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番外編

遠い日のプロポーズ

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「ああ、もう。一体どこで落としたんだろう……」

 思わず、独り言が零れる。
 慌てて通学路を引き返してきた私は、失くした物を捜すために夢中で周囲を見渡した。
 なぜこんなに必死になっているのかと言うと、ずっと大切にしてきた『思い出の品』をどこかに落としてしまったからだ。
 今日は学校を出た直後、何か忘れ物をしていないか鞄の中身を確認した。その時は確かにあったはずなのに……。
 と言うことは、やっぱり帰り道で落としたのかな……。

「どうしよう……。失くしたなんて言ったら、きっと望は悲しむよね……」

 私が捜している『思い出の品』は、子供の頃、望がお小遣いをはたいてプレゼントしてくれたものだ。
 他人から見れば、全く価値のないただの玩具の指輪だけれど、私にとっては大切な思い出の品だ。
 私はその指輪を高校生になった今でも、肌身離さずお守り代わりに持ち歩いていたのだが……それが仇になってしまったようだ。


 あれは、今から十年以上前のことだ。
 私達双子が小学校に上がる前、珍しく機嫌のいい母が「三人でお祭りに行こうか?」と提案してきたことがあった。
 当時、母はいつも機嫌が悪く、よく私達に八つ当たりをしていた。
 そんな母が急にそう言い出したので、私も望も子供ながらに「何か裏があるんじゃないか?」と勘ぐっていた記憶がある。
 けれども、断るわけにもいかないので、私と望は上機嫌な母に連れられて近所のお祭りに出かけることになった。

「ねえ、お母さん。わたし、あれがほしいな……」

 屋台を眺めながら歩いていた私は、ふと目に留まった玩具の指輪を指さした。
 今日の母は機嫌がいいから、気前よく買ってくれると思ったのかもしれない。
 けれど、母は「あんなもの、何の役にも立たないでしょ。どうせ強請るなら、もっと有意義なものを強請ってほしいわね」と返し、立ち止まっている私の手を強く引き歩を進めた。
 遠ざかっていく屋台を振り返りながら涙目になっていると、少し後ろを歩いている望と目が合った。
 望は私の顔をじっと見つめながら、なんだか悲しげな表情をしている。
 きっと、玩具の指輪すら買って貰えない私を見て気の毒に思ったのだろう。

 暫くの間そうやって三人で屋台を見て回っていると、母の知り合いとばったり会った。
 そのまま母が立ち話を始めたので、私と望は仕方なく付近のベンチに座り話が終わるのを待つことにした。

「お母さん、話長いね」
「うん」
「暇だね」
「うん、そうだね」

 他愛のない会話をして母を待っていると、突然望が何か思いついたように席を立った。

「……千鶴ちゃん、ちょっと待ってて」
「望くん……? どこに行くの?」
「すぐ戻るから!」

 私は怪訝に思いながらも、慌ただしく屋台の方へ向かっていった望の背中を見送った。
 それから五分ほど経ち、望が何かを手に持ちながら戻ってきた。

「はい、これ」
「え……?」
「千鶴ちゃん、さっきこの指輪ほしがってたから……買ってきたんだ」

 望の小さな手のひらには、先ほど私が母に強請っていた玩具の指輪が乗っていた。
 どうやら、彼はこの指輪を買いに屋台まで走ってくれたらしい。
 うちは比較的裕福な家庭だが、両親は「小学生にもなっていない子供に小遣いなんてまだ早い」と言ってお小遣いをくれなかった。
 だからきっと、たまに会う祖父母がくれるお小遣いをはたいて買ってくれたのだろう。

「うわぁ! 望くん、ありがとう!」

 そう叫びながら望に抱きつくと、彼は照れくさそうに頬を淡紅色に染めた。

「でもね……買った理由はそれだけじゃないよ」
「え?」
「えーとね……ぷろぽーず……ってやつかな」
「ぷろぽーず……?」

 首を傾げながら聞き返した私に、望は真剣な面持ちで答えた。

「大人は結婚したい人にこうやって指輪を渡すんだってさ。だから、僕も千鶴ちゃんに指輪をあげたくて……」
「わたしに……?」
「うん。僕、大きくなったら千鶴ちゃんと結婚したいから……」
「本当に!? わたしをお嫁さんにしてくれるの!? 約束してくれる!?」
「うん、約束する」
「嬉しい! 望くん、大好き!」

 そう言って再び望に抱きつくと、彼は益々顔を赤らめ頭を掻きながらはにかんだ。


 ──辺りが薄暗いことに気づき、ふと顔を上げた。空はどんよりとした厚い雲に覆われ、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
 そう言えば、もう梅雨の季節だ。傘も持たずに捜し物をしに来た私も悪いのだが、このままだとずぶ濡れで帰る羽目になりそうだ。

「思い出に耽っている場合じゃないのに……私、何やってるんだろう」

 普通なら、ここで諦めて家に帰るんだろうけど……やっぱり、あの指輪は弟との思い出の品だから、そう簡単に諦められない。
 優しかった祖父母が亡くなって以来、私には家族と呼べる存在が望しかいなかった。できることなら、彼を悲しませるような真似はしたくない。

「ええと……今日は確か、帰りに公園で立ち話をしていて──そうだ、公園だ。きっと、あの公園で落としたんだ……」

 慌てて公園に向かった私は、先ほどまで友人と話していた場所を中心に捜してみることにした。けれど、指輪はなかなか見つからない。
 そうこうしている内に雨脚は強まり、案の定、制服がずぶ濡れになってしまった。でも、そんなことを気にしている場合ではない。
 何としても、あの指輪を見つけないと……。

「千鶴!」

 不意に背後から名前を呼ばれた。思わず振り向くと、傘を差しながら心配そうな表情でこちらを見つめている望がいた。

「あれ……望、なんでここに?」
「『なんでここに?』じゃない。帰りが遅いから、心配して迎えにきたんだ。この雨の中、傘も差さずに何をしているんだ?」
「ああ、うん……その……ちょっと、落とし物を捜しに……」
「そんなに大事なものなのか?」
「うん……すごく大事なものだよ」

 望は私の方に駆け寄ると、一先ず私を自分の傘に入れ、もう一つの傘を手渡してきた。

「……何を落とした?」
「その、言いづらいんだけど……。昔、望が買ってくれた玩具の指輪を帰り道で落としちゃったみたいで。ほら、私、いつもあの指輪をお守り代わりに持ち歩いていたでしょう? 失くしたなんて言ったら、望を悲しませちゃうかなって思って……」
「なっ……その気持ちは嬉しいが……ずぶ濡れになってまで捜すことはないだろう?」
「ごめん……」
「聞いてくれ、千鶴。あの指輪を失くしたからといって、俺は怒ったりしないしお前を責めたりもしない。寧ろこの雨の中、俺のために無理をして出歩いて風邪でもひかれたほうが余程悲しい」
「望……」
「だから、もう帰ろう。何なら、明日一緒に捜そうか?」
「……うん、そうする。ありがとう」

 そう返事をすると、望は安心したように穏やかな笑みを浮かべた。
 私達は昔話に花を咲かせ、仲良く肩を並べて帰路についた。
 色違いだけれど、お揃いの柄の傘を差しながら。
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