顔中を舌で愛撫して、辿り着いた下唇にぢゅうっと吸い付いて引っ張る。

 ちゅ……ぱぁ、と。気味の悪い音を立てて唇を離し、もう一回、と唇を押し出すヒオゥネにもう一度、「やめろ!」と声を上げた。

 今度の声は彼の耳に届いた実感があった。喉を抜けた声に怒気が含まれていたことにやはり自分は怒っているのだと気づいた。

 ヒオゥネはやはり無視を決め込んでいたようで、導かれるようにヴァントリアの唇に自らの唇を押し当てる。唾液の混ざり合う音がジノとイルエラの常人より優れた聴覚を刺激する。

「もう一回……と、言いたいところですが、充分楽しませて貰いましたし、そろそろ時間切れですね」

 銃弾の効果が薄れ、身体が自由になったジノが殴りかかろうとしたとたん、ヒオゥネは身体を翻しあっという間に扉の前へ立つ。

「ではまた会いましょう皆さん」
「待てッ」

 追いかけようとするが、イルエラは呪いが解けた筈なのに動けない様子だった。

 扉が閉じた音がして、ジノは焦りを覚えたが、追いかけたい気持ちを何とか押さえ込んでイルエラの傍に立つ。

「イルエラさん……」

 イルエラは涙を浮かべている。彼は涙を零すのをぐっと堪えて、ジノと一緒にヴァントリアの傍に向かう。

 恐る恐る頬に触れると、ぴくりとヴァントリアの睫毛が震えて、やがてゆっくりと赤い瞳が姿を現した。

「……イルエラ? 泣いてるのか?」

 寝ぼけ眼でイルエラを見上げて、彼の目元に指を伸ばすヴァントリア。

 自らの力で起き上がるヴァントリアはなんか顔が濡れてるとボヤいて袖で顔を拭っている。

 ジノは、事実は教えない方が良さそうだな。と考えたが。

 ……別に教えてもいいけど。彼奴が嫌そうな顔するのは傑作だろうし。でも今はそれどころじゃないし。とも考えた。

「何がどうなったんだ?」
「逃してくれるみたい……」
「へえ、あいつもいいやつだな!」

 ふわふわした笑顔でそんなことを言うヴァントリアに、カッとなって、ふざけるな——そう声を上げようとした時だった。

「——いい奴なんかじゃない!!」

 けたたましい声が自分の声を遮った。

 イルエラさんが声を荒げるなんて、珍しい。

「す、すまない。何かあったんだな」

 そう言って、ヴァントリアが手を伸ばし、イルエラの頭を撫でる。

 以前のヴァントリアでも一般人でもそんなことはしないだろう。年齢は不明だがもう立派な成人男性と言えるイルエラに対し子供のような扱いをする突飛な行動だった。

 ジノはギョッとして、イルエラもポカンとする。

 そんな自分達を知ってか知らずか——後者だろうが——ヴァントリアは何とも言えない間抜けな顔をして言った。

「取り敢えず、ここから出よう。次から次へと疲れた。」

 イルエラは思わずくすりと笑う。ジノは呆れ顔が顔面に張り付いてしまっている。もう剥がせそうにない。

 ヴァントリアは先刻までの光景が嘘のように早々に立ち上がり、イルエラとジノに手を差し出す。

「ほら、はやくしろ、俺が一番先に狙われるんだぞ」

 二人は顔を見合わせて、少し困惑の色を見せたが、すぐに困ったように眉を下げてフッと笑った。

「莫迦め」「莫迦だな」

 莫迦と呼ばれた本人はムッと膨れている。

 そして。イルエラに腕を掴まれ当然の如く担がれるヴァントリア。

「やっぱりこれなのか。」

 不服そうだが大人しく担がれているヴァントリアを見て、ジノは思わず口元を抑えた。

 腹から伝わる振動で身体がぷるぷると震える。

 ヴァントリアがイルエラに担がれる姿等何度も目にしたが、改めて見ると、ヴァントリアの嫌そうな顔に思わず笑いがこみ上げて来てしまう。

 今のヴァントリアはまるでアホ臭くてガキ臭くて、すんなり人の心に入り込んでくる。

 本当にしょうもない莫迦だ。

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