リバースバンドリバース

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その13

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「ありがとうございましたー!」

 マイクに向かってそう叫ぶツネちゃんの声が掻き消されるくらいの大歓声の中、高校最後の文化祭は幕を閉じた。昨日の緊張や不安が嘘のような完璧な演奏だった。

「おい辺野!やったぞ、今日イチの盛り上がりだ!」

 バショーは興奮を抑えきれない様子で僕の背中を叩いた。僕は頬を伝う汗をTシャツの袖で拭うと、隣を見た。ツネちゃんはなにやら手を振っている。その奥のガクは、余韻に浸るようにピックを握りしめている。そして正面を見た。老若男女に関わらず、皆がこの高校生バンドの演奏に、絶え間なく歓声や拍手を送っている。それは青春の一ページに刻まれるような、青臭い思い出に対するものではなく、数あるうちの一バンドに対する、純粋な敬意と賞賛のように思えた。

 そして、その拍手と歓声にはどこか聞き覚えがあった。そうだ、ライブだ。何万人という観客から贈られる、アーティストに対するリスペクト。僕たちは、規模は小さいながらも、その領域に達することが出来たのではないだろうか。そう思うと、僕は身震いした。嬉しい!そう心の底から思った。こんなに一つの感情を強く抱くというのは初めてだった。その初めてがこれで良かった、僕はその気持ちをじっくりと味わった。

「人成、行くよ」

 ツネちゃんにそう言われて初めて、退場の時間だと分かった。僕らはトリだったので、観客も体育館からはけ始めている。僕は一秒でも長くこの空間にとどまり続けたかったが、諦めてアンプの電源を落とした。

「やったね人成、文化祭大成功!」

 そう言って僕に笑いかけるツネちゃんは泣いていた。僕はそれを見て涙がこみあげてくるのを、必死に我慢して答えた。

「そうだね、ツネちゃん」

 後輩たちと機材の片づけを終わらせたのは、5時過ぎだった。僕は一足先に仕事を終わらせていたバショーとガクの元に向かった。あいつらのいる図書室に向かう途中、すれ違う人から

「ライブ、滅茶苦茶よかったです!」

「辺野、お前ギター上手すぎだろ」

 と声をかけられた。僕は笑ってそれに答えた。やはり実際に聴いてくれた人達からの言葉は何物にも代え難かった。二階に上がる階段を上がるとき、空に会った。

「最近いっつも階段で会うね」

 空はそう言って僕に笑いかけた。僕は不思議と緊張しなかった。

「空、俺たちのライブ見てくれた?」

「もちろん、すごく良かった」

「ありがとう」

 僕は言った。僕の口からまっすぐに出た嘘偽りない言葉だ。空は面食らったような表情をした。

「人成君ってそんな顔するんだね」

 僕はその言葉の意味を掴みかねたが、バショーとガクの二人を待たせているのを思い出し、空に早々に別れを告げた。

「ごめん!遅れた」

 僕は二人に謝罪した。正確には三人だ。球磨もすでにやるべきことは済ませて合流していた。

「待たせすぎ」

 まず球磨が言った。

「時間ありすぎて新しい彼女出来たぞ」

 バショーが続けた。僕はガクを見た。ガクは一つ大きなため息をついた。その後聞いた話では1時間半はずっとここで待っていたらしい。僕はまた謝ると、ツネちゃんとも合流するため、体育館へと向かった。ツネちゃんが体育館に僕たちを招集したのだ。

 体育館は、ほんの数時間で全ての機材や舞台が消え去っていた。それと一緒に、あの熱気も何処かに言ってしまったらしい。エアコンなんてついていないのに、空気は落ち着いていて、冷たかった。

 ツネちゃんは、ジャージのポケットに手を突っ込んみ、舞台の方を向いて体育館の真ん中に突っ立っていた。

「生内!」

 バショーが呼びかけた。その声で、ツネちゃんは正面入り口の方に振り返った。

「あ、来た」

 その声は意外にあっさりしていた。

「ツネちゃん、早く帰ろうよ。打ち上げに間に合わなくなる」

 球磨が言った。確かにこのままだと軽音部の打ち上げに遅刻する。それを聞いたツネちゃんはため息をついた。

「はあ、そんなの二次会から参加すればいいの。それより、最後なんだから。別に私たちだけ別でもいいでしょ?」

 どうやらツネちゃんは、この時間をバンドリバースのメンバーたちと過ごしたいらしい。

「そういう訳だから、座ろうよ」

 そういうとツネちゃんは舞台のへりに腰かけた。僕たちも荷物を舞台の下に置くと、へりに腰かけた。そこからはがらんとした体育館が見渡せた。すでに時刻は6時を回っている。やっと沈み始めた太陽の光がカーテンの隙間を通して、様々に交差する色とりどりのラインをオレンジ色に照らしていた。

「私ね、昨日の夜は寝れなかった。みんなもそうでしょ?」

 ツネちゃんは話し始めた。それに僕たちは頷いた。もし演奏の悉くが失敗したらどうしよう、そう考えだしては、眠るのは不可能だった。昨日はお父さんのホットアイマスクを貰ってきて無理やり寝たのだ。

「布団の中で何十回もライブが失敗する妄想をしたし、それが寝て起きても脳に消えずに残ってた」

 ツネちゃんは少し前のめりになると頬杖をついた。

「でも、今日の朝みんなに会った時、その妄想は消え去った。だって、この4人を前にして失敗する所が想像できなかったから。自慢じゃないけど、私が一番みんなの努力を近くで見てきたから。私は歌うだけで楽器はそんなに弾けないけど、それを見ることは出来た」

 ツネちゃんは舞台から降りると、振り返って僕たちを見た。

「今日、その全部を感じた。心の底からこのバンドで、このライブをすることが出来て良かったと思った。だから、」

 ツネちゃんはそこまで言って言葉に詰まった。恥ずかしそうだ。そして、照れくさそうに僕らに言った。

「ありがとね」

「こ、こっちこそ」

 不意にガクが舞台を降りた。そしてツネちゃんの方を向いた。

「生内とバンドがやれて、良かった。……ありがとう」

「学郎だけじゃない」

 今度は球磨が舞台を降りた。

「僕も、みんなとバンドができて楽しかった。こいつらだって…」

「もちろん!」

 バショーが舞台を飛び降りた。

「俺だって、生内と、みんなとバンドが出来て良かった。ありがとう、全員に感謝してる」

 最後は僕だ。僕は舞台から降りると、みんなを見た。

「俺も、このメンバーで3年間、バンドが出来て本当に良かった。俺はこれからも、みんなとこのバンドを続けていきたいと心の底から思う」

 僕はそう言った。昨日の夜、ツネちゃんが言っていたことだ。今僕も、同じ思いだ。

「そうだな、大学生になったらメジャーデビューだ」

「まあ……いいか」

 球磨はやれやれと言った感じで言った。

 ガクは黙って頷いた。ちょっと笑っている気がしたが、気のせいだろう。だってガクはめったに笑わない。

 そして、ツネちゃんは僕に笑いかけて言った。

「人成、ありがとね」



 僕は長椅子から崩れ落ちるように跪いた。その時気付いた。僕は、泣いていた。そして、あのときの記憶が、一瞬にしてフラッシュバックしたのだ。そして、それが僕の心に深々と突き刺さった。止めどなくあふれる涙は、まるで血のように床に滴り落ちた。

「ごめんなさい」

 後ろから声がした。誰の声だろうか、いや、祭花だ、空の妹だ。なんで謝ってるんだ?ああ、祭花は確かこう言ったのだ。

『生内常世は死んだ』

「う、あ。ウウ!」

 僕は声にならない声を挙げた。そして吐いた。吐くものがなくなっても吐いた。すると、口に何か酸っぱいものが広がった。そして一通り泣き続けると、急にそれらがピタッと止まり、何も感じなくなった。それと同時に恐ろしいほど冷静になった。背中に違和感を感じたので、それらしいところを触ってみると、何やら紙が貼ってあった。その紙は、さっき祭花が見せてくれたお札によく似ていた。そしてそれには、焦げたような跡があり、全体が黒く変色していた。

 僕は辺りを見渡した。すでに長椅子には祭花の姿はなく、松葉づえが壁に立てかけられていた。そして廊下の奥から看護師が走ってきていた。医師らしき姿も見える。

「大丈夫ですか?」

 医師は息も絶え絶えになりながら僕の顔を覗き込んだ。その後ろでは、看護師が僕の吐瀉物を片付けている。そしてそこのタイルを作業服姿の男がはがし始めた。

「ええと、辺野さんですね?詳しいことはまた後で。一旦病室までお戻りいただくので、こちらをお使いください」

 医師はそう言って一台車いすを持ってこさせた。優しそうな看護師が後ろで控えている。僕はそれを見て急に胸が苦しくなった。僕は力を振り絞り、

「自分で、歩けます」

 と、松葉杖を手に取った。僕の声はひどくしわがれていた。尚も車いすを進める医師を背に、僕は病室へ戻り始めた。病室までどう戻ったかは覚えていない。頭にもやがかかったみたいだ。何も考えられないし、感じない。ただ虚無と脱力感だけが体を支配していた。

 ベッドに横になっても眠気は全くなかった。目を閉じても、ただ果てしない暗闇が広がるだけだった。しばらくしてさっきの医師と、そして幸が来た。

「人成君、大丈夫?」

 幸は心配そうに僕の顔を覗き込んだ。僕はそれには答えなかった。大丈夫ではなかったから。

「辺野さん、質問には無理をして答える必要は全くありません。それを踏まえて、今日の朝、どういった経緯であそこへ?」

 僕はそれにも答えなかった。僕には言葉を発する気力はどこにもなかった。まるで、生きる気力を司る部分が、抜け落ちてしまったようだった。当然、なぜこんな状態になったのかも話すことは出来なかった。

「とりあえず安静にしていてください。落ち着いたらそちらのボタンで私を呼んでください」

 医師はそう言うと部屋を後にした。幸は残っていた。

「私はここにいるからね」

 幸はそう言って僕の手を握った。幸は僕の方を見た。その姿はどこか……。その瞬間、一気に頭にかかっていたもやが晴れた。それと同時に、さっきまでの記憶と感情がどっと押し寄せてきた。僕はまた涙があふれだした。そして、感情の波にもまれながら、僕はやっとのことで声を発することが出来た。

「…死んだんだ、ツネちゃんが。球磨に、伝えて」

 僕はそう言うと顔を腕で覆った。そうだ、三年間苦楽を共にした、あのツネちゃんが、あの生内常世が死んだのだ。それは急に質量を持って、僕を押しつぶした。

 それから三日後、葬式が開かれた。
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