地獄

四ノ瀬 了

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胡蝶と毒蛾

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 善太郎さんの”殺人遊戯”の昔話を子守歌に私は眠りに落ちました。

 善太郎さんは、私が眠っているのかもしくは無茶をヤリすぎて気絶したのかと思ったのか、普段より優しい声色で、自身の手を穢さぬ殺人について語るのでした。それは懺悔なのだろうか、いいえ、善太郎さんに限ってそのようなことはないでしょう。きっとご自慢なさっているのでしょう。私はもったいないことに途中で意識を落としてしまいましたから、どこまでが善太郎さんの口から出た言葉でどこまでが夢なのか判然としないところがございました。
 
 翌朝、善太郎さんより早く目覚めた時、じわりじわりと彼の物語を思い出しながら体を起こします。善太郎さんは、私の方に背中を向けまだで言っているようでした。私はそっとベッドを抜け出して、善太郎さんの方へ回り込み、こしかけて、その寝顔を見おろしてやりました。善太郎さんの目の縁に思いがけない物を見つけて、驚きました。それは、微かにカーテンの隙間から差し込む光に照らされて、一粒光っておりました。

 善太郎さんのご級友の沖という方について、何と意地の悪い人だろうと思ったものです。善太郎さんも意地が悪いことにかけてはそんじょそこらのお人に負けませんが、それに勝る、意地の悪さです。10年以上経って善太郎さんの心の中に呪いのように居座って、彼を呪縛しているのですから。私は善太郎さんのどこまで真実かわからない話を聞いて思いました。

 沖という方は、善太郎さんを一番恨んでいたに違いないのです。だから、遺書に敢えて名前を上げないで、善太郎さんを一切許さないという意思を、善太郎さんと彼との間に断ち切れぬ鎖のように結び付けたに違いありません。そして、恨んでいたということは、それほどまでに強い情念が沖の中にあったに違いありません。善太郎さんは、沖を苛め殺した話をしましたが、その始まりの部分は、話してくださりませんでした。

 善太郎さんの話は突如として、昔クラスメイトに売春をさせていたところから始まったのです。善太郎さんは微笑みながら、沖の持ってきたよれた千円札の束をずっと使わずに今も持っていると、おっしゃいました。なに、私は目を閉じていたはずなのだから、善太郎さんの顔が見えたはずがないって?馬鹿をおっしゃる。私は善太郎さんの声色から口元の形位、簡単に想像できますよ。善太郎さんの微笑み方には特徴があります。私とお話しして笑う時、歪な笑い方をします。他の方とお話しする時は、端正な微笑みを作っています。その夜はそのどちらでもない恍惚とした例えるのも野暮ですが弥勒のような不思議な笑み方をしていました。

 もしそれが、偽りの想像でも、構わないのです。私の中では、善太郎さんは微笑みながら優雅に話を続けています。人間は想像の生き物です。想像の世界に逃げないでは、生きていかれません。

 さて、それは、そのくしゃっくしゃの旧紙幣は、彼のバレンシアガの財布の中に、今もお守りのように畳まれて収められているのでしょうか。しかし、彼が財布を開くところは幾度も見ましたが、整然とシンプルに整えられ、そのような呪物が入り込む隙間は無いように見えます。私がいつか善太郎さんの家を訪問することがあれば、是非とも見せていただきたいものですが、その時の私が一体どのような行動をとるのか、私には想像が出来ません。不思議です。

 しかし、今の善太郎さんがこのようにして存在するには、沖の存在はきっとなくてはならないものであったと思います。だから、沖が居なければ今のように隣に座ることもきっとなかったはずです。それは私にとっては幸なことですが、善太郎さんにとってはどうなのでしょうか。時々私は、善太郎さんではなく、自分の方がよほど悪魔なのではないかと思って笑ってしまう。そうすると、善太郎さんはもちろん何を笑っていると私を、ぶちます。

 私は、善太郎さんとはある一定の距離以上お近づきになりたくありません。婚約者の女性にもご迷惑でしょうからね。しかし、私は果歩さんを存じ上げております。仕事帰り私がベルトコンベヤーに運ばれ吸い込まれていく機械の部品のように改札口下向かう途中「もし、」と小さな声を耳にしました。雑踏の中ではっきりと声が聞き取れたのには、理由があります。その声の主を知っていたからです。

 善太郎さんは時々私のいる前でも、時折プレイの中でも、電話に出ることがございます。それで、善太郎さんが興に乗って居たりしますと、スピーカーオンにして会話を聞かせるのです。私と彼の間で行われる非日常の中に入り込んでくる日常の声達は、私たちの周りに愉楽の影となって踊り、享楽の縁に高めるのです。身体が震え、発汗の蜃気楼に包まれていきます。のけぞった私の卑しい身体の上から、声がするのです。

 私は振り向きました。果歩さんが立っていました。想像通りの線の細いお奇麗な方で、このような雑踏の中でひとたび誰かに肩でもぶつけられれば、壊れてしまうのではないかという印象を受けました。私達は、駅に併設された喫茶店に入りました。歩く間どちらも一言も話しませんでした。人混みの中、私たち二人だけが深海の底を歩いているような気分で、店に入りました。

 私は、アメリカン珈琲とそしてカヌレを頼みました。果歩さんは、メニューの一番上にあるブレンドを頼みました。本当はマンデリンを飲みたかったのですが、果歩さんを目の前にして、マンデリンなど頼むのはおこがましいと思い、アメリカンとそれからカヌレを頼んだのです。お腹が空いていると言ってはいけないことを言う確率があがりますから、何か小さなものでも口に入れた方が良い。カヌレなど頼むと果歩さんに嫌な気持ちを思い起こさせるだろうとはわかっていましたが、その店で一番心惹かれた物がそれでしたし、サイズもちょうどいいでしょう。ケーキやサンドイッチなどをほお張りながら、話すようなことは我々の間には、きっとないはずです。

 品物が来るまで、どちらも口を開きませんでした。私達は窓際の席に座ることができましたから、果歩さんは、その小さな顔を窓の外に軽く向け、ぼんやりと人の通るのを見ておりました。私は果歩さんを見、それからテーブルの脇に置かれた花を見ました。品物が来たところで、先に口火を切ったのは、果歩さんです。

「私のことを、ご存じでしょうか。」

 果歩さんは小鹿のような眼を私に向けました。私は厳粛を装って「ええ」と頷きました。すると、果歩さんは一度俯き、肩を幾度か、動かしてまた前を向き直りました。心なしか頬が少し赤らんでいます。

「あの人の方から、あなたのところに?」

 この人は一体何が言いたいのか、私はカヌレの糖分で昼間会社で使わなかった分のエネルギーを引っ張り出して、考えながら口を開きました。

「はい。」

 果歩さんは、小さくため息をつかれ、泣き笑いのような表情を浮かべたかと思うとまた俯いてしまいました。

「あんな男、‥‥…別れた方が良いですよ。」

 私は、自分の口からついて出た言葉に驚きました。口はつづけました。

「それは、私が善太郎のことを好きで貴方から奪いたいからだとかそう言う意味合いで言っているわけではありません。あれは人としてどうかしているところがあります。もしあなたが、あの男と別れるというなら、私もあの男の前からは去ろうと思っています。嘘ではありません。」

 果歩さんは、顔を上げ、今度は心なしかその顔を青くして怪訝な表情を浮かべておりました。そして軽く首を傾げ何か言いかけるのを、私が制してつづけました。

「貴方が今何を考えているか、いくつか推測できます。その一つ、私に寝取り趣味があり、人の物では無くなったものに興味を失う性癖があるのではという疑念。まず、これは誤りです。私にそのような趣味はありません。少なくとも、今のところは。私は善太郎があなたに愛情を向けている間、私に愛情が向かないことに安心しているのです。だから、貴方のいなくなった善太郎など、私にとって特に価値はありません。わかるでしょうか。いや、おわかりにならなくても、結構です。」

 私はそこまで行ってコーヒーカップに指をかけ、口をつけました。その間も果歩さんの様子を見ていましたが、果歩さんは、口を小さく開けて何か言いかけては眉をしかめ、口をつぐむような動作を繰り返し、徐々に顔にさしていた赤や青がなくなり、本来の彼女の顔が戻ってきたように見えました。私は言いました。

「善太郎は貴方と私の両方を同時に失った時に、自分がどれほどの人間か理解するでしょう。」
「彼は、同性愛者なのでしょうか。だとしたら私は、今まで何を見ていたのでしょう。自分に、失望します。」
「いえ、私から見るに、善太郎が貴女、果歩さんを愛しているのは本当らしく見えますし、聞こえています。私を苛めたい一心で盛っているのかと疑ったこともありましたが、どうやらそう言う話でもありません。ただ一つ言えることは、善太郎が私か貴女かどちらか選べと言われたら、必ずあなたを選ぶ。そうでなくては困るのだ。俺にとっても。……もし今貴女が、私から善太郎にもう会わぬようはからえというなら従いますが、すると、第二第三の私氏がまた現れるだけかと思います。それもきっともっと話も合わぬような、猿たちです。」
「猿?」
「ええ、そうです。」

 私は軽く微笑みました。果歩さんが怯えたような表情をしていたからでした。

「善太郎も猿です。貴女に見せない顔を持っているということです。貴女だって、善太郎に貴女の全てを見せているわけでは無いでしょう。こうして俺と会っているのを見てもそうだ。貴女もどちらかといえば、単独で行動することを厭わないタイプです。ああ、これだと貴女も猿ということになってしまう。そういうことが言いたいんじゃないんだ。汚らしい、こんな場所でするべき話じゃないが、つまり、欲望だけの関係性という話です。ことに男同士となるとこれが女に対するそれより露骨だ。気を使う必要がねぇんだからなッ。ああああ……。……最悪の人間達、いや、……猿ですよ。……私も何度も何度もっ、嫌な思いをしました、……ああ、もちろんいい思いもしましたよ。……善太郎は、私に欲望の限りをぶつけてこられますよ。アレに耐えられ、なおかつ理性の残ってるのは私位なものです。きっとね。」
「……、……。」
「これでも私も女性との交際経験はあります。美しい思い出の日々です。」

 果歩さんは、化粧室に行くと言って席を立ちました。私は窓の外の雑踏を眺めておりました。

 夕日がちょうどビル群の向こう側に沈んでいきます。雑踏の中に居るはずの無い、彼の姿があったらいいと思いました。しかし、さえない男や醜い女ばかり通り過ぎて、気分が沈みました。これが水族館であれば何時間でも見ていられるのに、どうしてこんなにも人間は醜く作らているのでしょう。それをまた人間がこきつかい、茶滓のように絞り、さらに醜くなっていくのです。善太郎、私、果歩さんはその中では見るに耐えられる形をしています。
 
 日が、沈み切りました。果歩さんは戻ってきません。軽く席を立ちあがり、礼でもするように彼女のいた場所を覗き込みました。果歩さんの座っていた椅子の上に奇麗な千円札が置いたままにされており、他には、何も残っておりませんでした。私はしばらくの間、何もない空間に向かって、頭を下げ続けていました。
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