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バレンタイン・ア・ラ・カルト①小さな落とし物
しおりを挟む「これ!」
ずい、っと差し出された右手に握られていたのは小さな箱で、ご丁寧にラブリーな包装紙で包まれ、リボンまでしてある。察するに、バレンタインのチョコレート、だ。
「あげる!」
「え、あ、ちょ、ちょっと!」
俺の手にさっと乗せると、踵を返し、走り去っていく。おいおいおいおい。
困った。
何がと言って、チョコレートをもらったことが、ではない。相手が知らない女の子だから、というわけでもない。自慢じゃないが、学生時代から、もてなかったわけではないので、そういう体験は珍しくない。
問題なのは、俺が今、お腹の大きな奥さんと一緒に歩いてること。
そして、走り去った女の子が、どう見ても小学生だということだ。
「ヒカルちゃん……ついに小学生にまで……」
もちろん、奥さんであるハルカは、小学生相手に本気で嫉妬したりはしないけど(いや、ちょっとはやきもち焼いてくれてもいいと思うけど)呆れたように呟いて、でもその顔は爆笑寸前だ。
「いやいや、知らないし! っていうか、あの子……泣いてたよ」
小学生といえども女は女。こういう感覚はきっと間違ってない。
「多分これ、他の子にあげるつもりだったんじゃないか?」
ハルカは首を傾げ、にっこりとわらった。
「そうだね、さすがヒカルちゃんだ」
だから、さすがって、何?
仕事が休みだったので、臨月間近のハルカの散歩についていくことにして、普段忙しい分、たまにはゆっくり話が出来る、なんて思っていたんだけど。
思わぬハプニングに、頭を抱えてしまった。
「さあ、この事件をどう解決しますか、ヒカル刑事」
「……刑事じゃねー」
反論する声に力がないのは、俺がまさに警察署にお勤めだからだ。もっとも刑事とは関係ない一般職で、事件に関わることなんてありえない。そりゃ、世の中こんな事件ばかりなら世間はどんなに平和だろうとは思う。
「小学校って、この近くにあったっけ?」
子供だから、そんなに遠くから来ることはないだろう。さっきの女の子は必然的に近所の子ということになる。
「公園の裏手から、もう一つ道路向こうにあったんじゃないかなぁ」
「そっか、近いといえば近いか」
「もっと近かったら知らない筈ないもんね」
結婚を機にお互い実家を離れ、就職が決まったばかりだった俺の職場の近くに居を構えた。だから、それほど離れているわけではないけど、俺にとってもハルカにとっても知らない町には違いない。
「小学生の集団、結構見るんだけどね、何かもう子供って全部同じに見えちゃうよ」
ハルカは年取った、とぼやいているが、お前さん、まだ二十四でしょう?
「とにかく、これは返してあげたいよなぁ」
「だね」
俺たちは、話に出た公園に、まさに今行く途中だったので、とりあえず緑に囲まれた公園の中に入ってみることにする。散歩コースに相応しく、綺麗に石畳を敷いた歩道が緩やかなカーブを描いていた。ところどころ木々のアーチで周りの景色が閉ざされ、そして次のカーブを曲がると突然視界が開けたりする。その向こうには公園の真ん中に造られた大きな池が絶妙なアングルで見えたりして、それほど大きくない公園にしてはかなり本格的な造りだった。
学校は休みなのか、もう終わったのか、昼下がりのこの時間でも子供たちの姿が目に付く。小学校って何時まであるんだっけ、と大人になると忘れてしまうことに気づいて愕然とする。俺もハルカのことは言えない、歳をとったんだ。
途中にある公園内の案内表示を見ると、奥の方には遊具やグラウンドなどもあるらしい。子供たちはそこで遊ぶのが習慣なんだろう。
さっきの女の子はもう帰ってしまっただろうか。走り去っていった方向は、公園に向かってはいたが、公園の出入り口はいくつかあるから、別の場所から出てきたのかもしれないし、実際に公園に入ったところは見ていないから、何とも言えない。
ハルカのお腹もかなり大きくなってきたから、ゆっくりと歩幅を合わせて歩く。
「あれ?」
普段の散歩コースと違って、俺はもちろん、ハルカもこの公園には初めて来たということで、物珍しそうにきょろきょろしていたハルカが、並木の反対側を見て声をあげた。
「どした?」
つられて視線をやると、男の子が一人いる。ベンチ代わりに時々置いてある丸太の上に座って、俯いている。
「他の子と一緒に遊ばないのかな?」
「誰か友達待ってるんじゃない?」
小学生男子がそんなに一人でいることは珍しい気がした。ゲーム機とかを持ってる様子でもない。
「そうかな」
と言ってたら、同じ年頃の男の子が数人やってきて、少年に話しかけたので、俺たちは納得してその場を去ろうとした。
ところが。
「なぁなぁ、スバル、お前、ミユキに告られたってマジ?」
「……ち、っげーよ! 別に! そんなんじゃねーし」
スバル、と呼ばれた少年は顔を真っ赤にして立ち上がった。俺はハルカと顔を見合わせ、思い切り耳をダンボにする。
「だって女子が言ってたぜー? ミユキはスバルにチョコあげるって」
「……っ! もらってねーよ!」
スバル少年は何か言いたそうにしつつ、必死で否定する。
もしかして、もしかする?
そこへ、また別の少年が走ってきた。
「なぁ、今さぁ、ミユキが駅の方へ走ってくの見たんだけどさ。泣いてたぜ? 何かあった?」
「え、マジ?」
初めに話しかけた少年が目を瞠って、むしろ責めるような口調になる。
「スバル……もしかしてお前振ったのかよ?」
「そ、そんなんじゃねーよ!」
子供の会話とは思えないが、これが現代の現実なんだろう。台詞だけ聞いてると何やらこそばゆくて堪らないが、姿かたちはちゃんと可愛らしい少年たちなので見ている分には微笑ましいのだが。
「……ねぇ、何かあの子、ヒロトみたいだね」
隣でぼそっと呟いたハルカの言葉に、俺は噴き出しそうになる。ヒロトというのはハルカの弟で、何を隠そう(隠してない)俺の可愛い可愛い妹の一人であるヒナコと付き合っている。そのヒロトというのが、高校も卒業したというのに、何というか絵に描いたようなツンデレという奴で、義理の兄としてはかなりいじりがいがあるのだが、それはさておき。
ヒロトみたい、と実の姉に評されたスバル少年は、確かに素直でなさそうだ。簡単に推測するところ、(ちゃんと)好きな女の子、ミユキちゃんにチョコレートを貰えるところだったのに、素直でなさが災いして突っぱねてしまったのか。まぁ、小学生なら、わかる。可愛いじゃないか。当人たちはそれどころじゃないだろうけど。
「ハルカ……それはヒロトには言わない方がいいとは思うけど」
いくら実の弟とはいえ、小学生と同列にされたなんて知ったら、さすがにヒロトでも可哀相になってくる。
「うん、言わない言わない」
うふふ、と笑って事の成り行きを見守っていると、スバル少年は、後から来た友達に問いかけた。
「な、なぁ、ミユキ、何か持ってなかったか?」
「ううん? 手ぶらだったと思うよ」
スバル少年は、ちょっと考え込んで、でもまだ小さいその拳がきゅっと握られていた。そして次の瞬間、走り出した。
「スバル!?」
「どこ行くんだよ!?」
追いかける声に振り向きもしない。
誰かが呟く。
「……やっぱ、告られたんじゃね?」
「えー、マジ?」
「えー、いいなぁ」
その言葉にがくっとなった。要するに、よくあるパターンだけど、ミユキちゃんは男子に人気の女の子で、スバルくんはみんなに嫉妬されたんだな。そして小学生だとそういうのが恥ずかしくて堪らないんだよな。
「……スバル少年、ミユキちゃんを追いかけていったのかな?」
「多分ねぇ。ここで行かなきゃ男が廃るだろう」
「あはは、ヒカルちゃんらしい」
ハルカが間髪入れずに笑う。
ずっと幼馴染みとして育ってきた俺たちだから、お互いの名前も呼び捨てだったんだけど、結婚してから何故かハルカは俺のことをちゃん付けで呼ぶようになった。理由を聞いてみたら、その方が可愛いから、ということだったが、よくわからない。
でも、もしかしたら俺の二人の妹が俺のことをヒカルちゃん、って呼ぶから、そのせいなのかなとも思う。
もっと、家族になれたら嬉しいなと。
そう思ってくれたんなら、俺も嬉しい、と思う。
「さ、それでは俺たちも行きますか」
「ラジャー、ヒカル刑事!」
「だから刑事じゃねーって」
丁寧に敬礼までするハルカを制して、駅へと向かう道を歩く。どうせ急げはしないから、ゆっくりと。
「さっきの女の子がミユキちゃんなら、確かにすごく可愛い子だったよね。きっとめちゃモテだね」
何故か嬉しそうにそう言うと、ハルカはワクワクした顔で俺を見る。
「ヒカルちゃん、さっき、ちょっとぐらいはドキッとしたでしょう? 将来どんな美人になるか、って思ったでしょう?」
「思ってない」
「えー? 本当? ……まぁね、ヒカルちゃんは女子がほっとかないイケメンくんだし? 妹のヒビキちゃんもヒナコちゃんもめっちゃ美少女だもんね。美形なんて見慣れてるよね」
唇を尖らして拗ねるハルカに、俺は心の中で白旗を上げた。でも簡単に降参はしない。
「俺がさっき思ったのは」
「ん?」
反論されると思ったのか、ハルカは意外そうに顔を上げて次の台詞を待つ。
「ハルカの小学生の頃も可愛かったよなぁって、そう思いました」
途端、真っ赤になって口ごもるハルカ。してやったり、と俺はにやっと笑う。まぁ、惚れた弱みなのは間違いないが。
「あ、いた!」
紛らわすように前を向いたハルカが気づいて声を上げた。駅へと向かう道の先に、スバル少年が、女の子と向き合っていた。
「ビンゴ」
「よかった、間に合ったんだね」
それはやっぱり、さっき俺にチョコを押し付けて行った女の子だった。
「……ミユキ、さっきは、ごめん!」
「……いいよ、もう」
ミユキちゃんは意気消沈して、スバル少年の声もよく耳に入ってないみたいだ。それはそうだろうな、肝心のチョコレートがもう手許にないんだから。
「あの、俺、ほんとは……嬉しかったんだ!」
スバル少年は言った。
「だから、あのチョコ、よかったら……」
そう言いかけたところで、ミユキちゃんは泣いてしまった。よし、ここはヒーロー参上といきますか。
俺が颯爽と出て行こうとすると、ジャンパーの袖を掴まれた。
「ヒカルちゃんが出て行くのはまずいと思う」
ハルカの一声で出鼻をくじかれて、じゃあどうしろと、と思った瞬間、ハルカが指を差す。
そこには。
「お嬢さん、落し物だよ」
ミユキちゃんの後ろから、頭のでっかいウサギの着ぐるみが手を出す。
「え、え?」
そう言って差し出した手のひらには、チョコレートの箱。さっき、間違いなく俺が貰った奴だ。
「もう落としちゃ駄目だよ?」
ミユキちゃんの手にしっかりと握らせて、それから何事もなかったようにすぐそばのお店の前で、呼び込みのために愛想を振る。
ミユキちゃんは、本当に嬉しそうにぱあっと笑顔になってスバル少年に向き合った。スバル少年も、ミユキちゃんの涙の理由がわかってほっとしたようだ。
「あの、あの、あたしも、ごめん。これ! よかったら……!」
そう言ってチョコを差し出した。
「やれやれ、何とかなったみたいだな」
「もう、ヒカルちゃん、男の子だってプライドがあるんだから、あの場面でヒカルちゃんみたいなイケメンが出てったら台無しだよ」
「そ、そういうもんですか?」
「そうだよ、ミユキちゃんが咄嗟にとはいえ、こんなカッコイイお兄さんにチョコ渡したなんてわかったら、スバル少年が素直に受け取れないよ」
大人だからって、普通におじさんに見てはくれないのか。
さすが、ツンデレの弟を持つだけあって、その辺の心理はよくわかるらしい。
「まあ……終わり良ければ、ってことで」
俺は気まずくて言葉を濁す。いたいけな小学生をいろんな意味で傷つけることにならなくてよかった。これから親になる身としては、気をつけないとな。
「うん、よかったよ」
ハルカも嬉しそうに笑ってくれて、ちょっとほっとする。それから、不思議な気分になって横を見た。
「……まさか、この店の前だとは思わなかったけど」
「ほんとね」
そう、そこはハルカの叔父さんが経営するスウィーツショップの前だった。バレンタインフェア、ということでかなり賑わっている。さっきチョコをミユキちゃんに渡してもらった着ぐるみも、お店の前で宣伝しているバイトだった。いい仕事をしてくれた。
「ミユキちゃん、もう一回チョコ買おうと思ったのかな」
「ああ、そうかも」
迷っているうちにスバル少年が追いついたのか、それとも割と高級なお店なので、お小遣いが足りなかったのかもしれない。
「ねえ、寄って行こうよ。あたしもヒカルちゃんにチョコまだ買ってない」
「いいけど、それは俺の給料なんじゃ…」
そして殆どハルカが食べてしまうのでは、と思ったけど、言わなかった。
一年に一度くらい、こんな日があってもいい。そう思った。
ちょっと段差のある店の入口、ハルカの背中を支えながら、ドアを開ける。
店に入るとハルカは明るい笑顔になった。
賑わっている店内で、カウンターの中、無駄に笑顔を振り撒いている――きっとこういうのが本当に大人の――男性に声をかける。
「チトセ叔父さん、こんにちは」
小さな落し物・完
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