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 ざ、とほんの僅かの違和感を覚えて目が覚めたのは、どのくらい経ってからなのか。
(何かが、いる)
 それは勘とでも言うべきものでしかなくて、何の根拠もありはしなかったが、騎士としての感覚が確かに告げていた。
 私は気配を押し殺しじっと佇んでいた。本当ならば消えかけた焚き火の火を足したいところだが、今は動かない方がいいだろう。
 それは、ふいに森の中から現われて、火を噴いた。
 本当に、突然、何の前触れもなく。
 私は息を潜めるのも忘れて思わず上体を起こした。
 それは。
「ドラゴン――――――…!!」
 爬虫類然とした鱗を光らせて、巨体を振りながら木々をも薙ぎ倒して森を駆け抜けてきたようだ。
(この森に、ドラゴンがいるなんて、聞いたことがない…!)
 その姿を見た途端、思わず立ち上がってしまった膝ががくがくと笑い出す。
(ど、どうしよう、どうすれば)
 ドラゴンは伝説に近い幻のような生き物だと教えられてきた。しかし全く架空の動物ではない、というくらいの知識はある。だが、本当にいるのかどうか、いるとしても遠いどこか異郷の地で、自分の生活圏にいるとは考えたこともない。その対処法など、教わる筈もない。
 ドラゴンは、私に――私たちの野宿に――気づいたのか、ふわっと向きを変えるとこちらへ向かってきた。
「わ、わ、うわぁぁっ…!!」
 逃げなければと思うが体が動かない。それに。
(そうだ、ローリィ騎士を起こさなくては…!)
 今更のように気づいてテントを振り返ろうとした瞬間、ドラゴンの咆哮が森中に響き渡った。
 はっとドラゴンを振り仰ぐと、空に届きそうな高さで炎が噴き出されている。そしてその巨大な腕がまっすぐ私に向かって振り下ろされ――――。
 私は思わず目を瞑った。すべての思考が麻痺していた。
 そしてそのまま私は意識を――――…。



 そしてそのまま私は意識を――――…失わなかった。
「―――――……?」
 しばらく経っても何事も起こらない。怪訝に目を開けて顔を上げると、ドラゴンはそこにいた。だが火を噴いてもいないし、腕もだらりと垂れ下がっている。
 そして、森の中にやわらかい音楽が響いていた。
 ふと隣を見ると、ローリィ騎士がいつの間にかテントから出て立っている。その両手は口許に当てられ、口許には小さな――丸い金属のようなものを咥えているように見えた。
 あれは―――笛、か?
「よし、いい子だ。森にお帰り。…おやすみ」
 彼がそう言うと、まるで言葉がわかるようにドラゴンはこちらに背を向け、ゆっくりと来た道を戻っていった。
「……」
 私はしばし呆然としていたが、はっと我に返った。
「駄目だ! ドラゴンの巣を見つけなければ…!」
 このまま放置しておけば、大変なことになるかもしれない。
 私は慌ててドラゴンが去った方向へ走り出した。
「え、あ、ちょっ…! ディラン騎士!」
 ローリィ騎士の焦った声が追いかけてきたが今はそれどころではない。
 何故、彼がドラゴンを鎮めることができたのかは謎だが、それは後で聞けばいいことだ。
 それよりも平和な筈の王国の森に、あのような凶暴なドラゴンが棲息していた衝撃の方が大きかった。
「ディラン騎士、どこへ行くんですか!?」
 あっという間にローリィ騎士は追いついたようで、それもまた癪に障る。
 彼に負けないよう、何とかドラゴンの棲家を突き止めたい、という思いがなかったと言えば嘘になる。しかし、それを気づかれるのも癪だ。
 何だか複雑な思いがぐるぐるしていたが、私は必死で走った。
 ずきん、ずきん、と痛みが走る。
 昼間、捻った足首がどうやら悪化してしまったようだった。勢いで走り出した足が、段々スピードを落としていく。
「……っ」
 堪え切れずに立ち止まると、厚底の野外用ブーツから見える足首が、既に酷く腫れているのがわかった。靴紐がきつくなって更に痛みを増しているように思う。
「…ああ、やはり捻挫してたんですね」
 ローリィ騎士は小さく溜息をつくと、ひょいっと私を持ち上げた。
「何をする…!」
「そのままでは歩けないでしょう」
 背負うわけでもなく、荷物のように抱えるわけでもなく、私の膝の裏に片手を入れ、反対の腕で背中を持ち上げて―――――所謂、お姫様抱っこという格好で。
「離せ! 大丈夫だ、私は歩ける!」
 騎士たるもの、このような無様な格好で抱きかかえられるなど、とんでもない。
「恥ずかしいかもしれませんが、この体勢が一番楽なんで。我慢してください」
「……」
 返すローリィ騎士の声が思いのほか真剣だったので、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。実際、抱き上げられていても足の痛みは増すばかりだ。
「ドラゴンの行方を追わないと、気になるんでしょう?」
「……そうだ」
「俺にもわかるかどうかはわかりませんが、跡を辿ってみますよ」
 彼が何故そんなことができるのか、と思って今頃思い出した。
 彼が奏でた笛の音で、ドラゴンは大人しくなったのではなかったか。
「この森に、ドラゴンがいるなど聞いたことがない」
「…そうですね。すみません、多分、俺のせいです」
 しんみりするわけでもないが、自嘲気味に笑ってみせる。
「あの笛のことか? あれは何だ」
「これはドラゴンの笛と言って――まあ、そのままですが、ドラゴンの好きな音が出るようです。この音を聴くとドラゴンはとても心穏やかになるらしく…昔から私の家に伝わるものなんですよ」
「この森にドラゴンがいるなど…聞いたことがない」
 思わず、同じことを口にしていた。未だ信じられない、という気持ちだ。
 どんな文献にも書かれてはいなかった。
「それはそうです、王国でも殆どの人は知らないと思いますよ。公表すれば大騒ぎになるのは目に見えてるし、ドラゴン目当てに諸外国からこの森を襲って来られたら困るでしょう?」
「それは、そうだな」
 事実かどうかわからないが、ドラゴンの鱗には万病を癒す効果があるという噂だし、物珍しさだけで捕まえようとする輩もいるかも知れない。それでは一歩間違えば戦になる。
「私は…たまたま、この笛の言い伝えがあったので知っていましたが、私の家族にも人前で吹聴しないようにと、言い含められて育ったので」
 彼の家系は祖先にドラゴン使いでもいたのだろうか。
「そうか…助かった。今日は君に助けてもらってばかりだ」
 自分が情けなくなってくる。いくら歳下とはいえ、実地経験が少ないからとはいえ、今日の自分はあまりにも情けない姿ばかりを見せた。
「そんなことは構いません。ディラン騎士は入団時期とか自分の方が先輩だとか気にしてるんでしょうけど、同じ騎士団の仲間、それでいいじゃありませんか? 仲間というのは助け合うものです」
 彼の言うことは尤もだった。小さなプライドで反発していたのは私だ。
「…そうだな。ありがとう」
 羞恥で真っ赤になっている気がしたが、私はそのままローリィ騎士の首に両腕を回した。抱き上げられている体勢では腕を下ろしているとバランスが悪く、彼も歩きにくかろう、と思ってのことだ。暗闇の中とはいえ、顔を見られたくなかったのもある。決して他意はない。
 それでも、意地を張っていた自分を思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
 しばらく歩くと、急にローリィ騎士が立ち止まった。私も顔を上げる。
「…ディラン騎士…あれ」
 目線を追うと、そこには。
 森の奥、月明かりも届かない暗闇の向こうが、うっすらと光っている。周囲はいつの間にか白く霧に包まれ、あっという間にローリィ騎士の顔も見えなくなってしまった。
「ど、どういうことだ…」
「ゆっくり歩きますね。ディラン騎士、しっかり掴まっててください」
 そう言われて、首に回した腕に力が入る。
 言葉通り、彼はゆっくり歩き出した筈だった。
 だが一歩進んだ瞬間、足許の地面はもうなかった。
「うわ…っ!」
「ひゃっ!」
 そのまま私たちは、真っ逆さまに落ちていった。

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