堕ちる犬

四ノ瀬 了

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そんなに欲しいっていうなら、今ここで、しようか?

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遠くで誰かが叫んでいる、知らない名前を呼んでいる。誰だ?

備え付けのバーカウンターに突っ伏して寝ていた。窓の外から柔らかい光が差し込んでいた。すっかり朝だ。間宮は寝ぼけまなこで、大きな身体を起こし、ここはどこだったかとあたりを見回して思い出し、カウンターの椅子から転がるようにして立ち上がった。金は大丈夫だろうか。冷や汗をかきながら、床に転がっているバックの中を漁る。皆から回収した金はそっくりそのまま入ったままで、ほっと息をついた。

広々とした部屋の中に昨夜の熱気も人の気配も既に無く、乱痴気騒ぎの後の空しい空間が残されていた。むなしい空間、犯した後の霧野の股の間の、ぬめぬめと湿った洞窟のことを思い出す。

間宮が奥まで深く犯し込み刻印した後、霧野の孔はしばらくの間、無惨に弛緩し、中の白く濡れた桃色の肉を露出させながら、肉壁器官を震わせるのだった。うつ伏せになってシーツを握りながら、埋めた頭の下で、発情した獣のように息を荒げ、そして、一向にこちらを見ようとはしない。空けられて、むなしい凹空間が疼くのか腰を自らの雄をシーツに擦るように時折揺らした。見えない顔の向こう側でまた、堪えがちな息が漏れ辺りを湿らせた。

荒げる息、霧野の肢体を見ている内、突発的に間宮の頭中に常にうるさく巣くってノイズのように記憶を蝕む多数の虫が、ブンブン音を立てて霧散し、視界が異様にはっきりとしてきた。気が付くと、手が、むなしい空間の左右に拡がる双丘の豊肉を強く二度打ちすえていた。身体を赤くさせながら、霧野は身体を痙攣させ、二三度、バッタのようにベッドの上を跳ねたかと思えば、またどっしりと身体を横たえ弛緩しかけたので、肩の肉を掴み身体を仰向けに裏返し、死後硬直した身体を開かせた昆虫を虫ピンで射止めるように、両腕で上から強く抑え込み圧し掛かって顔を近くでのぞき込んだ。髪が彼の身体に触れた。

射るような視線が間宮を突いていたが、コンマ数秒前、半目を上ずらせて、だらしなく開いていた口から上ずった声が出ていたことを、精一杯誤魔化しているつもりなのだろうか。なんて愚かな人なのだろう……。間宮は自らの牡の王様で、散々霧野に中に刻印を刻んだというのに、収まりかけていた嗜虐の炎がまた、燃えるのだった。

その肉体を抱くと、とても温かく濡れた身体同士、肉の接地面で鼓動が共鳴した。散々様々な手段を伴って痛めつけた後だから、ベッドに緩慢に横たわる性欲に爛れた巨肉は、もうやめろだとか罵りとかを殆ど言わず、抵抗はするものの、間宮の力の下に圧し流されていくのだったし、微かな飾りのような抵抗に対して、強く押さえつけ手ごろなロープで封じてしまえば、余計に肉を膨らませ、弛緩した身体を再び緊張させ、抵抗できなくなったというのに、逆に挑みかかろうというような面構えになって、そこに時々甘えのような物をみせているように思えた。だから、もっと酷くした。どのように痛ぶれば気持ちがいいか、いくらか霧野の立場になって理解ができる。そのような芸当は、美里にも二条にも不可能に違いなかった。少しくらい、ほめてくれたっていいだろう。

そうしてまた、いく度の牡のマーキングを終え、彼の肉体から離脱した。食われかけの肉のようになった敗北者の霧野が、ベッドの上に転がってもう何も見なくないというようにまたうつ伏せになっていた。そうすると、また交尾孔が無防備になって、少し尻を握り開けば、丸見えになるのもわかるはずなのに、虚しさを埋めてくれとでもいうように、誘うようにして震えているのだった。間宮の肉欲は充実したが、間宮の中には何か虚しさの孔がみるみる拡がって、虫のいなくなった心の中が虚無の闇で染まるのだった。

「いい加減にしろよ……っ!!」

霧野には、もう何も聞こえていないようだった。間宮はベッドに腰掛けて、頭を抱えた。何故か異常に頭が冴えていた。明らかに霧野に性欲を感じている自分を自覚したのだった。今、二条のことをたとえ一瞬としても、忘れたではないか。二条に背面からの肉の悦びを教え込まれ、彼の監視の元、人やその他の物を犯すこともあった。誰を何を犯そうと、それは自分のためではなく、彼に捧げるためのものであり、それが己の欲情に繋がるのだった。

『随分と好きだったのだろう、アイツのことが。』

背後に二条が立って、耳元で囁いた。上半身を縛られて、縄は天井に架けられ、吊られ、つま先が、コンクリート打ちの地面につくかつかないかすれすれのところでこすっていた。一体どのくらいの時間が経ったかわからないが、腕関節とわずかな縄の支えで体重の殆どを刺さることになって、随分前から関節が悲鳴を上げて、外れそうであり、体中汗ばんで、肉が熱を持ち真っ赤になっていた。特に脇汗が酷く、脇腹をつたいさえした。痛みをまず覚えている。様々なことを忘れても、痛みだけは残っていた。

「……知らないっ、だったら、なんだというんだ、っ」

喘ぐように言葉を継ぐと、身体が振動して、痛み、身体が震えた。小さな笑い声が耳を擽った。

『アイツはお前に見返りを与えたのか?与えなかっただろう。仮初の友情の名のもとにお前を利用していただけだ。』

二条はこちらの顔を覗き込み、表情をよく観察してから微笑んで『そうだろう?』と追い打ちをかけるように言った。

「それでいいんだ……っ、別に。それでよかったんだよっ!!俺は!」

黙っていればいいのに、つい声を荒げてしまった。二条は虚を突かれたような顔をしてから、顔を伏せ震え始めたかと思うと豪快に笑った。しばらく笑いが収まらなかったようで、腹を抱えていた。鳥肌が立った。ようやく笑いの発作から立ち昇った彼は、目の前に回り込んで、手を後ろ手に回して小首をかしげた。

『ふーん、結構な奉仕精神だぜ。感動した。しかし、本当にそうかな。本当はブチ犯してめちゃくちゃにしてやりたいだとか思っていたのだろう。夜の妄想の相手に使ってたんだろ?わかるぞ。』
「……、」
『アイツだってそのくらいのことわかってただろうよ。それを餌にしていたのさ。なんともみみっちい野郎だと思わねぇか?まったく、きたねぇ野郎だな。』
「……どっちが、」

腹に強烈なボディブローが嵌り込み、口内に鉄の味が拡がり、関節と臓器が燃えたようになり、意識が一瞬遠のき、瞼が落ちてきて、その後のことはまた記憶がおぼろげになっていく。

間宮は思い出した端から、また、記憶が霧散していき、その上をまたブンブンとノイズのように虫が這いまわるのを感じて、さっきまで何を考えていたのかもよくわからなくなった。ただ、心の中に小さな虚しさの孔が穿たれたままになった。

ベッドの上に、さっきまで誰かが横たわっていたような窪みがあった。
万札が散乱し、シーツと床に少量の血と体液が残っていた。窓が開け放たれ、カーテンが揺れ、街が一望できた。

遠く、水の跳ねるが聞こえてきた。床の上には美里の衣服が脱ぎ捨てられたままになって、抜け殻の様だった。浴室のドアを開けた。もうもうと漂っていた良い香りのする蒸気が間宮の顔を濡らし、濃い霧のような、石鹸の良い香りと怪しいお香のような香りのする蒸気の向こう側にゆらゆらと人影があった。

歩を進めると、蒸気が左右にはけ、広い浴槽に張られたお湯の中に身を浸した美里の姿が見えた。浴室の上部に大きな窓がついていてその向こう側に清々しい青空が見えた。美里は広い浴槽から腕を出して、ふらふらとさせて、背をもたれさせ、湯けむり漂う中空を、無表情に見すえていた。蒸気の湿りが生々しさに対して、美里の身体は冷えているように見えた。

「ふん、朝から、優雅なもんだね。ま、ゆっくりしていけば。お疲れ様。」

間宮がそう言って出て行こうとすると「待てよ。」と浴室に声が反響した。無視して出て行けばいいのに、何故か従ってしまい、足を止めて、振り返りながら、本当に厭な奴”ら”だと思った。人を掌握しようとする人間は、いけすかないが魅力的に見えることがある。

美里の腹が立つほど小ぎれいな顔が、間宮の方に向いており、意外なことに、笑んでいた。厭な笑み方だった。湯で温まったせいか顔色がつやつやとして上気していることにも、間宮は苛立ちだって、今すぐこの場で湯の中に沈めて殺めてやろうと思う位の殺意が沸いた。浴槽の隅で蹲って悔しそうにしているものか、やつれていることと思っていただけに、期待が外れたのだ。

「……。なんだ?まだ足りないかよ!だが、生憎もう、朝なんでね、もう誰も来ないぜ。そんなに欲しいっていうなら、今ここで、しようか?お前の貧弱な身体など霧野さんと違ってすぐに壊れて、つまらないに決まってるけど。」

精一杯挑発をして、彼の方に身体を向け、ずんずんと大股で近づいていった。直観が、行くなと思うのに、身体は引き寄せられていく、身体が上気で濡れ、顔が火照った。

「××」

美里が何か言ったが、よく聞き取れず「え?」と間宮はマヌケな返事をして、美里をいぶかしげに見た。どんなに小さくても通りやすい美里の声が聞きとれないことなど、ほとんどあり得ない現象だった。美里は間宮の反応を見ると、まるで子どものように無邪気に、嬉しそうに目を見開いて、間宮を覗き込むように見上げていた。彼に珍しく大きく口を開いて笑っていた。

「××、だよ、××」
「なんだ?」
気分が悪い。
「駄目か。やはり心底イカレてしまったらしいな、間宮。可哀そうに。」

美里は浴槽の縁でぶらぶらさせていた腕を上げ、濡れ滴る髪を後ろになでつけた。そしてまた、浴槽の縁に肘をかけた。のけ反るようにして濡れた顔で間宮を見上げ、左目を、ウインクでもするように細め表情を歪めた。

「ええ?何ってぇ……わからねぇのか?」
彼は猫撫で声を出して、嘲るように言った。
「お前の、本名だよ。」

彼はまた、訳の分からない言葉をその後何度か呟いていた。鼓動が高まっていく。間宮は苦笑いした。

「は?何を言ってるんだ。さっきから意味不明なことをっ抜かすなよ!」
美里の宣告するような物言いに対して、さっきから間宮の語尾は弱弱しく震えていた。
「何言ってるって、お前の失われた真実を一つお前に返却して、お前を少しでも正気に戻してやろうと協力してやってるんじゃないかよぉ。ありがたい話だろう?ふふふ。俺が貴様から与えられるものなどない。俺がお前に施してやるんだよ。わかるか?お前は常に施される側の人間なんだよ。弱者が。」

美里は言い終わるや否や、間宮を観察するように覗き込み、そこに何かを発見したのか、突然風呂に反響する大声をあげて快活に笑うと、ざぶんと音を立てながら、勢いよく湯から立ち上がった。飛沫が立った。美里と対称的にホテルに現れる地縛霊のように突っ立っている間宮を濡らした。

美里の肉の上には、昨夜の乱痴気の痕が残り、間宮の身体についた痣と同じ範囲で美里の身体も赤く爛れていたが、朝の光の中で皮膚の上に珠のように浮いた水滴が反射し、全身をなまめかしく濡らして、鍾乳石の表面に光を当てた様なてらてらとした怪しい光り方をしていた。まるで水分が彼の肉体に自ら悦んでみるみると吸収されていくようにも見えた。

白みの強いクリーム色をした皮膚の上で、傷は少しもマイナスにならず、寧ろ美しい模様であった。傷以外の部分はきめの細かい皮膚が、湯と外傷のおかげで桃色に艶としていた。細く締まった肉が、張りを讃えていた。

健康的な肉体であった。薄い筋肉は若い雌鹿の肉のようであり、歯を立てたくなる弾力をもって、肉感的に部分部分を覆い、腿の付け根や尻の窪みに天性の骨格の良さが現われた。形良く作られた尻肉と関節との間に、名山の稜線のような美しいメリハリを作って、太ももだけ見れば細身の女性の脚のようでもあるのに、そこに雄の象徴が堂々とし、両性具有的な印象を見る者に与えた。

下腹部では臍が縦に小さく裂けて、ウエストの締った腹部は左右対称に羽でも伸ばすように薄っすらと割れた筋が見えた。あまりに左右対称がすぎこれもまた創られた彫刻のようでもある。胸部は、薄い繊細な筋組織で覆われて軽くふっくらとして頂点は薄っすらとした桜のような桃が着色され二つの肉蕾が小さく浮いていた。蕾の周囲には歯型や紅い痣が薄っすらと残っていたが、穢れなど気にならない程に美しい蕾である。肩は姿勢よく堂々とし、内側の鎖骨の深い窪みが対称的になって生えた。締めれば、壊れてしまいそうな細い首にもまた痣が残っていたが、その上にのった物に比べれば霞む埃の様なものである。そして、それが、喋った。

「××、それがお前のほんとの名前なんだよ。」

彼は目を見開いて堂々としかし妙に優しく子どもにでも話しかけるような口調で言い放つのだった。声が浴室の中を反響して間宮の頭蓋骨の中まで何重にもなって響き渡った。それでも聞き取れない。

「お前は最初から間宮なんて名前じゃないんだよ。いないんだよ、そんな奴。借り物の名前だ。」
「そんなはずはない。」
「どうして言い切れる?お前は一体いつからそうなってしまったんだ?俺は今のお前以前を知らねぇからな。」

間宮は愕然とし、目の前の異形に背を向け、逃げるように浴室を転げ出た。嘲笑の混じった美声が間宮の後を追いかけてくる。

「おいおい、どこ行くんだよぉ、××君、俺はお前を救ってやろうとしてるんだぜ。」

頭が痛い、どうにかなる。逃げた先に、寝室に備え付けられた大鏡があった。間宮はその中の己の姿と目を合わせたと同時に声をあげてその場に蹲って震えた。頭の中で抑え込まれていた極色彩が爆発して過激な音で溢れていた。狂いそうだ、なんとかしなければ。蹲って震えている間宮のすぐ横に一糸まとわぬ美里が立って、間宮を見下ろしていた。美里の肉体から滴った雫が、蹲った間宮の首筋にぽつりぽつりと落ちた。

「お友達の、名前も思い出せてやろうか?」
「………友達?」
「そうだよ。左腕しか見つからなかったんだって?さぞ棺も軽かっただろうな。」
「………、……。よせ、」

間宮はふらふらと幽霊のように立ち上がり、荷物を拾い上げた。美里が何かまた言いかけるので、身体に鞭打つように無理やりやる気を出させて、ホテルから飛び出た。窓から飛び降りたいほどの気分であったが、廊下を全力で駆け、非常階段に飛び出した。兎に角身体を動かしたかった。
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