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本編

56 姉と弟

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 それから程なくして私は臨月を迎え出産を終えたが、運命は残酷なもので……結果は死産だった。
 メルヴィンは「妊娠中に過度のストレスを感じたことが原因だろう。君の責任ではないよ」と言って励ましてくれたけれど、当面の目標は元気な子供を産んでリヒトを喜ばせてあげることだっただけに、酷く落ち込んでしまった。
 正直、もう二度と立ち直れないんじゃないかと思うくらいに打ちのめされてしまったけれど、ここで私が再起不能になってしまえばリヒトのことも助けられなくなってしまう。
 そう思い、気を強く持ち直すと、一先ず休養に専念することにした。

 そんなある日のこと。
 意外な二人が私の病室にお見舞いに来てくれた。アドレーとアルメルだ。

「セレス様、お久しぶりです」
「二人共、お久しぶり!」

 挨拶を済ませたアルメルが、ベッドの横の小卓の上にある花瓶に新しい花を差し替えてくれた。

「まさか、二人がお見舞いに来てくれるなんて思わなくて……散らかっていて、ごめんなさい」

 そう言いながら、私はベッドや小卓の上に散らかっている本や雑誌を手早く片付けると、彼らのほうに向き直った。

「この度は、本当に大変でしたね……さぞお辛かったでしょう。心中お察しします」
「俺達にできることなんて、あまりないかもしれませんが……何か協力できそうなことがあれば、言って下さいね」
「二人共……気を使ってくれてありがとう。お腹の子のことは本当に残念だったけれど、私は大丈夫なので」

 そう返し、気丈に振る舞ってみせる。
 あれ……? そう言えば、二人の扱いは今後どうなるんだろう?
 リヒトとは契約解除をしていないようだから、まだ屋敷で働いているはずだけれど……。

「実は……先日、リヒト様から契約破棄を言い渡されました」

 二人の今後について考えていた矢先、アルメルが躊躇いがちに話を切り出した。

「え……?」
「あの……でも、誤解しないで下さいね。リヒト様は俺達のことを考えて、次の雇い主まで探して下さって……」
「そればかりか、私達と過ごした思い出を消したくないと仰って……記憶まで残して下さったんです」

 二人は申し訳無さそうに、けれど深い恩義を感じているといった様子で、先日あった出来事を語った。

「正直、リヒト様とセレス様の元から離れるのはとても寂しいです。ですが、主であるリヒト様のご命令とあらば仕方ありません。それに……この記憶が残っている限り、お二人と過ごした思い出は私達の心の中にずっと残りますから」
「きっと、リヒト様は俺達を信頼してくれているんでしょうね。……魔法で記憶の消去を行わないって、そういうことでしょうから」

 話を聞いてみれば、どうやらリヒトはアドレーとアルメルに「病気療養のために入院生活が長引きそうだから」と説明し、二人との契約を解除したらしい。
 自分の余命がもうあまり長くないことについては一切触れていないようだし、その辺りは二人を悲しませないように配慮したのだろう。

「あの、セレス様……今さら、こんなことを言っても仕方がないかもしれませんが……私がもっと早く真実に気がついていたら、セレス様とリヒト様は引き離されずに済んだでしょうね。本当に……本当に申し訳ありません」

 深々と頭を下げたアルメルを見て狼狽した私は、慌てて首を横に振る。

「そんな……元はと言えば、私が原因なので……。だから、その……頭を上げて下さい、アルメル」
「ですが……」
「それに、私……今は結構前向きなんです。状況だけ見たら、確かにどん底かもしれない。でも……落ちるところまで落ちたら、後は這い上がるだけでしょう? ……だから、自分の可能性を信じてみたいなって……そう思っているんです」
「……かしこまりました。私、信じていますね。きっと、いつかセレス様とリヒト様が心から笑える日が来るって……そう信じていますから」

 そんな私達の会話を聞いていたアドレーが、頃合いを見計らったように口を開く。

「──それじゃあ、俺達はそろそろお暇しますね。行こう、アルメル」
「ええ……わかっているわ、兄さん。……さようなら、セレス様。今まで、本当にお世話になりました」
「いいえ。こちらこそ……これまで、私やリヒトのことを気遣ってくれて、本当にありがとう。どうか、お元気で……!」

 アルメルは涙ぐみながらも微笑むと、アドレーと一緒に私に一礼して病室から出ていった。





 紆余曲折を経て、いよいよ私とリヒトがコールドスリープに挑む日がやってきた。
 あの後、リヒトはメルヴィンから改めて事情を説明され、十ニ年前の実験で私達双子が被験者として選ばれたことや自分が余命幾ばくもないことをきちんと把握したようだ。

「それじゃあ、今からコールドスリープ処置を施すけれど……本当に、いいんだね?」

 メルヴィンは、カプセルの中に入った私とリヒトの顔を交互に見ながらそう尋ねた。

「……はい」

 私は不安な気持ちを抑え込むように隣に横たわるリヒトの手をぎゅっと握ると、こくんと頷いてみせた。
 すると、リヒトは小刻みに身を震わせる私の不安を和らげようとしてくれているのか、とても病人とは思えない強い力で手を握り返してくれた。
 リヒトは、もう声も満足に出せないほど衰弱している。今まで、彼は体力を上昇させる魔法や魔法薬を使って騙し騙し体を酷使してきたと言っていたから、きっと余計に衰弱の進行が早いのだろう。
 コールドスリープ処置を施し、無事魔力を正常な魔力値まで抑え込むことができれば、体内の膨大な魔力によって引き起こされる健康被害は自然と快方に向かうらしいが、現状を見ていると「本当に大丈夫なのだろうか」と心配になってくる。

 一応、装置を改良した甲斐があって、昔のように実験後に魔力を共有したことによる拒絶反応で死亡する可能性はほぼゼロになったらしい。
 つまり、無事目覚めることができれば、私達は実験後の拒絶反応を恐れることなく平穏無事な日常生活を送ることができるのだ。
 だから、何とか頑張らなければ……。

 ──大丈夫。相性抜群の私達なら、きっと生き残れる。

 私は気を強く持つと、心配そうな表情でこちらを見つめるメルヴィンに「それじゃあ、お願いします」と伝え、大きく息を吸って心の準備をした。

「僕は長年研究を重ねてきたにもかかわらず、不完全な成果しか出せなかった。だから、君達の安全を保証することはできない。こんな形でこの日を迎えてしまい、本当に申し訳ない気持ちで一杯だ。でも……僕は、君達ならこの困難を乗り越えられる気がしているんだ。勿論、根拠はないけれどね……」

 メルヴィンはそう言うと、寂しそうに笑った。

「そんな……博士が責任を感じる必要なんてありませんよ。寧ろ、私は博士に対して恩義しか感じていません。友人としてリヒトを支えて下さっただけでなく、彼の命を助けるために長年に渡って研究を重ねて下さったんですから。……本当に、ありがとうございます」
「セレスくん……いや、こちらこそありがとう。君達と出会えて本当に良かったよ。……必ず、生きて帰ってきてくれ。健闘を祈るよ」

 メルヴィンはそう言って涙ぐむと、意を決した様子でカプセルの蓋を閉めた。

「……ねえ、リヒト」
「……?」

 リヒトは体のあちこちが痛むのか、苦悶の表情を浮かべ、顔は動かさずに繋いだ手を握り返して呼びかけに応答した。

「あなたは、現世でも私と姉弟として生まれてしまったことを嘆いていたけれど……私は、あなたとまた姉弟になれて良かったと思っているよ」
「……」
「だって、そうでしょう? もし他人同士だったら、こうして巡り会えなかったかもしれないし……たとえ巡り会えたとしても、出会うまで何年、何十年かかるかわからない。でも……最初から姉弟として──双子として生を受けていたら、生まれた瞬間から……ううん、お母さんのお腹の中にいる時から大好きなあなたのそばにいられるんだよ? こんなに幸せなことはないよ」
「……」
「私ね……前世で、死ぬ間際にこう思ったんだ。『もし生まれ変われるなら、もう一度、望に巡り会いたい。そして、今度こそ後悔しないように一緒に生きていきたい』って。だから……きっと、神様が私の願いを叶えてくれたんだと思う」

 メルヴィンがガラス越しに私達を見下ろし、手でジェスチャーを送っているのが見える。
 恐らく、あと数分でコールドスリープ処置が施されるのだろう。

「姉弟として生まれた私達は、現世でも結ばれることは叶わないけれど……でも、その代わりに絶対に切れない『血縁』という絆で結ばれてる。他人同士だったら、婚姻関係を解消してしまえばそれでお終いだけれど、『姉弟』の絆は切っても切れないでしょう? だから、私はまたあなたの姉として生まれ変わることができて幸せだよ」
「……っ」

 リヒトの口から、声にならない嗚咽が漏れる。

「これで最後だなんて思いたくないけど、後悔しないように何度でも言っておくね。……リヒトが好き。大好き。何度生まれ変わっても巡り会いたいほどに、あなたを愛してる」

 もしこのまま死んでしまっても、次に生まれ変わった時にまた巡り会えるように……という願いも込めて何度も愛を囁く。
 すると、リヒトが出ない声を無理やり絞り出すようにして、苦しげな表情を浮かべながらも口を開いた。

「俺……も……セレ……の、弟とし……生ま……こと……が……でき……良か……た……愛……して……る……」
「リヒト……」

 あれだけ私の弟として生まれてしまったことを嘆いていたリヒトが、私の弟に生まれることができて良かったと言ってくれた。
 その事実が嬉しくて、同時に勇気づけられた気もして──彼のお陰で、ぎりぎりまで払拭できずにいたコールドスリープへの恐怖心が薄れていくのを感じた。

「……一緒に眠ろう、リヒト。大丈夫。絶対に、あなたを死なせはしない。必ず守ってみせる。だって……私は、あなたのお姉ちゃんだから」

 その言葉を聞いたリヒトは安心したのか、ふっと柔らかい笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。
 メルヴィンが再びガラス越しに私達を見下ろし、手を上げて他の研究員達に合図をする。
 次の瞬間、カプセル内にもくもくとした白煙が立ち込め、視界が真っ白になった。
 私は意識が遠のきつつも、繋いだ手にぎゅっと力を込める。

 ──大好きだよ、リヒト。頑張って生き残ろうね。
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