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17 気付きたくないのに
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夫人が楽しげにレース編みをしているのを、サブリナは感心しながら見守っていた。夫人に合わせて形ばかりの刺繍をしているが、苦手なので一向に進まない。
「ブリーが刺繍やレース編みが苦手なんて不思議ね。なんでも器用にこなすのに」
夫人がニコニコしながら言うのを、ナターシャやシャルが吹き出しながら聞いているから、バツが悪くなってサブリナは刺繍道具を傍らに置いた。
「繕い物は得意なんですが・・・」
一応、末端とは言え男爵家の令嬢だが、貴族らしい生活が皆無な家柄ゆえ、この手のことは苦手だ。
貴族令嬢らしからぬ「繕い物」という平民ワードを夫人は面白そうに聞くと「私《わたくし》が教えてあげるわ」と朗らかに言いながら、レース編みの手をすすめた。
最近の夫人は調子が良い午後、こうしてレース編みをしている。熱心にレース編みをする理由・・・目標が夫人にはある。
ウィテカー公爵家はオーランドの下に2歳下の妹がいた。
この妹—ナディアは、一昨年の16歳の時に、この国の第一王子へと嫁いでいる。王太子妃だ。
数多の候補者達を抑え、ウィテカー公爵家にこれ以上の勢力を付けさせたくない輩や、いとこ同士という関係に反対する貴族達を押さえて王太子は、幼馴染だったナディアを選んだ。
豪華絢爛な華燭の典に際しては、多くの貴族令嬢達がロマンティックな二人の馴れ初めに夢中になったものだ。
その王太子妃ナディアは昨年、第一子にめでたく王子を出産し、現在早くも第二子を懐妊している。
母親に大切に愛情たっぷりに育てられたナディアは、母親の病を深く嘆き悲しんでいたが、今の復調ぶりを父の宰相から聞いて、ぜひ会いたいと王宮に招待したのだ。
この屋敷から王宮までは馬車で20分足らず。歩いた方が早いほどの近さだが、夫人の外出は一年ぶり近い。
夫人は最初、迷惑をかけるかもしれないから、と遠慮したが、王太子妃ともなれば、なかなか会うことは難しい。しかも出産した第一子の王子・・・夫人にとっても初孫だが、まだ会ったことがない。
だからサブリナは王宮へ行きましょう、と夫人を励ました。
サブリナの言葉に、夫人も会えるのはこれが最後かもしれない、と思ったのかもしれない。逡巡ののち行くことを決めてくれた。
そして娘と孫へプレゼントするために、靴下や敷物、付け襟やおくるみなどをせっせとレースで編んでいる。
ここ数日の夫人の頑張りには眼を見張るものがある。どれほど楽しみにしているのか。
王宮へ行くまで、あと5日あまり。夫人の体調を崩さないよう、サブリナは絶対に実現させようと、気を張りながら万全の看護体制で夫人を見守っていた。
当日、サブリナの緊張は限界まで高まった。それはそうだ、と自分でも納得の緊張っぷり。
非公式とは言えこの国の王太子と王太子妃殿下に末端貴族の自分が拝謁するのだから。
普段は質素な足首まであるグレーのワンピースに白いエプロンというラファエル・ナーシング・ホームの看護服姿だが、さすがに今日は唯一持ってきたドレスを着た。
数年ぶりのコルセットに吐かなかった自分を褒めたい。そして、何年も経っているのにコルセットの締め方を覚えていたシャルを褒めた。
夫人は久しぶりに愛娘とその夫、そして初孫に会える喜びから元気だ。夫人から「お優しい方たちだから、大丈夫よ」と言われても、こればっかりはどうにもならない。
さすがにシャルは留守番、ローリングと一緒に夫人に付き添った。
お会いしたナディア妃殿下は夫人譲りのプラチナブロンドが美しい、それはそれは愛らしい面差しの女性だ。
18歳と言う年齢と王太子の寵愛を一心に受け、子を成した大人の女性と言う、なんとも言えない色香を纏っていて、サブリナは思わず見惚れてしまう。
浮かべる微笑みや、話す仕草に生まれながらの気品というか上品さを垣間見て驚いたのだ。
これが筆頭公爵家のご令嬢で、王太子妃に選ばれる品格なのかと、あまりにも自分とはかけ離れた神々しさに、息を飲んだのは仕方がない。
こんな女性達に囲まれていれば、嫡男を怒鳴りつけた自分は、オーランドにはさぞかし野蛮な女に見えたことだろう、とサブリナはふと思い出し、苦いものを感じた。でも仕方がない。自分は看護人であって、令嬢ではない。
何度も思ったそれを、また拠り所のように思い、サブリナはこっそりとため息を吐いた。
目の前では、夫人と妃殿下は再会を喜び合い、涙を流しながらお互いの近況を伝え合う。そうこうしているうちに、王太子がウィテカー宰相と一緒にやって来た。
サブリナはウィテカー宰相から王太子に軽く紹介をされて挨拶をすると、王太子は「モントクレイユ男爵の、あのご令嬢か」と言い、上から下までじろじろと見られたので、肝が冷えてしまった。
王太子の「あのご令嬢」にどんな意味があるのか・・・考えたくない。
サブリナは貴族としての礼をすると、その場をローリングと辞した。この後、夫人は愛娘達との団欒だ。自分たちは与えられた別部屋で待機する。
王宮の瀟洒な部屋で待つ間、女官達に茶を出されローリングと色々話をした。夫人の体調や今後の治療や投薬の確認に始まり、最近の医術事情など、ローリングの話しはいつも勉強になるから楽しい。
呼び出しがないことは良い事なので、サブリナは緊張感も解けて、ローリングとの話に夢中になっていた。扉が開く瞬間までは。
ノックの音とともに女官に案内されて入ってきた人間に、サブリナの鼓動は不自然に跳ねてしまった。
オーランドがいつも通りの憮然とした顔で居たからだ。
「これはこれは、オーランド様。もう妃殿下達とはお会いになられましたか?」
ローリングが気安く話しかけると、ああと答えると、びっくりするような申し出を続けた。
「先生、彼女を・・・モントクレイユ男爵令嬢をお借りしてもよろしいですか?」
「?!」
俯きオーランドを見ないようにしていたサブリナは驚いて思わず顔を上げた。真っ直ぐに自分を鋭く見つめる彼の視線にぶち当たる。
ローリングは、ほほっと笑うと「どうぞ、どうぞ」と答えてサブリナは慌てた。
「・・・っ!先生っ!!・・・私はここからは離れられ・・・」
看護人として待機しているから離れることは許されない、そう答えようとしたところで、オーランドの言葉が被さった。
「母上は問題なく過ごされている。まだ滞在が長引くから王太子殿下と妃殿下が、君に庭園を案内してやれ、とのご命令だ」
また庭園っ?!もうそんな気遣いいらないのにっ!
どうやったら断れるのか、考えを巡らす前にローリングが呑気に答えてしまう。
「それは素晴らしい。王宮の庭園は見頃ですからな、ぜひ見せていただくとよろしいですよ」
本人の意思とは関係なく、サブリナはもうオーランドに腕を取られると部屋から連れ出されていた。
無言のまま腕を引かれ、結構な速さで王宮内を引っ張られて行く。近衛騎士団員だから、城の中の地理にも明るいのだろう。進む足の淀みのなさに、着いていくので精一杯。
オーランドは有名人に違いない。すれ違う人間達から好奇の視線を浴びて、サブリナは居た堪れない思いだ。
これが何かしらの噂になったらと思うと、怖くて仕方がなかった。ただでさえ、貴族社会は噂の宝庫だ。面白おかしく、時に悪意を持って話を盛りに盛ってまことしやかに拡がっていく。
自分はいまさら何を言われても良いが、公爵家の嫡男、将来ある若い青年に悪い評判が付いたらと思うと困るのだ。
しかし彼はサブリナの考えなどお構いなしにずんずん歩く。
外に連れられ、あれっ?ここは庭園じゃないの?と思う、いかにも豪華な庭園を抜け、一つの建物に辿り着いた。ガラス張りの綺麗な佇まいをしている。
オーランドは制服の内ポケットから鍵を出すと、少し覚束ない手つきで解錠した。
そして振り向くと「こちらへ」とサブリナの手を引っ張る。
また「こちらへ」と言われて、サブリナは足を踏ん張った。先日のこともある。二人っきりにはなりたくない。
「こちらへ、と言われましても、どこかも分からない場所に公爵卿と入るのは、よろしくないかと存じます」
断固たる拒絶の意思を、目力と表情筋に込めてそう言うと、彼は眼を一度瞑り俯いた。
下がった頭のつむじを見ながら、サブリナは手を離してもらおうと後ずさったが、顔を上げた彼に逆に引っ張られてしまう。
「先日の・・・ことは・・・驚かせたことは・・・謝る」
回りくどい言い方に、サブリナは「は?」と惚けた返事をしてしまった。
どう言うことなのか?
無理やり口付けられて、胸を触られたこと・・・その行為自体を謝っていると言うよりは、それをした事で驚かせたことを謝罪している。同じような事だけど、厳密には違うのではないか。
そこまで考えてサブリナは、何を言えば良いのか分からなくなってしまった。
黙りこくってしまったサブリナに、困ったような顔をするが、彼は続けた。
「今、俺が何を言っても君には伝わらないと思う・・・だが・・・君を揶揄うつもりは無い・・・それだけは本当だ。信じて欲しい」
黒曜石のような綺麗な瞳に、真っ直ぐに見つめられる。いつも憮然とした顔か仏頂面なのに、今は真摯な色を滲ませていて、サブリナの胸はざわめいた。
腑に落ちないが、謝罪は謝罪だ。末端貴族の使用人に彼がわざわざ謝る必要もない。そこには彼の誠実さが感じられる。
彼の自分に対する感情は分からないし、分かりたくもないが、それでも今の謝罪には自分も真摯に対応すべきなのだろう。
サブリナはホッと息を吐くと「気にしていませんから、公爵卿もお忘れください。丁寧なお詫び、いたみいります」
そう答えると、オーランドは少しムッとしたような顔をしたが、何も言わず掴んだままのサブリナの腕を引いた。もう踏ん張ることも諦めて、おとなしく付いていく。
入ってすぐに、サブリナは眼を見張った。
懐かしい香りに、生い茂る木々に草花達。
「・・・ここはっ!?」
オーランドの握る力が緩み、腕を離されるとサブリナは目の前の草花に夢中になった。
一つ一つ丁寧に見ていく。
そこにはモントクレイユ領で父が大切に育てた薬草類や、見たことのない品種の植物達が整然と植えられている。
ドレスの裾が汚れるのも気にせず、地面にしゃがみ込み植えられている草花に触れては匂いを嗅ぐ。
ひとしきり堪能した後、サブリナは黙って様子を見ていた彼を振り仰いだ。
「・・・もしかして、ここは宮廷薬用植物園ですか?」
サブリナの問いにオーランドは「そうだ」と頷いた。
モントクレイユ男爵家では毎年、薬草の株を王家に献上している。それらは王宮内の植物園で育てられていると聞いていた。
薬用植物園はその性質上、厳重に管理されており立ち入れるのは王族と宮廷医術師と薬師だけだったはず。
それなのに・・・。
「・・・どうして・・・」
関係のない自分が入ることが出来たのか。サブリナの驚いた顔を、オーランドは瞳を眇めると、重い口を開いた。
「君が・・・見れば喜ぶだろう・・・と」
「・・・・・・わざわざ許可を取ってくださったのですか?」
わたしのために?とは聞かなかった。なぜなら、彼はふいっと視線を斜め下に逸らし、だが頷いたからだ。みるみる耳や首元が赤くなっていく。
「ナディア・・・王太子妃殿下に頼んで王太子殿下から許可を貰った。だから、ゆっくり見ると良い」
ボソボソと言われた言葉に胸が熱くなる。
どうしよう、こんなに嬉しいなんて。私の喜ぶことを考えてくださるなんて・・・。
なんどもなんども、勘違いしない、ダメだと言い聞かせてきたのに・・・。
こんな事をされてしまうと、勘違いしたくなってしまう・・・でも・・・。
サブリナは胸に込み上げる感情の嵐を抑え込み、顔を上げるとオーランドを真っ直ぐに見つめた。
せめて、この瞬間だけは彼の気持ちに素直に向き合いたい。
サブリナは初めて心から微笑むと「ありがとうございます。とても嬉しいです」とオーランドへ言った。
伝えたい思い、育ててはいけない思い、その全てをこの感謝の言葉に乗せて。
彼が自分の顔を見て、口元を押さえながら耳を赤くする。
その顔を見て、サブリナは気づいてしまった。もう自分の中では誤魔化せなくなってしまったその感情に。
——彼を・・・オーランドに惹かれてしまっている気持ちを——
「ブリーが刺繍やレース編みが苦手なんて不思議ね。なんでも器用にこなすのに」
夫人がニコニコしながら言うのを、ナターシャやシャルが吹き出しながら聞いているから、バツが悪くなってサブリナは刺繍道具を傍らに置いた。
「繕い物は得意なんですが・・・」
一応、末端とは言え男爵家の令嬢だが、貴族らしい生活が皆無な家柄ゆえ、この手のことは苦手だ。
貴族令嬢らしからぬ「繕い物」という平民ワードを夫人は面白そうに聞くと「私《わたくし》が教えてあげるわ」と朗らかに言いながら、レース編みの手をすすめた。
最近の夫人は調子が良い午後、こうしてレース編みをしている。熱心にレース編みをする理由・・・目標が夫人にはある。
ウィテカー公爵家はオーランドの下に2歳下の妹がいた。
この妹—ナディアは、一昨年の16歳の時に、この国の第一王子へと嫁いでいる。王太子妃だ。
数多の候補者達を抑え、ウィテカー公爵家にこれ以上の勢力を付けさせたくない輩や、いとこ同士という関係に反対する貴族達を押さえて王太子は、幼馴染だったナディアを選んだ。
豪華絢爛な華燭の典に際しては、多くの貴族令嬢達がロマンティックな二人の馴れ初めに夢中になったものだ。
その王太子妃ナディアは昨年、第一子にめでたく王子を出産し、現在早くも第二子を懐妊している。
母親に大切に愛情たっぷりに育てられたナディアは、母親の病を深く嘆き悲しんでいたが、今の復調ぶりを父の宰相から聞いて、ぜひ会いたいと王宮に招待したのだ。
この屋敷から王宮までは馬車で20分足らず。歩いた方が早いほどの近さだが、夫人の外出は一年ぶり近い。
夫人は最初、迷惑をかけるかもしれないから、と遠慮したが、王太子妃ともなれば、なかなか会うことは難しい。しかも出産した第一子の王子・・・夫人にとっても初孫だが、まだ会ったことがない。
だからサブリナは王宮へ行きましょう、と夫人を励ました。
サブリナの言葉に、夫人も会えるのはこれが最後かもしれない、と思ったのかもしれない。逡巡ののち行くことを決めてくれた。
そして娘と孫へプレゼントするために、靴下や敷物、付け襟やおくるみなどをせっせとレースで編んでいる。
ここ数日の夫人の頑張りには眼を見張るものがある。どれほど楽しみにしているのか。
王宮へ行くまで、あと5日あまり。夫人の体調を崩さないよう、サブリナは絶対に実現させようと、気を張りながら万全の看護体制で夫人を見守っていた。
当日、サブリナの緊張は限界まで高まった。それはそうだ、と自分でも納得の緊張っぷり。
非公式とは言えこの国の王太子と王太子妃殿下に末端貴族の自分が拝謁するのだから。
普段は質素な足首まであるグレーのワンピースに白いエプロンというラファエル・ナーシング・ホームの看護服姿だが、さすがに今日は唯一持ってきたドレスを着た。
数年ぶりのコルセットに吐かなかった自分を褒めたい。そして、何年も経っているのにコルセットの締め方を覚えていたシャルを褒めた。
夫人は久しぶりに愛娘とその夫、そして初孫に会える喜びから元気だ。夫人から「お優しい方たちだから、大丈夫よ」と言われても、こればっかりはどうにもならない。
さすがにシャルは留守番、ローリングと一緒に夫人に付き添った。
お会いしたナディア妃殿下は夫人譲りのプラチナブロンドが美しい、それはそれは愛らしい面差しの女性だ。
18歳と言う年齢と王太子の寵愛を一心に受け、子を成した大人の女性と言う、なんとも言えない色香を纏っていて、サブリナは思わず見惚れてしまう。
浮かべる微笑みや、話す仕草に生まれながらの気品というか上品さを垣間見て驚いたのだ。
これが筆頭公爵家のご令嬢で、王太子妃に選ばれる品格なのかと、あまりにも自分とはかけ離れた神々しさに、息を飲んだのは仕方がない。
こんな女性達に囲まれていれば、嫡男を怒鳴りつけた自分は、オーランドにはさぞかし野蛮な女に見えたことだろう、とサブリナはふと思い出し、苦いものを感じた。でも仕方がない。自分は看護人であって、令嬢ではない。
何度も思ったそれを、また拠り所のように思い、サブリナはこっそりとため息を吐いた。
目の前では、夫人と妃殿下は再会を喜び合い、涙を流しながらお互いの近況を伝え合う。そうこうしているうちに、王太子がウィテカー宰相と一緒にやって来た。
サブリナはウィテカー宰相から王太子に軽く紹介をされて挨拶をすると、王太子は「モントクレイユ男爵の、あのご令嬢か」と言い、上から下までじろじろと見られたので、肝が冷えてしまった。
王太子の「あのご令嬢」にどんな意味があるのか・・・考えたくない。
サブリナは貴族としての礼をすると、その場をローリングと辞した。この後、夫人は愛娘達との団欒だ。自分たちは与えられた別部屋で待機する。
王宮の瀟洒な部屋で待つ間、女官達に茶を出されローリングと色々話をした。夫人の体調や今後の治療や投薬の確認に始まり、最近の医術事情など、ローリングの話しはいつも勉強になるから楽しい。
呼び出しがないことは良い事なので、サブリナは緊張感も解けて、ローリングとの話に夢中になっていた。扉が開く瞬間までは。
ノックの音とともに女官に案内されて入ってきた人間に、サブリナの鼓動は不自然に跳ねてしまった。
オーランドがいつも通りの憮然とした顔で居たからだ。
「これはこれは、オーランド様。もう妃殿下達とはお会いになられましたか?」
ローリングが気安く話しかけると、ああと答えると、びっくりするような申し出を続けた。
「先生、彼女を・・・モントクレイユ男爵令嬢をお借りしてもよろしいですか?」
「?!」
俯きオーランドを見ないようにしていたサブリナは驚いて思わず顔を上げた。真っ直ぐに自分を鋭く見つめる彼の視線にぶち当たる。
ローリングは、ほほっと笑うと「どうぞ、どうぞ」と答えてサブリナは慌てた。
「・・・っ!先生っ!!・・・私はここからは離れられ・・・」
看護人として待機しているから離れることは許されない、そう答えようとしたところで、オーランドの言葉が被さった。
「母上は問題なく過ごされている。まだ滞在が長引くから王太子殿下と妃殿下が、君に庭園を案内してやれ、とのご命令だ」
また庭園っ?!もうそんな気遣いいらないのにっ!
どうやったら断れるのか、考えを巡らす前にローリングが呑気に答えてしまう。
「それは素晴らしい。王宮の庭園は見頃ですからな、ぜひ見せていただくとよろしいですよ」
本人の意思とは関係なく、サブリナはもうオーランドに腕を取られると部屋から連れ出されていた。
無言のまま腕を引かれ、結構な速さで王宮内を引っ張られて行く。近衛騎士団員だから、城の中の地理にも明るいのだろう。進む足の淀みのなさに、着いていくので精一杯。
オーランドは有名人に違いない。すれ違う人間達から好奇の視線を浴びて、サブリナは居た堪れない思いだ。
これが何かしらの噂になったらと思うと、怖くて仕方がなかった。ただでさえ、貴族社会は噂の宝庫だ。面白おかしく、時に悪意を持って話を盛りに盛ってまことしやかに拡がっていく。
自分はいまさら何を言われても良いが、公爵家の嫡男、将来ある若い青年に悪い評判が付いたらと思うと困るのだ。
しかし彼はサブリナの考えなどお構いなしにずんずん歩く。
外に連れられ、あれっ?ここは庭園じゃないの?と思う、いかにも豪華な庭園を抜け、一つの建物に辿り着いた。ガラス張りの綺麗な佇まいをしている。
オーランドは制服の内ポケットから鍵を出すと、少し覚束ない手つきで解錠した。
そして振り向くと「こちらへ」とサブリナの手を引っ張る。
また「こちらへ」と言われて、サブリナは足を踏ん張った。先日のこともある。二人っきりにはなりたくない。
「こちらへ、と言われましても、どこかも分からない場所に公爵卿と入るのは、よろしくないかと存じます」
断固たる拒絶の意思を、目力と表情筋に込めてそう言うと、彼は眼を一度瞑り俯いた。
下がった頭のつむじを見ながら、サブリナは手を離してもらおうと後ずさったが、顔を上げた彼に逆に引っ張られてしまう。
「先日の・・・ことは・・・驚かせたことは・・・謝る」
回りくどい言い方に、サブリナは「は?」と惚けた返事をしてしまった。
どう言うことなのか?
無理やり口付けられて、胸を触られたこと・・・その行為自体を謝っていると言うよりは、それをした事で驚かせたことを謝罪している。同じような事だけど、厳密には違うのではないか。
そこまで考えてサブリナは、何を言えば良いのか分からなくなってしまった。
黙りこくってしまったサブリナに、困ったような顔をするが、彼は続けた。
「今、俺が何を言っても君には伝わらないと思う・・・だが・・・君を揶揄うつもりは無い・・・それだけは本当だ。信じて欲しい」
黒曜石のような綺麗な瞳に、真っ直ぐに見つめられる。いつも憮然とした顔か仏頂面なのに、今は真摯な色を滲ませていて、サブリナの胸はざわめいた。
腑に落ちないが、謝罪は謝罪だ。末端貴族の使用人に彼がわざわざ謝る必要もない。そこには彼の誠実さが感じられる。
彼の自分に対する感情は分からないし、分かりたくもないが、それでも今の謝罪には自分も真摯に対応すべきなのだろう。
サブリナはホッと息を吐くと「気にしていませんから、公爵卿もお忘れください。丁寧なお詫び、いたみいります」
そう答えると、オーランドは少しムッとしたような顔をしたが、何も言わず掴んだままのサブリナの腕を引いた。もう踏ん張ることも諦めて、おとなしく付いていく。
入ってすぐに、サブリナは眼を見張った。
懐かしい香りに、生い茂る木々に草花達。
「・・・ここはっ!?」
オーランドの握る力が緩み、腕を離されるとサブリナは目の前の草花に夢中になった。
一つ一つ丁寧に見ていく。
そこにはモントクレイユ領で父が大切に育てた薬草類や、見たことのない品種の植物達が整然と植えられている。
ドレスの裾が汚れるのも気にせず、地面にしゃがみ込み植えられている草花に触れては匂いを嗅ぐ。
ひとしきり堪能した後、サブリナは黙って様子を見ていた彼を振り仰いだ。
「・・・もしかして、ここは宮廷薬用植物園ですか?」
サブリナの問いにオーランドは「そうだ」と頷いた。
モントクレイユ男爵家では毎年、薬草の株を王家に献上している。それらは王宮内の植物園で育てられていると聞いていた。
薬用植物園はその性質上、厳重に管理されており立ち入れるのは王族と宮廷医術師と薬師だけだったはず。
それなのに・・・。
「・・・どうして・・・」
関係のない自分が入ることが出来たのか。サブリナの驚いた顔を、オーランドは瞳を眇めると、重い口を開いた。
「君が・・・見れば喜ぶだろう・・・と」
「・・・・・・わざわざ許可を取ってくださったのですか?」
わたしのために?とは聞かなかった。なぜなら、彼はふいっと視線を斜め下に逸らし、だが頷いたからだ。みるみる耳や首元が赤くなっていく。
「ナディア・・・王太子妃殿下に頼んで王太子殿下から許可を貰った。だから、ゆっくり見ると良い」
ボソボソと言われた言葉に胸が熱くなる。
どうしよう、こんなに嬉しいなんて。私の喜ぶことを考えてくださるなんて・・・。
なんどもなんども、勘違いしない、ダメだと言い聞かせてきたのに・・・。
こんな事をされてしまうと、勘違いしたくなってしまう・・・でも・・・。
サブリナは胸に込み上げる感情の嵐を抑え込み、顔を上げるとオーランドを真っ直ぐに見つめた。
せめて、この瞬間だけは彼の気持ちに素直に向き合いたい。
サブリナは初めて心から微笑むと「ありがとうございます。とても嬉しいです」とオーランドへ言った。
伝えたい思い、育ててはいけない思い、その全てをこの感謝の言葉に乗せて。
彼が自分の顔を見て、口元を押さえながら耳を赤くする。
その顔を見て、サブリナは気づいてしまった。もう自分の中では誤魔化せなくなってしまったその感情に。
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