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第一章

1話 氷の監獄

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 ベッドに誑し込まれ、飽きれば離れてありもののゲームをして、たまにフリゲをすれば、疲れてベッドに魂を捧げる。ベッドから脱出すれば、今度は漫画や本を持ち込み、疲れて寝落ちする。溜めて置いたアニメやドラマの録画を見るために、ひざ掛け程度の薄さの非常用毛布を頭から被ってテレビを覗き見る。たまに大声で笑ったり吹き出したり、ひっそりと笑ったり。他人に見られたら気持ち悪がられるだろうな。

 そんな不精極まりない日常にいた所為で、自分の瞼が常人より重たいことは理解していた。

 いつも以上に重たい瞼を押し開いて、ぼんやりした視界のまま辺りを見渡す。

 地面に突っ伏していたので、案の定、転けたか。と脳裏でひっそりと考える。
 コードに引っかかってダイナミックにずっこけるなんて、こんなに恥ずかしいことはない。

「イヤホンの野郎……俺に恨みでもあるのか。カップラーメンどこ行った……?」

 おぼろげながら晴れていく思考に、突然——鈍器で殴られたような強い衝撃が走った。

 ――どうやら手を滑らせて地面に衝突したらしい。顔面強打。なんでゴミだらけの床で滑るんだ。氷の上じゃあるまいし。

 それになんか、寒いな。冷房の温度設定間違えたかな。いや、ウチの床ってこんなに冷えてたっけ? 冷た過ぎて痛い位だ。

 ヒリヒリする冷えた顔面をペタペタ触りながら、のそのそと起き上がって、もう一度辺りを見渡した。

 強い衝撃を受けた上に、冷たい水でも浴びせられたような感覚を受けて、脳内や視界を妨げるものはもう何もなくなった。

 ——クリアになった思考に、畳み掛けるように。明瞭になった世界に息を詰める。

「こ、お……り?」

 冷たい床も、異常な寒さも、ヒリ付いた儘の顔面の冷たさも、確かにそれで納得できる内容だった。しかし。


 自分がなぜ氷の上で寝ているのか、全く状況が分からない。

 ――……なんだここ。―――どこだここ!?

 端にはトイレがあり、中央にベッドがあって、その向こう側に机と椅子と数冊の本と。一つの空間に必要不可欠な備品がある。意外と快適だった。じゃなくて。

「なんだ、夢か……」

 ビビるわー。一瞬天国に行っちゃったのかと思った。

 体感的に現実感があるのが否めないけど、もしここが現実ならどこだって話だし、俺はさっきまで自分の家でゴロゴロしていたんだ、ゲームだってしたいのに。何より俺のカップラーメンどこ行った?

 ふぃーと安堵の息を吐いた後、こんなにくっきりした夢は珍しいと辺りを見渡して世界を楽しむことにする。

 それにしても綺麗だなぁ。

 ありのままに歌いたくなるような部屋だなぁ。

 一見鉄みたいに見えるけど、氷でできているらしい格子があり、向こう側には白々と光が差している。降り注いだ床に反射して眩しい。
 他にはさっきも言った通り簡易的なトイレがあって、人一人寝られるくらいのサイズのベッドがある。そしてその向こう側にちょこんとゴミ箱が置かれている。そのすぐ傍に霜が降った白い机と椅子があって、本もあるがカチコチだ。――んでもって外にも同じような部屋がずらりと並んでいて。

 ははは。見ようによっては、監獄みたい――――…………うん、涼しいしベッドはあるし快適だな!

 旅行にでも来た気分でベッドにゴロンと寝そべってくつろぐ。

 ベッドの土台も氷なのか冷たい上に布がカチコチゴチガチで痛かった。

 寝心地は最悪だが床で寝る人種だから然程気にはならない。ただ冷た過ぎてとてつもなく痛い。

 たまに氷に肌が張り付いたりすることあるけど、今なったら最悪じゃないか?

 まあ夢だしいっか。目を覚ませば。覚めるよな? 覚めるさ。

 夢だからやりたい放題だ、と短い間だが快適ライフを送ってやろうと鼻歌を歌っていると、ベッドの向こう側の床下で、何かが蠢く気配がした。

 ——い、一体ぜんたいなんだ、何かいるのか?

 霜の降った枕を盾に抱っこして、そろそろとベッドの端まで膝で移動して下を覗き込む。

「――っ!?」

 氷の地盤に広がる光景に目を疑った。

 いっときじっとその様を眺めてしまったが、すぐに忘我から覚め、改めて全体を把握した。己の視線の先には、14歳くらいの子供が呼吸を浅くして身を縮こまらせて倒れている。

 ——驚いている時間も空費だ、咄嗟に地面へ降り立って子供を抱きかかえる。

「お、おい、しっかりしろ!」

 焼けるように熱い肌を手のひらに感じる。凄い熱だ。

 そりゃこんな寒い部屋にこんな薄着でいたら風邪くらい引いてもおかしくない……って、……え?

 手のひらに、ぬるりとした生暖かい感触が広がった。少し熱いくらいのそれに、この子、洩らしたのか、と思ったが。

 鼻を抜けていった鉄の匂いで、指の間を滴り落ちていくそれがなんであるかを。頭の端で理解してしまって。それでも、まさかな、と確かめようとおずおずと自分の掌を見る。

「うわあああっ——」

 ペンキの中に手を突っ込んだみたいに真っ赤に染まった自分の手を見て、はからずも自分の手だと言うのに後方に飛び退いてしまった。

 尻もちをついた自分の尻に、布越しにじんわりと、冷たい液体が染み込んでくる。嫌な予感がして。

 そろそろと振り返れば、ベッドの下に目がいく。

 どうやらこのベッド、動かせるらしい。氷でできているベッドの足は、氷の地面とくっ付いている。しかし、すぐ横に引き摺った跡が残っているのだ。
 氷と氷がくっついた程度なら、完全にくっ付く前に定期的に引き剥がせば、動かせる状態を保てるかもしれない。

 つまり。何度か動かされているのだ。

 足の裏に力を込める。氷のベッドは意外と重かったが、やはり、バリバリと音を立てて動き出す。手前のベッドの足が宙に浮いた。
 他の足が地面に張り付いているのか、ベッドは急に動かなくなる。さらに力を加えれば、ガッと言う音がして、今度こそしっかりとベッドが動き出した。
 全体を見る勇気がなくて、一歩分くらいだけしか動かさなかったが。目的であった、ベッド下の地面を見てビクつく。

 そこには残酷な色に染め上げられた地面が広がっていた。

 死の匂いを感じさせる程の赤ではない。

 鮮血の。生きている人間から出る真新しい色をしていた。

 真新しい血の模様の先を辿れば、やはりなんとなく予想の付いていた姿があった。

「怪我をしてるのか……?」

 よく見ると子供の身体中に細かい傷がある。針で縫うほどではないが深い傷も見受けられる。

 瘡蓋になったもの。傷跡の残ったものなど。――古い傷も多い。

 ――ベッドの下の血は長年の間に層を成したモノらしい。

 古いもの新しいものと色の変化が付いている。嫌な光景だ。

 浅い呼吸で丸くなっている子供をうんとこしょ、と抱き上げ、ベッドにそっと横たえる。そうしてから、躊躇なく自分の着ている服の袖をビリビリに引き裂いた。






。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *






 ん。ここは。

 ああ、檻の中だった。

 あの元王族の偉そうな男。

 さんざん酷い目にあわされた。回復さえすれば、檻だって、あいつだって簡単に破壊できるのに。

 身体が痺れる様に痛い。

 全身に纏う細かい傷がジンジンと痛みを訴えている。その刺激だけを意識すると、骨まで響くような痛みへと変わる。耐えられなくなって寝返りをうった。

「うっ……」

 身体を動かしてみたものの、傷が開いて一層激しい痛みに襲われる。

「くそっ……」

 痛みを与えた張本人、ヴァントリア・オルテイルの姿を探すように、半分だった視界を全開にして周囲を見渡す。

 横を向くと、探していた顔が近くにあって、思わず呆けてしまった。

「……な、なんでこんなに近くに」

 いつもはベッドで一人寝苦しそうに寝ている癖に。

 王室のベッドはさぞ気持ち良かったんだろうな……ッ、僕は地面で我慢してるんだからそれくらい我慢しやがれッ。

 心中で悪態をついて、ふと、目の前の表情を見て違和感を覚える。


 自分の前の顔は――――かなり間抜けな面だった。


 顔をしかめていていつも不機嫌ですと言わんばかりのあのヴァントリアが、リラックスして、大きな鼾をかいて、涎を垂らして、大口を開けて寝ている。

 しかも自分の隣に寄り添うように。

 ――まあ、例えプライドの高いヴァントリアでも、寝ていたら表情くらいおかしくなっても不思議じゃあないが。

 全身に巡る痛みを我慢しながら、這いずって起き上がり、ヴァントリアの体の上へ馬乗りになる。

 そうっと腕を伸ばした時、心からの安堵が湧いた。

 両腕が伸びきり、両手が、ヴァントリアの首に触れる。

 力は戻っていないけれど、このまま、このまま本気で力を加えれば。人間相手なら殺すことができる。貧弱なこいつなら尚更だ。このチャンスを逃してはならない。

 この男を殺せば、少しはここでの生活も楽に……

「……ん?」

 今度は自分のまたがっていた身体に、違和感を覚えた。

 ——なんか、……しっとりしてる。

 服のごわごわした感触が、ない。

「――――…………な、」

 奴の間抜けな顔ばかりに集中していたが、奴の姿を改めて見て、絶句する。

 いや、

「はああああああああああッ!?」

 ――絶叫して飛び退いた。


「なななななな、なんで、なんでこいつ、パンツ一丁……ッ」

 氷の世界で体感温度は限界だと言うのに、自分の体内が更に冷えていった気がした。

「さっきのしっとりした感触って……こいつの肌……ひえ」

 ――おおおおお王族のヴァントリアが、下着姿で寝てるって……!? 何なんだこの状況は……!

 いや、落ち着け、落ち着くんだ。冷静になって見れば、たいしたことないかもしれない。

 冷静に、奴を見てみる。

 あの美しい顔立ちを見てから、白い肌へ。

 その時、心臓がドクリと音を立てた。

 白く輝く陶器のような肌に、そっと手を添える。するんと自分の指の腹が肌の上を、滑り台のようにいとも簡単に滑っていった。

「……僕の身体は傷だらけなのに。お前は随分と綺麗だな」

 自分から出た声が自分でも驚く程低い声だった。

 ドクリ。と、また心臓が鳴る。

 心臓が動く度に、胸の内に黒く澱んだモノが渦になって溢れ出していく。

 お前に付けられた古傷が疼く。未だに痛みを発している傷だってお前を責めろと訴えてくる。お前から与えられた苦痛の日々が脳裏にこびりついて離れない。何か、何か報いを。

 肌を撫で、爪を立て、その儘引っ掻いて傷を付けてやろうと思った時だった。

 さっきまで夢中になって奴の首を締めようと伸ばしていた腕が、なぜか布に覆われていることに気がついた。

 更に、その中にはくたびれた細い布切れがぶきっちょに巻いてある。

「この服って……」

 ヴァントリアが着ていた服だ。ブカブカだし、腕の方は袖が破られて丁度いいサイズになっているが。

 それにこの細い布切れは、服のサイズ調整で破られた布で作られたものらしい。チャチな出来栄えだし、へたくそに巻かれているから一瞬わからなかったが、これは包帯のつもりか?

 いったい、どう言う風の吹きまわしだ?

 自分は下着姿になって、僕に服を着せただと?

 更に僕の傷の手当てまでしようとしただと?

 ああ、そうだよな。お前が僕を助けるなんて当然のことだ。だけどお前はそれをすることはない。する筈がないんだ。お前は悪魔のような男だった。

 浅い傷を付けて、更にその上に重ねて付けていく。幾度となく刻まれた浅い傷跡は、いつの間にか深い傷になり、さらにはその肉に直接氷の破片を入れられた。

 肉に固い氷の棘が刺さり、冷たいそれは火傷しそうな位傷に染みた。

 ヴァントリア・オルテイルは、悪魔だ。

 そうか。僕の傷の手当てをして、僕を生き永らえさせ、一生こき使う気だ。こいつはそう言う奴だ。

 怒りが脳天に達し、ガッと顔が熱くなる。

 ――ヴァントリアの頬を思い切り殴った。

「がッ」

 反対側に逸れた顔が、頬を押さえてこちらを振り向く。

 ――ここに来る前にも、さんざん王族や貴族に、特にヴァントリアには酷い目に合わされてきた。

 傷だらけのまま幽閉され、そこへ同じ処まで落ちたヴァントリアがやってきて、さらに僕の体力を奪い、疲弊させ、抵抗ができない状態にされた。

 しかし今は、手当てをされたお陰か、以前よりは回復しているし、彼は武器も持たない主従契約も破棄された落ちぶれた元王族。例え目が覚めても、余裕で殺せる。

 ヴァントリア。漸くお前から解放される時がきた。

 確実にお前の息の根を止めてやる。僕に散々してきた悪行の報いを受けろ。僕の受けてきた痛みを味わって、無様な死に様を晒すがいい。



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