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《第20章》 ― 「どうして?」…後悔ばかりで埋め尽くされた…俺達の時間…. -

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 桂は一瞬瞳に傷ついた色を浮かべた後、すぐにそれを諦めの色に変えた。亮はその微妙な桂の変化を、切なく胸を疼かせたまま見つめた。

「1週間…待っていてくれないか…」

 桂を傷つけているという自己嫌悪で疼く胸の痛みを堪えながら、亮は桂に告げた。

 たった今健志が明日日本に戻ってくると知らせた後だった。
言葉を失くして竦んだままの桂が、やけに華奢で頼りなく見えて、亮はたまらず桂を胸に引き寄せた。

 桂は一瞬抗うような素振りを見せたが、強引な亮の腕の力に観念したのか大人しく身を亮の胸に預けた。それでも顔を上げて亮を見ることはせず、俯いたまま…。

 そんな微かに見せた桂の抵抗めいた態度に少し亮は気持ちを明るくすると、桂の顎を掴んで持ち上げた。僅かに潤んだような桂の黒い瞳を覗き込むと、亮は静かに口を開いた。

「俺…健志と色々話しがあるから…。だから、俺が連絡するまで待っていてくれ」

 少しでも、桂が自分の言葉の外にある感情に気づいてくれるように祈りながら亮は言った。
桂も亮の真剣さに呑まれたかのように、こくんと素直に頷く。

 桂の頷きに、少なくとも健志の帰国の間、桂が自分を待っていてくれるということが約束されて亮はホッと安堵の息を吐いた。
自分の胸に深く潜り込む桂が愛しくて、亮はすっかり癖となってしまった桂の耳朶への柔らかいキスを落とす。

 亮の愛撫を大人しく受け止めていた桂が軽く顔を起こして亮を見つめた。
その自分を見つめる、しっとりと濡れたような黒い瞳に悲しそうな色が宿っているのを見つけて、亮は嫌な予感に眉根を寄せた。

 案の定、桂が亮を困惑したように見返しながら言った。

「俺の事は…気にするなよ…。夏以来だろ、逢うの。だから…ゆっくりしろよ…」

 何もわかってはくれない桂の言葉に、亮はむっとする。湧き上がる怒りを押し込めながら、亮は桂の言葉の続きを待った。
桂は亮の思惑など何も分からないかのように、明るい表情を無理に浮かべながら次々に健志を気遣う言葉を並べていく。

「健志さんとデートする所決めたのか?最近俺の所為であんまり外出しなかったから…。流行りのデートスポットとか調べたのかよ…」

 聞きたくなどない…桂のそんな言葉。桂は永遠に健志のことを優先し続けるのだろうか?俺の気持ちなど分からず
に…。

 何度も打ちのめされた…桂が自分の気持ちを分かってくれないことに…。桂が終わりばかりを考えている事に・・・。

 桂との距離が一向に縮まらない事に亮は呆然としながら、黙って目の前で無理に笑顔を作ろうとしている桂を見つめた。

 どうしてこんな風に傷つけあわなければいけないんだろう…俺たちは。
自分の冒した罪だと分かっていても亮はどうにもならないやるせなさに体の中心が凍り付いていくのを感じていた。

 何も言わない亮に、桂は戸惑ったように亮を見つめていた。二人には当然のオプションとなってしまった沈黙の中で桂がフッと柔らかく一呼吸置いた。
次の瞬間、桂の表情から今までの孤独な色が陰を潜めて、何かを悟ったような穏やかな色が浮かんでいるのに気づいて亮はぎくっとした。

 桂は緊張しているのかゴクッと喉を鳴らすと、神経質に唇を舌先で無意識に湿らす。ちらりと覗いた桂の桃色の舌先に亮は視線が釘付けになってしまう。

「山本、お願いがあるんだ…」

 にこっと桂はその日初めての笑顔を見せた。見るたびに亮が惹きつけられてしまう、無垢な優しい笑顔…。

「…なんだ…」

 お願いなど聞きたくない…聞いて…もし望まない願いが…桂の口から零れたら…。

 返事が怯えで掠れてしまう。

「契約を終りにする時は、すぐに言ってくれよ。俺に絶対気をつかったりしないで欲しいんだ…」

 亮の願いを無視する桂の冷えた言葉…。

 なぜ無理に笑ったりするんだろう…。どうして…お前はそんな風に俺から離れる事ばかり考えるんだ…?

 亮は桂の言葉に返す事も出来ずに黙って桂を見つめた。胸の中がスッと凍り付いてしまい、舌の根が強張っていく。桂は優しい微笑を浮かべたまま言葉を継いだ。

「中途半端は嫌なんだ。だから言ってくれよな。山本は健志さんの事だけを考えれば良いんだ…」

 どうして健志を優先するんだ…。

 どうしてお前の気持ちや俺の気持ちを優先してくれないんだ?

 どうして俺はお前に気を使っちゃいけないんだ?愛していれば…大事だし、気にだってするだろう…?

 俺達は愛し合っているんだろ?
どうしてここに存在しない健志を気にして…ここにいる俺達の気持ちを無視するんだ…?

 俺が今…ここで愛している…って言えば…お前は分かってくれるのか…?

 どうして?どうして?どうして?どうして?
何もかもが「どうして?」という後悔で埋め尽くされた俺達の関係…。

「分かった…」

 返す声が硬くなってしまうのを止める事なんて出来やしない。それでも亮の答えに桂が、ん…ありがとう。と微笑んだ。

「ありがとう」

 なぜかホッと安心したように礼を言う桂の表情に不安を覚えて亮は桂を抱き寄せた。
強引に引き寄せられたせいでバランスを崩してもがく桂の体をしっかりと抱きしめる。

 桂の温もりを感じないと桂の存在を確かめられない事実に愕然としながら亮は桂の体を抱えたままソファに腰掛けた。

 桂の体を膝の上に横抱きにすると、じっと桂の顔を覗き込んだ。桂の瞳に自分の姿が映っているのを確認した途端、亮は体が凍りつくような恐怖と桂が欲しくて血液がさざめくような熱とに体中が侵されていく。

 あと、もう少しだけ時間が欲しくて…。

 桂が自分から絶対に離れないという確かな約束が欲しくて…。

 藁にも縋るような思いで亮は桂の高ぶる気持ちを耐えるような瞳を覗き込んだ。

「お前も…約束忘れるなよ」

 桂の拒絶が怖くて声が上擦って掠れてしまう。

「…約束って?」

 亮の言葉の意味が分からなくて、その瞬間だけ桂があどけないきょとんとした表情で亮を見返した。
桂があの夜の約束を覚えていないのかと、亮は少しの失望をやっと押し殺すと桂の体に優しく手のひらを這わせた。

「桂の時間を俺にくれるって言う約束…。俺…健志が帰ったら、桂に話しがあるから…。それも覚えていろよ」
「…話しって…今じゃダメなのか…?」

 亮の言葉に桂が顔を上げて不安そうに訊ねた。
桂の不安が分かってしまう…言えるものなら言ってしまいたい…桂の不安を取り除いてやりたい…。

 ジレンマに駆られながら亮はもう一度、不安に揺らめく桂の瞳を見つめながら、優しく喉元や頬に指先を滑らせた。感じて桂が身体を震わせるのを、もう一度強く抱きしめながら低い声で告げた。

「今はダメなんだ…。桂…忘れるなよ。お前は俺と冬の休暇を過ごすんだからな…」

 今の亮にとって、その約束だけが全てだった。訳も分からず混乱したような表情で、桂が「分かった。」と言うのを聞いて、やっと亮はその夜眠れるような気がしていた。
 
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