上 下
37 / 52

あなたは、愛されていたの。

しおりを挟む
 私とネフィト執事長がいる調理室の外からメイド達の声が聞こえてくる。貴族達の呼び出しに彼女達は常に忙しい。

 そんな喧騒からこの部屋だけは隔絶されているようだった。私はネフィトさんに近づいた。

「······ネフィトさん。本当にそうですか? 幼いタイラントに必要だったのは帝王学では無く、深い愛情だったと思いませんか?」

 私の言葉に、ネフィトさんは表情を歪ませる。

「······貴方に言われるまでもありません。ですが、状況がそれを許さなかったのです。私に後事を託した御両親の育て方を、私が勝手に変える訳にはいかなかったのです!」

 ネフィトさんは髪を乱し声を荒げた。私はネフィトさんの葛藤を垣間見た気がした。

「······ネフィトさん。辛かったでしょう? タイラントに愛情を持ちながら厳しく接するしかなかった日々が」

 私の言葉にネフィトさんは驚いたような表情をした。そして肩を落とし俯いた。

「······今更嘆いても仕方無いことです。時間は戻せません」

 私はネフィトさんの両手を握りしめた。

「ネフィトさん。愛していると言葉をかけるのに、遅いなんて事はありません。御両親はもう伝えたくても出来ませんが。あなたはまだ自分の口で伝えられます」

 私の両手にネフィトさんの手の震えが伝わった。ネフィトさんの両眼にもう鋭さは残っていなかった。

「······リリーカ様。タイラント様が貴方に御命令したあのクッキー。あれは、恐らく王妃様が作った味と同じ物です」

 ネフィトさんの言葉に私は驚愕した。タイラントのお母さんはよくクッキーを焼き息子に食べさしていたと言う。

 だが、それもタイラントが二歳までの話だった。タイラントは母のクッキーなど覚えていなかったが味だけは覚えていたんだ。

 だから私に同じ味を作れと言ったんだ。あのクッキーはタイラントの心の中に残っていた母の愛情の名残りだから。

 ······タイラントの御両親。薬売り。薬······私の頭の中で何かが繋がった。

「ネフィトさん。一つ教えて下さい。タイラントの部屋にある、あの大量の薬を作ったのは誰ですか?」

 ······ネフィトさんの返答を聞いた瞬間、私は調理室を出て駆け出していた。病み上がりの身体は重たく。息も切れなんだか意識を保つのもしんどい。

 それでも私は無我夢中で走り、タイラントの部屋のドアを開けた。部屋の主は本棚の前にいた。驚いた顔をして私を見る。

「······娘。どうした? 大汗をかいているぞ。体調がまた悪くなったのか?」

 タイラントが私に駆け寄る。私は途切れがちな意識を必死で保ち、息切れする口で言葉を出そうとする。

 今、今これを伝えないと駄目だ。絶対に!

「······ていたの。タイラント」

 言葉が、言葉が上手く出ない。

「なんだ? 苦しいのか娘!?」

「あなたは、愛されていたの。タイラント」

 タイラントが表情を変えずに私を見る。私は木棚の前に行き扉を開けた。棚の中には無数の小瓶が並んでいる。

「タイラント。この大量の薬は、あなたの御両親が作った物よ。あなたの為に」

「······私の両親が?」

 タイラントは訳が分からないと言う顔をしている。

「戦争中、御両親はあなたに仕方無く厳しく接したわ。でも、この薬の量を見てタイラント。御両親の声が。想いが聞こえてこない?」

「······私の両親の声? ······想い?」

 ······タイラント。風邪をひいたら、この薬を使いなさい。きっと次の日は良くなる。

 ······タイラント。お腹を壊したなら、この薬を飲みなさい。すぐ良くなるわ。でも、食べ過ぎは駄目よ。

 ······タイラント。眠れない夜は、この薬を白湯に入れて飲みなさい。きっとよく眠れていい夢が見れる。

 ······タイラント。身体を気づかい長生きしてね。私達は······

「······私達は、いつもあなたの事を愛しているから」

 私は涙を流しながら、震える声で両親が我が子に伝えられなかった言葉を口にした。タイラントが私の両肩を優しく抱いた。

「······すまぬ娘。私にはまだよく分からぬ。以前お前が言った通りだ。私の心は凍っている。だからこんなにも何も感じないのだ」

「······タイラント」

 涙に滲む私の視界の先に、タイラントの苦しそうな顔が見えた。

「両親の想いは分からぬ。だが娘。今お前が泣いている姿を見るのは辛い」

 ······タイラントの瞳が揺れていた。私は両手をタイラントの頬に添える。私がなぜ村に帰らず、この城に残ったか。

 その理由が今わかった。私は取り戻して欲しかった。タイラントに心を。愛を知る心を。

「······泣くな娘。お前が泣くと胸が痛む」

「······愛しているわ。タイラント」

 私はつま先を立て、自分の唇をタイラントの唇に重ねた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

私のお母様に惚れた?私のお母様はお義母様で、お父様なのよ

京月
恋愛
ジークはレレイナのお母様に恋をしてしまった。 しかし、お母様には秘密があった。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!

ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。 自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。 しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。 「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」 「は?」 母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。 「もう縁を切ろう」 「マリー」 家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。 義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。 対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。 「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」 都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。 「お兄様にお任せします」 実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。

彼女が望むなら

mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。 リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

処理中です...