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Ⅰ.主食編

31.俺は、瀕死の竜に食わせたい①

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 俺は再び、あの猟師の小屋へ二人で戻ってきた。

 俺がユーリとやり合って死にかけた時、ルゥに支えられ運んでもらったあの小屋に。

 今度は俺が、気を失って目を覚まさない白い竜を抱えて。

 一つしかないベッドに気を失ったままの奴を横たえて、俺もその隣に身体を休める。

 頭痛に耐えながら、懐から一本鎮痛剤の煙草を取り出して火をつける。大きく煙を吸い込んで、そして吐けば、甘ったるい嗅ぎなれた香りが、あっと言う間に小屋に籠った。

 大きな竜石を消費して、それなりに“澱み”が溜まっている。正直限界だ。

 すぴー……すぴー……

 はぁ……のんきに寝やがって。

 俺は横になったまま、すぴすぴと寝息を立てている人型の竜を見た。

 こいつ、マジで無駄に長いまつ毛してんな。なんだ。竜の人型は、容姿が整っていないといけない決まりでもあんのかよ。
 真っ白な絹糸のような髪、染み一つない陶器のような肌、すっと通った鼻筋に、薄くも厚くも無い艶やかな唇。

 今は隠されている瞳の色は、竜体のときと変わらない、深い黒で。光の加減で、鮮やかに変化し神秘的な金色の輝きを放つ。

 まあ、その瞳が一番、爛々と輝くのは、食い物を目の前にしたときなんだが。

 いつもの言動からどうしても幼く見えるこいつは、寝ている方が端正な顔立ちが際立つ。
 中性的な面立ちは、それでも凛々しく、本人が主張するように確かに男性のそれに見える。

 こうしてみると、腹いっぱいになって気持ちよく寝ているようにしかみえない。
 でも、こいつ、腹ぺこで死にかけなんだよな。

 安らかな寝顔が妙にイラついて、すぴすぴと鳴っている形のいい鼻を摘まむ。
 しばし間をおいて、ピンク色の柔らかそうな唇がぷはっと開いて、ちらり、と赤い舌がのぞいた。

 ──ドクリッ

 と、鼓動が跳ねる。勝手にざわつく胸を、煙を細く吐いて誤魔化して、鼻を摘まんでいた手を離した。

 ああ、鼻が赤くなっちまったな。

 まるで竜体のときと同じような淡く染まった鼻先を指先でそっと撫でる。
 犬……の時のように、抱き枕にするわけにはいかないよな……と、考えて。

 あの姿だろうと、今の姿だろうと、結局していることは同じだ、と考え直す。

 というか、もうどうでもいい。なんで俺が気を使わなきゃならねぇんだ。
 あー……この髪の毛は、あのふわふわさらさらの毛並みと同じなんだよな。この陽だまりみたいな匂いも。体温も。同じだ。

 ……やっぱり、こいつはあのルゥ、なんだよな。

 俺はそのことを確かめるように抱き込んだまま、微睡みに沈んだ。





 まだ空は暗い。早朝にも早い時間だろう。
 ふと、腕の中に、あの温もりが無いことに気づいて、俺は目を覚ました。

 ぐきゅるるるぅぅぅ……

 いや、遠退いた大きな腹の音が、俺を覚醒させたのかもしれない。
 すぐに小屋の隅にうずくまる小さな白い塊を見つける。こちらに背を向けて丸まった姿は、小刻みに震えているように見えた。

 軋む上体を起こし、ゆっくりと近づけば、

「来ないで……っ」

 と、くぐもった声が訴える。

 良く見れば、口と鼻を両手で覆い、ふーふーと荒い息を吐いて、必死に何かに耐えている様子だった。

「ヴァルの匂い……美味しそう。こんなの、ダメ……ダメだよ」

 あれは……意味があんのか?
 こいつは匂いなんて言ってるが。普通の匂いじゃあねぇだろう。

 試しに俺は自身のにおいを確かめる。いつものあの鎮痛剤の煙草の香りが鼻を突いた。
 つまり、こいつが言ってる匂いは、俺や普通の人族には感じない匂いだ。
 手で覆ったからといって感じなくなるものとは思えない。

「絶対、ムリ。これ以上近づかれたら……僕、我慢できない」
「は?我慢だと?」
「ううっ……ヴァル、良い匂い過ぎて……美味しそう過ぎて。お腹が……すき過ぎて……」

 ああ、成長すると余計に竜気がいるんだったか。
 どうやらあの話は事実らしい。

「我慢、ね。くだらねぇ。
 この前、問答無用で勝手に人のをしゃぶってきたときの勢いは、どうしたんだ?あぁ?」
「あ、……あれは…っ!」

 俺の言葉に、ばっと弾かれたように、こちらを向く。そして、はっと何かに気づき、ぐっと息を詰めた。

 いや、だから。それ、息止めたって、絶対に意味ねぇだろ。
 まあ、竜は水の中でも呼吸ができるようだから。実際には呼吸なんて必要ないのかもしれねぇが。

「僕……あの時のこと、ほとんど覚えてなくて……ただもう、お腹がぺこぺこで、ヴァルがすごく美味しそうで、美味しそうで……美味しそうだったから……。
 ていうか、美味しかった。すごく、美味しかった」
「あんときは、俺も目いっぱいに“澱み”が溜まってたからな」

 死にそうなほどに。

 こいつの言う美味しそうな匂いが、どんな匂いかはわからないが。
 その美味しそうな匂いの元が“澱み”ならば、それはもう素晴らしく芳しい匂いを放っていたに違いない。

「でも、それだったら、今だって同じじゃないのか?」
「だからだよっ!ムリだって……来ないでって、言ってるでしょ!!」
「嫌だね」

 俺が、こいつの言葉に従う理由はない。

 俺は傍までいってうずくまった塊の隣にしゃがみ込む。

 じりっと間をつめれば、相手もじりっと遠ざかった。

「何年だ?」
「…………え?」
「お前、一体何年間、腹すかせてんだ?」
「え……、えーっと……200年、くらい……かなぁ?」

 つまり……こいつは、生れてこのかたずっと腹を空かせてるってことか。

 俺は空腹がどれほどに辛いか、わかってるつもりだ。
 単に、身体の生命維持ができないなんて問題ではない。

 日々の生きる糧が無いということは、常に己の命を脅かされる。
 自分の何を差し出したって、この腹を満たしたいと、そういう欲求が常に心を荒ませる。ゴミだって漁るし、盗みだってする。

 自分の尊厳を自分でぐちゃぐちゃに踏みつぶして、将来の希望なんて、そんなものを抱く権利すら失ってしまう。

 腹が減るっていうのは、そういうことだ。

「でも、僕がどれだけお腹を空かせてたかなんて……ヴァルには関係ないことだよ」
「はあ?」

 思ったより、低い声がでた。

「うっ……だって、僕が、自分で竜気を取り込めるようになれば、いいんだから。
 だから、ヴァルには、関係ないでしょ」

 闇夜の中で一際黒く煌めく大きな瞳は、ゆらゆらと欲に飢えて揺れているのに、それでも俺を一丁前に撥ねつける。

 はぁ……「関係ない」だと?何、ふざけたこと言ってんだ、こいつは。

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