都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第三章 カモフ攻防戦

59 信号弾

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「止まれ!」

 先を急ぐトゥーレの前にイザイルが立ち塞がった。
 左手に槍斧ハルバードを手に仁王立ちした彼は、背後に多くの兵を従えながら彼らに告げる。

「この先へは行かせん! 他を当たられよ!」

 彼の言葉と同時にイザイルが率いる兵たちが槍斧を一斉に構えた。
 それを受けてクラウスとヘルベルトが静かに前に出て、トゥーレを油断なく護衛する。
 その二人の間からトゥーレが口を開いた。

「イザイル様とお見受けする。我らはこの先に用がある。ここは黙って通していただけないだろうか?」

「これはこれは、まさか領主様自らお出ましとは。しかし折角お越しいただいた所恐縮ですが、それはできない相談でございます」

 イザイルは目の前にトゥーレが現れたことに内心驚きながらも表情には出さず、慇懃無礼いんぎんぶれいな態度で応じた。

「それよりも我々にその首を差し出してはいただけないだろうか? 大人しく渡していただけるなら、これ以上カモフで無駄な血が流されることを防ぐことができるでしょう」

「不要な血を見ずにすむのは魅力だが、貴殿は盗賊に大人しく自分の命を差し出すのか?」

「減らず口を。ほんの僅かな兵で何ができると言うのだ!」

「ふっ、その僅かな兵にここまで踏み込まれておいてよく言う」

 トゥーレが小馬鹿にしたように言うと、それまで冷静に受け答えしていたイザイルが頭に血が上ったように、顔を真っ赤に染め目を大きく見開いた。

「おのれっ! 閣下への手土産にしてくれるわ!」

 そう叫ぶと兵を前に出し、自らは後方に下がった。

「邪魔をするな!」

 一色触発となり、クラウスとヘルベルトが前に出た。

「これだけの人数相手に何ができると言うのだ!」

「ならば試してみるがいい!」

 言いながらクラウスが更に前に出て、薙刀グレイブを上段に構えた。

「笑止! 返り討ちにしてくれるわ!」

 イザイルは不適に笑みを浮かべると『やれぃ!』と命じる。その合図に兵が槍斧を手に喊声かんせいを上げながら一斉にクラウスへと襲いかかった。
 敵兵が蟻のようにクラウスへと群がっていくが、彼は薙刀を構えたまま微動だにしない。
 やがて敵がクラウスの間合いに入った瞬間、クラウスはその得物グレイブを一閃した。

「うわぁ!」

 恐らく大半の兵士は自分の身に何が起こったのか理解できなかっただろう。
 気付けば十名近くいた兵が全て大地に倒れ伏していた。僅か一振りで多くの兵士が討ち取られたのだった。
 その結果をもたらしたクラウスは、雑草を薙ぎ払ったような姿で残心していた。その無造作な見た目と結果のギャップが凄まじい。
 クラウス自慢の膂力りょりょくは、しっかりと鎖帷子を着込んでいたにも関わらず、それを切り裂いて致命傷を与えたのだった。

「か、母さん・・・・」

 クラウスの足下に身体を上下に分断された若者の上半身が横たわっていた。
 若者は不幸にも意識を保ったまま足元でうめいていた。若者は涙と土にまみれた顔をくしゃくしゃにしながら、必死に手を伸ばし母の名を呼んでいた。

「・・・・今楽にしてやろう」

 僅かに眉をひそめたクラウスが首に薙刀を突き立てると、若者は苦しみから解放されたかのようにゆっくりと目を閉じた。

「おのれ、化け物め!」

 イザイルはそう叫ぶと、クラウスに気圧けおされひるんでいた兵を叱咤し、自ら先頭に立った。

「ほほぅ。逃げずに立ち向かってくるとは?」

 怯えたように青い顔を浮かべている兵もいるが、逃げ出そうとするものはいない。震えながらも武器を構えて立ちはだかる兵の姿に、クラウスは意外そうな顔を浮かべた。

「この先へは行かせんと言ったはずだ!」

 そんな中でもイザイルだけは、怯えた様子も見せずクラウスに対峙していた。
 彼は古くよりドーグラスに仕えていたが、軍師という肩書き通りお世辞にも武力は高いとはいえず、その頭脳で長く貢献してきた騎士だ。そのためクラウス相手に勝てるなどとは露ほども考えておらず既に死を覚悟していた。
 彼の目的は僅かでもドーグラスが離脱する時間を稼ぐことだけだった。それはトゥーレらをここまで誘導できたことで、ほぼ目論み通りだといえる。後は自らをおとりとしてこのままミスリードさせればイザイルの目的は達成されるのだ。

「ならば押し通るまで!」

 殺気をまとったクラウスが一歩二歩三歩と歩みを進め、気圧されるようにイザイルたちが思わず後退あとずさる。
 怖気おぞけを覚えるようなクラウスの迫力に、彼らの背中を冷たい汗が伝う。
 覚悟を決めていても確実に訪れる死への恐怖に、口がカラカラに渇き喉がひりついて呼吸のしかたを忘れたかのように息苦しくなった。

「う、うわぁぁぁぁ!」

 やがて重圧に耐えきれなくなった兵が、一人二人と挑みかかっていく。しかし当然ながらそんな腰が引けた状態でクラウスにかなうはずもなく、一合も打ち合うことなく切り捨てられていった。

「ええい、使えん奴らめ!」

 イザイルは後退りしながら、時間稼ぎができず突っ掛かっていく兵たちに悪態あくたいを吐いた。
 彼らには事前に時間稼ぎの事は言い含めていたのだが、対峙するクラウスの殺気に我慢できなくなったのだろう。悪態を吐いたイザイルですら、気を抜けば楽になりたい一心でクラウスの前に身を晒してしまいたくなるのだ。
 どれだけ役に立ったかは分からないが時間稼ぎもそろそろ限界だろう。しかしある程度ドーグラスとの距離は稼ぐことができた筈だ。

「ぐっ・・・・」

 イザイルはえそうになる足に力を入れて踏ん張ると、ゆっくりと兵たちを見渡した。
 彼らも同じように必死に恐怖とあらがっていたが、イザイルと視線が合うと彼の意図が伝わったのか、硬い表情のまま無理矢理笑顔を浮かべた。

「これ以上無駄に血が流れるのは望むところではない。もう一度言う。黙って我らを通していただきたい」

「ふふふ、何度言われても私の答えは変わりません。それとももう一度口にしないといけませんか?」

 それまで黙って成り行きを見守っていたトゥーレが翻意を促すが、当然ながらイザイルの答えは変わらない。

「そうか、ならば他の道を行くまでだ。行くぞ!」

 トゥーレはさばさばした表情でそう言うと、クラウスらを促してあっさりときびすを返したのだ。

「な!? 待たれよ! 何処へ行く!」

 それを見て逆に慌ててしまったのはイザイルだった。
 彼は思わず呼び止めてしまった。すぐに『しまった』という表情を浮かべるが、それがトゥーレの疑念を確信に変えるのに十分な証拠となった。

「やはりな」

 答えを得たトゥーレはニヤリと笑ったが、クラウスやヘルベルトは訳が分からず戸惑った表情のままだ。しかしトゥーレのひらめきを何度となく目にしてきた彼らは、この場を彼に任せて一歩下がった。

「小僧! はかったな!!」

 一方、失態を演じてしまったイザイルは、顔を真っ赤にして怒りを露わにしたまま、取り繕うこともせずに怒鳴り声を上げた。

「謀ったとは失礼な。かまをかけたと言ってくれないか」

「う、五月蠅うるさい。どちらでも大した違いはないわ!」

「そんなことないだろう。な?」

 おどけた調子でクラウスらに視線を送るが、流石に同意できなかったのか二人は黙って首を振る。

「と、とにかくだ。何故分かった?」

「貴様が墓穴ぼけつを掘ったのだろう?」

 この先にドーグラスがいない事に何故なぜ気付くことができたのか。イザイルでさえ気付かないうちに致命的なミスを犯していたのかと考えていた。
 だがトゥーレから返ってきたのは、クラウスらにはおなじみのとぼけた返答だ。
 彼らには見慣れた光景でも初見であるイザイルには劇物だった。
 案の定彼は真っ赤になって苛々したように地団駄じだんだを踏んだ。

「そうではない! 閣下の行方じゃ」

「ああ、そっちか?」

「な・・・・」

 呆れた様子を浮かべるが流石にイザイルだと言うべきか。
 激高したところで話が進まないと考えると、茹蛸ゆでだこのように真っ赤になりながらも睨み付けるだけに留めてトゥーレに先を促す事を選択した。

「それで小僧、あらためて問う。どうして閣下がこちらにいないと分かった?」

「言っても理解できないと思うぞ?」

「ここまで来て勿体もったいぶるな! さっさと言え!!」

 トゥーレがまだ惚けていると思い込んでいるイザイルは地団駄を踏んで怒鳴った。
 既に答えの分かっているクラウスらが密かに彼に同情の視線を送っていたが、それには気付かない。
 トゥーレは溜息を吐くとうんざりした表情で事実を告げる。

「勘、だと言ったら?」

「おのれっ、馬鹿にしおって!!」

 クラウスらの予想通り馬鹿にされたと勘違いしたイザイルは、怒りの形相を浮かべて兵に突撃の命令を下し、自らも槍斧を手にトゥーレへと迫った。
 だが彼らの前に立ちはだかるのは屈強な二人だ。クラウスとヘルベルトを突破することは叶わず、誰一人としてトゥーレにやいばを届かせることができない。
 それはイザイルも例外ではなかった。

「ぐぁっ!」

 槍斧の一撃を避けたヘルベルトの短槍がカウンターとなって、イザイルの右胸に深々と突き刺さった。

「ばぎゃ・・・・お、おのれっ、ごぶっ・・・・」

 ガクリと膝を付いてしまうが、槍斧を杖代わりに倒れるのは何とか阻止した。
 しかし槍が引き抜かれると咳と共に多量の吐血をし、立っていられなくなった彼は、足下にできた血溜まりに崩れ落ちた。

「時間を喰ってしまったな」

 命が尽きつつあるイザイルに興味を示さず、トゥーレは焦ったように周りを見渡した。
 彼らの周囲は敵味方入り乱れた乱戦となっているが意外と敵の姿が少なく、味方は突入の勢いを保ったままだ。しかしこの先にドーグラスがいない以上、トゥーレは新たな行き先を示さねばならなかった。

「こうなったら危険を承知で手分けして探しますか?」

「それで発見できる可能性は上がるかも知れぬが、肝心の攻撃力が足りなくなるぞ!」

 クラウスらが相談する中、トゥーレは仰向けに横たわるイザイルを見つめていた。
 彼に聞くのが早いだろうがもはや口を開ける状態ではなく、ヒューヒューと呼気の漏れる音がどんどん弱くなっている。仮に喋ることができる状態であったとしても簡単に口を割るとは到底思えなかった。
 こうしている間にもドーグラスとの距離が離れていく一方だ。早くしなければ手の届かない所まで逃げられてしまう。そうなれば彼らには滅ぶしか道は残されていない。
 次の判断を間違えることのできない重圧をひしひしと感じ、トゥーレは首元のボタンを外して額当てと細かい鎖が編み込まれた頭巾を外した。
 蒸れて湯気の立ち上る頭を涼やかに風が吹き抜けていく。
 水筒の水と頭からかぶれば重圧も一緒に洗い流されていくように感じた。

「戻るぞ! ストール公は反対側だ!」

 根拠はなかったがトゥーレはそう断定した。
 そしてクラウスたちも何も言わずに来た道を素早く引き返し始める。
 その判断が間違えていた場合は全滅は必至だったが、どちらにせよ数分の内にドーグラスを発見できなければ、敵中に孤立している彼らの負けが確定するのだ。
 その追い詰められたが故の開き直りが、彼らに幸運をもたらすことになる。

―――ピィリリィィィィ

 彼らが待望していた信号弾が前方から上がったのだ。
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