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第三章 カモフ攻防戦
56 敵陣突入(1)
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「よくやってくれた!」
待ちに待った報告を持ち帰ったボリスを労ったトゥーレは晴れやかな表情で破顔し、クラウスとヘルベルトは拳を突き上げながら雄叫びを上げた。
カントの開戦から四日目を迎えようとしていた。
一時は危機に陥ったが、イザーク率いるウンダル亡命政府軍の突入により何とか持ち堪えることができていた。しかし切り札である予備兵力まで投入した彼らには、もう新たな手札は残されていない。このままでは遅かれ早かれ突破されるのは時間の問題という、まさにギリギリというタイミングでの情報だった。
「よし皆待たせたな! 出撃するぞ!」
「待ちくたびれましたよ!」
「いよいよですね。後は我々が結果を残す番です!」
振り返ったトゥーレが出撃を命じ、漸く巡ってきた出番に二人は喜び勇んで出陣の準備を始めるのだった。
程なく準備が完了したトゥーレたちは、どこまで続くとも知れない暗く狭い通路を進んでいた。
所々補強されているとはいえ、岩盤をくりぬいただけの通路は二人並べる程の広さはなく、案内のボリスを先頭にトゥーレ、クラウス、ヘルベルトと一列になって続く。
口を開く者はなかったが重圧に押し潰されている訳ではなく、戦いへの緊張感と溢れ出てくる高揚感が混ざり合ったような不思議な感覚だ。
一同は黙ったまま僅かな魔光石の明かりが照らす中、前を行く者の背中を見つめながら進んでいた。
夜の闇と靄の白さが混ざった中に、篝火の炎がぼんやりと灯りを点していた。
その頼りない灯りの中に一際豪華なユルトがぼんやりと浮かび上がっていた。
そのユルト内部も外観以上に装飾品が飾られ、壁際に惜しみなく点灯された魔光石の透明感のある冷たい光と、中央に吊されたランプの暖かな炎が、室内を明るく照らしていた。
その室内にはイザイルを始めとする騎士や兵と共に、戦場に似つかわしくない煽情的な姿をした多くの女中が、中央に座る男に傅いていた。
その男は脂ぎった顔で億劫そうにイザイルから戦況の報告を聞いていた。
もちろんこの男こそが、カモフ侵略の指揮を執るドーグラス・ストールその人である。
ドーグラスはぼってりと突き出た腹を揺すりながら、女中から注がれた酒を呷ると残念そうな表情を浮かべた。
「今日もカントを抜けなんだか。イグナーツめ、腑抜けておるのではないか?」
「相変わらず敵の火力に苦戦し、人的被害が多く出ています。加えて敵は騎馬隊を投入し、こちらの攻勢を押し戻した模様」
「例の亡命政府軍とか言う残存兵力か」
「数は少ないものの、中心となっているのは噂通りウンダルの騎馬部隊のようで、なかなかに手強いと・・・・」
「もうよい!」
ドーグラスは苛々したように、イザイルの報告を強い口調で打ち切ると、酒で澱んだ目を向け静かに口を開く。
「それで、ここを発てるのはいつになるのだ」
「はっ、カントを落とすことができればすぐに・・・・」
「それがいつだと聞いているのだ!」
癇癪を起こしたドーグラスはグラスを投げ、さらに女中からボトルを奪うとそれも投げ付けた。幸いイザイルに当たらなかったものの、ユルトに運び込まれていた調度品に当たって砕け、女中が悲鳴を上げて慌てて下がっていく。
意気揚々とネアンを出立しこの地に陣を敷いて三日経つ。その間辺りはずっと靄に包まれたままだった。
変わり映えのしない景色と進展しない戦況に業を煮やしたドーグラスは、すでに二日目から陣の移動を口にするようになっていた。
それを必死で諫めていたイザイルだったが、彼自身もこれほど靄が晴れないとは思っていなかった。
『こんなことならジアンの言う通り、戦況が動くまでネアンに待機しておればよかったかも知れぬな』
ドーグラスが怒りをぶちまけている中そんなことを考えていたが、もちろんおくびにも出さない。
「敵はここまで想定していた以上に健闘していますが、それももう限界でしょう。あと二日、いや明日一日あれば必ずやカントを落とすことができるでしょう」
「昨日も同じ事を言っていたではないか!?」
イザイルの言葉もドーグラスを鎮めることができない。
もっともな理由を口にしてはいるが、ドーグラスは動けないこの状況に飽きていたのだ。
もちろんその気持ちはイザイルにもよく分かった。ネアンを発ってからずっと靄に覆われたままで、動こうにも前方が味方の軍勢で詰まっていて身動きが取れないのだ。
諫めているイザイルですら内心では辟易としていた。
「閣下のお気持ちはお察ししますが問題はこの靄です。これだけ見通しが悪い中動くのは却って危険かと」
「むう、ならば靄が晴れれば移動できるのだな?」
「仮に晴れたとしても、前方にはクスター様、ヒュダ様の軍勢が犇めいておりますゆえ難しいかと存じます」
「ならば、晴れたとしても状況が変わらぬではないか!」
冷静に返したイザイルの言葉は、ドーグラスの怒りに油を注いだだけだった。
ドーグラスの性格では一旦ネアンへ引くことは考えられない。これ以上ここに留まることも難しく、最早進むことしか残されていない。となれば取れる策はひとつしかなかった。
「ひとつだけ方法がございます」
「あるのではないか。何だ? 申せ!」
喜色を浮かべたドーグラスに対しイザイルは言葉に詰まった。
何が起こるか分からない戦場で具申するには躊躇われるような作戦だったためだ。
イザイル自身まともだと思えるような作戦ではなく、実行できたとしてもドーグラスを危険に晒す事になってしまう。しかしこれを口にすれば、ドーグラスは必ず実行に移すだろう。それが分かっているため軍師として信頼されている身としては、口にすることを躊躇するのだった。
「勿体ぶるでないわ。早く申せ!」
中々口を開かないイザイルに、苛々した様子でドーグラスは睨み付けた。
軽く息を吐いたイザイルは覚悟を決めて顔を上げる。
「はっ、道は悪いですが間道を抜ければタステ狭道を避けることができます。実際、デモルバ様がカントへと到達されています」
「確か、かなり強引に突破したと言うあれか?」
「はい。ですが軍勢を通すため道を広げたと聞いてはいますが、元々間道のため行軍には向いていません」
「少数なら問題ないのだろう?」
「ですが・・・・」
「全軍で動く必要はない」
「まさか!?」
ドーグラスの言葉に愕然とした。
本陣一五〇〇〇ではなく分割した僅か三〇〇名程の兵力でカントへ向かうつもりだと悟ったからだ。
デモルバからの報告では、起伏が激しく何度も這うようにして抜けたと聞いている。
決して口にはできないが、今のドーグラスの体型ではとてもではないが突破できるとは思えない。
分かっていた事だが、言わなければ良かったと今更ながらに後悔するイザイルだった。
「承知しました。ですが、間道はタステ狭道よりも道が狭く険しいと聞いております。今のように靄がかかっている状態では危険です」
「そんなことは分かっておる。晴れてからでよい」
流石に見通しの悪い中動くのが危険なことは、ドーグラスも把握していた。
晴れればという条件を付けることで、夜が明けてすぐの移動だけは何とか阻止することができた。
しかし夜が更けるとともに、コッカサに風が吹き始めていた。
風はこの地にしつこく垂れ込めていた靄を少しずつ流していくのだった。
待ちに待った報告を持ち帰ったボリスを労ったトゥーレは晴れやかな表情で破顔し、クラウスとヘルベルトは拳を突き上げながら雄叫びを上げた。
カントの開戦から四日目を迎えようとしていた。
一時は危機に陥ったが、イザーク率いるウンダル亡命政府軍の突入により何とか持ち堪えることができていた。しかし切り札である予備兵力まで投入した彼らには、もう新たな手札は残されていない。このままでは遅かれ早かれ突破されるのは時間の問題という、まさにギリギリというタイミングでの情報だった。
「よし皆待たせたな! 出撃するぞ!」
「待ちくたびれましたよ!」
「いよいよですね。後は我々が結果を残す番です!」
振り返ったトゥーレが出撃を命じ、漸く巡ってきた出番に二人は喜び勇んで出陣の準備を始めるのだった。
程なく準備が完了したトゥーレたちは、どこまで続くとも知れない暗く狭い通路を進んでいた。
所々補強されているとはいえ、岩盤をくりぬいただけの通路は二人並べる程の広さはなく、案内のボリスを先頭にトゥーレ、クラウス、ヘルベルトと一列になって続く。
口を開く者はなかったが重圧に押し潰されている訳ではなく、戦いへの緊張感と溢れ出てくる高揚感が混ざり合ったような不思議な感覚だ。
一同は黙ったまま僅かな魔光石の明かりが照らす中、前を行く者の背中を見つめながら進んでいた。
夜の闇と靄の白さが混ざった中に、篝火の炎がぼんやりと灯りを点していた。
その頼りない灯りの中に一際豪華なユルトがぼんやりと浮かび上がっていた。
そのユルト内部も外観以上に装飾品が飾られ、壁際に惜しみなく点灯された魔光石の透明感のある冷たい光と、中央に吊されたランプの暖かな炎が、室内を明るく照らしていた。
その室内にはイザイルを始めとする騎士や兵と共に、戦場に似つかわしくない煽情的な姿をした多くの女中が、中央に座る男に傅いていた。
その男は脂ぎった顔で億劫そうにイザイルから戦況の報告を聞いていた。
もちろんこの男こそが、カモフ侵略の指揮を執るドーグラス・ストールその人である。
ドーグラスはぼってりと突き出た腹を揺すりながら、女中から注がれた酒を呷ると残念そうな表情を浮かべた。
「今日もカントを抜けなんだか。イグナーツめ、腑抜けておるのではないか?」
「相変わらず敵の火力に苦戦し、人的被害が多く出ています。加えて敵は騎馬隊を投入し、こちらの攻勢を押し戻した模様」
「例の亡命政府軍とか言う残存兵力か」
「数は少ないものの、中心となっているのは噂通りウンダルの騎馬部隊のようで、なかなかに手強いと・・・・」
「もうよい!」
ドーグラスは苛々したように、イザイルの報告を強い口調で打ち切ると、酒で澱んだ目を向け静かに口を開く。
「それで、ここを発てるのはいつになるのだ」
「はっ、カントを落とすことができればすぐに・・・・」
「それがいつだと聞いているのだ!」
癇癪を起こしたドーグラスはグラスを投げ、さらに女中からボトルを奪うとそれも投げ付けた。幸いイザイルに当たらなかったものの、ユルトに運び込まれていた調度品に当たって砕け、女中が悲鳴を上げて慌てて下がっていく。
意気揚々とネアンを出立しこの地に陣を敷いて三日経つ。その間辺りはずっと靄に包まれたままだった。
変わり映えのしない景色と進展しない戦況に業を煮やしたドーグラスは、すでに二日目から陣の移動を口にするようになっていた。
それを必死で諫めていたイザイルだったが、彼自身もこれほど靄が晴れないとは思っていなかった。
『こんなことならジアンの言う通り、戦況が動くまでネアンに待機しておればよかったかも知れぬな』
ドーグラスが怒りをぶちまけている中そんなことを考えていたが、もちろんおくびにも出さない。
「敵はここまで想定していた以上に健闘していますが、それももう限界でしょう。あと二日、いや明日一日あれば必ずやカントを落とすことができるでしょう」
「昨日も同じ事を言っていたではないか!?」
イザイルの言葉もドーグラスを鎮めることができない。
もっともな理由を口にしてはいるが、ドーグラスは動けないこの状況に飽きていたのだ。
もちろんその気持ちはイザイルにもよく分かった。ネアンを発ってからずっと靄に覆われたままで、動こうにも前方が味方の軍勢で詰まっていて身動きが取れないのだ。
諫めているイザイルですら内心では辟易としていた。
「閣下のお気持ちはお察ししますが問題はこの靄です。これだけ見通しが悪い中動くのは却って危険かと」
「むう、ならば靄が晴れれば移動できるのだな?」
「仮に晴れたとしても、前方にはクスター様、ヒュダ様の軍勢が犇めいておりますゆえ難しいかと存じます」
「ならば、晴れたとしても状況が変わらぬではないか!」
冷静に返したイザイルの言葉は、ドーグラスの怒りに油を注いだだけだった。
ドーグラスの性格では一旦ネアンへ引くことは考えられない。これ以上ここに留まることも難しく、最早進むことしか残されていない。となれば取れる策はひとつしかなかった。
「ひとつだけ方法がございます」
「あるのではないか。何だ? 申せ!」
喜色を浮かべたドーグラスに対しイザイルは言葉に詰まった。
何が起こるか分からない戦場で具申するには躊躇われるような作戦だったためだ。
イザイル自身まともだと思えるような作戦ではなく、実行できたとしてもドーグラスを危険に晒す事になってしまう。しかしこれを口にすれば、ドーグラスは必ず実行に移すだろう。それが分かっているため軍師として信頼されている身としては、口にすることを躊躇するのだった。
「勿体ぶるでないわ。早く申せ!」
中々口を開かないイザイルに、苛々した様子でドーグラスは睨み付けた。
軽く息を吐いたイザイルは覚悟を決めて顔を上げる。
「はっ、道は悪いですが間道を抜ければタステ狭道を避けることができます。実際、デモルバ様がカントへと到達されています」
「確か、かなり強引に突破したと言うあれか?」
「はい。ですが軍勢を通すため道を広げたと聞いてはいますが、元々間道のため行軍には向いていません」
「少数なら問題ないのだろう?」
「ですが・・・・」
「全軍で動く必要はない」
「まさか!?」
ドーグラスの言葉に愕然とした。
本陣一五〇〇〇ではなく分割した僅か三〇〇名程の兵力でカントへ向かうつもりだと悟ったからだ。
デモルバからの報告では、起伏が激しく何度も這うようにして抜けたと聞いている。
決して口にはできないが、今のドーグラスの体型ではとてもではないが突破できるとは思えない。
分かっていた事だが、言わなければ良かったと今更ながらに後悔するイザイルだった。
「承知しました。ですが、間道はタステ狭道よりも道が狭く険しいと聞いております。今のように靄がかかっている状態では危険です」
「そんなことは分かっておる。晴れてからでよい」
流石に見通しの悪い中動くのが危険なことは、ドーグラスも把握していた。
晴れればという条件を付けることで、夜が明けてすぐの移動だけは何とか阻止することができた。
しかし夜が更けるとともに、コッカサに風が吹き始めていた。
風はこの地にしつこく垂れ込めていた靄を少しずつ流していくのだった。
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