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あなたは、愛されていたの。
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私とネフィト執事長がいる調理室の外からメイド達の声が聞こえてくる。貴族達の呼び出しに彼女達は常に忙しい。
そんな喧騒からこの部屋だけは隔絶されているようだった。私はネフィトさんに近づいた。
「······ネフィトさん。本当にそうですか? 幼いタイラントに必要だったのは帝王学では無く、深い愛情だったと思いませんか?」
私の言葉に、ネフィトさんは表情を歪ませる。
「······貴方に言われるまでもありません。ですが、状況がそれを許さなかったのです。私に後事を託した御両親の育て方を、私が勝手に変える訳にはいかなかったのです!」
ネフィトさんは髪を乱し声を荒げた。私はネフィトさんの葛藤を垣間見た気がした。
「······ネフィトさん。辛かったでしょう? タイラントに愛情を持ちながら厳しく接するしかなかった日々が」
私の言葉にネフィトさんは驚いたような表情をした。そして肩を落とし俯いた。
「······今更嘆いても仕方無いことです。時間は戻せません」
私はネフィトさんの両手を握りしめた。
「ネフィトさん。愛していると言葉をかけるのに、遅いなんて事はありません。御両親はもう伝えたくても出来ませんが。あなたはまだ自分の口で伝えられます」
私の両手にネフィトさんの手の震えが伝わった。ネフィトさんの両眼にもう鋭さは残っていなかった。
「······リリーカ様。タイラント様が貴方に御命令したあのクッキー。あれは、恐らく王妃様が作った味と同じ物です」
ネフィトさんの言葉に私は驚愕した。タイラントのお母さんはよくクッキーを焼き息子に食べさしていたと言う。
だが、それもタイラントが二歳までの話だった。タイラントは母のクッキーなど覚えていなかったが味だけは覚えていたんだ。
だから私に同じ味を作れと言ったんだ。あのクッキーはタイラントの心の中に残っていた母の愛情の名残りだから。
······タイラントの御両親。薬売り。薬······私の頭の中で何かが繋がった。
「ネフィトさん。一つ教えて下さい。タイラントの部屋にある、あの大量の薬を作ったのは誰ですか?」
······ネフィトさんの返答を聞いた瞬間、私は調理室を出て駆け出していた。病み上がりの身体は重たく。息も切れなんだか意識を保つのもしんどい。
それでも私は無我夢中で走り、タイラントの部屋のドアを開けた。部屋の主は本棚の前にいた。驚いた顔をして私を見る。
「······娘。どうした? 大汗をかいているぞ。体調がまた悪くなったのか?」
タイラントが私に駆け寄る。私は途切れがちな意識を必死で保ち、息切れする口で言葉を出そうとする。
今、今これを伝えないと駄目だ。絶対に!
「······ていたの。タイラント」
言葉が、言葉が上手く出ない。
「なんだ? 苦しいのか娘!?」
「あなたは、愛されていたの。タイラント」
タイラントが表情を変えずに私を見る。私は木棚の前に行き扉を開けた。棚の中には無数の小瓶が並んでいる。
「タイラント。この大量の薬は、あなたの御両親が作った物よ。あなたの為に」
「······私の両親が?」
タイラントは訳が分からないと言う顔をしている。
「戦争中、御両親はあなたに仕方無く厳しく接したわ。でも、この薬の量を見てタイラント。御両親の声が。想いが聞こえてこない?」
「······私の両親の声? ······想い?」
······タイラント。風邪をひいたら、この薬を使いなさい。きっと次の日は良くなる。
······タイラント。お腹を壊したなら、この薬を飲みなさい。すぐ良くなるわ。でも、食べ過ぎは駄目よ。
······タイラント。眠れない夜は、この薬を白湯に入れて飲みなさい。きっとよく眠れていい夢が見れる。
······タイラント。身体を気づかい長生きしてね。私達は······
「······私達は、いつもあなたの事を愛しているから」
私は涙を流しながら、震える声で両親が我が子に伝えられなかった言葉を口にした。タイラントが私の両肩を優しく抱いた。
「······すまぬ娘。私にはまだよく分からぬ。以前お前が言った通りだ。私の心は凍っている。だからこんなにも何も感じないのだ」
「······タイラント」
涙に滲む私の視界の先に、タイラントの苦しそうな顔が見えた。
「両親の想いは分からぬ。だが娘。今お前が泣いている姿を見るのは辛い」
······タイラントの瞳が揺れていた。私は両手をタイラントの頬に添える。私がなぜ村に帰らず、この城に残ったか。
その理由が今わかった。私は取り戻して欲しかった。タイラントに心を。愛を知る心を。
「······泣くな娘。お前が泣くと胸が痛む」
「······愛しているわ。タイラント」
私はつま先を立て、自分の唇をタイラントの唇に重ねた。
そんな喧騒からこの部屋だけは隔絶されているようだった。私はネフィトさんに近づいた。
「······ネフィトさん。本当にそうですか? 幼いタイラントに必要だったのは帝王学では無く、深い愛情だったと思いませんか?」
私の言葉に、ネフィトさんは表情を歪ませる。
「······貴方に言われるまでもありません。ですが、状況がそれを許さなかったのです。私に後事を託した御両親の育て方を、私が勝手に変える訳にはいかなかったのです!」
ネフィトさんは髪を乱し声を荒げた。私はネフィトさんの葛藤を垣間見た気がした。
「······ネフィトさん。辛かったでしょう? タイラントに愛情を持ちながら厳しく接するしかなかった日々が」
私の言葉にネフィトさんは驚いたような表情をした。そして肩を落とし俯いた。
「······今更嘆いても仕方無いことです。時間は戻せません」
私はネフィトさんの両手を握りしめた。
「ネフィトさん。愛していると言葉をかけるのに、遅いなんて事はありません。御両親はもう伝えたくても出来ませんが。あなたはまだ自分の口で伝えられます」
私の両手にネフィトさんの手の震えが伝わった。ネフィトさんの両眼にもう鋭さは残っていなかった。
「······リリーカ様。タイラント様が貴方に御命令したあのクッキー。あれは、恐らく王妃様が作った味と同じ物です」
ネフィトさんの言葉に私は驚愕した。タイラントのお母さんはよくクッキーを焼き息子に食べさしていたと言う。
だが、それもタイラントが二歳までの話だった。タイラントは母のクッキーなど覚えていなかったが味だけは覚えていたんだ。
だから私に同じ味を作れと言ったんだ。あのクッキーはタイラントの心の中に残っていた母の愛情の名残りだから。
······タイラントの御両親。薬売り。薬······私の頭の中で何かが繋がった。
「ネフィトさん。一つ教えて下さい。タイラントの部屋にある、あの大量の薬を作ったのは誰ですか?」
······ネフィトさんの返答を聞いた瞬間、私は調理室を出て駆け出していた。病み上がりの身体は重たく。息も切れなんだか意識を保つのもしんどい。
それでも私は無我夢中で走り、タイラントの部屋のドアを開けた。部屋の主は本棚の前にいた。驚いた顔をして私を見る。
「······娘。どうした? 大汗をかいているぞ。体調がまた悪くなったのか?」
タイラントが私に駆け寄る。私は途切れがちな意識を必死で保ち、息切れする口で言葉を出そうとする。
今、今これを伝えないと駄目だ。絶対に!
「······ていたの。タイラント」
言葉が、言葉が上手く出ない。
「なんだ? 苦しいのか娘!?」
「あなたは、愛されていたの。タイラント」
タイラントが表情を変えずに私を見る。私は木棚の前に行き扉を開けた。棚の中には無数の小瓶が並んでいる。
「タイラント。この大量の薬は、あなたの御両親が作った物よ。あなたの為に」
「······私の両親が?」
タイラントは訳が分からないと言う顔をしている。
「戦争中、御両親はあなたに仕方無く厳しく接したわ。でも、この薬の量を見てタイラント。御両親の声が。想いが聞こえてこない?」
「······私の両親の声? ······想い?」
······タイラント。風邪をひいたら、この薬を使いなさい。きっと次の日は良くなる。
······タイラント。お腹を壊したなら、この薬を飲みなさい。すぐ良くなるわ。でも、食べ過ぎは駄目よ。
······タイラント。眠れない夜は、この薬を白湯に入れて飲みなさい。きっとよく眠れていい夢が見れる。
······タイラント。身体を気づかい長生きしてね。私達は······
「······私達は、いつもあなたの事を愛しているから」
私は涙を流しながら、震える声で両親が我が子に伝えられなかった言葉を口にした。タイラントが私の両肩を優しく抱いた。
「······すまぬ娘。私にはまだよく分からぬ。以前お前が言った通りだ。私の心は凍っている。だからこんなにも何も感じないのだ」
「······タイラント」
涙に滲む私の視界の先に、タイラントの苦しそうな顔が見えた。
「両親の想いは分からぬ。だが娘。今お前が泣いている姿を見るのは辛い」
······タイラントの瞳が揺れていた。私は両手をタイラントの頬に添える。私がなぜ村に帰らず、この城に残ったか。
その理由が今わかった。私は取り戻して欲しかった。タイラントに心を。愛を知る心を。
「······泣くな娘。お前が泣くと胸が痛む」
「······愛しているわ。タイラント」
私はつま先を立て、自分の唇をタイラントの唇に重ねた。
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