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6ページ目 真剣なお付き合い

後編

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 ベッドの中の睦言は甘い。
身体が先で、気持ちが後から始まった恋愛に、二人は無意識にお互いを知ろうと貪欲になる。
 
 行為の後、抱きしめられて、彼の熱い体温にうとうとしながら、圭介は近藤の問わず語りに耳を傾けていた。
 
 ポツポツと子供のころの思い出話や、楽しかった学生時代、イギリスでの留学生活、そんな圭介の知らない近藤の姿が見えてくる。
 
「銀行は・・・」
 
 言いかけて、近藤は急に口を噤んだ。それまでの機嫌の良さが急に影を潜めて、甘い空気の中に、シンとした闇が割り込んでくる。
 
 心地よいまどろみと近藤の温もりの中で漂っていた圭介は、近藤の不自然な間に、顔を上げると半身を起こした。
 
 何かを思い出すような、近藤の瞳は虚空を見つめている。
 
『銀行で出世コースになることなら、何でもしていた・・・同僚や部下、上司を陥れるような、汚いことでも、な』
 
 いつかの近藤の言葉。
そう言って、自嘲に塗れた弱々しい笑みを見せた彼。
 
『銀行独特の人間関係に派閥、奸計に謀略、打算に駆け引き。結婚すらも出世のための手段になる』
 
 言って、苦々しい表情をした笹倉。
 
 そんな時代を思い出しているのだろうか。
 
 日本最大手の財閥系都市銀行・・・そこで働いていた彼。

 早くから、有望視され、海外での研修留学までした話は聞いている。だが、近藤は銀行時代の話をしたことは、一切無かった。
 
 苦しいことばかりだったのだろうか・・・

 眠れない夜が続いたのだろうか・・・

 人を信じることができなかったのだろうか・・・

 笑うことすら、駆け引きの手段だったのだろうか・・・
 
 当時の苦しみを思い出しているかのような苦汁に満ちた彼の表情に、圭介の胸がズキンと痛んだ。
 
 何も知らなくてもいい・・・彼が言いたくないのなら。
 
 圭介は、起き上がると、近藤の頬に両手を添えた。近藤がビックリしたように眼を見開く。
 
 ちゅっと、初めて自分からその頬にキスをして、もう一度近藤の顔を覗き込むと、いつもの冷静な面差しが消えて、ビックリしたまま赤らんだ彼の奇妙な表情があった。
 
 クスリと圭介は笑うと、そのまま、近藤の身体に抱きついて、彼の耳元に顔を埋める。
 
「俺は・・・貴方が好きです・・・」
 
 その言葉に、僅かに近藤が身動ぎした。そして、彼の両手が、近藤に抱きついている圭介の腰に絡んでくる。
彼の腕に、当たり前のようにギュッと力が篭る。
 
「圭介・・・」
 
 ため息のような彼の囁きに切なさが滲んでいるように感じるのは、気のせいだろうか。
 
「貴方が好きです・・・ただ・・・貴方が好きなんです・・・」
 
 近藤の子供時代も、学生時代も、留学時代も・・・そして銀行時代も関係ない。

 今、自分の前にいる彼の全てが好きで・・・愛しいと思うのはいけないのだろうか・・・。
 
 経験も肩書きも名誉も地位も、人を好きになるってことの前では、なにも意味をなさないのだから。

 近藤はもう一度、圭介、と名前を呼んだ。

 はい、と顔を彼の首筋に埋めたまま答えると、自分の耳を甘く噛む近藤の唇の感触を感じる。

 ゾクリと身体の奥で燻る官能を刺激され、背を振るわせた瞬間、思いがけない近藤の言葉が耳に吹き込まれた。
 
「・・・お前は強いな・・・」
 
 そのまま、抱き込まれた腕がいっそうきつく力が篭るのを感じて、圭介も近藤を抱きしめ返して、お互いの心音を感じながら、二人はずっと抱きしめあっていた。
 


 
◇◇◇◇◇


 
 休日、その日は近藤も久しぶりに出勤の必要が無いらしく、圭介をベッドに追いやると、朝から掃除や洗濯を楽しんでいた。
 
 最近になって気付いたのだが、家事全般は近藤の趣味らしかった。

 音楽や読書、テレビ、新聞、それらには楽しそうな表情を見せない近藤が、料理や掃除、洗濯機を回しているときは、何となく楽しそうに見えるのだ。
 
 それを言ったら、近藤は、ちょっと憮然とした表情を見せた。
 
 まずいこと言っちゃったかな、と思ったが、近藤がさして怒りを見せなかったので、圭介はベッドでごろごろしながら、掃除機を片手に持った近藤を観察し続ける。
 
 近藤は、言葉を選んでいたのだろう、しばらくしてポツッと言った。
 
「気晴らしになるからな」
 
 その答えにプッと噴きだす。
 
「気晴らしですか?」
 
 変な答えもあるものだと、圭介は笑った。自分からしてみれば、家事なんて面倒なもの以外、何者でもない。

 尚も、クスクス笑い続ける圭介にむっとしたのか、近藤は掃除機を置くと、ベッドの傍らに立って、圭介を見下ろした。

 憮然とした表情のまま、コツンと頭のてっぺんを叩かれると、そのままつむじの辺りに優しいキスが降ってきた。
 
 屈み込んできた近藤の腕が、身体にスルリと巻きついてくる。近藤はベッドに方膝を付くと、そのまま圭介のつむじに自分の顎を乗せた。
 
「家事をしてると、気晴らしになったんだ・・・俺は、結構、趣味が無いつまらない男でな」
「意外ですね・・・」
 
 尚もクスクスと笑う圭介に構わず近藤は言葉を継いだ。
 
「家に居ると気詰まりで・・・何をしたらいいのか分からなかった・・・」
「・・・・・・え・・・・・・・・?」
 
 咄嗟に奥様は?という問いが出そうになった。

 彼は、結婚して5年、少なくとも、楽しい日々があったはずだ・・・それが気詰まりだなんて。
 
 彼の家庭生活がかいま見えてきて、圭介は口を挟むことが出来ず黙り込んだ。
 
「鬱々とするのが嫌で・・・料理や洗濯をすると、不思議に落ち着いたんだ・・・」
 
 コホンと近藤が咳き込むのが聞こえてきて、無意識に圭介は彼の背中を擦ってやる。
 
「日曜日は朝から、床にワックスかけて、洗濯機が回っているのを眺めて、アイロンかけて、誰も喰わないのに、大量にシチューを作って・・・、作りすぎた料理をタッパーに詰めると、笹倉や社長や小出を呼びつけて、持って帰らせてな・・・」
 
 馬鹿みたいだな、つまらん男だろ、そう言って、皮肉るように自嘲めいた笑いを零す近藤に、急に切なさが込み上げてきた。
 
 どんな結婚生活を送っていたのかはわからない。
妻との関係がどんなだったのかも、彼が何に苦しんでいたのかも。
 
 でも、近藤が必死に癒しを求めているような気がしていて、近藤の苦しさを少しでも和らげてあげたいと思う自分がいる。
 
「・・・すまない・・・」
 
 近藤が苦しそうにポツリと言った。
 
「え?」
 
 謝罪の言葉に圭介は当惑した。
近藤は、抱きしめていた腕の力を緩めると顔を上げて、圭介を真っ直ぐに見つめた。

 その表情はなぜか痛みを堪えるような辛さに満ちている。
 
「お前に惚れているんだ・・・」
 
 言って、圭介の胸に顔を埋めて、縋りつくように抱きついてくる。
 
何度も告げられた真摯な言葉、苦しさを含んだ表情でまた言われて、胸にふわりと温かいものが満ちてくる。
 
 自分の身体を抱きしめる腕が震えているのは気のせいだろうか。

 普段の尊大で不遜で、大人な上司の態度は影を潜め、幼子のような頼りなさを感じる。
 
 惚れている・・・好きでも、愛しているでもない。

 それしか言わない彼の言葉が胸にストレートに響いてくる。
たぶん、それは今の近藤が自分に言える、精一杯の気持ちなのだろう。
 
 誰かと真剣に付き合うって、こんなことだったんだ。

 自分の中に初めて生まれた感情は戸惑いも迷いもなく、圭介の胸にすとんと落ちてきた。
 
 こんな風に、弱さも苦しさもさらけ出して、それを慈しんで、丸ごと受け止めて、慈しまれて受け止められて。
 
 近藤の持つ傷と真摯に向き合い、そして癒してあげたいと思うのは傲慢だろうか。

 圭介は近藤を抱きしめたまま、不思議な幸福感に酔いしれていた。
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