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その3
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翌日、夏休み初日に僕はとある喫茶店にいた。名前は東亜喫茶店という。昔ながらのお店らしく、内装はいかにもなアンティークや小物が置いてあって、レトロな雰囲気が漂っている。この場所を指名したのは他でもない青井空その人なのだが。彼女の昔からの行きつけらしく、店主とも昔からの付き合いがあるそうだ。そして今僕は、そんな店の一番隅の席で一人カフェラテを啜っている。なぜかというと、今から一時間前に来るはずだった空が遅刻しているからだ。僕もあまり人のことを言えないが、まさか初っ端から一時間遅刻してくるとは思わなかった。いや、そういえば高校生の時もちょくちょく遅刻してたか。
それからさらに一時間たって、時計の針が3時を指したところで彼女は現れた。昨日とは打って変わってカジュアルな、動きやすそうな服装になっている。
「ごめん!」
空は入り口から真っ直ぐ僕の方に来ると、そう言って音のなるくらい強く手を合わせた。それを聞いて僕は、すっかり冷たくなったカフェラテを勢いよく飲み干すと、ちょっと間を置き、
「許す」
とだけ言って席に座るよう促した。ホントは怒ってもよかったのだけど、謝っている姿も可愛かったのでこの一言にとどめておいたのは内緒だ。
「ほんとにごめんなさい、人成君。電車の乗り換え間違えちゃって」
乗り換えミスで二時間も遅刻するのだろうか。
「7回」
それは遅刻する。というか人間、七回も電車の乗り換え間違えるものなのか?まあいいや、本題に入ろう
「それで、僕をここに呼んだのは元メンバー探しのためなんだよな」
「そう、メンバー探しのため」
彼女はいつの間にかブラックコーヒーを飲んでいた。いつのまに頼んだのだろう。
「そいつらの居場所ってもう分かってたりしないのか?」
僕はダメ元で聞いてみた。彼女は案の定首を横に振った。
「残念ながら。二人は分かったんだけど、もう二人に関しては音信不通ね」
「そうか、それで居場所が分かった奴は誰と誰なんだ?」
「米素馬生君と球麿六星君」
僕は懐かしい顔ぶれを思い出した。
「おお、バショーとクマか。あいつら元気にしてるんだな」
僕はしみじみと言った。
「二人はそれぞれ連絡がとれたの」
「今二人は何を?」
「馬生君はインディーズバンドのベーシスト。六星君は警察官をしてた」
ん、ちょっと待て
「警察官?クマが?」
それはまさかの職業選択だった。あいつの高校生時代を知る身としては、まさか絶対ありえない組み合わせである。クマは警察官が、というより警察を極度に嫌っていたのだ。何故かは知らないがとにかく嫌っていた。その点バショーは分かりやすい。あいつは今も馬鹿正直にベースをやっている。そういえば昔からベースにだけは嘘をつかなかったな。まあ当然と言えば当然だ。けど、
「なんでクマが警察官を」
「本人は家庭の事情って言ってたけど」
どんな家庭の事情なんだろうか。僕は気になった。そして考えているうち、もっと重要なことを思い出した。最も重要なことと言ってもいい。
「ところで、今言った二人のほかあと二人。ツネちゃん、いや、生内常世とガク、竹真学郎は本当に音信不通なのか?」
空が音信不通と言っていたこの二人、特にツネちゃんは、本来であればその性格から考えて音信不通になることは絶対ないはずなのだ。僕はそこに違和感を感じていた。
「うん、二人にはいくら電話をかけても繋がらないし、メールも既読すらつかなかった」
空はこのことに関して頭を悩ませているようで、どうしたものかと言った感じでため息をついた。
「バンドは全員揃わないといけないのか?」
最悪三人でライブをするという選択肢もある。とても不本意ではあるが。
「先生は確かに全員で、と言ってたから。全員集まる必要があると思う」
早速万事休すだ。メンバー二人と連絡も取れないのにどうやって探しだすというのだろう
「なにか策とかは」
聞いて後悔した。そんな起死回生の策があったらもう既にバンドは再結成されている。
「とりあえず連絡の取れてる二人と合流するしかないと思う」
とりあえず、ねえ。まあ今はそれくらいしかできないか。
「…分かった。それで、どっちから先に会いに行こうか。」
空はちょっと考えて言った。
「それは米素君がいいと思う。彼のバンド、明後日ライブがあるって言ってたから」
「まずはバショーか」
僕は腕を組んで椅子の背にもたれかかった。古びた木製の背もたれが、ぎしりと音をたてる。
「そういえば、連絡がついた二人には川瀬先生のこと言ったのか?」
「それは勿論言ったんだけど…」
なにやら言い渋っている。
「なんて言ってた?」
「参加したいのは山々だけど、今忙しくて余裕がないって」
僕はため息をついた。
「断られたか…」
薄々分かっていた。あいつらにもあいつらの都合があるのだ。僕みたいにそう上手くいかないだろうというのは予見していた。それでも、心のどこかでもしかしたらと期待していたのだが。
「そう上手くはいかないよな」
というか、今更だけどなんでこんな厄介な頼み事引き受けてしまったんだろう。断るだろ、普通。このままでは貴重な夏休みが無意味に消費されてしまう。どうしたものか。今からでも断れるかな。土下座すれば許してくれるだろうか。いや、そもそも僕は頼まれた側だ。そこまで卑屈にならなくてもいいか。よし、ここはなるたけ穏便に
「空、とても言いにくいことなんだけど…」
僕がそう言いかけた時、それを遮るように空が口を開いた。
「ねえ人成君」
空はとても穏やかな表情だった。
「今更やめるなんて言わないよね?」
「え?」
僕の考えを読まれたのか?それにしても、
「人成君はさ、見捨てたりしないよね。途中で投げ出さないよね。」
空の表情は少しも変わらない。穏やかそのもの、薄っすら微笑すら浮かべている。正直、気味が悪いと思った。とても人間的な所作とは思えないのだ。そしてその表情とは裏腹に、何かが空の中で抑圧されているような、封じ込められているような重苦しい何かがにじみ出ていた。僕はその様子にいつのまにか冷や汗を流していた。
「そ、空?」
「何?人成君」
まだ微笑んでいる。僕は何も言えなかった。もう無理だからあきらめようなんてとても言えない。暫く息の詰まるような沈黙が続いた。僕はなにか口に出そうとするのだが、なぜかそのたびに言いよどんでしまい、そんな僕の様子を空は黙って見ていた、見つめていた。今思うと、僕は空に気圧されていたんだと思う。彼女のその尋常ではない、不吉な雰囲気が、僕のことを捕らえて逃がさなかったのだ。彼女の本質を知った今だから言えることだが、あれは彼女のほんの片鱗に過ぎない。何年も積み重なってきた彼女の呪いの、ほんの上辺の部分だ。そして多分、この時から僕は、彼女を単なる初恋の人とは見れなくなっていた。つまり恋愛の対象として。自分では到底彼女には釣り合わないと感じた。そもそも釣り合うような人物がいるとも思えなかった。
重い沈黙が1分ほど続いて僕は、やっと言葉を発することができた。その内容は、最初とは全くの正反対だった。
「…馬生がやるっていってたバンド、どこの箱でやるんだ」
言って自分にびっくりした。この発言を僕は全く意図せず発した。僕は無意識のうちに彼女に屈したのだ。
空はそれまで続けていた微笑をやめ、スマホの画面を見せて教えてくれた。その時にはいつもの調子に、つまり、僕が惚れたあの青井空に戻っていた。それを確認した時の僕の気持ちたるや、どんなに安堵したか。あれは心臓に悪すぎる。正直二度と見たくない。
「それじゃあ人成君、ちょっと早いけど今日はお開きにしない?私、外せない用事があって」
空は今日最初にあったときみたいにすまなそうに手を合わせた。僕はただ黙ってそれを見ていた。
「またね、人成君」
「うん、また」
僕は気のない返事をして彼女を見送った。
「ふー、疲れた」
空の姿が見えなくなってから僕は机に突っ伏した。体が強張って痛い。僕はそのまま家に帰る気にもなれず、結局だらだらと喫茶店で時間を潰した。時間が5時を回ったところでやっと椅子から立ち上がり、自分のお会計を済ませた。割り勘にしてくれたのは有難いと思った。
僕は帰りの電車の中で、今日のことを思い出していた。まず思ったのは、まさかメンバーが二人も音信不通になっているということだ。大学生になってから連絡が取れなくなるというのは割とある方だと思うが、ことバンドリバースのメンバーに限っては、そんなことはあり得ないのだ。ツネちゃんもガクも連絡は必ず返してくる奴だったし、あいつらの方も、それにある種の誇りと言うかプライドを持っていたように思う。となると、何か良からぬことに巻き込まれでもしたのか。その可能性自体は低いと思うのだが、一度可能性を思い浮かべてしまうと中々それを消せるものではない。心配だ。更にバショーとクマだ。僕は最初、二人はなんやかんや了承してくれると思っていた。でも現実はその逆、期待していただけにショックだった。
そして、空だ。話の途中で見せたあの不気味な表情はなんだったのだろうか。少なくとも高校ではあんな顔もあんな重い雰囲気もなかったはずだ。でも高校卒業から今まで一年もたっていない。それなのにあの変わりよう。いや、そもそも何も変わっていないのかもしれない。何が理由かは分からないが、僕がしたなにかしらが、彼女の中にあって、今日まで抑え込まれてきたよくないものに触れてしまったのではないだろうか。ではそれは何なのだろう、高校卒業後でないとするならいつだ?高校生、いや、中学生か。でもあれはもっと昔からのものに感じた。とすると小学生の時が妥当か。そして、それらの原因、元になった出来事ないしものとは一体…。
『次は渋谷、渋谷です』
僕はそこまで考えたが、一旦早く家に帰ってしまうことにした。どうも考えることが多すぎて人の多いところでは集中できない。僕は足早に家路に着いた。
僕は帰ってまずベットに横になった。今日は特別疲れたのだ。そばに寄ってきて、頭を擦り付け甘えてくる飼い猫のモクローが愛おしい。
「お前は俺の癒しだよ、モクロー。この、愛い奴め」
僕はモクローを持ち上げると顔の上に乗っけた。猫アレルギーの人が同じことをしたら死んでしまうだろうな、と呑気なことを思い、少し気持ちが落ち着いた。こういう時ペットの存在は偉大である。結局僕はそのまま眠りについてしまった。何も考えずにぐっすり寝た。
それからさらに一時間たって、時計の針が3時を指したところで彼女は現れた。昨日とは打って変わってカジュアルな、動きやすそうな服装になっている。
「ごめん!」
空は入り口から真っ直ぐ僕の方に来ると、そう言って音のなるくらい強く手を合わせた。それを聞いて僕は、すっかり冷たくなったカフェラテを勢いよく飲み干すと、ちょっと間を置き、
「許す」
とだけ言って席に座るよう促した。ホントは怒ってもよかったのだけど、謝っている姿も可愛かったのでこの一言にとどめておいたのは内緒だ。
「ほんとにごめんなさい、人成君。電車の乗り換え間違えちゃって」
乗り換えミスで二時間も遅刻するのだろうか。
「7回」
それは遅刻する。というか人間、七回も電車の乗り換え間違えるものなのか?まあいいや、本題に入ろう
「それで、僕をここに呼んだのは元メンバー探しのためなんだよな」
「そう、メンバー探しのため」
彼女はいつの間にかブラックコーヒーを飲んでいた。いつのまに頼んだのだろう。
「そいつらの居場所ってもう分かってたりしないのか?」
僕はダメ元で聞いてみた。彼女は案の定首を横に振った。
「残念ながら。二人は分かったんだけど、もう二人に関しては音信不通ね」
「そうか、それで居場所が分かった奴は誰と誰なんだ?」
「米素馬生君と球麿六星君」
僕は懐かしい顔ぶれを思い出した。
「おお、バショーとクマか。あいつら元気にしてるんだな」
僕はしみじみと言った。
「二人はそれぞれ連絡がとれたの」
「今二人は何を?」
「馬生君はインディーズバンドのベーシスト。六星君は警察官をしてた」
ん、ちょっと待て
「警察官?クマが?」
それはまさかの職業選択だった。あいつの高校生時代を知る身としては、まさか絶対ありえない組み合わせである。クマは警察官が、というより警察を極度に嫌っていたのだ。何故かは知らないがとにかく嫌っていた。その点バショーは分かりやすい。あいつは今も馬鹿正直にベースをやっている。そういえば昔からベースにだけは嘘をつかなかったな。まあ当然と言えば当然だ。けど、
「なんでクマが警察官を」
「本人は家庭の事情って言ってたけど」
どんな家庭の事情なんだろうか。僕は気になった。そして考えているうち、もっと重要なことを思い出した。最も重要なことと言ってもいい。
「ところで、今言った二人のほかあと二人。ツネちゃん、いや、生内常世とガク、竹真学郎は本当に音信不通なのか?」
空が音信不通と言っていたこの二人、特にツネちゃんは、本来であればその性格から考えて音信不通になることは絶対ないはずなのだ。僕はそこに違和感を感じていた。
「うん、二人にはいくら電話をかけても繋がらないし、メールも既読すらつかなかった」
空はこのことに関して頭を悩ませているようで、どうしたものかと言った感じでため息をついた。
「バンドは全員揃わないといけないのか?」
最悪三人でライブをするという選択肢もある。とても不本意ではあるが。
「先生は確かに全員で、と言ってたから。全員集まる必要があると思う」
早速万事休すだ。メンバー二人と連絡も取れないのにどうやって探しだすというのだろう
「なにか策とかは」
聞いて後悔した。そんな起死回生の策があったらもう既にバンドは再結成されている。
「とりあえず連絡の取れてる二人と合流するしかないと思う」
とりあえず、ねえ。まあ今はそれくらいしかできないか。
「…分かった。それで、どっちから先に会いに行こうか。」
空はちょっと考えて言った。
「それは米素君がいいと思う。彼のバンド、明後日ライブがあるって言ってたから」
「まずはバショーか」
僕は腕を組んで椅子の背にもたれかかった。古びた木製の背もたれが、ぎしりと音をたてる。
「そういえば、連絡がついた二人には川瀬先生のこと言ったのか?」
「それは勿論言ったんだけど…」
なにやら言い渋っている。
「なんて言ってた?」
「参加したいのは山々だけど、今忙しくて余裕がないって」
僕はため息をついた。
「断られたか…」
薄々分かっていた。あいつらにもあいつらの都合があるのだ。僕みたいにそう上手くいかないだろうというのは予見していた。それでも、心のどこかでもしかしたらと期待していたのだが。
「そう上手くはいかないよな」
というか、今更だけどなんでこんな厄介な頼み事引き受けてしまったんだろう。断るだろ、普通。このままでは貴重な夏休みが無意味に消費されてしまう。どうしたものか。今からでも断れるかな。土下座すれば許してくれるだろうか。いや、そもそも僕は頼まれた側だ。そこまで卑屈にならなくてもいいか。よし、ここはなるたけ穏便に
「空、とても言いにくいことなんだけど…」
僕がそう言いかけた時、それを遮るように空が口を開いた。
「ねえ人成君」
空はとても穏やかな表情だった。
「今更やめるなんて言わないよね?」
「え?」
僕の考えを読まれたのか?それにしても、
「人成君はさ、見捨てたりしないよね。途中で投げ出さないよね。」
空の表情は少しも変わらない。穏やかそのもの、薄っすら微笑すら浮かべている。正直、気味が悪いと思った。とても人間的な所作とは思えないのだ。そしてその表情とは裏腹に、何かが空の中で抑圧されているような、封じ込められているような重苦しい何かがにじみ出ていた。僕はその様子にいつのまにか冷や汗を流していた。
「そ、空?」
「何?人成君」
まだ微笑んでいる。僕は何も言えなかった。もう無理だからあきらめようなんてとても言えない。暫く息の詰まるような沈黙が続いた。僕はなにか口に出そうとするのだが、なぜかそのたびに言いよどんでしまい、そんな僕の様子を空は黙って見ていた、見つめていた。今思うと、僕は空に気圧されていたんだと思う。彼女のその尋常ではない、不吉な雰囲気が、僕のことを捕らえて逃がさなかったのだ。彼女の本質を知った今だから言えることだが、あれは彼女のほんの片鱗に過ぎない。何年も積み重なってきた彼女の呪いの、ほんの上辺の部分だ。そして多分、この時から僕は、彼女を単なる初恋の人とは見れなくなっていた。つまり恋愛の対象として。自分では到底彼女には釣り合わないと感じた。そもそも釣り合うような人物がいるとも思えなかった。
重い沈黙が1分ほど続いて僕は、やっと言葉を発することができた。その内容は、最初とは全くの正反対だった。
「…馬生がやるっていってたバンド、どこの箱でやるんだ」
言って自分にびっくりした。この発言を僕は全く意図せず発した。僕は無意識のうちに彼女に屈したのだ。
空はそれまで続けていた微笑をやめ、スマホの画面を見せて教えてくれた。その時にはいつもの調子に、つまり、僕が惚れたあの青井空に戻っていた。それを確認した時の僕の気持ちたるや、どんなに安堵したか。あれは心臓に悪すぎる。正直二度と見たくない。
「それじゃあ人成君、ちょっと早いけど今日はお開きにしない?私、外せない用事があって」
空は今日最初にあったときみたいにすまなそうに手を合わせた。僕はただ黙ってそれを見ていた。
「またね、人成君」
「うん、また」
僕は気のない返事をして彼女を見送った。
「ふー、疲れた」
空の姿が見えなくなってから僕は机に突っ伏した。体が強張って痛い。僕はそのまま家に帰る気にもなれず、結局だらだらと喫茶店で時間を潰した。時間が5時を回ったところでやっと椅子から立ち上がり、自分のお会計を済ませた。割り勘にしてくれたのは有難いと思った。
僕は帰りの電車の中で、今日のことを思い出していた。まず思ったのは、まさかメンバーが二人も音信不通になっているということだ。大学生になってから連絡が取れなくなるというのは割とある方だと思うが、ことバンドリバースのメンバーに限っては、そんなことはあり得ないのだ。ツネちゃんもガクも連絡は必ず返してくる奴だったし、あいつらの方も、それにある種の誇りと言うかプライドを持っていたように思う。となると、何か良からぬことに巻き込まれでもしたのか。その可能性自体は低いと思うのだが、一度可能性を思い浮かべてしまうと中々それを消せるものではない。心配だ。更にバショーとクマだ。僕は最初、二人はなんやかんや了承してくれると思っていた。でも現実はその逆、期待していただけにショックだった。
そして、空だ。話の途中で見せたあの不気味な表情はなんだったのだろうか。少なくとも高校ではあんな顔もあんな重い雰囲気もなかったはずだ。でも高校卒業から今まで一年もたっていない。それなのにあの変わりよう。いや、そもそも何も変わっていないのかもしれない。何が理由かは分からないが、僕がしたなにかしらが、彼女の中にあって、今日まで抑え込まれてきたよくないものに触れてしまったのではないだろうか。ではそれは何なのだろう、高校卒業後でないとするならいつだ?高校生、いや、中学生か。でもあれはもっと昔からのものに感じた。とすると小学生の時が妥当か。そして、それらの原因、元になった出来事ないしものとは一体…。
『次は渋谷、渋谷です』
僕はそこまで考えたが、一旦早く家に帰ってしまうことにした。どうも考えることが多すぎて人の多いところでは集中できない。僕は足早に家路に着いた。
僕は帰ってまずベットに横になった。今日は特別疲れたのだ。そばに寄ってきて、頭を擦り付け甘えてくる飼い猫のモクローが愛おしい。
「お前は俺の癒しだよ、モクロー。この、愛い奴め」
僕はモクローを持ち上げると顔の上に乗っけた。猫アレルギーの人が同じことをしたら死んでしまうだろうな、と呑気なことを思い、少し気持ちが落ち着いた。こういう時ペットの存在は偉大である。結局僕はそのまま眠りについてしまった。何も考えずにぐっすり寝た。
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