5 / 10
五
しおりを挟むざ、とほんの僅かの違和感を覚えて目が覚めたのは、どのくらい経ってからなのか。
(何かが、いる)
それは勘とでも言うべきものでしかなくて、何の根拠もありはしなかったが、騎士としての感覚が確かに告げていた。
私は気配を押し殺しじっと佇んでいた。本当ならば消えかけた焚き火の火を足したいところだが、今は動かない方がいいだろう。
それは、ふいに森の中から現われて、火を噴いた。
本当に、突然、何の前触れもなく。
私は息を潜めるのも忘れて思わず上体を起こした。
それは。
「ドラゴン――――――…!!」
爬虫類然とした鱗を光らせて、巨体を振りながら木々をも薙ぎ倒して森を駆け抜けてきたようだ。
(この森に、ドラゴンがいるなんて、聞いたことがない…!)
その姿を見た途端、思わず立ち上がってしまった膝ががくがくと笑い出す。
(ど、どうしよう、どうすれば)
ドラゴンは伝説に近い幻のような生き物だと教えられてきた。しかし全く架空の動物ではない、というくらいの知識はある。だが、本当にいるのかどうか、いるとしても遠いどこか異郷の地で、自分の生活圏にいるとは考えたこともない。その対処法など、教わる筈もない。
ドラゴンは、私に――私たちの野宿に――気づいたのか、ふわっと向きを変えるとこちらへ向かってきた。
「わ、わ、うわぁぁっ…!!」
逃げなければと思うが体が動かない。それに。
(そうだ、ローリィ騎士を起こさなくては…!)
今更のように気づいてテントを振り返ろうとした瞬間、ドラゴンの咆哮が森中に響き渡った。
はっとドラゴンを振り仰ぐと、空に届きそうな高さで炎が噴き出されている。そしてその巨大な腕がまっすぐ私に向かって振り下ろされ――――。
私は思わず目を瞑った。すべての思考が麻痺していた。
そしてそのまま私は意識を――――…。
*
そしてそのまま私は意識を――――…失わなかった。
「―――――……?」
しばらく経っても何事も起こらない。怪訝に目を開けて顔を上げると、ドラゴンはそこにいた。だが火を噴いてもいないし、腕もだらりと垂れ下がっている。
そして、森の中にやわらかい音楽が響いていた。
ふと隣を見ると、ローリィ騎士がいつの間にかテントから出て立っている。その両手は口許に当てられ、口許には小さな――丸い金属のようなものを咥えているように見えた。
あれは―――笛、か?
「よし、いい子だ。森にお帰り。…おやすみ」
彼がそう言うと、まるで言葉がわかるようにドラゴンはこちらに背を向け、ゆっくりと来た道を戻っていった。
「……」
私はしばし呆然としていたが、はっと我に返った。
「駄目だ! ドラゴンの巣を見つけなければ…!」
このまま放置しておけば、大変なことになるかもしれない。
私は慌ててドラゴンが去った方向へ走り出した。
「え、あ、ちょっ…! ディラン騎士!」
ローリィ騎士の焦った声が追いかけてきたが今はそれどころではない。
何故、彼がドラゴンを鎮めることができたのかは謎だが、それは後で聞けばいいことだ。
それよりも平和な筈の王国の森に、あのような凶暴なドラゴンが棲息していた衝撃の方が大きかった。
「ディラン騎士、どこへ行くんですか!?」
あっという間にローリィ騎士は追いついたようで、それもまた癪に障る。
彼に負けないよう、何とかドラゴンの棲家を突き止めたい、という思いがなかったと言えば嘘になる。しかし、それを気づかれるのも癪だ。
何だか複雑な思いがぐるぐるしていたが、私は必死で走った。
ずきん、ずきん、と痛みが走る。
昼間、捻った足首がどうやら悪化してしまったようだった。勢いで走り出した足が、段々スピードを落としていく。
「……っ」
堪え切れずに立ち止まると、厚底の野外用ブーツから見える足首が、既に酷く腫れているのがわかった。靴紐がきつくなって更に痛みを増しているように思う。
「…ああ、やはり捻挫してたんですね」
ローリィ騎士は小さく溜息をつくと、ひょいっと私を持ち上げた。
「何をする…!」
「そのままでは歩けないでしょう」
背負うわけでもなく、荷物のように抱えるわけでもなく、私の膝の裏に片手を入れ、反対の腕で背中を持ち上げて―――――所謂、お姫様抱っこという格好で。
「離せ! 大丈夫だ、私は歩ける!」
騎士たるもの、このような無様な格好で抱きかかえられるなど、とんでもない。
「恥ずかしいかもしれませんが、この体勢が一番楽なんで。我慢してください」
「……」
返すローリィ騎士の声が思いのほか真剣だったので、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。実際、抱き上げられていても足の痛みは増すばかりだ。
「ドラゴンの行方を追わないと、気になるんでしょう?」
「……そうだ」
「俺にもわかるかどうかはわかりませんが、跡を辿ってみますよ」
彼が何故そんなことができるのか、と思って今頃思い出した。
彼が奏でた笛の音で、ドラゴンは大人しくなったのではなかったか。
「この森に、ドラゴンがいるなど聞いたことがない」
「…そうですね。すみません、多分、俺のせいです」
しんみりするわけでもないが、自嘲気味に笑ってみせる。
「あの笛のことか? あれは何だ」
「これはドラゴンの笛と言って――まあ、そのままですが、ドラゴンの好きな音が出るようです。この音を聴くとドラゴンはとても心穏やかになるらしく…昔から私の家に伝わるものなんですよ」
「この森にドラゴンがいるなど…聞いたことがない」
思わず、同じことを口にしていた。未だ信じられない、という気持ちだ。
どんな文献にも書かれてはいなかった。
「それはそうです、王国でも殆どの人は知らないと思いますよ。公表すれば大騒ぎになるのは目に見えてるし、ドラゴン目当てに諸外国からこの森を襲って来られたら困るでしょう?」
「それは、そうだな」
事実かどうかわからないが、ドラゴンの鱗には万病を癒す効果があるという噂だし、物珍しさだけで捕まえようとする輩もいるかも知れない。それでは一歩間違えば戦になる。
「私は…たまたま、この笛の言い伝えがあったので知っていましたが、私の家族にも人前で吹聴しないようにと、言い含められて育ったので」
彼の家系は祖先にドラゴン使いでもいたのだろうか。
「そうか…助かった。今日は君に助けてもらってばかりだ」
自分が情けなくなってくる。いくら歳下とはいえ、実地経験が少ないからとはいえ、今日の自分はあまりにも情けない姿ばかりを見せた。
「そんなことは構いません。ディラン騎士は入団時期とか自分の方が先輩だとか気にしてるんでしょうけど、同じ騎士団の仲間、それでいいじゃありませんか? 仲間というのは助け合うものです」
彼の言うことは尤もだった。小さなプライドで反発していたのは私だ。
「…そうだな。ありがとう」
羞恥で真っ赤になっている気がしたが、私はそのままローリィ騎士の首に両腕を回した。抱き上げられている体勢では腕を下ろしているとバランスが悪く、彼も歩きにくかろう、と思ってのことだ。暗闇の中とはいえ、顔を見られたくなかったのもある。決して他意はない。
それでも、意地を張っていた自分を思うと、恥ずかしくてたまらなかった。
しばらく歩くと、急にローリィ騎士が立ち止まった。私も顔を上げる。
「…ディラン騎士…あれ」
目線を追うと、そこには。
森の奥、月明かりも届かない暗闇の向こうが、うっすらと光っている。周囲はいつの間にか白く霧に包まれ、あっという間にローリィ騎士の顔も見えなくなってしまった。
「ど、どういうことだ…」
「ゆっくり歩きますね。ディラン騎士、しっかり掴まっててください」
そう言われて、首に回した腕に力が入る。
言葉通り、彼はゆっくり歩き出した筈だった。
だが一歩進んだ瞬間、足許の地面はもうなかった。
「うわ…っ!」
「ひゃっ!」
そのまま私たちは、真っ逆さまに落ちていった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!
暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい!
政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
元侯爵令嬢は冷遇を満喫する
cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。
しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は
「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」
夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。
自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。
お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。
本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。
※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる