完全犯罪

みかげなち

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1・目覚め

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 頭が痛いな、と寝返りを打った時に奇妙な音が耳について蒼葉は重たい瞼を上げた。視界に映ったのは知らない部屋。小綺麗にしてあるが女の部屋ではなさそうだった。本棚にやたらと本が多い。先ほど耳についた奇妙な音は何だったのだろうかと躰を起こそうとベッドに手を付こうとした時に、両手首が拘束されていることと自分が全裸であることに気付いた。両手首を拘束している皮ベルトに鎖がついており、その先はどこに繋がっているのかわからない。足首にも違和感があって掛け布団をめくってみると同じく皮ベルトで拘束されて鎖が繋がっていた。
 知らない部屋に拘束されている自分という状況に蒼葉は混乱する。
 青葉が拘束されている以外はごく普通の一人暮らしの部屋のようだった。蒼葉だけがベッドに全裸で拘束されていて日常的な景色の中で異彩を放っている。窓の外は天気が良く、昼間の日差しが眩しい。
「え……? なにこれ? 俺、昨日どうしてたっけ……」
 思わず声に出して呟いて蒼葉は昨晩の記憶を辿った。
 嫌なことがあった。ありていに言えば失恋した。同学年の恋人は心変わりして蒼葉に別れを告げ、去っていった。蒼葉が恋人を特別大事にしていたかと言われると疑問ではあるが、誠実ではあったと思う。ただ、恋人に去られたことがショックで自棄酒をくらっていた。そこまでは覚えている。
 しかし、自棄酒と全裸で拘束されている現状がなにも結びつかない。酒を飲んでいる最中のことを思い出そうとしてもどうにも記憶に靄がかかったようで、蒼葉にはうまく思い出せない。
 特に外傷らしい外傷はないが、二日酔いの頭痛のほかに腰が痛む。腰の鈍痛はいままでに感じたことのない類の痛みで、蒼葉は思い出せない記憶と共に悪い予感がした。
「誰もいないってことはないよな」
 いったん、考えることをやめて蒼葉はベッドから降りた。手に届く範囲に衣服はない。しかも両手と片足を拘束されており、あったとしても身に着けることができない。知らない部屋を全裸でうろつくことには躊躇いがあったが、恥じらっている場合でもなく衣服のことは諦めた。
 ベッドから降りて確認すると、両手首と足を拘束している鎖は案外長く根本は入念にベッドの足に繋げてあった。簡単に鎖を外すことは不可能だ。
 窓の外を見る限りではとんでもない場所に攫われた可能性は低い。ごく見慣れた都内の住宅街と変わらない。
 部屋は蒼葉の住むワンルームの学生向けマンションよりも少し広いくらいだが、ワンルームではない。引き戸の向こうにおそらくもう一部屋ある。この部屋には水回りの類がない。それからテレビも。あるのはベッドと本棚、それから広めの机と椅子、パソコン。パソコンの電源を入れてみても無駄だろう。セキュリティキーがわからなければただの通電する箱だ。
 本棚を見たところでここがどこか、どうしてこんな状況になっているかわかるはずもなく、蒼葉は引き戸に向かって戸を開けた。その先の部屋は広めのキッチンになっており、二つある扉のうち一つを開けるとトイレと洗面と奥に風呂があった。洗面台の様子から部屋の主は男である可能性が高い。シェービングローションと剃刀があった。
 もう一つの扉は玄関に繋がるはずだが、蒼葉の足を拘束した鎖の長さが限界で扉まで行きつけない。どうやら蒼葉を拘束した鎖の長さは十分に計算された長さであるらしく、部屋の中を動く分にはトイレにも風呂にも不自由しないが、外部へは届かない長さになっているらしい。
 窓は、と思いついて蒼葉は居室の窓に戻った。けれど窓は鍵がかかっている上にサッシの隙間を丁寧に粘土で固く埋められていて開けようにもびくともしない。
 青葉を全裸で拘束しているのが誰なのかまだわからないが、背筋が冷えた。これは紛れもない監禁だろう。どうしたらいいのか突然のことで蒼葉は混乱する。男を監禁するなど、なにか意味があるのか。身代金目的の誘拐だとしたら、蒼葉に価値はない。どこかで知らないうちに恨みや憎しみを買ったのだろうか。しかし、そうだとしても監禁する必要性はない。蒼葉の想像の範疇だと監禁行為には対象に執着がないと成り立たない。
 両手を拘束しながら、足は右足だけの拘束。繋がれた鎖は長く、行動可能範囲も広い。
 例えば女性がなんらかの感情で蒼葉を拘束監禁した場合、余程でない限り行動範囲の自由を与えるのは手落ちになる。男女ではやはり男の方に力での分がある。行動範囲を広げれば、蒼葉が監禁相手に逆らい、拘束を解かせることが不可能ではない。そうすると蒼葉を監禁したのはやはり部屋の様子からも男性である可能性が高まるが、男がどんな理由で同じ男である蒼葉を全裸で拘束監禁するのか理由が思いつかない。
 部屋をぐるぐると歩き回りながら蒼葉は思考を巡らせるけれど、どこまで考えても現状に納得できる答えが出なかった。拘束監禁した相手が不在ということも蒼葉の不安を煽る。歩く度に鎖の音がうるさくて考えも纏まらない。全裸であることが落ち着かない。
 とにかく蒼葉はこの状況から逃げ出さなければならないと考える。どう考えても危険で異常でしかない。それだけははっきりと理解できた。
 しかし、いくら考えても蒼葉にはなにもわからず、二日酔いの頭痛も残っており、思考を放棄した。まだここに拘束監禁の犯人はいない。蒼葉が一人のうちは拘束こそされているがそれ以上の危害を加えられることはない。
 手がかりのない現状をいくら考えても仕方なく、頭痛に加え腰に鈍痛がある。
 誰のベッドか知れないことは気味悪くもあったが、蒼葉はベッドに戻って布団を被った。全裸で部屋を歩き回る趣味はない。それならまだ他人のベッドでも布団を被ってしまった方がまだ多少気が楽になった。

 頭痛と腰の痛み、それから混乱した現状に疲れた蒼葉は簡単に睡魔に襲われた。現実逃避と言った方が適切だろう。
 部屋の明かりが付いた眩しさに蒼葉の意識は浮上したが、瞼を上げることを躊躇った。両手首は拘束されたままで蒼葉が拘束監禁されていることは夢ではない。部屋の明かりを付けた人間が蒼葉を監禁した相手だ。そっと様子を伺うように瞼を伏せたまま蒼葉は聞き耳を立てた。
 着替えをしているような衣擦れの音がする。スリッパの足音。おかしな匂いもしない。緊張して音だけで危険な気配がないか探っている蒼葉に足音が近づいてきて、布団の上から躰をするりと撫でられた。思わず蒼葉は跳ね起きてベッドの隅まで後ずさった。
 じゃらりと鎖の金属音が耳につく。それから自分の心臓の音と呼吸がうるさい。
 突然、誰とも知らない手に撫でられて動揺した蒼葉は明るい部屋の明かりが眩しいせいもあって視界が定まらない。
「蒼葉、ただいま」
 ベッドが軋んで座った誰かが当然のように言って手を伸ばして蒼葉の頬を撫でてきた。顔を見なければならないのに、恐怖に竦んだ蒼葉は震えて明かりに慣れても顔が上げられない。
「なにを怖がっているのかな。僕だよ。旭だよ」
 声だけならば穏やかな声音に聞こえるが、もちろん蒼葉はその名前を知らない。声を聞いたこともない。知らない男だ。
「それとも帰りが遅かったから怒ってるのかな。大丈夫だよ。明日からは出かけないから。毎日、ずっと一緒に居るよ」
 その言葉を聞いて蒼葉の背筋に冷たいものが走った。
 蒼葉が拘束されているこの状況で、毎日一緒にいる。
 脳裏に幼女や少女の誘拐監禁事件がちらつく。犯人の性的嗜好が問題視され、幼女や少女ばかりが標的のように思われるが、同性愛趣味の男ならば蒼葉でも十分標的になりうる。蒼葉に同性愛の嗜好はなく、反射的に嫌悪感が込み上げた。
 多様性を理解しない訳ではない。ただ、蒼葉の近辺には存在しなかった。知らないものに対する未知の恐怖だ。
「そんな隅にいないでおいで、蒼葉」
 するすると頬を撫でる手つきも声にも粗暴さは感じられない。しかし、それは蒼葉が反抗しないからだけの可能性もある。言うことを聞かなかったならどんなことをされるかわからない。少なくともいまの蒼葉は全裸で極めて無防備だ。
 恐る恐る顔を上げてなんとか頷くと目の前の男は柔和な笑みを見せた。機嫌は上手く取れたらしいとほっとすると、男が頬にキスをしてきてまた蒼葉は壁に背中を付けた。ごん、と頭をぶつけた音がしたが、鈍痛を感じている余裕もない。この男は確かに同性愛者なのだろう。
「新しい生活にはゆっくり慣れたらいいよ」
 それでも男は柔和な笑みのまま蒼葉に手を差し出す。
 新しい生活とはなんだと言いたい気持ちを押さえて、頷かずに蒼葉は延べられた手を取った。いまは従順でいることが危険を最小限に留めることだと蒼葉は奥歯をきつく噛む。
 男は全裸の蒼葉を気にした様子もなく、隣のキッチンの椅子に座らせて食事を作り始めた。
 キッチンに立つ男の後姿を観察すると、背は蒼葉よりも高く、着痩せするタイプなのか躰を動かすたびに衣服の下の筋肉質でバランスの良い線が見え隠れする。たぶん、力では適わないと蒼葉は判断する。ずっと穏やかそうな声、柔和な笑みを見せていたが蒼葉を懐柔する為かもしくはネジのひとつやふたつ飛んでいるのか、まだ判別しがたい。
 いまのところ、蒼葉に自力で逃げる手立てはない。
 男が料理している間、観察した結論はそれしかなかった。
 拉致監禁など無縁の事件だと思っていたが、実際に知らない場所で知らない男に身ぐるみ剥がされ自由を奪われるとなにもかもが恐ろしい。一つの判断の間違いが命取りになりそうな危うさを蒼葉は感じていた。少なくとも男を不機嫌にさせずに従っていれば、なにかされる危険は減る。
 問題は逃走手段だ。なりふり構ってられる場合ではなく、衣服などどうでもいい。如何に男に気付かれることなく外に逃げるかが蒼葉の最大の問題だった。少なくとも両手首と右足の拘束をどうにかすることが最優先事項。それと同時に鍵のありかや、現在位置の確認など考えなければならないことは山のようにある。もちろん、男に気付かれてはいけない。
 料理をする男の方からは食欲を掻き立てる匂いがしてきたが、蒼葉はそれにも気付かないまま男を観察し続けた。
「蒼葉、できたよ」
 にこやかに振り返る男の様子は恋人にでも料理を振舞うかのようだ。実際に男は整った顔立ちをしていた。蒼葉よりいくつか年上だろうが、まだ三十には届いていなさそうだ。
 男は手際よく皿をテーブルに並べて、蒼葉の前には乳白色に色のついた液体が入ったグラスを置いた。
「まだ蒼葉はその方がいいと思うんだ。プロテインだから大丈夫だよ。慣れたら一緒にごはん食べよう」
 男の言葉を蒼葉は理解できなかった。更に、プロテインだと言われたグラスの液体も疑った。しかし、蒼葉に選択権はない。
「いただきますしよう」
 促されて、蒼葉は掠れた声で「いただきます」と言った。気付けばそれまで蒼葉は男を前にしてからずっと声を発していなく、緊張で喉が乾いて酷い掠れ声になっていた。
 喉の渇きに気付くと、蒼葉は拘束された両手でグラスを持って液体を一口喉に流した。柑橘風味の液体は確かに牛乳で溶いたプロテインの味がした。無味無臭の何かが混ぜられていたとしたら、わかりようがない。それよりも染み渡る液体に蒼葉は本能的にグラスの中身を飲み干した。
 昼間に目を覚ました時からなにも口にしていない。その前夜もろくにものを食べていない。空腹はプロテインで誤魔化せても躰はまだ水を欲している。けれど、蒼葉はそれを言い出せない。男に屈服する屈辱。弱みを見せたくないプライドが邪魔する。
「蒼葉。なにが欲しいのかちゃんと言ってごらん」
 意地を張る年下を年長者が窘めるように男がいったん箸を置いて言った。
 まるで見透かされているようだが、男は蒼葉の状態を蒼葉よりも理解しているのだろうから当然でもある。男は言った後、食事を再開せずに頬杖をついて蒼葉の言葉を待っていた。
「……水が、欲しい……です」
 少しの水分も口にしていなければ渇きに気付かなかったのにと思いながら、蒼葉は男に屈服した。都合よく両手首を拘束されていて握りしめた手をテーブルの下で震わせた。
「いい子だね」
 男は機嫌よさそうに言うと、蒼葉の前のグラスを取って、一度洗ってからペットボトルの水を注いで元の場所に置いた。蒼葉は言いようのない悔しみを噛み締めて、心底欲していた筈の水にしばらく手を出せないでいた。

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