コイゴコロ・スイッチ

有栖川 款

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 一体どういうことなんだ。
 思い余って柊子さんに電話した。
『何だそれ、子供か!』
 久し振りの柊子さんの声は、電話の向こうで盛大に笑っていた。
 よかった、元気そうだ。
 と、思ったのも束の間。
『千緒ちゃんさぁ、それって中学生以下だよ? 気になる子をちょっといじってみようとする少年心理じゃない』
「わかってますよ!」
 それは確かにわかってる。でも問題なのはそこじゃない。彼の行動の理由だ。
 気になってる子をいじる、ってことは。
 少しは私のこと、興味があるんでしょうか。
「私ばっかり勝手に気になってると思ってたんですけど」
『…まぁ、千緒ちゃんがいじりやすい感じなのは否定しないけど』
「そこは否定してくださいよ!」
『どうして。可愛くていいじゃない。あたしにはないとこだもん、羨ましいよ』
 口調は笑っているけれど存外真面目な柊子さんの言葉に、また何かめんどくさい恋でもしているのかと勘ぐってしまう。
『普段からチャラチャラした男だったら誰にでもするかもしれないけどさー、シャイな人なんでしょ?』
「…うん」
『だったら、まぁ、少しは千緒ちゃんに気があるよね』
「…そうなのかなぁ」
 私が心底不思議そうに言うのが面白かったのか、柊子さんはふふっと電話の向こうで苦笑していた。
「何ですか?」
 うっかり聞いた私が悪い。
『いやぁ、千緒ちゃんは、その彼のことを好きだって認めたのかなぁと思ってさ』
 藪蛇。
 って、こういう時に使うので間違ってないでしょうか。
「違います! そんなんじゃありませんったら!」
 反論する口調は、私にしては随分とむきになっていた。
 
*  

 二日後。
 私の家からお店までは車で10分弱ぐらい。だから自転車でも通えなくはないんだけど、帰りは9時くらいになるから、さすがにちょっと安全のため車で通ってる。
 母にお使いを頼まれて、そのままバイトに向かう途中、何だか喉が渇いて街道沿いのコンビニに入る。
 するりとガラス窓の前に車を止めたら。
 コンビニの端、本や雑誌の陳列している辺りに見慣れた人影。
(うそ)
 見紛いようなく、彼、だった。
 ちらりと駐車場の端に、彼のバイクが止まっているのが見えた。
 急に、心臓がバクバクと鳴り始めて、息苦しくなってくる。
(ど、どうしよう)
 コンビニ入るのやめる? 帰る? もうまっすぐお店に行っちゃう?
 喉が渇いていると言えば、店長は快く自慢のコーヒーを飲ませてくれるだろう。
 でも、こういう時に尻込みする自分が情けなくて、思い切って車を出た。
 ピンポンとドアが開くと、まっすぐに彼に近づく。
「こんにちは」
 我ながら情けないほどか細い声、と思ったけど、いつもの私にしてみればすごい勇気だ。
「あれ?」
 ぱっと読んでた雑誌から顔を上げて、彼は驚いた声を上げた。
 でも、一見そんなに驚いているように見えないところが、彼らしい。
 マイペースでのんびりした仕草。
「今から?」
 そして簡潔な台詞も、彼らしい。
「はい、今からバイトです」
 そして、沈黙。
 あ、やばい。これ以上間が持たない。
「今日も、お店、来ますか?」
「うん。今から行くところ」
 照れたように笑う顔が、可愛くて悔しいなと思う。
「じゃ、じゃあ、お待ちしてます」
 そそくさと飲み物を買って、コンビニを後にする。
 ああ、もう。
 何でもっと気の利いたこと言えないかな。
 名残惜しいのに早く離れたくて、自分の気持ちがコントロールできない。
 人見知りにも程があるでしょ。
 それからお店に向かうと、ほどなくして確かに彼は来たんだけれど、その日は思いのほか忙しくてまともに話せなかった。
 チラチラと彼を見てしまう自分がもう、恨めしい。
 一体どうすれば。

* 
 
 それから、結局何事も変化がないまま、その日はやってきてしまった。
 日曜日、午前11時。
 わざわざ店のお休みをもらってまで渋々参加することになった婚活パーティーは、アスカホテルのエントランスを入ることからして結構な勇気がいることだった。
(ああ、莫迦だな私。一人じゃなくて誰か他にも知ってる人をお願いすればよかった)
 ただでさえ慣れないこと、その上ちょっと気軽なパーティーとは違う雰囲気。
 男性陣は相手がいなくてパッとしないサラリーマンとかじゃない、エグゼクティブっていうの? 明らかに職業や地位や、私が普段全く縁のないような身なりの雰囲気。
 そして女性陣もまた、服装から化粧から随分と気合いの入った人が多く、纏うオーラが違う。うん、気合いが入りすぎて、良くも悪くもだけどね。
 初めから、もっとどんな人を対象にしたパーティーなのか、ちゃんと聞いておけばよかった。そもそも市内では高級なアスカホテルで行われること自体、考えれば少しはわかりそうなものだ。
(どうしよう、やめよっかな)
 思わずそんなことを考えてしまうほど、私にだってわかるよ。これは場違いってやつだ。
 急に体調が悪くなったとか、そんなベタな言い訳をしようかと一瞬、本気で考えて。
(でも、店長に悪いからなぁ…)
 変なところ責任感の強さが、思いとどまらせた。
 仕方なく受付で名前を言って、カードを渡されて、指定された席に着く。
 隣に座った女性が、ちらっと私を見て微妙な顔をした。
(すいませんね、場違いで!)
 内心憤慨しつつ、平静を装う。
 そうだ、これは修行だ。時間が過ぎればいつかは終わるし、とりあえず出席しとけば店長の顔も立つんだから。
 こんな綺麗でお洒落なお姉さん方がたくさんいるんだから、私なんて壁の花で十分よ。
 そんなことを自分で思うのも情けないけど。
 でも、誰かに気に入られたいわけじゃない。
 あの人に。
 ふっと、そう思った自分の思考を振り払って、司会者が説明する流れに従って淡々と義務のようにこなしていく。
 全員と一対一で話す時間。持ち時間は一人3分。
 沈黙が続いたり、相手が一人で話してたり、取りとめもない会話はできたり。
 でも、楽しく盛り上がる、ってことはなかった。
(ああ…口下手でスミマセン)
 別に謝る必要もないのに、つい思ってしまうのも悪い癖だな。
 意外だったのは、私が喫茶店で働いてることに、男性陣は概ね好意的だったこと。
 女性陣の方が、何だか馬鹿にしたような目で見られてる気がした。
(ライバルが減っていいじゃない)
 看護師さんや銀行勤務、大手企業のOLさんとか、ギラギラしてて怖いんですけど。
 婚活というより、女の戦いって気がした。
 でも、お医者さんや弁護士さん、官公庁のキャリアとか、肩書きは立派だけどそんなに魅力を感じる男の人はいない。
 そう思うのは、上から目線過ぎ?
 バイク便の彼は、見た目は普通に男らしいけど、意外に癒し系なんだよね。
(ああ、逢いたいな)
 日頃出逢わないような、たくさんの人の中にいるのに、何だか寂しくなってしまった。
 フリータイムとやらでは、もっぱら美味しい料理を食べるのに専念して、時々お義理で話しかけてくれる人とちょこちょこ会話するぐらいで、さすが高級ホテルの料理は違う、美味しかったり珍しい料理を、店長に真似して作ってもらおう、なんて考えていた。
 司会者がまとめつつ、気に入った人の名前をカードに書いて提出して帰ってください、と強調して、やっと私の難行苦行が終わった。
「……はあ」
 何だかどっと疲れが出て、ホテルを出るとまっすぐお店に向かう。
 店長に愚痴と、少々の文句と、でも料理の美味しさと、とにかく何か話したかったんだろう。
 そう思うと、ちょっと浮上してきた。
 単純でよかったな、と苦笑した。



「千緒ちゃん、お帰りー」
 そう言って迎えてくれた店長の姿は背中だった。
「……何を、やってるんですか?」
 日曜日の昼下がり、きっと昼食ラッシュが落ち着いて、お客さんもまばらになったお店の水槽の前で、店長がごそごそやっている。
 面倒くさいから、苦手だからと、水槽の掃除さえお客さんの熱帯魚屋さんに格安でやってもらっている店長が、餌をあげる以外で水槽に触ることもそうそうないのに。
「ん? うん、ちょっとね」
 うきうきした返事に私も首を傾げる。
 覗き込むと、メダカしかいない水槽の真ん中に、透明な板をはめているところだった。
 ますますもって、理解不能。
「これねぇ、お客さんがメダカの繁殖したらってメダカを分けてくれて」
 確かに、メダカの数が増えている。
 でも透明な板の理由がわからない。
「何かね、メダカって突然違うメダカ同士を逢わせるより、見えるところで飼ってる方がカップル成立するんだって。隣り合わせの水槽とか。二つも水槽置けないし、間にアクリルの板を入れてみましたー」
 そう言ってVサインをする店長が、珍しく子供みたいな笑顔で可愛い。
「…ええと、それってつまり、お見合いみたいな感じ?」
「そうそう、まさに今の千緒ちゃんと一緒ね。おめかしして、可愛いじゃない」
 そう言うと私が珍しく穿いてるスカートをつまんだ。
「そりゃ、だって、ああいうところに変なカッコじゃ行けないじゃないですか」
「うん、でも、普段からもうちょっと可愛い格好してもいいと思うよ。まだ若いんだし」
 本当に残念そうに言うので、何だか気まずい。そうそうよそゆきな格好することなんてないから、気恥ずかしいのだ。
 だから、話題を変える。
「ところで、このメダカ、どっちがオスとかメスとか、わかるんですか?」
 お見合いさせたって、同性だったらどうするんだろう。
「わかんないけど、これだけの数がいて、どっちも同じってことはないでしょうよ」
「……まぁ、それはそうかもしれませんけど…」
 それから、店長は急に夢見るような表情になった。
「そのメダカの生態ね、『恋心スイッチ』っていうんだって」
「……」
 意外すぎて言葉が出なかった。
「それはまた…随分とロマンチックというか…」
「ね」
 店長の方がずっと、ロマンチックな乙女みたいだな、と思った。
 そこで、からんころん、とドアが開いて。
 そこに、彼が立っていた。

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