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《第22章》 ― お前の気持ち、俺の気持ち、あいつの気持ち。すべてがゲームオーバー… ―

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 多分…罰なのだろう、これは…。人の感情に疎かった自分への…。

 健志が自分を愛している事に気づきもしなかった…自分への…。

 でも…どうしたら…よかったんだ…?俺は…?

 俺は…桂しか…桂だけしか…愛せないのに……。

 どうすれば、健志が納得してくれるのかなんて、分からない…。

「健志…俺は、俺なりに…お前に正直になったつもりだ…。それで、お前が分かってくれないのなら…仕方が無いだろう…?俺はお前を愛していない。お前と付き合うつもりは、今も…これからも無いんだ…関係としては破綻してるだろ」

 少しでも毅然と見えるように、亮は精一杯虚勢を張りながら目の前で冷笑を浮かべたままの男を見つめた。

「嫌だ。俺はお前とは別れない」

 強気の口調に亮が語気荒く叫んだ。

「健志っ!」

 憤然とした表情の亮を、薄ら笑いのまま見つめると健志がしっ、と唇に指を当てて亮を侮蔑交じりの態度で諌めた。

「静かにしろよ、亮。あいつに気づかれても良いのか?」

 その言葉に亮は、ハッと身を強張らせて寝室の扉に視線を走らせる。

…大丈夫…この部屋は防音してある…桂に聞こえる筈が無い…。

 祈るように自分に言い聞かせながら、亮は視線を健志に戻した。健志は亮の不様な態度を楽しむように眺めている。

 気詰まりな沈黙が二人の間を支配する。
言うべき言葉を考えあぐねている亮に反して、先に口を開いたのは健志だった。

「お遊びは…終わりにしないとね」

 今までの口調とは打って変わった、厭らしいほどの猫なで声。その言葉を亮は苦々しく受け止めると、まっすぐ健志を見返した。

「言っている意味が分からない」

 苦い表情のまま、顔を顰めながら唸るように返事をする。
健志の言っている意味など分からない…分かりたくなんかない…。

 確かにスタートは間違えた。自分の気持ちに気づかず、愚かに初めてしまった「恋人ごっこ」
でも、今は違う…今自分の中にある気持ちは…「お遊び」なんかじゃない。

 桂を愛している…唯一の本当。

 亮の沈黙の無言に、健志はクッと唇を歪めて冷笑を浮かべる。亮の考えている事なんかお見通しだと言わんばかりの、その表情に亮の気持ちはなぜか冷えていった。

 不意に、なぜ健志は「真実」が見えないのだろう…と健志を憐れむような感情がさざめいていく。
亮のだんまりに苛ついたように健志が言葉を継いだ。

「分かっているはずだろ、亮?お前の恋人は…俺だろ…」

 自分の権利を主張する健志、その姿が憐れにさえ見えてくる。
健志は本当に誰かを愛することも…愛されることも知らない・・・だから、こんな風に見せかけだけの俺たちの関係に執着するのだろうか?

 醒めた感情で健志を亮はジッと眺めた。亮の思惑など気づきもせず、健志は飴のように甘くて…意味の無い言葉を並べていた。

「亮…。俺が悪かったのは謝るよ…。寂しがりやのお前をずっとほったらかしにして…」

 自分の中にある感情を殺したように、わざと淡々とした声音で話す健志。
健志の中に、自分への気持ちがあるなんて、到底亮には信じられなかった。

 健志の中にあるのは、自分だけ。
自分が愛されていないという事実から…眼を逸らし続ける…そう、永久に。

 なぜ、健志は俺と恋愛しているなんて思っているんだ…?ドライでライトで都会的な恋愛…そんなもの存在しやしないのに…。

 俺だって桂と出会ってやっと知った。
相手が自分をどう思っているのか、めちゃくちゃ気になって、相手が自分以外の誰かと話しているのが無性に嫌で、誰にも見せたくなくて…。

 桂の態度や言葉に振り回され続けて、些細な感情で一喜一憂していた自分。でも、決してそんな自分が嫌じゃなかった。

 それが本当の恋愛だって、桂を愛してやっと知った。でも健志が以前の自分との関係に執着し続ける限り、健志は本当の恋が何なのか気づかない。

 冷えた感情の中で、亮は冷笑を浮かべたままの健志を見据えた。取りとめも無く、健志が憐れに思えてしまう、その感情に、亮は皮肉を思った。

 「…健志…俺は…何度も言ったはずだ…」

 何度も告げた、愛しているのは桂だと…お前とは終わりにすると…。
亮の言外に込められた思いを嘲笑うかのように、健志は醒めた視線で亮を眺めたまま、何度も聞いたよ、と答える。

 明らかに今の状況を楽しむかのように、クスクスと笑い声上げながら一層不快な猫なで声で続ける。

「亮、俺はお前の恋人だよ。ずっと…ね。来月、日本の本社へ戻る事が正式に決まった。もう亮を寂しくさせたりしない。前みたいに二人で楽しく過ごせる」

 冗談じゃない!!

 健志の言葉に亮は肩を激しく震わせた。
こいつは狂っているのか?
なぜ、こんな事が言える?なぜ、俺たちの関係が破綻しているって理解できない?こんな簡単な事さえ理解できないくらい、ここまで健志をおかしくさせたのは、俺の…所為なのか?

「健志…。俺は……」

 健志の真意が分からず、亮はゾッとする恐怖にまた、取り付かれ始めていた。どう言えば、何を言えば、この繰り返し続けた泥沼のような会話を終わらせることが出来るのか…。

 全てを終わらせる決定的な何かを言いたくて、でも言葉が見つからずに亮は唇をギュッと噛み締めたまま、目の前の男を、憐憫と恐怖とが綯い交ぜになった感情のまま見つめた。

「亮、もう恋人ごっこを他の男とする必要はないだろ?俺がいるんだから。恋人は一人で充分。身代わりなんて必要無いだろ」

 容赦なく健志は自分の権利を主張し続ける。半ば狂ったような健志の言葉に亮はなす術も無く立ち尽くした。

「…健志…俺は…何度も頼んだ…」

 そう、俺は何度も頼んだ、俺と別れて欲しいと…。

 言っても無駄だと、頭の片隅でもう一人の自分が嘲笑う。それでも、亮は何とか寝室の桂に気づかれないうちに健志を部屋から追い出したくて、一縷の望みを掛けて下手に出た。

「ふふっ。何度も聞いたよ。亮の願いは。でも…俺は嫌だ。絶対にね。気の迷いだよ。亮らしくないね」

 猫が鼠を玩ぶように、残忍な笑みを浮かべた健志は、亮の願いを酷薄に一蹴する。じっと、蒼白な亮を擬視したまま、健志は言葉を継いだ。

「情が移っただけだ。同情と愛情を間違えるな。お前はあの男を憐れんでいるだけさ。気の毒だから、切り捨てられないだけなんだよ」

 違う…間違えてなんかいない…。
健志の言葉に苦々しく亮は自分の中で否定する。もう、何を健志に言っても無駄だと…諦めだけが沸き起こる。

 俺が、憐れんでいるのも、気の毒に思っているのも…健志…お前なんだ。俺が「恋人ごっこ」の中で見つけたのは…「桂」という愛しい存在だけ。

 間違えていたのは…俺とお前の偽りだらけの虚ろな関係だったんだ…。

 何も答えない亮に、今度は艶やかな笑みを浮かべると健志が続けた。

「亮。軽いお遊びを楽しんだろ?一時の浮気さ。今俺の所に戻ればなにも言わない。許すから」

 浮気…?許す…?楽しく過ごす…?健志は何を言ってんだ?

 冷えた感情だけが、澱のように身体の深い部分に落ちていく。

 健志は、媚びるような笑顔を張り付かせたまま、亮の腕をぐっと掴んだ。そのまま言うことをきかせるように、亮の身体を引き寄せながら、甘い口調で囁いた。

「だから、また以前のように楽しく一緒に過ごそうぜ」

やめろっ…!
その言葉は擦れた音にしかならなかった。激しい嫌悪と共に、必死で亮は健志の自分を掴む腕を振り払った。

 どうしたら…どうしたら…この男を納得させることが出来るんだ…?
亮は自分の考えの甘さを呪いながら、疲れ果てた思いで自分を抱きしめようとする男を見つめた。

 どうにもならなくて、騒ぎになっても良いから警察を呼ぼう…そう決めて視線をリビングの隅にある電話に走らせた瞬間だった。
亮はギクッと眼を見開いた。

 寝室のドア…さっきは確かに閉まっていた。それが…今…僅かな隙間が開いている…。

 なぜ…どうして…?嫌な予感が頭の中をグルグルと駆け巡る。それでも、嫌な予感を振り払って、「警察を呼ぶ」と健志に告げようと、もう一度健志と対峙した時だった。

― カチャっ —

 乾いた音と共に、スローモーションのように寝室の扉が開かれた。
健志がさっと音のした方向に振り返る。そして…亮も怯えたまま、寝室のドアを見つめた。

 二人の視線に臆することなく…亮の悲痛な願いを無視して…桂…がゆっくりと寝室から出てきた。
さっきベッドで笑いあった笑顔そのままに、穏やかな優しい微笑を浮かべながら亮の前まで進んでくる。

…桂………。 

 亮はゴクリと息を呑んだ。桂が…何をしようとしているのか、おぼろげながら察することが出来たのだ。

 止めろ…そう桂に言おうとした刹那、桂のほうが先に口を開いていた。

 凛とした態度で健志の存在を無視すると、桂は無垢な瞳で僅かに首を傾げながら、亮を愛しそうに見つめて…そして…最後通牒の言葉を告げた。

「契約終了だ…。山本」
 
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