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血を欲した野望は惨禍を求め、血染めの歯車は回り始める
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青と魔の賢人の本拠地では、ある重要な会議が開かれていた。今日は月に一度、世界中に散った賢人達が集まる定例会の日だった。
飾り気の無い実務的な会議室に集結した賢人達は、皆一様に厳しい表情だった。今日の定例会に出席する筈の人数が足りていないからだ。謎の襲撃者達の犠牲者がまた新たに賢人から三人出たのだ。
そして、昨日の中央裁行部六人の焼死体事件。組織の長い歴史の中でも未曾有の出来事だった。
アルバは席に座る三十七人の賢人達に事件の真相を語った。計五人の犠牲者を出した犯人は、黒いローブを纏った四兄弟だと。
そして、昨日の中央裁行部六人の殺害も四兄弟の可能性が高い事。四兄弟はバタフシャーン一族の支援を受けている事を明かした。
「バタフシャーン一族は我々に戦いを挑むつもりか?」
「なぜだ? これまでの歴史で彼等がそんな真似をする素振りすらなかったぞ」
「何を甘い事を。現状は既に戦争状態に突入している」
「その通りだ。奴等一族をこのまま捨て置けん」
バタフシャーン一族討つべし。会議室内に好戦的な空気が濃くなって来た。アルバは採決を提案した。それは、空席になった中央裁行部員の投票だった。
アルバ率いる派閥は今迄はネグリットの派閥に数で後塵を拝していた。だが、今回出た犠牲者達の影響で多数派に踊り出た。
速やかに行われた緊急投票によって新たに決まった中央裁行部六人は、アルバ自身を含む全てがアルバの派閥の人材で占められた。
アルバはその場で中央裁行部議長に選出された。この組織に入って十数年。真紅の髪の青年は、ついに青と魔の賢人の最高位に登りつめた。
「バタフシャーン一族を滅ぼす。その為に我ら賢人達が一致団結する必要がある。皆の力でネグリット議長達の仇を討とう!」
議長となったアルバは高らかに宣言した。賢人達は声を揃えそれに応える。会議室は異様な熱気に包まれた。
「······この一連の事件で、一番の利益を得た人物は誰かな」
賢人達は皆席から立ち上がり、アルバの宣言に応えていた。その中に唯一席に座ったままの男が居た。
男は青の魔法衣を纏い、両腕を組みながら静かな両目でアルバを見ていた。
「ルトガル。貴方の魔法を存分に使える場が用意されそうだな。世界一の魔法使いよ」
隣の賢人に戦場での通り名を言われ、青の魔法衣の男は口元の髭を歪ませ苦笑した。その外見は三十代後半に見えた。
世界一の魔法使いルトガル。そう呼ばれる黒髪の男は、青と魔の賢人の組織の中でも異色な存在だった。この組織に入る条件として勇者や魔王クラスの力を持つ事が必要だった。
それは剣技。体術。魔力と多岐に渡る。しかし、人間のルトガルは身体能力は平凡な人のそれであり、剣もろくに扱えない。
ルトガルはその強大な魔力のみを認められこの組織に招かれた。彼の戦場での戦いぶりからある言葉が生まれた。
「ルトガルに先制攻撃を許した者に、生き残った者無し」
ルトガルは自分の思考を分析する。
『この組織を揺るがす大事件で一番利益を得たのはアルバだ。では事件にアルバが係わっている可能性は?』
「立証は難しく可能性は低い」ルトガルはそう結論を出す。アルバ一人で中央裁行部六人を殺害するなど不可能に思えた。六人は高齢だったとは言え、アルバ一人に抗し得ないとは考えにくい。
では今回、アルバには偶然に幸運が転がり込んだのだろうか。ルトガルは釈然としない何かが心の片隅に消えなかった。
そのルトガルが一人の若者を観察していた。その若者は、自分と同じくこの会議室の熱気に染まってないように見えたからだ。
若者の名はソレット。最近組織に入った元勇者だった。ソレットは静かな目でアルバを見ていた。ソレットはアルバの勧めでこの組織に入った。
だが、それは表面的な形だけでソレットの真の目的はアルバを監視する為だった。ソレットは夢の中で戦死した恋人ジャスミンの声を聴いた。
彼女は言った。アルバは危険な男だと。それ以来、ソレットは組織に面従腹背し今日まで過ごしていた。
ソレットは静かに。そして密かに牙を研いでいた。この危険な真紅の髪の男が行動に出た時に自分が止める。世界を平和にする。それが、死んだ恋人と交わした約束だった。
会議を終えたアルバは、この城の地下にある牢獄に向かう途中だった。それは、牢獄にいる魔族を新たな魔王に任命する為だ。
廊下を歩いていると、アルバは城の検屍官に呼び止められた。今回の事件で不審な点があると言う報告だった。
「ネグリット議長の左手が消えていた?」
ネグリットの焼死体からどういう訳か、左手が切り取られた形跡があったと言う。そして、そのネグリットの秘書の少年が昨日から森に行った後帰らず行方不明だと。
アルバは一つの可能性を考える。昨日、ネグリットを殺害した時に隣の書庫にその少年が居たのか。そして、その少年はネグリットの左手を持ち出したのかと。
だが一体何の為に。手掌眼である左手と言うのが気になった。何より、秘書の少年に自分とネグリットの会話を聞かれた可能性がある。
アルバは少年の捜索をするよう命じた。子供一人何が出来る訳でも無い。アルバはこの時、少年モンブラの事をさほど気に止めなかった。
それよりもアルバにはやる事が山積していた。真紅の髪の青年はただ細菌を撒き、人間と魔族を滅ぼすつもりは無かった。
アルバは世界中で大きな戦争を引き起こすつもりだった。人間と魔族。全てを巻き込んだ戦争。
その戦争に生き残った者のみ、細菌の血清を与え新しい世界を生きる権利を与える。
その選別名簿はもう決まっていた。アルバはその名簿に名を連ねる者達にすら、無条件で生き残る事を許さなかった。
過酷な条件下で生き残る強者のみ、新たな世界で生きる事が許される。少数の英雄で創られる世界は、今の歪んだ世界よりより良い物になるだろう。
アルバは牢獄に向かう歩みを再開させた。これから会う魔族の男は、その選別の為に役に立つ筈だった。
······尊敬するネグリットが殺害されてから、一週間程経過した頃、少年モンブラは馬車の中に居た。
運良く商人の馬車に乗せてもらい、モンブラは目的地に向かっていた。モンブラは城を出て数日、人と接近しないよう気を配った。
アルバが撒いた細菌に感染している可能性があったからだ。だが運良く身体に不調は無く、人に近づいても問題無いと少年は判断した。
商人の馬車は順調に行路を進む。旅の疲れが溜まったせいか、少年はいつの間にか眠りに落ちていた。
馬車が盗賊団に襲われたのは日が傾き始めた時だった。二十人程の荒くれ者達が、奇声を上げて馬車を襲う。商人達の断末魔の叫びでモンブラは夢から叩き起こされた。
寝ぼける暇も与えられず、少年は必死で逃げる。盗賊団の一人が投げた短剣が、モンブラの左足に命中した。
少年は倒れ込み地面に頭を強打した。意識が段々と遠のいて行く。モンブラはネグリットの遺言を果たせない絶望感に襲われた。
少年の耳に誰の者とも分からない悲鳴が聞こえた。悲鳴は次々と起きやがて止んだ。モンブラは意識を失う寸前にある声を聴いた。
その声は、自分と変わらない年齢の声に聞こえた。
「ザンドラ兄貴、こっちに来て治癒の呪文を頼む。この子供まだ息がある」
モンブラの意識はそこで途切れた。
······この小さな街に〔黄昏の一服〕という小さい宿屋がある。この街唯一の宿屋を営む主人は、最近常連となった金髪の若者に注文を受けていた。
一週間程前の精霊祭から、十五歳ぐらいの少年が宿泊している。その少年の部屋と金髪の若者の部屋は隣り合っているのだが、違う部屋に変えて欲しいと要求された。
部屋の数が少ないから難しいと答えると、金髪の若者は小さいため息を残し外に出ていった。
金髪の美男子は不機嫌だった。青と魔の賢人の重要な定例会も参加できず、あのヒマルヤと言う魔族の少年と部屋が隣り同士なのも変えられない。
ロシアドはアルバに命じられていた。この街に留まり、勇者の金の卵を観察するようにと。その観察対象者は、路地裏で猫達に日課の餌やりをしていた。
「餌は仲良く食べなさい。こら平穏、安寧をいじめないの」
質素と名付けられた残りの一匹は、我関せずといった様子で餌を貪っていた。その光景をロシアドは黙って見つめる。
あの銀髪の勇者の金の卵。チロルと言う少女は、時折儚げな表情をする時があった。その表情は、ロシアドの過去の記憶に思い当たる節があった。
「あ、ロシアドさん。おはようございます」
金髪の美男子に気づき、チロルは笑顔で挨拶をする。ロシアドはチロルの横に腰を下ろし、三匹の猫の朝食を眺める。
「チロル。君は何故そんな悲しそうな顔をする?」
「え?」
チロルの表情が固まった。ロシアドは自身の過去を思い出していた。幼い時の彼はいつも怯えていた。いつか母親に捨てられるのではないだろうかと。
奔放な彼の母親は、幼いロシアドの不安を実現させた。金髪の少年は幼くして天涯孤独の身となった。
この少女は昔の自分と同じ顔をしていた。それは、いつか自分は一人になってしまうのかと言う不安が表れた表情だった。
「······不安かチロル。いつか自分が孤独になってしまうのかと」
「······」
チロルの瞳に動揺が見て取れた。その小さな肩が微かに震えている。
「······心配する事は無い。この猫達に妙な名をつけた君の師は、きっと君を一人にはしないだろう」
ロシアドのその言葉を聴いた瞬間、チロルは膝を両腕で組み、その中に顔を埋めた。
「······時々不安になるんです。この現実は全て幻で、目が覚めると私は一人なのかなって」
ロシアドは何故、この少女の不安を取り除くような言葉をかけてしまうのか、自分でも分からなかった。それは、幼かった自分が誰かに言って欲しかった言葉なのかもしれなかった。
「チロル!? 何故泣いておるのだ」
その時、ロシアドとチロルの後ろから突然ヒマルヤが現れた。ヒマルヤ少年は素早く事態を察知し、敵意を金髪の若者に向ける。
「ロシアド! そなたがチロルを泣かしたのか?」
金髪の美男子は心と口でため息をついた。自分の国にも帰らず、この小さな街に居続ける元魔王の少年に誤解を解く気にもなれなかった。
言い争うロシアドとヒマルヤの手を引き、銀髪の少女はいつもの茶店に向かった。そこには、我が師が待っている筈だった。
金に細かくうるさい。と誤解されがちな魔法使いタクボは不機嫌だった。茶店「朝焼けの雫」の席に座り両腕を組んでいる。
不機嫌の訳は一週間前の魔物の群れとの戦後処理を終えたからだ。
タクボの懐には銅貨一枚すら入らなかった。魔物の群れが残した大量の金貨は、騎士団や警備隊への報酬と壁の補修費に消えた。
報酬の交渉相手はウェンデルと警備隊長カヒラだった。カヒラは控えめに警備隊員への報酬と壁の補修費を求め。ウェンデルは自分は無報酬でいいから騎士団員への報酬を求めた。
交渉は熾烈を極めた。冷静なウェンデルとカヒラに対してタクボは一人口角を上げ、正当な報酬を求めた。
だが、その交渉の場に同席していたチロルの一言が全てを決定づけた。
「落ちついて下さい師匠。師匠はあの戦いで呪文をたったのニ回唱えただけだなんて。絶対皆に知られたら駄目ですよ」
タクボは大口を開けたまま凍りつき、交渉は決着した。せめてもの情けか、あの黒い巨体の死体が残した鉱物らしき塊がタクボに贈られた。
「で、その鉱物は一体なんだったのだ? タクボ」
紅茶色の髪の青年は珈琲を飲みながらタクボに尋ねる。あの黒い巨体の死体からは貨幣では無く謎の鉱物が残された。
それは黒い巨体がその鉱物を原料に造られた事を意味していた。
「マルタナが昔のツテを使って調べてくれた。どうやらあの鉱物は、勇者の剣を造る時に使われる希少鉱物と同じらしい」
タクボが答えると、死神ことサウザンドが納得したように頷く。
「なる程な。あの巨体の強さの秘密が分かったような気がする。バタフシャーン一族は、新たな魔物を生み出す方法を編み出したと考えるべきだな」
サウザンドの言葉に元暗殺者エルドは同意し、その鉱物でチロルに剣を造ったらどうかと提案した。
鉱物の量は僅かで剣を造るには足りない。それがこの街の鍛冶屋の見解だった。愛用の剣が造れない事など微塵も残念がらず、チロルは目の前の鶏肉の蒸し焼きを食べるのに夢中だった。
タクボはそんな愛弟子の食事の様子を観察していた。
『気のせいだろうか。チロルは左右に座るロシアドとヒマルヤの食事をチラチラ見ているような気がする』
ロシアドとヒマルヤの食事がチロルに奪われない事をタクボは祈った。一通りの話が済んだ頃合いを見てシリスは口を開いた。
「ウェンデル様。そろそろお話をして宜しいでしょうか?」
一週間前の戦いから今日まで、戦後処理の為シリスは待たされた。それが終わり、皇帝の剣に関する重要な話をようやく本日する事が叶ったのだ。
ウェンデルはシリスの真剣な眼差しと言葉を受け頷いた。紅茶色の髪の青年は、自分の中に存在するもう一人が静かに聞き耳を立てている事を感じていた。
飾り気の無い実務的な会議室に集結した賢人達は、皆一様に厳しい表情だった。今日の定例会に出席する筈の人数が足りていないからだ。謎の襲撃者達の犠牲者がまた新たに賢人から三人出たのだ。
そして、昨日の中央裁行部六人の焼死体事件。組織の長い歴史の中でも未曾有の出来事だった。
アルバは席に座る三十七人の賢人達に事件の真相を語った。計五人の犠牲者を出した犯人は、黒いローブを纏った四兄弟だと。
そして、昨日の中央裁行部六人の殺害も四兄弟の可能性が高い事。四兄弟はバタフシャーン一族の支援を受けている事を明かした。
「バタフシャーン一族は我々に戦いを挑むつもりか?」
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バタフシャーン一族討つべし。会議室内に好戦的な空気が濃くなって来た。アルバは採決を提案した。それは、空席になった中央裁行部員の投票だった。
アルバ率いる派閥は今迄はネグリットの派閥に数で後塵を拝していた。だが、今回出た犠牲者達の影響で多数派に踊り出た。
速やかに行われた緊急投票によって新たに決まった中央裁行部六人は、アルバ自身を含む全てがアルバの派閥の人材で占められた。
アルバはその場で中央裁行部議長に選出された。この組織に入って十数年。真紅の髪の青年は、ついに青と魔の賢人の最高位に登りつめた。
「バタフシャーン一族を滅ぼす。その為に我ら賢人達が一致団結する必要がある。皆の力でネグリット議長達の仇を討とう!」
議長となったアルバは高らかに宣言した。賢人達は声を揃えそれに応える。会議室は異様な熱気に包まれた。
「······この一連の事件で、一番の利益を得た人物は誰かな」
賢人達は皆席から立ち上がり、アルバの宣言に応えていた。その中に唯一席に座ったままの男が居た。
男は青の魔法衣を纏い、両腕を組みながら静かな両目でアルバを見ていた。
「ルトガル。貴方の魔法を存分に使える場が用意されそうだな。世界一の魔法使いよ」
隣の賢人に戦場での通り名を言われ、青の魔法衣の男は口元の髭を歪ませ苦笑した。その外見は三十代後半に見えた。
世界一の魔法使いルトガル。そう呼ばれる黒髪の男は、青と魔の賢人の組織の中でも異色な存在だった。この組織に入る条件として勇者や魔王クラスの力を持つ事が必要だった。
それは剣技。体術。魔力と多岐に渡る。しかし、人間のルトガルは身体能力は平凡な人のそれであり、剣もろくに扱えない。
ルトガルはその強大な魔力のみを認められこの組織に招かれた。彼の戦場での戦いぶりからある言葉が生まれた。
「ルトガルに先制攻撃を許した者に、生き残った者無し」
ルトガルは自分の思考を分析する。
『この組織を揺るがす大事件で一番利益を得たのはアルバだ。では事件にアルバが係わっている可能性は?』
「立証は難しく可能性は低い」ルトガルはそう結論を出す。アルバ一人で中央裁行部六人を殺害するなど不可能に思えた。六人は高齢だったとは言え、アルバ一人に抗し得ないとは考えにくい。
では今回、アルバには偶然に幸運が転がり込んだのだろうか。ルトガルは釈然としない何かが心の片隅に消えなかった。
そのルトガルが一人の若者を観察していた。その若者は、自分と同じくこの会議室の熱気に染まってないように見えたからだ。
若者の名はソレット。最近組織に入った元勇者だった。ソレットは静かな目でアルバを見ていた。ソレットはアルバの勧めでこの組織に入った。
だが、それは表面的な形だけでソレットの真の目的はアルバを監視する為だった。ソレットは夢の中で戦死した恋人ジャスミンの声を聴いた。
彼女は言った。アルバは危険な男だと。それ以来、ソレットは組織に面従腹背し今日まで過ごしていた。
ソレットは静かに。そして密かに牙を研いでいた。この危険な真紅の髪の男が行動に出た時に自分が止める。世界を平和にする。それが、死んだ恋人と交わした約束だった。
会議を終えたアルバは、この城の地下にある牢獄に向かう途中だった。それは、牢獄にいる魔族を新たな魔王に任命する為だ。
廊下を歩いていると、アルバは城の検屍官に呼び止められた。今回の事件で不審な点があると言う報告だった。
「ネグリット議長の左手が消えていた?」
ネグリットの焼死体からどういう訳か、左手が切り取られた形跡があったと言う。そして、そのネグリットの秘書の少年が昨日から森に行った後帰らず行方不明だと。
アルバは一つの可能性を考える。昨日、ネグリットを殺害した時に隣の書庫にその少年が居たのか。そして、その少年はネグリットの左手を持ち出したのかと。
だが一体何の為に。手掌眼である左手と言うのが気になった。何より、秘書の少年に自分とネグリットの会話を聞かれた可能性がある。
アルバは少年の捜索をするよう命じた。子供一人何が出来る訳でも無い。アルバはこの時、少年モンブラの事をさほど気に止めなかった。
それよりもアルバにはやる事が山積していた。真紅の髪の青年はただ細菌を撒き、人間と魔族を滅ぼすつもりは無かった。
アルバは世界中で大きな戦争を引き起こすつもりだった。人間と魔族。全てを巻き込んだ戦争。
その戦争に生き残った者のみ、細菌の血清を与え新しい世界を生きる権利を与える。
その選別名簿はもう決まっていた。アルバはその名簿に名を連ねる者達にすら、無条件で生き残る事を許さなかった。
過酷な条件下で生き残る強者のみ、新たな世界で生きる事が許される。少数の英雄で創られる世界は、今の歪んだ世界よりより良い物になるだろう。
アルバは牢獄に向かう歩みを再開させた。これから会う魔族の男は、その選別の為に役に立つ筈だった。
······尊敬するネグリットが殺害されてから、一週間程経過した頃、少年モンブラは馬車の中に居た。
運良く商人の馬車に乗せてもらい、モンブラは目的地に向かっていた。モンブラは城を出て数日、人と接近しないよう気を配った。
アルバが撒いた細菌に感染している可能性があったからだ。だが運良く身体に不調は無く、人に近づいても問題無いと少年は判断した。
商人の馬車は順調に行路を進む。旅の疲れが溜まったせいか、少年はいつの間にか眠りに落ちていた。
馬車が盗賊団に襲われたのは日が傾き始めた時だった。二十人程の荒くれ者達が、奇声を上げて馬車を襲う。商人達の断末魔の叫びでモンブラは夢から叩き起こされた。
寝ぼける暇も与えられず、少年は必死で逃げる。盗賊団の一人が投げた短剣が、モンブラの左足に命中した。
少年は倒れ込み地面に頭を強打した。意識が段々と遠のいて行く。モンブラはネグリットの遺言を果たせない絶望感に襲われた。
少年の耳に誰の者とも分からない悲鳴が聞こえた。悲鳴は次々と起きやがて止んだ。モンブラは意識を失う寸前にある声を聴いた。
その声は、自分と変わらない年齢の声に聞こえた。
「ザンドラ兄貴、こっちに来て治癒の呪文を頼む。この子供まだ息がある」
モンブラの意識はそこで途切れた。
······この小さな街に〔黄昏の一服〕という小さい宿屋がある。この街唯一の宿屋を営む主人は、最近常連となった金髪の若者に注文を受けていた。
一週間程前の精霊祭から、十五歳ぐらいの少年が宿泊している。その少年の部屋と金髪の若者の部屋は隣り合っているのだが、違う部屋に変えて欲しいと要求された。
部屋の数が少ないから難しいと答えると、金髪の若者は小さいため息を残し外に出ていった。
金髪の美男子は不機嫌だった。青と魔の賢人の重要な定例会も参加できず、あのヒマルヤと言う魔族の少年と部屋が隣り同士なのも変えられない。
ロシアドはアルバに命じられていた。この街に留まり、勇者の金の卵を観察するようにと。その観察対象者は、路地裏で猫達に日課の餌やりをしていた。
「餌は仲良く食べなさい。こら平穏、安寧をいじめないの」
質素と名付けられた残りの一匹は、我関せずといった様子で餌を貪っていた。その光景をロシアドは黙って見つめる。
あの銀髪の勇者の金の卵。チロルと言う少女は、時折儚げな表情をする時があった。その表情は、ロシアドの過去の記憶に思い当たる節があった。
「あ、ロシアドさん。おはようございます」
金髪の美男子に気づき、チロルは笑顔で挨拶をする。ロシアドはチロルの横に腰を下ろし、三匹の猫の朝食を眺める。
「チロル。君は何故そんな悲しそうな顔をする?」
「え?」
チロルの表情が固まった。ロシアドは自身の過去を思い出していた。幼い時の彼はいつも怯えていた。いつか母親に捨てられるのではないだろうかと。
奔放な彼の母親は、幼いロシアドの不安を実現させた。金髪の少年は幼くして天涯孤独の身となった。
この少女は昔の自分と同じ顔をしていた。それは、いつか自分は一人になってしまうのかと言う不安が表れた表情だった。
「······不安かチロル。いつか自分が孤独になってしまうのかと」
「······」
チロルの瞳に動揺が見て取れた。その小さな肩が微かに震えている。
「······心配する事は無い。この猫達に妙な名をつけた君の師は、きっと君を一人にはしないだろう」
ロシアドのその言葉を聴いた瞬間、チロルは膝を両腕で組み、その中に顔を埋めた。
「······時々不安になるんです。この現実は全て幻で、目が覚めると私は一人なのかなって」
ロシアドは何故、この少女の不安を取り除くような言葉をかけてしまうのか、自分でも分からなかった。それは、幼かった自分が誰かに言って欲しかった言葉なのかもしれなかった。
「チロル!? 何故泣いておるのだ」
その時、ロシアドとチロルの後ろから突然ヒマルヤが現れた。ヒマルヤ少年は素早く事態を察知し、敵意を金髪の若者に向ける。
「ロシアド! そなたがチロルを泣かしたのか?」
金髪の美男子は心と口でため息をついた。自分の国にも帰らず、この小さな街に居続ける元魔王の少年に誤解を解く気にもなれなかった。
言い争うロシアドとヒマルヤの手を引き、銀髪の少女はいつもの茶店に向かった。そこには、我が師が待っている筈だった。
金に細かくうるさい。と誤解されがちな魔法使いタクボは不機嫌だった。茶店「朝焼けの雫」の席に座り両腕を組んでいる。
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交渉は熾烈を極めた。冷静なウェンデルとカヒラに対してタクボは一人口角を上げ、正当な報酬を求めた。
だが、その交渉の場に同席していたチロルの一言が全てを決定づけた。
「落ちついて下さい師匠。師匠はあの戦いで呪文をたったのニ回唱えただけだなんて。絶対皆に知られたら駄目ですよ」
タクボは大口を開けたまま凍りつき、交渉は決着した。せめてもの情けか、あの黒い巨体の死体が残した鉱物らしき塊がタクボに贈られた。
「で、その鉱物は一体なんだったのだ? タクボ」
紅茶色の髪の青年は珈琲を飲みながらタクボに尋ねる。あの黒い巨体の死体からは貨幣では無く謎の鉱物が残された。
それは黒い巨体がその鉱物を原料に造られた事を意味していた。
「マルタナが昔のツテを使って調べてくれた。どうやらあの鉱物は、勇者の剣を造る時に使われる希少鉱物と同じらしい」
タクボが答えると、死神ことサウザンドが納得したように頷く。
「なる程な。あの巨体の強さの秘密が分かったような気がする。バタフシャーン一族は、新たな魔物を生み出す方法を編み出したと考えるべきだな」
サウザンドの言葉に元暗殺者エルドは同意し、その鉱物でチロルに剣を造ったらどうかと提案した。
鉱物の量は僅かで剣を造るには足りない。それがこの街の鍛冶屋の見解だった。愛用の剣が造れない事など微塵も残念がらず、チロルは目の前の鶏肉の蒸し焼きを食べるのに夢中だった。
タクボはそんな愛弟子の食事の様子を観察していた。
『気のせいだろうか。チロルは左右に座るロシアドとヒマルヤの食事をチラチラ見ているような気がする』
ロシアドとヒマルヤの食事がチロルに奪われない事をタクボは祈った。一通りの話が済んだ頃合いを見てシリスは口を開いた。
「ウェンデル様。そろそろお話をして宜しいでしょうか?」
一週間前の戦いから今日まで、戦後処理の為シリスは待たされた。それが終わり、皇帝の剣に関する重要な話をようやく本日する事が叶ったのだ。
ウェンデルはシリスの真剣な眼差しと言葉を受け頷いた。紅茶色の髪の青年は、自分の中に存在するもう一人が静かに聞き耳を立てている事を感じていた。
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