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本編

12 インモラル

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 悪夢にうなされベッドから飛び起きた私は、大きく息を吸って早鐘を打つ胸の鼓動を鎮めた。
 ああ、そうだ。今はリヒトがいないんだった。そう思い、私はほっと胸を撫で下ろす。
 ……大好きな弟が、まさか自分にとって一番怖い相手になるなんて思いもしなかった。

 私が二階の自室に閉じ込められてから、すでに一週間が経過している。
 あれ以来、私はリヒトが豹変した時の夢を何度も見てしまい、こうして飛び起きることを繰り返しているのだ。
 リヒトは最初の二日間、『お仕置き』と称して【カデナ】という拘束魔法を私の手に掛けていた。
 要するに手錠のようなものなのだが、数日とはいえ両手が使えないのは結構堪えた。私に逃げる意思がなくなったことを確認すると、すぐに解除したけれど……。

 今、私がいるこの部屋はローズブレイド家の先代当主──つまり、私の祖父に当たる人が副業の仕事をする時によく使っていたらしい。
 今は亡き祖父は副業で作家業を営んでいたので、静かな環境で仕事ができるこの別荘を気に入っていたそうだ。そのため、部屋にこもることが多かった祖父の希望でここにはバスルームが完備されている。
 なので、食べ物さえ運んで貰えれば閉じ込められても生活に困ることはないのだが……所謂、監禁状態なので私はこの一週間、一歩も外に出ていない。
 恐らく、監察官が訪問してくる日は必然的に他の部屋に行くことになると思うが、それでも、ただ屋敷内を移動しただけに過ぎない。

 リヒトはあの日を境に本当に変わってしまった。
 数ヶ月前から兆候はあったものの、当時はまだ私に対する優しさが残っていた。
 そう言えば、あの頃の彼は契約の指輪の盗聴バッギング機能で私の行動を把握していたにも拘らず酷く取り乱し、不安そうな様子を見せていたな……。きっと、リヒトはそれでも安心できないくらいに私を『誰かに奪われること』が怖かったのだと思う。

 あの頃の彼は、見ていて痛々しいくらいに疲弊していた。そんな時、追い打ちをかけるように私とネイトが話してしまった──恐らく、それが引き金になってしまったのだろう。
 あの会話だけ聞いていたら、私が彼と待ち合わせでもしたようにしか思えなかったのだろうし……。
 とはいえ……ネイトに「現世でまた恋人としてやっていこう」と言われた時、一瞬迷いが出たのは事実だ。リヒトに「裏切った」と解釈されても仕方がない。

 そして、リヒトの心が壊れてしまった原因の一つが、前世で私が彼を『拒絶した』ことなんだと思う。
 悔しいことに、私はまだ自分が死んだ日のことを思い出せない。
 リヒト曰くその日、私は彼を拒絶したらしい。詳しい経緯は説明して貰えなかったけれど、どうしてそんなことをしてしまったんだろう……。
 ネイトから聞いた話によると、私達双子の死因は事故死らしいけれど、なぜ二人揃って死ぬことになったんだろうか。
 ……駄目だ。思い出せない。

 あと数時間でリヒトが帰ってくる。帰宅して少ししたら、彼はこの部屋を訪れるだろう。
 私は部屋に閉じ込められているため、当然食事の世話はリヒトがすることになるのだが、現世でもハイスペックな彼は実は私が料理をしなくても自分でできてしまう。
 だから、この一週間はリヒトが食事を作ってこの部屋に持ってきている。

 あの豹変ぶりを目にした時は体を強要されることも覚悟したけれど、今のところまだ手を出されていない。もしかしたら、壊れてしまった彼の心に残った唯一の良心なのかもしれない。
 けれど……その良心すら無くなってしまったら、きっと私は抵抗も虚しく陵辱されることになるだろう。もし一線を越えてしまったら、私達は一体どうなってしまうんだろう?
 リヒトは体を求めない代わりに、毎日欠かさず私に噛み付くようなキスをする。せめて、これ以上行為がエスカレートしないことを祈るばかりだ。

 でも、リヒトをここまで追い込んでしまったのは私だ。私のせいだ。私は今まで、彼の気持ちも知らず軽率な行動を繰り返してきた。
 きっと、その度にリヒトは少しずつ傷ついていったんだと思う。前世からずっと、誰にも言えず一人で悩んで、苦しんで……。
 だから、私は狂ってしまった彼の要求を甘んじて受け入れるべきなのかもしれない。





「──セレス」
「……ん……」

 優しい声音が耳に響き、私は目を開ける。
 ああ……私、眠ってしまったんだ。いつの間にか、リヒトが帰ってきたらしい。

「寝ていたのか。いい子で待っていたか?」

 リヒトはそう言って目を細めると、にっこり微笑んだ。そして、私の髪を指に絡ませ愛おしげにすくうと、その髪に唇を寄せ、そっと口付けを落とす。
 以前なら、こういう時は私の頭に軽く手を乗せて「ただいま」と言うだけだったのに、あの日以来何をするにしても完全に恋人扱いだ。

「俺がいない間、寂しかっただろ……? 本当は片時も離れたくないんだが、生憎、宮廷魔術師としての仕事があるからな」

 そう尋ねながら、リヒトは私の頬を撫でる。こう聞かれたら、私は首を縦に振るしかない。
 何も答えられずにいると、「どうして何も言わないんだ!? 俺がいないほうがいいとでも言うのか!?」と物凄い形相で叫びながら肩を掴まれ、激しく揺すぶられるのだ。

 リヒトは、こくんと頷いた私を見て満足げに微笑むと、「すぐに戻る」と言って部屋を出ていった。





 部屋に戻ってきたリヒトは、銀色のトレーに載せられた料理を手に持っていた。彼はそのままベッドに腰掛けている私のそばまで歩いてくると、隣に座った。

「今日はオムライスを作ったんだ。お前の作るオムライスの味を真似てみたんだが、なかなか上手くいかないな……。ああ、そう言えば──前世でお前が初めて俺に作ってくれたのもこれだったな。あの時は、本当に嬉しかった」

 リヒトは虚ろな目で淡々と語りながら、私の口にスプーンを運んでいく。もう手を拘束されているわけでもないのに、彼は毎回こうやって私に食べさせる。
 たぶん、味は美味しいんだと思う。けれども……こんな状況下では食べた気がしないし、味わうどころではない。

「……一生、俺だけのために作って欲しいと思った」

 静かにそう呟いたリヒトは、何かを気にしている様子だった。私は前世で要に手作り料理を振る舞ったことが何度かあったから、恐らくそのことだと思う。

「俺には、前世からずっと叶えたかった夢があるんだ」
「……?」

 小首を傾げる私に、リヒトは「前にも言っただろう?」と返す。
 ああ、思い出した。ここに来たばかりの時、彼は「叶えたい夢がある」と言っていたことがある。きっと、その時のことだ。

「前世の俺は──子供の頃からずっと、お前と結婚したいと思ってた。無理だとわかっていても、したかった。そして、ドレスを着たお前に永遠の愛を誓うんだ。そして、家に帰ったら毎日お前が『お帰り』と出迎えてくれて、美味しい料理を作って待っていて──いつか子供が生まれるんだ。そうだな……男と女で二人くらいがいい。娘がお前に似ていたら、俺はきっと親馬鹿になっているだろうな。そうやって、色んなことがあって悩みながらも、お前と一緒に乗り越えていきたかった。ずっと、隣にいたかった」

 そう語るリヒトの虚ろな瞳の奥に、長年一人で抱えてきたであろう憂愁を感じた。彼は深い悲しみを宿したその瞳を私のほうに向けると、再び口を開いた。

「でも、俺にはその夢を叶える権利がなかった。前世でも現世でも、生まれた瞬間からすでにその権利がなかったんだ。こんなに好きなのに……誰よりもお前を愛しているのに……」

 苦しげにそう呟いたリヒトを見て、「今まで気持ちに気付かなくてごめん」と伝えようと思った。
 私は狂ってしまったリヒトを怖いと思っている。けれど、この瞬間だけは以前の優しい弟の片鱗が垣間見えた気がした。

「リヒ──」

 そう言いかけた瞬間、突然唇を塞がれた。ああ、今夜は随分唐突だ。この行為自体はもう驚かなくなってしまったけれど……。
 口腔を犯すような長い長い口付けが終わると、リヒトは熱い呼気を吐き、私の首筋に唇を押し付けた。

「……っ」

 思わず、声にならない声が漏れてしまう。
 リヒトは私の両肩を掴むと、首筋から鎖骨へと徐ろに舌を這わせていった。初めての行為に戸惑いつつも、私は息を荒らげ身をよじる。その反応を見て、リヒトは少し口角を上げた。

「俺は昔からずっと、お前とこうしたいと思ってた。勿論、それ以上のことも……。そう思うのは、そんなにいけないことなのか?」

 リヒトは私の両肩を掴みながら、そう問いかけてきた。
 真っ直ぐとこちらを見据えるその瞳に、なぜか吸い込まれそうになる。目が逸らせない。

「この想いが罪だと言うのなら、俺はお前に同じところまで堕ちて欲しい。前世も現世も、生まれた時からずっと一緒だったろ? だから、一緒に地獄に堕ちよう。地獄に堕ちても、永遠に二人で一緒に居よう」

 静かにそう言ったリヒトの冷酷な目を見て、背筋がぞくりとする。
 やっぱり、自分が知っている弟はもうどこにもいなかった。きっと、彼は私を一生ここに閉じ込めておくつもりなのだろう。
 ……もう二度と誰にも奪われないように。

 でも、それだけに留まらない気がした。
 恐らくネイトは、あれ以来姿を見せなくなった私を心配すると思う。もしかしたら、この屋敷を訪れるかもしれない。
 すると、どうなるか……? きっと、リヒトは彼を『楽園を壊そうとする侵略者』と見なし、排除しようとするだろう。そうでなくても、前世からリヒトと深い因縁があるネイトに危険が及ぶのは至極当然だ。
 ああ……あの日、町の広場に行かなければ良かった。でも、後悔してももう遅い。
 今の私にできるのは、精々これ以上事態が悪化しないよう祈ることくらいだ。
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