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52.早く大人になりたかった頃④(テオドール視点)

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 シリル兄さんが精霊薬をのめないのは、精霊力増幅薬を強制的に飲まされたことによる影響なのだろう、とは思っていたけど。こんなのは、好き嫌いの問題ではない。

 腕の中の人を責める言葉を飲み込んで、今は目の前の男に意識を向ける。

「精霊薬を飲んだという精神的認知が、精霊力マナを脅かし、直接肉体に影響を及ぼす。実に興味深いだろう。
 精霊力マナは精神と肉体を循環し、それを構成維持する力そのもの。それを、まさに体現しているのだよ」

 この男が、それを理解した上で、さらに精霊薬を飲ませている事実が許せない。

「私を責める前に、なぜ、これがこうしてここにいるか、こうして苦しんでいるか。
 考えたらどうだ?」

 その言葉に、ひやりと冷たいものが、背筋に流れる。

「お前を使う、と言ったら、これは簡単に自らを差し出したのだからな」

 この男の目的は知らないが。
 この言葉からわかることは、本来、ここでこうして苦しむはずだったのは僕だった、ということだ。

 シリル兄さんでは、なく。

 僕にはシリル兄さんと在って、常々危惧していたことがある。
 それは、僕がこの人を脅かすのではないかということだ。

 僕は……僕が、僕自身がシリル兄さんを傷つけることばかり、考えていた。こういう形で現実になるとは、思ってもみなかった。

 だって、こんな風に自らを犠牲にしてまで、僕を守ろうとする人などいなかったから。

 僕は、今猛烈に後悔する。

 どうして僕は、一瞬で人を屠る術を練習しなかったのだろう。一瞬で屠りながらも、永続的な苦痛を伴う、そんな方法をなぜ、習得しなかったのか。

 自身の怠惰と未熟さが疎ましい。

「今、この場を僕はずっと記録している」

「……なに?」

 シリル兄さんが10歳の頃に古の精霊術として書物にのみ語られる、映像と音声を永続的に記録可能な精霊術を復古させた。

 彼自身は、それをせっせと僕の何かしらを記録するために熱心に研究し、使っているようだったけど。

 僕は、その時から、こういう時を待っていたのだ。

「この記録は然るべきところへ提出する。
 これは、フォレスターの屋敷に保管してあるもう一つの記録器と同期している。
 僕を殺せば、それを執事が代わりに提出する手筈になっている」

 決定的に、この当主を没するための証拠を得る機会を。
 けれど、当主は僕を嘲笑うように、言う。

「この場の記録?ほう……そんな術を知っていたとは。後で、詳しく教えてもらうとしよう」

 後なんて、ありはしないのに。

「好きにすればいい。そのようなことは些末なことだ。
 もうすぐに、私は神の力を手にするのだからな」

 神の力。

 この男は、いよいよ頭がおかしくなったのか。いや、おかしいことは分かっていたけれど。

「…オルトロス……だ」
「え?」

 掠れた声に、僕は視線を腕の中の傷ついた人におとす。
 口の端には血が滲んでいて、殴られたことがわかる。よくよく観察すれば、あちらこちらに擦過傷や、打撲痕があって。

「メーティストは、常に眷属を……従えている。この神殿は…その、眷属……オルトロスを、召喚する場、なんだ」

 ぜーぜーと濁った呼吸音の合間に、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
 時折、ごほっと湿性の咳を繰り返しながら、震える指先が指し示した方を見れば、先程、シリル兄さんがいた真下だった。
 漆黒の床に同色の、けれど僅かに偏光の違う素材で、動物が二頭……いや、一頭描かれていた。双頭の狼のような獣。

 これが、オルトロス。

「オルトロスは……メーティストの、代行者…神災ストロフを、もたらす……神の化身で…」

 その、獣が描かれた所からは淡い黒い光が放たれている。周囲の靄を取り込みながら渦巻いて、黒い光は段々と明瞭に濃くなっていく。

 光なのに仄暗く、空気よりもずっと重い。

「召喚に、必要なもの……は、大量の精霊力マナと、醜悪に歪んだ強い願い。
 願いが、この世界の理を無視し、歪めば…歪むほどに…っ…その、無秩序の反作用で…」

 そう言うシリル兄さんの瞳からぼろぼろと雫が零れ落ちる。

「ごめ……ごめん、おれ……防げなかったっ……おれのせいで、…おれの精霊力マナが…っ」

 そこで、シリル兄さんは盛大に咳き込んだ。赤い飛沫が舞って、小さな身体がさらに小さく縮こまる。

「もう、しゃべらないで」

 咳嗽に激しく揺さぶられるシリル兄さんの胸に手を当てて、その精霊力マナの流れを感じ、さらに乱れないように整えていく。

「不足するならば、それでもお前を使おうと考えていたが。
 これの精霊力マナは、想定以上に増幅していたらしい。これは、フォレスター唯一の直系だからな。損なえば、何かと面倒だ」

 誇らしげに当主は言う。

 まるでそれが、シリル兄さんの苦しみも、精霊力マナすらも、自分の功績であるような口ぶりだったから。

 僕は自分の身体がひとりでに震えるのを感じた。

 この男は、損なわなければ、死ななければ、何をしても当然だと言っている。その言葉通りのことを、この男はシリル兄さんにしてきた。

 神の眷属を呼び出す程の精霊力マナが如何ほどかは、わからないけれど。普通でいられるはずがない。

 シリル兄さんは、こうなることがわかっていて、僕には告げずにこうして当主に従ったのか。

 僕は、僕だったらば、殺されてしまうかもしれないから。そして、自分は、殺されることは無いから。

 確実に、死ぬほどの苦痛を与えられることを確信していて、それでも。

「オルトロスの力があれば、何人たりとも私を脅かすことはできない」

 尊大な態度で愉悦に笑う男は、確かに醜悪に歪んでいた。

 まさか。
 この男は神の眷属を召喚するのみならず、従えるつもりでいるのか?

 いつか、シリル兄さんがこの男のことを「この世界の理にすら従わない」と表現していたことを思い出す。

 じりじりと、圧倒的な気配が増す。祭壇の上、愚かな男の目の前に、闇の光が形をもって、集約していく。

 突如、地鳴りのような低音が神殿を震わした。

 ——その瞬間。
 漆黒の床から、巨大な4列の鋭利な柱が突き出して、周囲に渦巻く黒い靄が漆黒の刃と成った。
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