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《最終章》― お前も…お前の心の傷も…何もかも…愛している… ―

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「言えよ…早く」

 それまでの饒舌さが影を潜め、昔に思いを馳せるように黙り込んでしまったリナに亮は焦れて続きを促した。

「…あれは大学1年の12月だったわ…」

 リナがポツリポツリと語りだした。

「かっちゃんに性質の悪い男が付きまとっていたの。同じ大学の学生だったんだけど、相手の男は札付きのワルでね。歌舞伎町でホストのバイトをして、OLや主婦に貢がせる…女を平気で食いものにする女衒のような奴だった」

 思い出すのも不愉快なのか、リナが眉根を寄せながら話を続けた。

「そいつ、どういう訳かかっちゃんの事だけは、本気だったらしくて、しょっちゅう自分と付き合えって、付きまとっていたの。私は、やめろと、何度も言っていたんだけど、あの通り、かっちゃん人が良いから…最初は普通のクラスメイトとして付き合っていたわ」

…不自然に亮はゴクリと息を呑んだ。

「最初は慎ましやかに友達関係…でも、相手の男がそんなの満足するわけなく…」

 リナが急に言葉を切った。

「…で…桂は…どんな目にあったんだ…?」

 亮は祈るような思いをしながら、続きを急かした。

「…未遂だったの」

 リナがポツリと呟いた。次の瞬間意を決したように顔を上げると、強い視線で亮を見つめた。

「薬でかっちゃんを眠らせて、自分のマンションに連れ込み…後はお決まり、レイプしようとした」
「何で、未遂って分かるんだ?」

 亮は見えない相手に憎悪を募らせて、顔を赤くしながら、リナに詰問した。桂を傷つけるような奴は、誰であろうと許せない…。
今からだって、そいつを探し出して破滅させてやる…激しい怒りだけが、胸中を荒れ狂う。

 拳をぎゅっと握り締めた亮の様子に、ふっと頬を緩めながら、リナがさらりと言った。

「だって…私が、阻止したから」

 当時を思い出したのか、くすっと喉の奥で笑う。

「何かの打ち上げの最中でね…。あの男がかっちゃんと消えたのに、すぐ気づいて後を追ったの。そして、現場に押し入った。で…後はやっぱりお決まりのコース。これでも、腕力には自身があるのよ」
「知ってるさ」

 まだズキズキと痛む頬に手をやりながら、亮は皮肉めいたニヤッとした笑みを浮かべると応酬した。
亮の当て擦りに、リナもニヤリとしてみせると、次の瞬間、また表情を暗く翳らせた。

「最悪なのは…そこからだった。男はコケにされたと言って…復讐してやると…年末…かっちゃんが家族団らんで過ごしていた真っ昼間に、かっちゃんの家に乗り込んでいった…」

 亮はくそっと呻く様に言って、ぎゅっと額に手のひらを押し当てた。そのときの状況がまざまざと目に浮かぶようだった。

「…男は桂が同性愛者…だと家族にバラした…」

 亮が最悪なそれを引き継いだ。
 そう、とリナが静かに肯いた。

「もちろん、御両親は最初かっちゃんを信じていた。嘘だ、お前が同性愛者な訳がない、…そう訊ねたらしいわ」

 亮は顔を上げて、リナを見返した。リナの美しい面差しは蒼白になり、その目から今しも涙が零れそうなほど潤んでいる。

「…桂が…嘘をつけなかった…」

 亮が静かに言った。桂に嘘がつけるはずが無い…。嘘と無縁の素直な性格…それが仇になった…。

「そうよ…つけるわけなんて…無い…。だって、かっちゃんは、そういう風に育てられたんだもの…」

 リナがもう我慢することもせず、大粒の涙を激しく流しながら言った。

「かっちゃんは、男とか女とか関係ないの。性別なんて些細なことなのよ。いつだって恋愛するとき、好きになる時、ただ「その人」を好きになるだけ。それなのに…」

 それまで激したような口調で語っていたリナが急にトーンを落とした。

「酷いと思わない…?自分の子供に「絶対人を差別してはいけない」そう教えた母親が真っ先に息子を偏見に満ちた瞳で睨み、差別したのよ」

 それっきり、リナは口を噤むと嗚咽を漏らし、泣きじゃくり続けた。
亮はぼんやりと桂の笑顔を思い出す。
家族に否定されてしまった桂…。どれだけ傷ついて、どれだけ悲しい思いをして…どれだけ、辛い思いを我慢してたんだろう…。

 その中に、自分も加わっていたのだと思うと、激しい後悔と自己嫌悪が襲ってくる。

「………か……て…」

 急にリナが亮のスーツの袖を引っ張った。

「…え…?なんだ?」

 物思いから現実に引き戻されて、亮は慌ててリナを見た。リナは涙でぐちゃぐちゃな顔をしているくせに、やっぱり不機嫌に顔を顰めて

「気が利かない人ね。ハンカチ貸してって言ったの。こういうとき、ハンカチ出すのが普通でしょ」

 急き立てられて、亮は慌ててハンカチを取り出すとリナに渡した。リナが目元を拭って、化粧を直すのを眺めながら、亮は肝心の事が何も解決していない事を思い出す。

「…あ…桂…に」

 思い切って訊ねようと口を開いた亮の言葉を、リナが煩そうにハンカチを振りながら遮った。

「私は、あなたなんて大嫌い。あんたなんか最悪だわ」

 もう、キリッとした表情に戻ってリナは口を開いた。きつい視線で鋭く亮を見つめ続ける。

 分かっているさ、とブスッと答えた亮にリナはさらに眉根を寄せる。

「これ以上、私はかっちゃんが傷ついたり、悲しんだりするのが嫌なの…あんたになんか、会わせたくない」

 そこまで言って、もう一度リナが嗚咽を飲み込んだ。
「でも…かっちゃんの幸せが、一番大事なの…。だから…だから…。何で…あんたなのかしら……?」

 リナの言おうとしている事が分かって、亮は胸が熱くなるのを感じる。

「…絶対に…桂を傷つけたりしない…俺が…守る…。それに…桂も俺を守ってくれるんだ」

 亮の言葉に、リナが漸くコクンと静かに頷いた。
数分嗚咽を漏らし続けたリナは、やっと平静さを取り戻すと、すっとテーブルに手を伸ばした。その手つきは先程までの激情に震えていた手ではなく、店のオーナーとしての優雅なそれに戻っていた。亮はじっとその手を目で追う。

「…お代わりはいかが?」

 亮の空のグラスを取り上げて訊ねるのに、頼む、とただ答えながら、亮はやっと落ち着いた気持ちでリナの次の言葉を…自分が探し続けた言葉を待っていた。
 
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