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大暑③
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一面砂漠の世界で、奇妙な光景が広がっていた。砂漠の上にカピバラとタスマニアデビルの着ぐるみが立ち、二匹の猫がサークル内で寝転んでいる。
そしてその頭上で、二人の精霊が今まさに互いの武器を交えようとしていた。それを見上げるのは、金髪で大柄な瓦さん。僕。そして純白のセーラー服を来た彼方だ。
「黒炎刀演舞! 連撃!!」
月炎が凄まじい早さで刀を二度振る。刀から半月状の炎が二つ飛び出した。轟音と共にに炎の刃が白装束の精霊を襲う。
白装束の精霊は、目を閉じたまま薙刀を横一閃に振った。長い黒髪が波打つように揺れる。それは、何かの舞を舞っているかのように優雅だった。
その薙刀から何かが飛び出した。それは、月炎の放った炎よりも早く放たれ、二つの炎を切り裂いた。
二つの半月状の炎は文字通り四散した。二人の精霊が向き合う空中から、霧雨のような雨が僕の頭に降ってきた。
何故雨が? その時、僕の脳裏にある考えが浮かんだ。もしかしてあの白装束の精霊は薙刀から水を放ったのだろうか。
只の水じゃない。高密度に圧縮された言わば水の刃だ。その水の刃で月炎の炎を消し去ったと思われた。
月炎は白装束の精霊の側面に回り込み、刀を振り下ろす。白装束の精霊は薙刀の柄部分でそれを受ける。
二人の精霊の斬撃の応酬が始まった。荒々しい月炎の斬撃に対して、白装束の精霊は舞うようにして華麗にその攻撃を受け流す。
月炎の僅かな隙に、白装束の精霊が水の刃を放った。月炎は刀で水を弾くが、拡散した水を全ては返せず腕と足に傷を負う。
そこに白装束の精霊の蹴りを腹に受け、月炎は空中から砂漠に叩きつけられた。僕は月炎の元へ走った。
「月炎! 大丈夫!?」
月炎は砂の上に刺した刀に体重をかけて立ち上がった。幸い傷は致命傷では無いみいだ。
······それにしても、月炎の戦い方は自らを顧みない。まるで捨てばちのように見える。
「······月炎。なぜ君はそんな殺伐とした表情で戦うんだい?」
僕の言葉に、月炎は眉を僅かに動かした。
「······これは異な事を。戦いとは元より殺伐とした物です。まして某は、戦いしか知り申しませぬ」
その時、僕の中に何かが流れ込んできた。この重く暗い感情は······月炎の心?
······精霊になる前の月炎は、武家の生まれだった。物心ついた頃から月炎は戦場にいた。
親から受けたのは、愛情では無く家を存続させる術だった。周囲の家族から教えられたのは、遊戯では無く兵法と剣だった。
精霊になってからも、月炎の日々は戦いだった。月炎にはそれが当たり前の日常になっていた。
何かに心を震わせたり。楽しんだり。誰かに愛情を注いだり。月炎は、普通の感情とは無縁の世界にいた。
······僕みたいな子供に、月炎の過ごした凄惨な日常に口など挟みようがなかった。頭ではそう分かっていても、言葉が勝手に溢れて来る。
「月炎。この世界には、戦い以外の素晴らしい事が沢山ある。君はそれに気がついて無いだけだ」
僕の言葉に月炎は細い両目を僕に向ける。
「······その様な物は某には不要です。某は、戦いしか出来ぬ男です」
駄目だ。もっと言葉を砕いて言わないと月炎に伝わらない。
「月炎! こんな僕でも日々の楽しみはあるよ。好きなテレビ番組を観るとか。それから、新刊の漫画発売日とか」
「······御主君。漫画とは、いかような物でしょうか?」
月炎が初めて興味を示した。これだ! ここを逃したら駄目だ!
「えっと。漫画ってのは、絵の書物だよ。絵で物語が綴られているんだ。感動したり、楽しんだり出来る書物だよ」
「······絵の書物? それは某にも読める物でしょうか?」
「読めるよ! 勿論! 後で僕の漫画を貸してあげるよ! だから」
僕は月炎の目を真っ直ぐに見る。
「だから、僕の元へ無事に帰ってきてくれ」
月炎は刀から両手を離し、僕の前に跪く。
「承知致しました。必ず御主君の元へ戻ります」
月炎の口の端に、ほんの少しだけ笑みのような形が浮かんだ。力強い言葉を僕に残すと、月炎は再び地を蹴り空に飛んでいく。
「黒炎刀演舞! 炎陣結界!」
月炎の刀の鋒から炎が噴き出す。月炎は白装束の精霊の周囲を縦、横、斜めと旋回する。
月炎の残した炎の軌跡は、あっと言う間に白装束の精霊を取り囲んだ。すごい! あれはまるで炎の牢獄だ。
白装束が所々焦げている。あの炎の結界内は相当な高温なんだ。
「おい精霊! 無茶すんな! 駄目なら降参しろ!」
その光景を見かねて、瓦さんが大声を出す。この人は本当に優しい人なんだ。僕は決闘の最中にそんな事を考えていた。
「ご主人。お気遣いは無用です」
白装束の精霊が目を閉じたまま口を開く。両手に刀を握ったまま、身体を回転させ始めた。
「水龍咆哮!」
長い黒髪が揺らめいた刹那、薙刀から大量の水が放たれた。その水は龍の形をしていた。水龍は月炎が作った炎の結界を喰らい尽くして行く。
炎の結界は完全に消え失せ、水龍は勢いそのままに月炎に向かって行く。まずい! このままじゃ月炎がやられる!
水龍が猛然とその牙を月炎に叩きつける。月炎は炎を帯びた刀でそれを受け止める。水と炎がぶつかり合い、周囲に雨と火の粉が舞った。
月炎が苦悶の表情で耐えている。水龍を防ぐには月炎に分が悪いと思われた。その時、僕は月炎の腰から脇差しが消えている事に気づいた。
何処かに落としたのだろうか? その答えは直ぐに分かった。白装束の精霊の頭上に、小さい炎の塊が浮かんでいた。
先程水龍に消された結界の残り火だ。その炎の中から月炎の脇差しが飛び出した。月炎は炎の中に脇差しを忍ばせていたんだ!
脇差しの刃が白装束の精霊を襲う。瓦さんが絶叫する。その声が果たして届いたのか。白装束の精霊は間一髪、脇差しを回避した。
だが、その代償に水龍のコントロールを失い、月炎は巨大な水圧から開放された。
「勝負!」
月炎は三度地を蹴り上げ、白装束の精霊に向かって突進して行く。白装束の精霊も薙刀を構える。
月炎の刀が巨大な炎に包まれる。そして白装束の薙刀は高圧の水を帯びる。
「黒炎刀演舞! 炎一文字斬り!!」
「水龍決壊!!」
僕と瓦さんが見上げる空で、炎と水が正面衝突した。炎の轟音と、高圧水の鋭い音が混じり合った。
二人の精霊の周囲に水と炎が飛び散る。猫がいるサークルに、炎が落ちるのが僕に見えた。
「間に合え!」
僕は砂に足を取られながら走っていた。精霊を呼び出し消耗した上に、運動がまるで駄目な僕がこの時は嘘みたいに俊敏に動けた。
猫がいるサークルに炎が落ちた。
「い、稲田祐!」
······後ろから彼方の声が聞こえた。僕の腕の中には二匹の猫がいる。そうだ。僕は猫の上に覆い被さったんだ。
あれ? 炎は何処に行ったんだ。僕は恐る恐る顔を上げた。そこには、白装束の精霊と月炎が立っていた。
「御主君。危険な目に合わせ、面目次第もございません」
身体中を高圧水に切り刻まれ、立つ事も辛そうに見える月炎が僕に詫びる。一方、白装束の精霊も裂傷を受け、満身創痍といった所だろうか。
「お前。結構いい奴だな」
気づくと瓦さんが、僕の腕から出てきた猫を抱き上げていた。どうやら僕に当たる筈だった炎は、白装束の精霊が水で消してくれたらしい。
瓦さんがそうしろと命じてくれたみたいだ。
「一時間が経過しました。猫の好感度の集計に入ります」
カピバラが決闘の終わりを告げた。タスマニアデビルが猫に近づき、何やら聞き耳を立て、時々頷いたりしている。猫の話でも聞いているのだろうか。
お互い消耗した僕と瓦さんは、その様子を並んで眺めていた。
「······瓦さんは、人間があまり好きじゃないんですか?」
僕の口から、また勝手に言葉が溢れていく。
「乱暴者の厄介者。それが俺を見る周囲の目だ。これまでも。これからもな」
瓦さんは投げやりに言い捨てた。何でだろう。瓦さんからは僕と近い物を感じる。
「······皆、知らないだけじゃないですか? 瓦さんが本当は優しい人だって」
「何を訳わかんねー事言ってんだお前? 他人になんか知って欲しくもねーよ。そんなモン」
······嘘だ。本当は人と繋がりを求めている。でもその方法が分からないんだ。僕は殻に籠もる事を選び、瓦さんは相手を威圧する事でそれを避けている。
「瓦さん! 僕は瓦さんが好きです。それは、瓦さんの優しい一面を感じたからです」
「ああ? 何を行ってんだお前?」
「人間は感情の生き物です。だがら、感じないと何も始まりません。瓦さんがその武装を解かないと、他人は瓦さんの本質を感じる事が出来ません」
僕の言葉に、瓦さんは黙り込んだ。
「······俺が、意識して他人を避けているって言うのか?」
僕は身体の消耗から、腰を砂の上に降ろしてしまった。
「······瓦さん。この広い世界には、他人と上手く関われない人がどれ位いるんでしょうか?」
僕の言葉は、段々と独り言のようになって行く。瓦さんは黙って聞いている。
「こんなに人がいるんだから、不器用な人間に付き合ってくれる相手が、必ずいると思います。だから」
僕の口は突然止まった。僕は瓦さんに語りかけているのか、自分に言い聞かせているのか分からなくなって来た。
「······おいガキ。だから何だよ?」
「······だから、諦めないで下さい。人と関わる事を」
僕と瓦さんの目の前で、タスマニアデビルの着ぐるみが必死で猫を追いかけていた。瓦さんからの返答は無かった。
僕の心の中から、自分自身への返答も無かった。どうして、もっと人と上手く関係を築けないのだろうか。
着ぐるみ達も。無音のこの砂漠の世界も。僕の問いに答えてはくれなかった。
「結果発表を致します」
カピバラが僕らの方を向く。ようやく猫を捕まえたタスマニアデビルが息を切らし苦しそうにしていた。
「猫二匹は、大暑一族代表にぞっこんでした。しかしながら、自分達を身を呈して庇った清明一族代表も捨てがたい。よって、勝負は引き分けです」
ひ、引き分け? そんなのあるのか? 僕は後ろを振り返り彼方を見る。彼方は黙って首を振る。どうやら彼方もそんな結果は知らないらしい。
「よって勝負は、両一族代表の精霊のダメージの大きさで決します」
カピバラの言葉に、僕等は月炎と白装束の精霊に注目した。と言っても二人共にボロボロに見える。
「······ご主人。残念ながら」
白装束の精霊が、目を閉じたまま手に握った薙刀を瓦さんに見せる。薙刀の刃に亀裂が入っていた。
「······ああ。武器が使えないんじゃ戦いようがねえな。俺達の負けだ」
瓦さんは自ら敗北宣言をした。この人はどこまで優しいんだろうか。僕はその優しさに甘えさせてもらった。
僕は瓦さんに暦の歪みを正すように命じ、その指導監督をタスマニアデビルに一任した。
「······おいガキ。お前は他人と上手く付き合ってんのか?」
去り際に、瓦ささんは僕に話しかけてきた。
「瓦さんに偉そうな事を言いましたが、全く上手く出来ません」
僕は目を伏せ、苦笑いの表情だ。
「あきらめんなよ!」
突然の瓦さんの大声に、僕は反射的に顔を上げた。瓦さんは笑っていた。
「馬鹿野郎。お前がそう言ったんだろ」
そう言い残し、瓦さんはタスマニアデビルと共に去って行った。僕は何故か、少し救われた気持ちになった。
······その後、僕は自分の漫画を月炎に貸してあげた。月炎にも読めるように、文字はカピバラに調整してもらった。
月炎は物珍しそうに漫画の絵に見入り、僕に「お借りします」と言い去って行った。
月炎が消えた空を、僕と彼方は見上げていた。
「······彼方。その。怒ってる?」
「何によ?」
僕は彼方が差し出したマタタビを拒否した。大事な決闘の勝敗がかかっている時に。
「稲田祐。アンタが卑怯な真似は出来ないって言った時の顔。格好良かったわよ。少しだけね」
彼方は微笑んでいた。それは、今までに見た事が無いような柔らかい笑みだった。
僕の心臓に鋭い痛みが走った。この時僕は初めて気づいた。
······好きなんだ。僕は、彼方の事が好きなんだ。
その彼方は三ヶ月後に死んでしまう。そう思った瞬間、僕は決壊しそうな涙腺を必死にせき止めた。
彼方を憐れんだり同情したりするのは、覚悟を決めた彼方に失礼だ。
僕は空を見上げた。この世界には珍しく、日差しが僕らに降り注いでいた。カピバラは相変わらず彼方の事を見つめている。
時間が永遠に止まればいいのに。僕は時間を動かす見えない何かに、心からそう願っていた。
そしてその頭上で、二人の精霊が今まさに互いの武器を交えようとしていた。それを見上げるのは、金髪で大柄な瓦さん。僕。そして純白のセーラー服を来た彼方だ。
「黒炎刀演舞! 連撃!!」
月炎が凄まじい早さで刀を二度振る。刀から半月状の炎が二つ飛び出した。轟音と共にに炎の刃が白装束の精霊を襲う。
白装束の精霊は、目を閉じたまま薙刀を横一閃に振った。長い黒髪が波打つように揺れる。それは、何かの舞を舞っているかのように優雅だった。
その薙刀から何かが飛び出した。それは、月炎の放った炎よりも早く放たれ、二つの炎を切り裂いた。
二つの半月状の炎は文字通り四散した。二人の精霊が向き合う空中から、霧雨のような雨が僕の頭に降ってきた。
何故雨が? その時、僕の脳裏にある考えが浮かんだ。もしかしてあの白装束の精霊は薙刀から水を放ったのだろうか。
只の水じゃない。高密度に圧縮された言わば水の刃だ。その水の刃で月炎の炎を消し去ったと思われた。
月炎は白装束の精霊の側面に回り込み、刀を振り下ろす。白装束の精霊は薙刀の柄部分でそれを受ける。
二人の精霊の斬撃の応酬が始まった。荒々しい月炎の斬撃に対して、白装束の精霊は舞うようにして華麗にその攻撃を受け流す。
月炎の僅かな隙に、白装束の精霊が水の刃を放った。月炎は刀で水を弾くが、拡散した水を全ては返せず腕と足に傷を負う。
そこに白装束の精霊の蹴りを腹に受け、月炎は空中から砂漠に叩きつけられた。僕は月炎の元へ走った。
「月炎! 大丈夫!?」
月炎は砂の上に刺した刀に体重をかけて立ち上がった。幸い傷は致命傷では無いみいだ。
······それにしても、月炎の戦い方は自らを顧みない。まるで捨てばちのように見える。
「······月炎。なぜ君はそんな殺伐とした表情で戦うんだい?」
僕の言葉に、月炎は眉を僅かに動かした。
「······これは異な事を。戦いとは元より殺伐とした物です。まして某は、戦いしか知り申しませぬ」
その時、僕の中に何かが流れ込んできた。この重く暗い感情は······月炎の心?
······精霊になる前の月炎は、武家の生まれだった。物心ついた頃から月炎は戦場にいた。
親から受けたのは、愛情では無く家を存続させる術だった。周囲の家族から教えられたのは、遊戯では無く兵法と剣だった。
精霊になってからも、月炎の日々は戦いだった。月炎にはそれが当たり前の日常になっていた。
何かに心を震わせたり。楽しんだり。誰かに愛情を注いだり。月炎は、普通の感情とは無縁の世界にいた。
······僕みたいな子供に、月炎の過ごした凄惨な日常に口など挟みようがなかった。頭ではそう分かっていても、言葉が勝手に溢れて来る。
「月炎。この世界には、戦い以外の素晴らしい事が沢山ある。君はそれに気がついて無いだけだ」
僕の言葉に月炎は細い両目を僕に向ける。
「······その様な物は某には不要です。某は、戦いしか出来ぬ男です」
駄目だ。もっと言葉を砕いて言わないと月炎に伝わらない。
「月炎! こんな僕でも日々の楽しみはあるよ。好きなテレビ番組を観るとか。それから、新刊の漫画発売日とか」
「······御主君。漫画とは、いかような物でしょうか?」
月炎が初めて興味を示した。これだ! ここを逃したら駄目だ!
「えっと。漫画ってのは、絵の書物だよ。絵で物語が綴られているんだ。感動したり、楽しんだり出来る書物だよ」
「······絵の書物? それは某にも読める物でしょうか?」
「読めるよ! 勿論! 後で僕の漫画を貸してあげるよ! だから」
僕は月炎の目を真っ直ぐに見る。
「だから、僕の元へ無事に帰ってきてくれ」
月炎は刀から両手を離し、僕の前に跪く。
「承知致しました。必ず御主君の元へ戻ります」
月炎の口の端に、ほんの少しだけ笑みのような形が浮かんだ。力強い言葉を僕に残すと、月炎は再び地を蹴り空に飛んでいく。
「黒炎刀演舞! 炎陣結界!」
月炎の刀の鋒から炎が噴き出す。月炎は白装束の精霊の周囲を縦、横、斜めと旋回する。
月炎の残した炎の軌跡は、あっと言う間に白装束の精霊を取り囲んだ。すごい! あれはまるで炎の牢獄だ。
白装束が所々焦げている。あの炎の結界内は相当な高温なんだ。
「おい精霊! 無茶すんな! 駄目なら降参しろ!」
その光景を見かねて、瓦さんが大声を出す。この人は本当に優しい人なんだ。僕は決闘の最中にそんな事を考えていた。
「ご主人。お気遣いは無用です」
白装束の精霊が目を閉じたまま口を開く。両手に刀を握ったまま、身体を回転させ始めた。
「水龍咆哮!」
長い黒髪が揺らめいた刹那、薙刀から大量の水が放たれた。その水は龍の形をしていた。水龍は月炎が作った炎の結界を喰らい尽くして行く。
炎の結界は完全に消え失せ、水龍は勢いそのままに月炎に向かって行く。まずい! このままじゃ月炎がやられる!
水龍が猛然とその牙を月炎に叩きつける。月炎は炎を帯びた刀でそれを受け止める。水と炎がぶつかり合い、周囲に雨と火の粉が舞った。
月炎が苦悶の表情で耐えている。水龍を防ぐには月炎に分が悪いと思われた。その時、僕は月炎の腰から脇差しが消えている事に気づいた。
何処かに落としたのだろうか? その答えは直ぐに分かった。白装束の精霊の頭上に、小さい炎の塊が浮かんでいた。
先程水龍に消された結界の残り火だ。その炎の中から月炎の脇差しが飛び出した。月炎は炎の中に脇差しを忍ばせていたんだ!
脇差しの刃が白装束の精霊を襲う。瓦さんが絶叫する。その声が果たして届いたのか。白装束の精霊は間一髪、脇差しを回避した。
だが、その代償に水龍のコントロールを失い、月炎は巨大な水圧から開放された。
「勝負!」
月炎は三度地を蹴り上げ、白装束の精霊に向かって突進して行く。白装束の精霊も薙刀を構える。
月炎の刀が巨大な炎に包まれる。そして白装束の薙刀は高圧の水を帯びる。
「黒炎刀演舞! 炎一文字斬り!!」
「水龍決壊!!」
僕と瓦さんが見上げる空で、炎と水が正面衝突した。炎の轟音と、高圧水の鋭い音が混じり合った。
二人の精霊の周囲に水と炎が飛び散る。猫がいるサークルに、炎が落ちるのが僕に見えた。
「間に合え!」
僕は砂に足を取られながら走っていた。精霊を呼び出し消耗した上に、運動がまるで駄目な僕がこの時は嘘みたいに俊敏に動けた。
猫がいるサークルに炎が落ちた。
「い、稲田祐!」
······後ろから彼方の声が聞こえた。僕の腕の中には二匹の猫がいる。そうだ。僕は猫の上に覆い被さったんだ。
あれ? 炎は何処に行ったんだ。僕は恐る恐る顔を上げた。そこには、白装束の精霊と月炎が立っていた。
「御主君。危険な目に合わせ、面目次第もございません」
身体中を高圧水に切り刻まれ、立つ事も辛そうに見える月炎が僕に詫びる。一方、白装束の精霊も裂傷を受け、満身創痍といった所だろうか。
「お前。結構いい奴だな」
気づくと瓦さんが、僕の腕から出てきた猫を抱き上げていた。どうやら僕に当たる筈だった炎は、白装束の精霊が水で消してくれたらしい。
瓦さんがそうしろと命じてくれたみたいだ。
「一時間が経過しました。猫の好感度の集計に入ります」
カピバラが決闘の終わりを告げた。タスマニアデビルが猫に近づき、何やら聞き耳を立て、時々頷いたりしている。猫の話でも聞いているのだろうか。
お互い消耗した僕と瓦さんは、その様子を並んで眺めていた。
「······瓦さんは、人間があまり好きじゃないんですか?」
僕の口から、また勝手に言葉が溢れていく。
「乱暴者の厄介者。それが俺を見る周囲の目だ。これまでも。これからもな」
瓦さんは投げやりに言い捨てた。何でだろう。瓦さんからは僕と近い物を感じる。
「······皆、知らないだけじゃないですか? 瓦さんが本当は優しい人だって」
「何を訳わかんねー事言ってんだお前? 他人になんか知って欲しくもねーよ。そんなモン」
······嘘だ。本当は人と繋がりを求めている。でもその方法が分からないんだ。僕は殻に籠もる事を選び、瓦さんは相手を威圧する事でそれを避けている。
「瓦さん! 僕は瓦さんが好きです。それは、瓦さんの優しい一面を感じたからです」
「ああ? 何を行ってんだお前?」
「人間は感情の生き物です。だがら、感じないと何も始まりません。瓦さんがその武装を解かないと、他人は瓦さんの本質を感じる事が出来ません」
僕の言葉に、瓦さんは黙り込んだ。
「······俺が、意識して他人を避けているって言うのか?」
僕は身体の消耗から、腰を砂の上に降ろしてしまった。
「······瓦さん。この広い世界には、他人と上手く関われない人がどれ位いるんでしょうか?」
僕の言葉は、段々と独り言のようになって行く。瓦さんは黙って聞いている。
「こんなに人がいるんだから、不器用な人間に付き合ってくれる相手が、必ずいると思います。だから」
僕の口は突然止まった。僕は瓦さんに語りかけているのか、自分に言い聞かせているのか分からなくなって来た。
「······おいガキ。だから何だよ?」
「······だから、諦めないで下さい。人と関わる事を」
僕と瓦さんの目の前で、タスマニアデビルの着ぐるみが必死で猫を追いかけていた。瓦さんからの返答は無かった。
僕の心の中から、自分自身への返答も無かった。どうして、もっと人と上手く関係を築けないのだろうか。
着ぐるみ達も。無音のこの砂漠の世界も。僕の問いに答えてはくれなかった。
「結果発表を致します」
カピバラが僕らの方を向く。ようやく猫を捕まえたタスマニアデビルが息を切らし苦しそうにしていた。
「猫二匹は、大暑一族代表にぞっこんでした。しかしながら、自分達を身を呈して庇った清明一族代表も捨てがたい。よって、勝負は引き分けです」
ひ、引き分け? そんなのあるのか? 僕は後ろを振り返り彼方を見る。彼方は黙って首を振る。どうやら彼方もそんな結果は知らないらしい。
「よって勝負は、両一族代表の精霊のダメージの大きさで決します」
カピバラの言葉に、僕等は月炎と白装束の精霊に注目した。と言っても二人共にボロボロに見える。
「······ご主人。残念ながら」
白装束の精霊が、目を閉じたまま手に握った薙刀を瓦さんに見せる。薙刀の刃に亀裂が入っていた。
「······ああ。武器が使えないんじゃ戦いようがねえな。俺達の負けだ」
瓦さんは自ら敗北宣言をした。この人はどこまで優しいんだろうか。僕はその優しさに甘えさせてもらった。
僕は瓦さんに暦の歪みを正すように命じ、その指導監督をタスマニアデビルに一任した。
「······おいガキ。お前は他人と上手く付き合ってんのか?」
去り際に、瓦ささんは僕に話しかけてきた。
「瓦さんに偉そうな事を言いましたが、全く上手く出来ません」
僕は目を伏せ、苦笑いの表情だ。
「あきらめんなよ!」
突然の瓦さんの大声に、僕は反射的に顔を上げた。瓦さんは笑っていた。
「馬鹿野郎。お前がそう言ったんだろ」
そう言い残し、瓦さんはタスマニアデビルと共に去って行った。僕は何故か、少し救われた気持ちになった。
······その後、僕は自分の漫画を月炎に貸してあげた。月炎にも読めるように、文字はカピバラに調整してもらった。
月炎は物珍しそうに漫画の絵に見入り、僕に「お借りします」と言い去って行った。
月炎が消えた空を、僕と彼方は見上げていた。
「······彼方。その。怒ってる?」
「何によ?」
僕は彼方が差し出したマタタビを拒否した。大事な決闘の勝敗がかかっている時に。
「稲田祐。アンタが卑怯な真似は出来ないって言った時の顔。格好良かったわよ。少しだけね」
彼方は微笑んでいた。それは、今までに見た事が無いような柔らかい笑みだった。
僕の心臓に鋭い痛みが走った。この時僕は初めて気づいた。
······好きなんだ。僕は、彼方の事が好きなんだ。
その彼方は三ヶ月後に死んでしまう。そう思った瞬間、僕は決壊しそうな涙腺を必死にせき止めた。
彼方を憐れんだり同情したりするのは、覚悟を決めた彼方に失礼だ。
僕は空を見上げた。この世界には珍しく、日差しが僕らに降り注いでいた。カピバラは相変わらず彼方の事を見つめている。
時間が永遠に止まればいいのに。僕は時間を動かす見えない何かに、心からそう願っていた。
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