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1.出会い編
〈閑話〉セフィリオの休日⑤
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ふと、目が覚めて、僕は一瞬意味が分からなかった。
いつの間にか寝てしまったと気づき驚く。
昼食後、睡魔に襲われたことを思い出していると、意識が徐々に覚醒していく。
先程の木陰で、下にはアレクさんの上着が敷いてあった。
僕は、24時間監視…護衛がつくような面倒な身の上なので、外で寝るなどと言うことは、これまでしたことがない。
最低でも馬車の中で、エドやレイチェルが近くにいる状態だ。
そもそも外では、ほとんど眠くなったりしない。
起き上がろうとして、身体にかかる心地よい重みと、今更ながらに目の前の視界に再び驚く。
僕の目の前に、アレクさんの顔がすごく近くにあって、その瞳は閉じられていて彼も眠っているらしい。
穏やかな寝息を立てている。
そして、彼の腕が、僕を包むようにして腰へと回されて、寄り添うように横になっている。
状況が分からないが、眠ってしまった僕につられて彼も寝てしまったのだろうか。
こんなに無防備に眠って、大丈夫なのか。
人のことを言えないけれど心配になる。
そして、至近距離でその寝顔を眺めて。
長いまつ毛と、通った鼻筋。薄い唇が、少し開いていて。
左耳に、一つ茶色の石のピアスがつけられている。
眠っていると、いつもより少し幼く見えて、なんだか可愛い。
顔にかかった金髪をよけるように触れるが、目を覚ます気配は無い。
思ったより硬めの張りのある髪の毛がするり、と指から逃げていく。
ああ、きれいな人だな。
と考えていると。
もぞ、と動いて腰に回った腕に力が入り、僕の身体はさらに抱き寄せられてしまう。
僕の額に頬擦りするように顔が触れて、何やら柔らかいものが額にあたる。僕の髪をくすぐるようにすうすうと寝息がかかる。
なに。どういう状況なの、これ。
僕、どうしたらいい?
ああ、でも僕より太くて逞しい腕も、僕より厚い胸板も、額に触れる柔らかな感触も。
なんだかとても、どきどきするのに、すごく落ち着く。
アレクさんの心臓の音は、僕のよりもゆっくりで、やっぱり花のようないい香りがして。
あ、また眠くなってきたな。
そう考えていると、
突然その翠眼が開いて、僕が驚く間もなく、庇う様に抱きかかえられる。
「何か来るな」
僕にはまだ、感知できない気配を感じ取っているらしい。
そこから随分と時間が経って、馬の嘶きと、蹄の音が、がらがらと激しい音と共に地響きのように聞こえてきて、
「ああ、馬車馬の暴走か」
やや警戒を解きながら、僕をようやく解放してくれる。
先ほど僕たちが来た方、つまりシュバルツ公爵領の方から、二頭引きの馬車がすごい速さで迫ってくる。
「落ちそうだな」
乗っている身なりのよさそうな若い男性が、振り落とされそうになって座席にしがみついている。
「見て見ぬ振りも、まあまずいかな」
そう言ってロゼとジョーヌの鞍に触れた。そこにはシュバルツ公爵の紋が入っている。
まあ、公爵家に何か文句をいう輩がいるとは思えないが、見捨てたとあっては、何かしらのトラブルに発展する可能性は否定できない。
「セフィリオ、待っていてくれ。ロゼ、頼むな」
アレクさんはロゼに騎乗すると、あっという間に馬車へと並走した。
何をするのか見ていたら、ロゼから馬車へと飛びうつり、落ちそうになっている男性を肩に担ぎ上げると、錯乱する御者に代わり、馬車を操って、馬を落ち着かせようとしている。
次第に馬は、落ち着きを取り戻したのか徐々に速度を落とし、僕から少し離れたところで馬車は停車した。
僕は、ジョーヌに乗って追いつくと、丁度アレクさんが男性を担いだまま、御者台から地面に降りたところだった。
男性は身なりからして、どこかの貴族だろう。
男性をおろすと、アレクさんは御者に対し、
「馬を休ませた方がいい。虫に追われたのが嫌だったようだが、疲れていて機嫌が悪い」
そう言って、それで終わりとばかりに、近くに待機していたロゼを連れて、僕の方へと歩み寄ってくる。
「待て!」
そう、貴族らしい身なりの若い男性が、アレクさんを呼び止めた。
「お前、名前は何という?冒険者だな」
随分と偉そうな物言いだけれど、貴族にはまあ、あることだ。
特に身分や爵位が下の者に対しては、そういう傾向が強い者も多い。
「そうですが……アレクセイ、といいます」
一瞬、迷ってアレクさんは答えた。
冒険者は身分証として、ランクプレートを首から下げることになっており、それを見たのだろうと思う。
「お前、うちで雇ってやる」
と、そんなことを言う。
「間に合ってます。冒険者が気に入っているので」
即答する彼に、男性の顔色が変わる。
この男性、どこかで見たことがある。
「僕は!サージュ侯爵家の者だぞ!」
「冒険者ギルドも冒険者も、そういった利権とは関わり在りません」
再び即答する。
冒険者は身分が保証されており、その他の利権からは守られるという規定がある。
けれど、規定は規定で、現実にはそういかないことが多いのだけど。
ああ、彼はサージュ侯爵の三男だ。僕も、何度か見たことがあるが、あまりいい評判は聞かない。
「あまり強硬な態度をとられるのなら、冒険者ギルドからサージュ侯爵閣下にご相談させていただくことになりますが、よろしいですか」
そう、笑顔でアレクさんは答えた。
おそらく、父だろう名前を出されて、男性はうろたえて、そして、僕の存在に気付いたらしい。
僕を見て、彼は鼻で笑うと、
「これはこれは。シュバルツ公爵の……」
にやにやと、いやらしい視線を僕に向けて、含みのある言い方をする。
僕は、エドや、現シュバルツ公爵と共にいることが多いので、どうにも彼らの寵童か愛人のように思っている者がいる。
どういう思考なのか分からないし、分かりたくもない。
研究において学会の参加資格に、貴族籍が必要ないのなら関わりたくもない。
気にする価値もないことだと僕は知っている。
「こんなところで、お遊びですか?随分とお暇らしい」
そう言う貴方は何なのか。
変わらない、にやついた顔で彼が続けると、僕は不意に、ぐっと身体を引かれる。
次の瞬間にはアレクさんの腕の中に納まっていた。
彼に肩を抱き寄せられているのだと理解して、彼の鼓動を感じる。その速さが先程と変わらない落ち着いた速さであることに安心する。
彼の顔を見上げると、一瞬ふ、と翠の瞳が優しく笑って、精悍な顔で男性に向き直った。
「彼を虐めないでいただきたい。俺の大切な人、ですので」
と、凛とした口調で告げて、
「ああ、サージュ侯爵閣下には、まだ心配事がおありならアレクセイで指名依頼してください、とお伝えください」
そう言い残し、僕の肩を抱いたまま、その場を後にした。
「あー……見捨てたら良かったな。せっかくの休みが台無しだ。
悪かったな、セフィリオ」
ロゼを撫でながら、アレクさんが言う。
彼は、以前、サージュ侯爵に何か仕事を頼まれたことが有るようで、「まあ、Aランクの冒険者になると、色々な人の秘密を知ることもある」と言った。
まあ、僕にとってはああいったことは日常茶飯事なので、いまさらどうこう思うこともないのだけれど。
それよりも、僕の事情を知らないのに、アレクさんが僕を庇ってくれたことが、とても嬉しかった。
その後は、アレクさんが気分直し、といって、川で遊んで、お茶を飲んで、夕方になる前には、屋敷に帰った。
「そういえば、白香の木は65本だったよ」
僕が屋敷の前で馬から降りて言うと、アレクさんは少し驚いて、
「その素直さと探求心と負けず嫌いなところ、すごいな」
楽しそうにそう言った。
そして、「良いものやる」と言って白香の木の香り袋をくれた。
ロゼは随分とアレクさんに懐いてしまって、別れの時にはあちこちを食んで大変だった。
僕は、屋敷に帰ると、彼と採集した薬草や花について調べた。
どうやらそれらは、疲労や不眠に効くような類のもので、リラックス効果や、安眠といった作用があるものが多かった。
僕、そんなに疲れてみえてるのかな。
眠れていないのは知られているのか。
「あら、めずらしいジャンルね」
聞きなれた声に、振り返るとエドの奥さんであるレイチェルが立っていた。
僕の持つ草花の本を覗きこむ。
「今日は、何をしていたの?」
そう聞かれて、
「レイチェル、どうしてここに?今日の報告は聞いてないの?」
僕が尋ね返すと、彼女は少し驚いた顔をして、次に微笑むと、
「今日は、誰もついて行っていないはずよ」
そう言った。
どういうことだろう。
僕はもう監視…護衛がつくことが当たり前で、意識にも上げないのだけれど、今日は誰もいなかったらしい。
「昨日、エドに報告があってね」
レイチェルが事情を話してくれた。
何でも、僕が馬の手配を頼んだ護衛以外にも、護衛の任についている者がいて、彼にアレクさんが接触したらしい。
「明日、一日、自分に貴方の護衛依頼を出して欲しいと言われたそうよ。
もし、出来ないのであれば、彼らを出し抜き貴方をどこかへ連れ去ることも自分には簡単だ、と言ってね」
レイチェルは実に愉しそうだ。
「慌ててエドに連絡してきてね。
ちゃんとお兄様にも許可を得たから安心して。
……彼が、アレクセイ・ヒューバードなのね」
そう、レイチェルが静かに言った。
その一連のことについて、レイチェルは僕の様子を見に来てくれたらしい。
「今日は、休暇の何たるかを学んだんだよ」
そう、僕はレイチェルに答えた。
「あら、それは人生において最も重要なことを学んだわね」
ころころと、レイチェルはそれは楽しそうに笑った。
そうして僕は、【スタンピード】のことも、魔獣のことも、魔素計のことも、何も考えずに、その日は眠りについた。
10歳から【スタンピード】の調査を始めて以来、そんな日はこの5年間で初めてだった。
アレクさんと再会して1ヶ月ほどあったある日、兄が会いに来るというので、その日はアレクさんに会えないと伝えた。
少し予想していたけれど、その日以降彼はシュバルツ公爵領から姿を消した。
*
彼が、いつかの夕食のときに、僕の魔術を、「特別に綺麗にみえる」と言ってくれたことを思い出す。
5年前、初めて会ったときも、彼は、僕の魔術を見て、とても綺麗だと言ってくれた。
僕は、魔術師としては、異端だ。
多分、僕は、思い描いた通りの現象を、おこすことが出来る。
あの鎮魂の魔術も、僕の亡くなった母を想って、5歳のときにつくったのだけれど、魔術を創り出すということが、そもそもおかしい。
そう気づいたのは10歳のときだ。
自分の普通が、人と違うのだと認識するのは、結構難しい。
僕は、異端だと気づいて、周りの多くの人々のそれまでの視線の意味に、やっと気づいた。
彼は、それを綺麗だと。
何の迷いも淀みも思惑もなく、心から、そう言った。
あの力強くも清々しい森のような瞳が、僕を見つめて。
僕があの瞬間に、どれだけ救われたのか、アレクさんは知らない。
彼は相変わらず、【スタンピード】の討伐に参加しているらしい。
僕は、新たに起こった【スタンピード】の討伐参加者の名簿を置くと、報告書をまとめながら、彼のことを考えた。
彼は、その中心で、一人で戦ってきて。
今も、戦っている。
だから、僕は、大丈夫。
もう、手は震えなかった。
いつの間にか寝てしまったと気づき驚く。
昼食後、睡魔に襲われたことを思い出していると、意識が徐々に覚醒していく。
先程の木陰で、下にはアレクさんの上着が敷いてあった。
僕は、24時間監視…護衛がつくような面倒な身の上なので、外で寝るなどと言うことは、これまでしたことがない。
最低でも馬車の中で、エドやレイチェルが近くにいる状態だ。
そもそも外では、ほとんど眠くなったりしない。
起き上がろうとして、身体にかかる心地よい重みと、今更ながらに目の前の視界に再び驚く。
僕の目の前に、アレクさんの顔がすごく近くにあって、その瞳は閉じられていて彼も眠っているらしい。
穏やかな寝息を立てている。
そして、彼の腕が、僕を包むようにして腰へと回されて、寄り添うように横になっている。
状況が分からないが、眠ってしまった僕につられて彼も寝てしまったのだろうか。
こんなに無防備に眠って、大丈夫なのか。
人のことを言えないけれど心配になる。
そして、至近距離でその寝顔を眺めて。
長いまつ毛と、通った鼻筋。薄い唇が、少し開いていて。
左耳に、一つ茶色の石のピアスがつけられている。
眠っていると、いつもより少し幼く見えて、なんだか可愛い。
顔にかかった金髪をよけるように触れるが、目を覚ます気配は無い。
思ったより硬めの張りのある髪の毛がするり、と指から逃げていく。
ああ、きれいな人だな。
と考えていると。
もぞ、と動いて腰に回った腕に力が入り、僕の身体はさらに抱き寄せられてしまう。
僕の額に頬擦りするように顔が触れて、何やら柔らかいものが額にあたる。僕の髪をくすぐるようにすうすうと寝息がかかる。
なに。どういう状況なの、これ。
僕、どうしたらいい?
ああ、でも僕より太くて逞しい腕も、僕より厚い胸板も、額に触れる柔らかな感触も。
なんだかとても、どきどきするのに、すごく落ち着く。
アレクさんの心臓の音は、僕のよりもゆっくりで、やっぱり花のようないい香りがして。
あ、また眠くなってきたな。
そう考えていると、
突然その翠眼が開いて、僕が驚く間もなく、庇う様に抱きかかえられる。
「何か来るな」
僕にはまだ、感知できない気配を感じ取っているらしい。
そこから随分と時間が経って、馬の嘶きと、蹄の音が、がらがらと激しい音と共に地響きのように聞こえてきて、
「ああ、馬車馬の暴走か」
やや警戒を解きながら、僕をようやく解放してくれる。
先ほど僕たちが来た方、つまりシュバルツ公爵領の方から、二頭引きの馬車がすごい速さで迫ってくる。
「落ちそうだな」
乗っている身なりのよさそうな若い男性が、振り落とされそうになって座席にしがみついている。
「見て見ぬ振りも、まあまずいかな」
そう言ってロゼとジョーヌの鞍に触れた。そこにはシュバルツ公爵の紋が入っている。
まあ、公爵家に何か文句をいう輩がいるとは思えないが、見捨てたとあっては、何かしらのトラブルに発展する可能性は否定できない。
「セフィリオ、待っていてくれ。ロゼ、頼むな」
アレクさんはロゼに騎乗すると、あっという間に馬車へと並走した。
何をするのか見ていたら、ロゼから馬車へと飛びうつり、落ちそうになっている男性を肩に担ぎ上げると、錯乱する御者に代わり、馬車を操って、馬を落ち着かせようとしている。
次第に馬は、落ち着きを取り戻したのか徐々に速度を落とし、僕から少し離れたところで馬車は停車した。
僕は、ジョーヌに乗って追いつくと、丁度アレクさんが男性を担いだまま、御者台から地面に降りたところだった。
男性は身なりからして、どこかの貴族だろう。
男性をおろすと、アレクさんは御者に対し、
「馬を休ませた方がいい。虫に追われたのが嫌だったようだが、疲れていて機嫌が悪い」
そう言って、それで終わりとばかりに、近くに待機していたロゼを連れて、僕の方へと歩み寄ってくる。
「待て!」
そう、貴族らしい身なりの若い男性が、アレクさんを呼び止めた。
「お前、名前は何という?冒険者だな」
随分と偉そうな物言いだけれど、貴族にはまあ、あることだ。
特に身分や爵位が下の者に対しては、そういう傾向が強い者も多い。
「そうですが……アレクセイ、といいます」
一瞬、迷ってアレクさんは答えた。
冒険者は身分証として、ランクプレートを首から下げることになっており、それを見たのだろうと思う。
「お前、うちで雇ってやる」
と、そんなことを言う。
「間に合ってます。冒険者が気に入っているので」
即答する彼に、男性の顔色が変わる。
この男性、どこかで見たことがある。
「僕は!サージュ侯爵家の者だぞ!」
「冒険者ギルドも冒険者も、そういった利権とは関わり在りません」
再び即答する。
冒険者は身分が保証されており、その他の利権からは守られるという規定がある。
けれど、規定は規定で、現実にはそういかないことが多いのだけど。
ああ、彼はサージュ侯爵の三男だ。僕も、何度か見たことがあるが、あまりいい評判は聞かない。
「あまり強硬な態度をとられるのなら、冒険者ギルドからサージュ侯爵閣下にご相談させていただくことになりますが、よろしいですか」
そう、笑顔でアレクさんは答えた。
おそらく、父だろう名前を出されて、男性はうろたえて、そして、僕の存在に気付いたらしい。
僕を見て、彼は鼻で笑うと、
「これはこれは。シュバルツ公爵の……」
にやにやと、いやらしい視線を僕に向けて、含みのある言い方をする。
僕は、エドや、現シュバルツ公爵と共にいることが多いので、どうにも彼らの寵童か愛人のように思っている者がいる。
どういう思考なのか分からないし、分かりたくもない。
研究において学会の参加資格に、貴族籍が必要ないのなら関わりたくもない。
気にする価値もないことだと僕は知っている。
「こんなところで、お遊びですか?随分とお暇らしい」
そう言う貴方は何なのか。
変わらない、にやついた顔で彼が続けると、僕は不意に、ぐっと身体を引かれる。
次の瞬間にはアレクさんの腕の中に納まっていた。
彼に肩を抱き寄せられているのだと理解して、彼の鼓動を感じる。その速さが先程と変わらない落ち着いた速さであることに安心する。
彼の顔を見上げると、一瞬ふ、と翠の瞳が優しく笑って、精悍な顔で男性に向き直った。
「彼を虐めないでいただきたい。俺の大切な人、ですので」
と、凛とした口調で告げて、
「ああ、サージュ侯爵閣下には、まだ心配事がおありならアレクセイで指名依頼してください、とお伝えください」
そう言い残し、僕の肩を抱いたまま、その場を後にした。
「あー……見捨てたら良かったな。せっかくの休みが台無しだ。
悪かったな、セフィリオ」
ロゼを撫でながら、アレクさんが言う。
彼は、以前、サージュ侯爵に何か仕事を頼まれたことが有るようで、「まあ、Aランクの冒険者になると、色々な人の秘密を知ることもある」と言った。
まあ、僕にとってはああいったことは日常茶飯事なので、いまさらどうこう思うこともないのだけれど。
それよりも、僕の事情を知らないのに、アレクさんが僕を庇ってくれたことが、とても嬉しかった。
その後は、アレクさんが気分直し、といって、川で遊んで、お茶を飲んで、夕方になる前には、屋敷に帰った。
「そういえば、白香の木は65本だったよ」
僕が屋敷の前で馬から降りて言うと、アレクさんは少し驚いて、
「その素直さと探求心と負けず嫌いなところ、すごいな」
楽しそうにそう言った。
そして、「良いものやる」と言って白香の木の香り袋をくれた。
ロゼは随分とアレクさんに懐いてしまって、別れの時にはあちこちを食んで大変だった。
僕は、屋敷に帰ると、彼と採集した薬草や花について調べた。
どうやらそれらは、疲労や不眠に効くような類のもので、リラックス効果や、安眠といった作用があるものが多かった。
僕、そんなに疲れてみえてるのかな。
眠れていないのは知られているのか。
「あら、めずらしいジャンルね」
聞きなれた声に、振り返るとエドの奥さんであるレイチェルが立っていた。
僕の持つ草花の本を覗きこむ。
「今日は、何をしていたの?」
そう聞かれて、
「レイチェル、どうしてここに?今日の報告は聞いてないの?」
僕が尋ね返すと、彼女は少し驚いた顔をして、次に微笑むと、
「今日は、誰もついて行っていないはずよ」
そう言った。
どういうことだろう。
僕はもう監視…護衛がつくことが当たり前で、意識にも上げないのだけれど、今日は誰もいなかったらしい。
「昨日、エドに報告があってね」
レイチェルが事情を話してくれた。
何でも、僕が馬の手配を頼んだ護衛以外にも、護衛の任についている者がいて、彼にアレクさんが接触したらしい。
「明日、一日、自分に貴方の護衛依頼を出して欲しいと言われたそうよ。
もし、出来ないのであれば、彼らを出し抜き貴方をどこかへ連れ去ることも自分には簡単だ、と言ってね」
レイチェルは実に愉しそうだ。
「慌ててエドに連絡してきてね。
ちゃんとお兄様にも許可を得たから安心して。
……彼が、アレクセイ・ヒューバードなのね」
そう、レイチェルが静かに言った。
その一連のことについて、レイチェルは僕の様子を見に来てくれたらしい。
「今日は、休暇の何たるかを学んだんだよ」
そう、僕はレイチェルに答えた。
「あら、それは人生において最も重要なことを学んだわね」
ころころと、レイチェルはそれは楽しそうに笑った。
そうして僕は、【スタンピード】のことも、魔獣のことも、魔素計のことも、何も考えずに、その日は眠りについた。
10歳から【スタンピード】の調査を始めて以来、そんな日はこの5年間で初めてだった。
アレクさんと再会して1ヶ月ほどあったある日、兄が会いに来るというので、その日はアレクさんに会えないと伝えた。
少し予想していたけれど、その日以降彼はシュバルツ公爵領から姿を消した。
*
彼が、いつかの夕食のときに、僕の魔術を、「特別に綺麗にみえる」と言ってくれたことを思い出す。
5年前、初めて会ったときも、彼は、僕の魔術を見て、とても綺麗だと言ってくれた。
僕は、魔術師としては、異端だ。
多分、僕は、思い描いた通りの現象を、おこすことが出来る。
あの鎮魂の魔術も、僕の亡くなった母を想って、5歳のときにつくったのだけれど、魔術を創り出すということが、そもそもおかしい。
そう気づいたのは10歳のときだ。
自分の普通が、人と違うのだと認識するのは、結構難しい。
僕は、異端だと気づいて、周りの多くの人々のそれまでの視線の意味に、やっと気づいた。
彼は、それを綺麗だと。
何の迷いも淀みも思惑もなく、心から、そう言った。
あの力強くも清々しい森のような瞳が、僕を見つめて。
僕があの瞬間に、どれだけ救われたのか、アレクさんは知らない。
彼は相変わらず、【スタンピード】の討伐に参加しているらしい。
僕は、新たに起こった【スタンピード】の討伐参加者の名簿を置くと、報告書をまとめながら、彼のことを考えた。
彼は、その中心で、一人で戦ってきて。
今も、戦っている。
だから、僕は、大丈夫。
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