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5.狂愛メランコリー
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あれは確か、ルークスが私の弟子になったばかりの頃のこと。
ふとしたきっかけで、彼に私のご先祖様の話をすることになった。
◆
八年前。
「妾の家系は代々高い魔力を持つ者が多かったのじゃが……一人だけ、魔力が低く魔法の才能がないご先祖様がおったそうなんじゃ」
「その方は、ちゃんと魔法使いになれたんですか?」
「一応はな。でも、彼は元々の魔力が低いため、どう頑張っても周りに追いつけなかったそうじゃ。かなりの努力家だったそうなんじゃがな」
「なんか可哀想ですね……」
「そうじゃな。……ところが、彼はある日突然どんな魔法でも使いこなせる優秀な魔法使いになったんじゃ」
「え……どうしてですか?」
「それはのう……悪魔に魂を売ったんじゃよ」
「悪魔……?」
私が『悪魔』という言葉を出すと、ルークスは少し怯えた表情でそう聞き返してきた。
「そうじゃ。『特別な力を与えてくれる悪魔』を呼び出す儀式は、少しでも魔力を持っている者なら問題なく行えるんじゃが……その代償を恐れて、悪魔召喚の儀式を行う者は滅多にいなかったんじゃ。つまり、ご先祖様は代償を差し出して最高の魔力を手に入れたというわけじゃな」
「そうなんですか……でも、魂を売るってどういうことなんですか?」
「問題はそこじゃな。単に寿命が縮むとかならまだいいんじゃが……悪魔に魂を売った者は、死後天国に行けず、永遠にその悪魔に仕えることになるそうなんじゃ。……要するに、悪魔の奴隷みたいなものじゃな」
「奴隷……ですか」
「天国に行けず、死後もなお悪魔の元で働き続けるなんて普通は嫌じゃろ? きっと……ご先祖様は、それでも魔力が欲しかったんじゃろうな」
一通り話を聞くと、ルークスは「とても怖い話ですね……」と言って私の服の袖をぎゅっと掴んできた。きっと、無意識にやったのだろう。
ルークスは年齢の割にしっかりしているのだが、こういうところがまだ子供らしくて可愛いと思う。
先程ルークスに話したご先祖様の話は、ご先祖様自身が手記として残していた。
その為、代々受け継がれてきた魔法書と共に我が家の書斎に保管されているのだ。
ちなみに、悪魔と契約した者は背中に特徴的な印が刻まれるらしい。
要するに刻印のようなものなのだが……その所為か、ご先祖様は決して人前で背中を見せなかったそうだ。
◆
あの殺人事件以来、ルークスの様子がどことなくおかしい。その所為か、昔のことを思い出す機会が増えた。
まさか、彼がこんなに過保護な青年に育つとは思わなかったな……。
今日もそんな風に物思いに耽っていると、隣を歩いているルークスが私の肩を叩いた。
「お師匠様。どうしたんですか? さっきから、無言ですけど……」
「ああ、いや。その……少し考え事をしていただけじゃ」
「そうですか……でも、のんびり歩いている場合じゃなさそうですよ。何だか空が暗くなってきましたし……」
そう言いながら、ルークスは厚い雲に覆われた空を指差した。独特な匂いが立ち込め、今にも雨が降り出しそうな気配だ。
「これは、一雨ありそうじゃのう」
「そうですね。急ぎましょう」
私たちが早足で歩き出した途端、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
雨はやがて大降りになり、やっと家に着いた頃には二人共全身ずぶ濡れになってしまった。
ルークスは適当にタオルを見繕うと、着替えをするために自室に入っていった。
それだけじゃ拭ききれないだろうと思った私は、大きめのタオルを手に持ち彼の後を追いかけた。
ルークスの部屋の前まで来てノックしようとすると、僅かにドアが開いていた。別に見るつもりはなかったのだが、自然と中にいるルークスの後ろ姿が目に入ってしまった。
何となく視線を逸らせずにいると、彼は徐にシャツを脱ぎだした。
もう着替え始めているし、何だか声をかけ辛いなと思った私はそのまま踵を返そうとした。
けれど、シャツを半分くらい脱いだルークスの背中を見た瞬間、引き返すどころか彼に釘付けになってしまった。
よく目を凝らして見てみると、細身ながらも程よい筋肉がついた綺麗な彼の背中に、異様な雰囲気を放つ黒い刺青のようなものが刻まれている。
「その刻印……ど、どうして……」
思わず、小さな声が漏れてしまった。
ルークスの背中にある刻印は、ご先祖様の手記に描いてあった刻印の絵と似ている。
もしあれが『契約の印』なら、ルークスは悪魔を呼び出す儀式を行い、魂を売ったのだろうか……。
「……お師匠様?」
私の声に気付いたのか、ルークスは後ろを振り返った。
「あ……いや、その……そう、タオル! そのタオルでは小さいと思って、違うタオルを持ってきたんじゃ!」
慌てて誤魔化したものの、ルークスは私が背中の刻印を見たことに気付いたようだ。
彼は濡れたシャツを脱ぎ捨て、替えのシャツをボタンを留めずに軽く羽織ると、ゆっくりと私のほうに歩いてきた。
「見たんですね」
「…………」
「流石に、もう隠し通せないか……。そうです。僕はあの儀式を行い、呼び出した悪魔に特別な力を与えて貰ったんですよ」
「なっ……何故じゃ!? 何故そんなことを!? 力を与えて貰わずとも、お主は十分優秀な魔法使いだというのに!」
「駄目だったんです……僕の実力では、お師匠様をお守りすることは出来なかったんです」
ルークスはそう言って目を伏せ、悔しそうに瞼をぎゅっと閉じた。
「どういうことじゃ……?」
「お師匠様をずっと目の敵にしていた青果店の店主がいましたよね。あの人は、でたらめをでっち上げてお師匠様を悪い魔女として密告し、魔女裁判を起こそうとしていたんですよ。……お師匠様には黙っていましたけど、僕は偶然彼がその計画を他の村人に話しているところを目撃したんです」
「なんじゃと……」
「恐らく、お師匠様が有罪になって処刑されれば昔のように魔女狩りが始まって、各地の魔女を一掃できると思ったんでしょうね」
「そんな……」
「そして──それを阻止するには、あの人を殺すしかなかったんですよ」
「……!」
ルークスが口にした言葉に私は驚きを隠せず、思わず後退った。
「本当は、その場で殺してやりたいくらい腹が立ちました。でも……普通にあの人を殺したら、真っ先にお師匠様が疑われてしまいます。そこで、名案を思いついたんです。お師匠様のことを悪く言う村人同士で殺し合ったことにすればいいんだって……。好都合なことに、あの二人は元々仲が悪かったみたいですし……」
「お、お主……なんてことを!」
「そのためには、最高位魔法である変身魔法を今すぐ使えるようにならないと駄目だったんです」
ルークスは犯行当日のことを話し始めた。
事の顛末はこうだ。まず、魔法を使って青果店の店主に化ける。そして、昼頃に精肉店を訪れ、店主に「後で話がある」と伝え時間を指定し、人気のない場所に呼び出しておく。
それが終わったら、今度は精肉店の店主に化ける。その時、時間をずらして青果店の店主を呼び出し、彼を先に殺しておく。
あの二人はお互いに金銭的にだらしなく、仲が悪い原因も金銭の貸し借りが問題だったそうだ。だから、借りた分を返す素振りを見せておけば、呼び出すのは容易だろう。
あの事件から日数が経ち、精肉店の店主は詳しい供述をし始めたようだ。
彼は、「待ち合わせ場所に着く手前で、急に眠くなって意識が途切れた。次に意識がはっきりした時にはもう待ち合わせ場所に着いていて、目の前であいつが死んでいた。そして、何故か自分は血の付いたナイフを握っていた。その現場を見られて、わけがわからないまま通報された」という滅茶苦茶な供述をしているらしい。
これは睡眠魔法を使って、眠らせている間に彼を移動させナイフを握らせたのだろう。
睡眠魔法を上手く使えば、自分が化けている間に対象に動き回られるのを防ぐことも可能だ。
お互いを呼び出すやり取りを、わざと目立つように店を訪れている客に見せて印象付けたお陰か、二人が会う約束をしていたことを証明できる人間も沢山いる。
殺害現場を通りかかって村の自警団に通報した村人は誰だったのかと言うと……この人物も勿論ルークスだ。
きっと、適当な村人に化けて通報したのだと思う。
──ここまで工作すれば、完璧に後からやって来た精肉店の店主を犯人に仕立て上げられるというわけだ。
「お主、それであの魔法書を熱心に読んでおったのか……」
「ああ、なんだ……それも見られていたんですね。やっぱり、お師匠様に隠し事は出来ないなぁ……」
「なんで……なんで、そこまでしたんじゃ! 妾のために殺人まで犯すなんて……悪魔に魂を売るなんて……! 大馬鹿者じゃ! お主は、大馬鹿者じゃ!」
そう叫びながらルークスの両肩を掴み激しく揺さぶると、彼は虚ろな目で私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……平穏な生活を壊されたくなかったんですよ。この八年間、周りから疎まれつつも、僕は本当に幸せでした。お師匠様と一緒に居られればそれで良かった……。それなのに──」
ルークスは呟くようにそう言い、私の頬にそっと触れた。
「あいつは、その幸せを壊そうとした。散々僕の大切な人を痛めつけた挙句、汚いやり方で陥れ、命すら奪おうとしていた」
「……ルークス?」
「あんな奴、死んで当然だったんですよ」
ルークスは私の頬に触れながら、ニッと冷たい笑みを浮かべた。
私が知っている愛弟子は、こんなに非道な人間ではなかったはずだ。
一体、どこで道を誤ったのだろうか。
「ああ、そう言えば──さっき村人たちが話しているのを聞いて知ったんですけどね。今朝、牢屋に入れられていた精肉店の店主が首を吊って自殺したそうですよ」
「なっ……お主、それでも心が痛まないのか……!?」
「え? どうして、あの人たちに同情しないといけないんですか? 悪いことをしたんだから、当然の報いですよ」
「た、たとえそうだったとしても……! 妾は、お主に人殺しなどして欲しくなかったんじゃ! その上、悪魔と契約なんかしおって! 本当に、お主はどうしようもない大馬鹿者じゃ!」
「……どうしてですか? どうしてそんなことを言うんですか? ……昔みたいに褒めて下さいよ」
ルークスは私を壁際まで追い詰めると、私の両手首を掴み、強い力で壁に押し付けた。
何とか抜け出そうと試みるが、成長した彼に力で敵うはずもなく、すっかり身動きが取れなくなってしまった。
「僕は、子供の頃からずっと貴女のことが好きでした。貴女は僕のことを息子や弟子としか思ってくれませんでしたが……それでも、僕はずっと貴女だけを想い続けてきました」
「ルークス……? 突然何を言い出し──」
「全部、貴女のためにやったんです。僕、お師匠様を守るために頑張ったんですよ?」
ルークスは至近距離でそう囁いたかと思うと、突然唇を塞いできた。少し熱を帯びた彼の柔らかい唇の感触に驚き、私の思考は思わず停止してしまう。
「……!?」
「だから、ご褒美を下さい。ああ、ご褒美と言っても、子供の頃のようにお菓子やお小遣いが欲しいわけじゃありませんよ? ……この意味、わかりますよね?」
ルークスは漸く唇を離すと、虚ろな眼差しで私を見据えそう尋ねてきた。
ふとしたきっかけで、彼に私のご先祖様の話をすることになった。
◆
八年前。
「妾の家系は代々高い魔力を持つ者が多かったのじゃが……一人だけ、魔力が低く魔法の才能がないご先祖様がおったそうなんじゃ」
「その方は、ちゃんと魔法使いになれたんですか?」
「一応はな。でも、彼は元々の魔力が低いため、どう頑張っても周りに追いつけなかったそうじゃ。かなりの努力家だったそうなんじゃがな」
「なんか可哀想ですね……」
「そうじゃな。……ところが、彼はある日突然どんな魔法でも使いこなせる優秀な魔法使いになったんじゃ」
「え……どうしてですか?」
「それはのう……悪魔に魂を売ったんじゃよ」
「悪魔……?」
私が『悪魔』という言葉を出すと、ルークスは少し怯えた表情でそう聞き返してきた。
「そうじゃ。『特別な力を与えてくれる悪魔』を呼び出す儀式は、少しでも魔力を持っている者なら問題なく行えるんじゃが……その代償を恐れて、悪魔召喚の儀式を行う者は滅多にいなかったんじゃ。つまり、ご先祖様は代償を差し出して最高の魔力を手に入れたというわけじゃな」
「そうなんですか……でも、魂を売るってどういうことなんですか?」
「問題はそこじゃな。単に寿命が縮むとかならまだいいんじゃが……悪魔に魂を売った者は、死後天国に行けず、永遠にその悪魔に仕えることになるそうなんじゃ。……要するに、悪魔の奴隷みたいなものじゃな」
「奴隷……ですか」
「天国に行けず、死後もなお悪魔の元で働き続けるなんて普通は嫌じゃろ? きっと……ご先祖様は、それでも魔力が欲しかったんじゃろうな」
一通り話を聞くと、ルークスは「とても怖い話ですね……」と言って私の服の袖をぎゅっと掴んできた。きっと、無意識にやったのだろう。
ルークスは年齢の割にしっかりしているのだが、こういうところがまだ子供らしくて可愛いと思う。
先程ルークスに話したご先祖様の話は、ご先祖様自身が手記として残していた。
その為、代々受け継がれてきた魔法書と共に我が家の書斎に保管されているのだ。
ちなみに、悪魔と契約した者は背中に特徴的な印が刻まれるらしい。
要するに刻印のようなものなのだが……その所為か、ご先祖様は決して人前で背中を見せなかったそうだ。
◆
あの殺人事件以来、ルークスの様子がどことなくおかしい。その所為か、昔のことを思い出す機会が増えた。
まさか、彼がこんなに過保護な青年に育つとは思わなかったな……。
今日もそんな風に物思いに耽っていると、隣を歩いているルークスが私の肩を叩いた。
「お師匠様。どうしたんですか? さっきから、無言ですけど……」
「ああ、いや。その……少し考え事をしていただけじゃ」
「そうですか……でも、のんびり歩いている場合じゃなさそうですよ。何だか空が暗くなってきましたし……」
そう言いながら、ルークスは厚い雲に覆われた空を指差した。独特な匂いが立ち込め、今にも雨が降り出しそうな気配だ。
「これは、一雨ありそうじゃのう」
「そうですね。急ぎましょう」
私たちが早足で歩き出した途端、ぽつりぽつりと雨が降り始めた。
雨はやがて大降りになり、やっと家に着いた頃には二人共全身ずぶ濡れになってしまった。
ルークスは適当にタオルを見繕うと、着替えをするために自室に入っていった。
それだけじゃ拭ききれないだろうと思った私は、大きめのタオルを手に持ち彼の後を追いかけた。
ルークスの部屋の前まで来てノックしようとすると、僅かにドアが開いていた。別に見るつもりはなかったのだが、自然と中にいるルークスの後ろ姿が目に入ってしまった。
何となく視線を逸らせずにいると、彼は徐にシャツを脱ぎだした。
もう着替え始めているし、何だか声をかけ辛いなと思った私はそのまま踵を返そうとした。
けれど、シャツを半分くらい脱いだルークスの背中を見た瞬間、引き返すどころか彼に釘付けになってしまった。
よく目を凝らして見てみると、細身ながらも程よい筋肉がついた綺麗な彼の背中に、異様な雰囲気を放つ黒い刺青のようなものが刻まれている。
「その刻印……ど、どうして……」
思わず、小さな声が漏れてしまった。
ルークスの背中にある刻印は、ご先祖様の手記に描いてあった刻印の絵と似ている。
もしあれが『契約の印』なら、ルークスは悪魔を呼び出す儀式を行い、魂を売ったのだろうか……。
「……お師匠様?」
私の声に気付いたのか、ルークスは後ろを振り返った。
「あ……いや、その……そう、タオル! そのタオルでは小さいと思って、違うタオルを持ってきたんじゃ!」
慌てて誤魔化したものの、ルークスは私が背中の刻印を見たことに気付いたようだ。
彼は濡れたシャツを脱ぎ捨て、替えのシャツをボタンを留めずに軽く羽織ると、ゆっくりと私のほうに歩いてきた。
「見たんですね」
「…………」
「流石に、もう隠し通せないか……。そうです。僕はあの儀式を行い、呼び出した悪魔に特別な力を与えて貰ったんですよ」
「なっ……何故じゃ!? 何故そんなことを!? 力を与えて貰わずとも、お主は十分優秀な魔法使いだというのに!」
「駄目だったんです……僕の実力では、お師匠様をお守りすることは出来なかったんです」
ルークスはそう言って目を伏せ、悔しそうに瞼をぎゅっと閉じた。
「どういうことじゃ……?」
「お師匠様をずっと目の敵にしていた青果店の店主がいましたよね。あの人は、でたらめをでっち上げてお師匠様を悪い魔女として密告し、魔女裁判を起こそうとしていたんですよ。……お師匠様には黙っていましたけど、僕は偶然彼がその計画を他の村人に話しているところを目撃したんです」
「なんじゃと……」
「恐らく、お師匠様が有罪になって処刑されれば昔のように魔女狩りが始まって、各地の魔女を一掃できると思ったんでしょうね」
「そんな……」
「そして──それを阻止するには、あの人を殺すしかなかったんですよ」
「……!」
ルークスが口にした言葉に私は驚きを隠せず、思わず後退った。
「本当は、その場で殺してやりたいくらい腹が立ちました。でも……普通にあの人を殺したら、真っ先にお師匠様が疑われてしまいます。そこで、名案を思いついたんです。お師匠様のことを悪く言う村人同士で殺し合ったことにすればいいんだって……。好都合なことに、あの二人は元々仲が悪かったみたいですし……」
「お、お主……なんてことを!」
「そのためには、最高位魔法である変身魔法を今すぐ使えるようにならないと駄目だったんです」
ルークスは犯行当日のことを話し始めた。
事の顛末はこうだ。まず、魔法を使って青果店の店主に化ける。そして、昼頃に精肉店を訪れ、店主に「後で話がある」と伝え時間を指定し、人気のない場所に呼び出しておく。
それが終わったら、今度は精肉店の店主に化ける。その時、時間をずらして青果店の店主を呼び出し、彼を先に殺しておく。
あの二人はお互いに金銭的にだらしなく、仲が悪い原因も金銭の貸し借りが問題だったそうだ。だから、借りた分を返す素振りを見せておけば、呼び出すのは容易だろう。
あの事件から日数が経ち、精肉店の店主は詳しい供述をし始めたようだ。
彼は、「待ち合わせ場所に着く手前で、急に眠くなって意識が途切れた。次に意識がはっきりした時にはもう待ち合わせ場所に着いていて、目の前であいつが死んでいた。そして、何故か自分は血の付いたナイフを握っていた。その現場を見られて、わけがわからないまま通報された」という滅茶苦茶な供述をしているらしい。
これは睡眠魔法を使って、眠らせている間に彼を移動させナイフを握らせたのだろう。
睡眠魔法を上手く使えば、自分が化けている間に対象に動き回られるのを防ぐことも可能だ。
お互いを呼び出すやり取りを、わざと目立つように店を訪れている客に見せて印象付けたお陰か、二人が会う約束をしていたことを証明できる人間も沢山いる。
殺害現場を通りかかって村の自警団に通報した村人は誰だったのかと言うと……この人物も勿論ルークスだ。
きっと、適当な村人に化けて通報したのだと思う。
──ここまで工作すれば、完璧に後からやって来た精肉店の店主を犯人に仕立て上げられるというわけだ。
「お主、それであの魔法書を熱心に読んでおったのか……」
「ああ、なんだ……それも見られていたんですね。やっぱり、お師匠様に隠し事は出来ないなぁ……」
「なんで……なんで、そこまでしたんじゃ! 妾のために殺人まで犯すなんて……悪魔に魂を売るなんて……! 大馬鹿者じゃ! お主は、大馬鹿者じゃ!」
そう叫びながらルークスの両肩を掴み激しく揺さぶると、彼は虚ろな目で私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「……平穏な生活を壊されたくなかったんですよ。この八年間、周りから疎まれつつも、僕は本当に幸せでした。お師匠様と一緒に居られればそれで良かった……。それなのに──」
ルークスは呟くようにそう言い、私の頬にそっと触れた。
「あいつは、その幸せを壊そうとした。散々僕の大切な人を痛めつけた挙句、汚いやり方で陥れ、命すら奪おうとしていた」
「……ルークス?」
「あんな奴、死んで当然だったんですよ」
ルークスは私の頬に触れながら、ニッと冷たい笑みを浮かべた。
私が知っている愛弟子は、こんなに非道な人間ではなかったはずだ。
一体、どこで道を誤ったのだろうか。
「ああ、そう言えば──さっき村人たちが話しているのを聞いて知ったんですけどね。今朝、牢屋に入れられていた精肉店の店主が首を吊って自殺したそうですよ」
「なっ……お主、それでも心が痛まないのか……!?」
「え? どうして、あの人たちに同情しないといけないんですか? 悪いことをしたんだから、当然の報いですよ」
「た、たとえそうだったとしても……! 妾は、お主に人殺しなどして欲しくなかったんじゃ! その上、悪魔と契約なんかしおって! 本当に、お主はどうしようもない大馬鹿者じゃ!」
「……どうしてですか? どうしてそんなことを言うんですか? ……昔みたいに褒めて下さいよ」
ルークスは私を壁際まで追い詰めると、私の両手首を掴み、強い力で壁に押し付けた。
何とか抜け出そうと試みるが、成長した彼に力で敵うはずもなく、すっかり身動きが取れなくなってしまった。
「僕は、子供の頃からずっと貴女のことが好きでした。貴女は僕のことを息子や弟子としか思ってくれませんでしたが……それでも、僕はずっと貴女だけを想い続けてきました」
「ルークス……? 突然何を言い出し──」
「全部、貴女のためにやったんです。僕、お師匠様を守るために頑張ったんですよ?」
ルークスは至近距離でそう囁いたかと思うと、突然唇を塞いできた。少し熱を帯びた彼の柔らかい唇の感触に驚き、私の思考は思わず停止してしまう。
「……!?」
「だから、ご褒美を下さい。ああ、ご褒美と言っても、子供の頃のようにお菓子やお小遣いが欲しいわけじゃありませんよ? ……この意味、わかりますよね?」
ルークスは漸く唇を離すと、虚ろな眼差しで私を見据えそう尋ねてきた。
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