都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第三章 カモフ攻防戦

71 ネアンの街(2)

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 クスターらが待ち望んでいたイグナーツだったが、結局彼らの前に姿を見せる事はなかった。

『一騎打ちで負った傷により加療中』

 イグナーツの代わりに報告に訪れたチェスラフは、苦渋をにじませた表情でそう報告をおこなった。
 あえてと報告したが、イグナーツの意識は未だ戻っていなかった。
 波打ったフランベルジュの刃で切り落とされた肩口は、今も必死で止血処理をおこなっているが、出血は止まらず刻一刻と血液が失われていっている。
 今夜が山と言われているが、この分だと朝まで生きながらえる事は難しいのではないかとチェスラフは感じていた。

「まさか!?」

「イグナーツ様が一騎打ちで遅れを取るとは・・・・」

 ストール軍の中でも最強を誇っていたイグナーツが敗れた。
 その衝撃は計り知れず、ヒュダを含めクスターやジアンも目を見開いたまま呆然と固まっていた。
 イグナーツは『隻眼の虎せきがんのとら』との異名も含めて、ストール軍のみならず国中にその名を轟かせているほどだった。
 初陣で片目を失うという武人としては致命的な負傷を負って以降、圧倒的な技量とその膂力りょりょくによって一対一では負け知らずを誇っていた。
 無敗を誇っていたイグナーツが敗れたということだけでも衝撃的だが、そのイグナーツを破った相手は無名の若い騎士だという。しかも平民出身の成り上がり者だという事だ。
 イグナーツと並んでエリート思想の急先鋒のようなヒュダにとっては、全否定してしまいたい事態にわなわなと小刻みに身を震わせていた。

「チェスラフ様、報告ご苦労だった」

 重苦しい雰囲気の中、絞り出すようにそう言ってチェフラフを下がらせたジアンは、大きく息を吐いて今だ衝撃から立ち直ることができないクスターへと向き直った。

「閣下、今はそれがしもヒュダも衝撃が大きすぎて冷静な判断が下せません。軍議は一旦休憩とさせていただき、翌朝より再開したいと存じます」

 そう言って二人を見渡すと両者とも異論はなく頷いた。この日深夜に及んだ軍議は結論が出ないまま延期となったのである。

「父上・・・・」

 自室へと戻ったクスターはベッドに突っ伏すように横になり、ぼんやりと父の名を呟いていた。
 軽く食事を取り湯浴みもおこなってさっぱりしていた筈だったが、手足は鉛を付けたように重く、頭も疲れている割りには眠気を覚えず、先ほどから身動ぎを繰り返していた。
 未だに父が亡くなった事が信じられない。
 目をつぶっても父の事ばかりを考えて全く寝付けなかった。

『父上、私はこれからどうすればいいのですか?』

 クスターの不幸はドーグラスを父に持ったことかも知れない。
 ゼゼーを中心とした支配地では強力な集権体制が構築され、絶対的な権力者として君臨していたドーグラス。
 その父から正式に後継者と定められた事により、誰もがクスターの前ではかしづいていた。クスター自身も幼少期からそれを当然と受け止め疑問に思う事もなかった。
 ただし全ての決定権はドーグラス自身が有したまま。
 クスターには後継者という立場以外の権限は与えられていなかったため、彼のすることは多くの臣下の上に君臨する父の姿を傍で見ることだけだった。
 またドーグラスがクスターに意見を求めることもなく、彼もまた父の逆鱗げきりんを恐れて差し出口を挟むことをしなかったため、これまで実際に采配を振るうことは殆どなかった。
 その父がいなくなり、突然全ての決定権がクスターに委ねられたのだ。
 何をすべきか分からないのに、皆がクスターに父のように指針を示すことを求めてくる。
 クスターは唐突に暗闇の中へ放り出された気分だった。
 目印もなく何処に向かえばいいかも分からず、足を一歩踏み出すことすら恐ろしくてできなかった。
 それはドーグラスを絶対視してきたことに対する弊害だったが、クスターにとっては急に父から突き放されたように感じていた。

『父上、何故死んでしまわれたのですか』

『父上、私をひとりにしないでください』

『父上、どうして何も言ってくれないのですか』

「父上・・・・ううっ・・・・」

 気付けば父に対する恨み言がクスターの心を占めていた。
 彼は空が白み始める頃になって、漸く泣き疲れて僅かばかりの眠りを得る事ができた。



 翌朝になるとイグナーツ隊の敗残兵が少しずつ戻り始め、ジアンはその対応に追われた。ヒュダもまた街の見回りを重点的におこなって治安の維持につとめ、商業ギルドのベドジフにも協力を要請した。
 そのため先送りとなった軍議は開く事ができず、クスターは内心ホッと息を吐いていた。
 だが昼を過ぎた頃、街の外にトルスター軍が現れたとの報告が入りストール軍に緊張が走った。

「ヒュダ殿、敵は!?」

 街を囲う城壁の一画へと駆け付けたジアンは、回廊から城外の様子を確認していたヒュダに声を掛けた。

「今回は本気でこのネアンを奪い返すつもりのようじゃ」

 振り向いたヒュダは、苦々しげな表情を浮かべる。城外を見下ろすと街の外に多くの敵兵の姿が見えた。
 敵兵力は街を完全に包囲する程ではないが、湖にはいつもの小舟だけではなくキャラック船が一隻、特徴ある大三角帆ラテンセイルを大きく膨らませて近付いてきていた。トルスター軍の旗艦とされる軍船だ。
 帆柱マストの先端にはトルスター軍を示す軍旗に加えて、トゥーレ座乗を示す山羊の紋章が翻っていた。
 山羊はトゥーレがここ最近になって使用し始めた意匠で彼の居場所を示す旗だ。
 正面を向いた山羊の頭の左右に大きく渦を巻いた角が特徴的な図案となっている。隠密行動だった前日のコッカサでの戦いは使用していなかった軍旗だった。
 この戦いで初めて目にした山羊の軍旗にヒュダは拳を握りしめ、近付いてくるキャラック戦を睨み付けた。

「調子に乗るなよ小僧! 返り討ちにしてドーグラス閣下の仇を討ってくれる!」

「敵は少ないですが動きが想像していた以上に早い。私はクスター閣下にお知らせしてきます。ヒュダ様は迎撃の指揮を頼みます」

 ジアンはきびすを返し、急ぎネアン公館へと戻っていく。
 前夜の会議は結論が出ないまま終わっていたが、敵が攻めてきた以上迎撃するのが先決だ。
 この戦いの行方によってはヒュダが主張していた主戦論に傾く事になるかも知れないが、それならそれで構わないと考えていた。
 クスターの足場を固める事を優先して時間的な余裕のないサザン攻めに反対していたジアンだったが、相手から攻めて来るならそれは好都合というものだ。
 離脱したラドスラフがトノイに戻るまでは早くとも一ヶ月ほど掛かる計算だ。それから独自の派閥を構築するにしても数ヶ月が必要だろう。
 それだけあればカモフでの戦いの帰趨きすうは決している筈だ。カモフ攻略の実績があれば、ラドスラフがどれほど策を弄しても今後クスターの優位は変わらないだろう。

「クスター閣下!」

 公館へ戻ったところ、クスターの姿は広間にあった。
 ジアンが呼びかけるがクスターの表情は暗い。昨夜は殆ど眠れていないのだろう。頬がけ、目の周りが暗く落ちくぼみ、気怠けだるそうに視線を彷徨さまよわせていた。

「トルスター軍の攻撃です。すぐに軍装を整えてください」

「あ、ああそうだな、分かった」

 側近に促されながらクスターは慌てた様子で自室に戻っていく。
 既に騒ぎが起こっていることを聞いている筈だが、平服のままなことにジアンは眉根を寄せた。
 ドーグラスが討たれたショックがあるとはいえ、クスターに覇気がないことが気になっていた。
 確かにいきなり全軍の命をあずかる重圧は半端ないだろう。それでも今のクスターはストール軍の総指揮を執る立場だ。もう少し自覚を持って振る舞って貰わなければ全軍の士気に関わってくる。
 兵力的には負ける要素がない筈だったが、クスターの様子にジアンは一抹の不安を覚えるのだった。

「・・・・」

 側勤めが身なりを整えている間クスターは沈黙したまま、棒立ちになりされるがままの状態で前方を見るともなく見つめていた。
 神経質そうな表情が顔色の悪さを更に強調しているようだ。頭髪は側勤めが整えていたが、昨日から剃っていない無精髭が体調の悪さを際立たせているようだった。

「閣下?」

「ん? ああすまない」

 怪訝そうに問い掛けられて、いつの間にか軍装が整え終わっていたことに気付いた。
 軽装備とはいえサーコートの上から胸当てブレストプレート肩当てボールドロンなどプレートメイルと余り変わらない防具を着けられ、少し身体を動かせば耳障りな金属の擦れる音が神経を逆撫でる。

「いや、ヘルメットはいい」

 最後に兜を差し出してきたが尖った声で拒否し、被っていたフードも脱いで側勤めに渡した。
 兜を被っていても死ぬ時はあっさり死ぬ。ならばストール家の代表として堂々と死ねばよい。クスターは大きく息を吐いて覚悟を決めると、兜を渡されて狼狽うろたえる側勤めを尻目に部屋を出て行った。

「・・・・それは本当か!?」

 クスターが広間に戻ると、伝令を相手にジアンが血相を変えていた。

「どうした?」

「街の各所から不審火が出たとの報告です」

「不審火だと?」

 敵の姿が見え、警戒レベルを引き上げたタイミングでの出火だ。しかも複数箇所から同時となれば、敵の攪乱かくらん工作の可能性を考慮しなければならない。
 各地から撤退してくる兵のため、昨夜は遅くまで城門を開いていた。警戒していたとはいえ、混乱する中で身元の確認は万全だったとは言い難い。その隙に工作兵を潜り込ませていたのだろう。

「今はヒュダが原因究明と消火に当たっています」

 恐らく工作兵を捕らえることは不可能だろう。ジアンは内心の考えを隠したまま、クスターを安心させるよう笑顔を浮かべてみせた。

「分かった。引き続き対応は任せる」

「はい、お任せください」

 相変わらずクスターの顔色は悪いが、先程までと違って目に力が宿っている。これならば何とかなるかも知れない。
 ジアンは悪い状況が続く中、一筋の希望の光が差したような気がした。
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