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第三章 カモフ攻防戦
2 裏切り(2)
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―――ふふふ・・・・
石造りの待合室に不敵な笑い声が響く。
「貴様、何を笑っている!?」
ヒュダを拘束していた衛兵の一人が怪訝そうに叫んだ。
「っ!?」
次の瞬間、ヒュダの身体が糸の切れた人形のように沈み込む。
その予想外の動きに、拘束していた衛兵は変化に対応できずに思わず蹈鞴を踏んだ。
「うわっ!」
身体を沈めたヒュダは、独楽のように身体を回転させると衛兵二人の足を払った。
崩れた体勢を立て直す間もなく足を払われた衛兵はたまったものではなく、受け身も取れずに床に倒れた。
拘束を解いたヒュダは隠しナイフをブーツからすばやく引き抜くと、再度拘束しようと手を伸ばしてきた衛兵と応援に駆け付けた衛兵の四人の間を、素早く潜り抜けていく。長い手足を素早く動かすその姿は正に昆虫のようであり、オイヴァはその姿にカサカサという幻聴を聞いた気がした。
「うわぁ!」
一瞬の後にはオイヴァの目の前にヒュダの姿があった。
目の前で見ていた彼も躱された衛兵ですら何が起こったのか分からないままだ。ただし衛兵の首には致命傷となる切り傷があり、噴水のように真っ赤な鮮血が噴き出していた。
「くっ!」
慌てたオイヴァは腰の剣に手を伸ばすものの、抜刀する前にヒュダによって左腕を締め上げられ、首筋にはナイフが突き付けられていた。
「さて、大人しくしていてもらいましょうか。ビリエル殿、いつまで惚けているのですか? さっさと行きますよ」
一瞬で形勢を覆したヒュダは、返り血を浴びた顔に卑しい笑みを浮かべると、呆然と立ち尽くしたままのビリエルに声を掛ける。
ビリエルは衛兵の拘束を解くと、ヒュダと二人ネアンの公館へと向かった。
「それで、オイヴァ様はご無事なのか?」
使者がネアンでの経緯を語り終えると、クラウスは焦れたように円卓に身を乗り出し立ち上がって尋ねた。
使者はネアンの門を守っていた衛兵の一人だった。
騒動が起こった後、すぐにヒュダの手勢と戦闘となった。戦いによる混乱の中、気付けば城門が開かれそこからストール軍が乱入してきたという。
彼は他の衛兵から伝令を託されネアンを脱出した後、途中乗っていた馬が潰れた。その後、代わりの馬を調達できなかったため、夜通し走ってきたそうだ。
「申し訳ございません。それは確認できておりません」
ヒュダと思われるひょろりと手足の長い男に連れて行かれるのを確認はしているが、その後直ぐに乱戦となり見失ったという。
衛兵はそう言うと悔しそうに唇を噛んだ。
「ご苦労! ゆっくりと休んでくれ!」
乱戦となったネアンから貴重な情報をもたらした衛兵だ。誰も責めることなどできなかった。
トゥーレは衛兵を労って下がらせると一同を見渡し最後にクラウスと目を合わせ軽く頷いた。
クラウスが立ち上がると、円卓を囲む騎士たちも緊張を浮かべた顔で背筋を正す。
「オイヴァ様の安否が分からんのは痛いな。恐らくネアンは既にストール軍の手に落ちたと考えるべきだろう。フォレスへ注力していた隙を突いた見事な作戦だ。これで我らはダニエル様に援軍を送ることができなくなった。だが悔いていても仕方がない。取り急ぎ現状でとれる手はふたつ。速攻でネアンを取り返すか、このサザンの防御を固めるか、だ。他に案があればそれでもいい。忌憚ない意見を頼む」
クラウスの進行によってそのまま軍議が始まった。
ピエタリもこの場で考え込むように腕を組んでいる。彼が送った偵察隊はまだ戻っていないため、先程の衛兵の情報以外はまだなかった。
もしかしたらネアンではまだ戦闘中ということも考えられるが、そう楽観できる状況ではない。指揮を執るオイヴァが拘束された中では、あっても散発的な抵抗がある程度だろう。
「幸いなことに軍勢は集結済みでございます。その兵力を持って速攻でネアンを奪還すべきだと愚考いたします」
クラウスの言葉を受けて早速シーグルドが口を開く。彼は先年三十路を超えたばかりの騎士だ。戦場では常に先陣を切り軍団に勢いを与える役目を担っている。クリクリの癖毛と顔を覆うほどの髭面が若さに似合わぬ風格を与えていた。トゥーレとは年が離れているため側近には取り立てられてはいないが、彼もザオラルやクラウスから期待を寄せられている騎士の一人だ。
「しかし既にネアンを掌握されていれば城攻めになるぞ。すぐに動かせるとはいえ我らの兵力は三〇〇〇ほどだ。それだけではネアンはとても落とすことはできん」
シーグルドの意見を真っ向から否定するのはシルベストルの長男であるケビだ。シルベストルに似て紳士風な風貌ながら父と違って彼は武官だ。戦場ではクレバーな進退を見せる人物だった。
「しかし完全に掌握されたと考えるのは早計ではございませんか? ネアンが落ちて一日も経っていない状況では、まだ抵抗している者がいるやも知れません。その者と呼応できれば奪還も可能だと考えますが?」
「私も駄目元でも動くべきかと存じます。仮にネアンが敵の手に落ちていたとしても掌握には時間が掛かる筈。タイスト殿の言うようにうまくいけば内部と呼応できるかも知れません」
ケビの意見にシルヴォが反論し、その意見にツチラトが同意する。
シルヴォはシルベストルの次男でケビの弟だ。ケビと違って文官だが彼のように軍議の席に普通に文官が出席し武官と同様に意見を出している。これは偏った考えでなく幅広く意見を求めるため、ザオラルの方針で導入されたものだ。
これは軍議の場だけではなく全ての会議についても同様に文武両方の騎士が出席するようになっていた。
また今回の会議の主催はトゥーレであるが、進行をクラウスがおこなっているように、ザオラルやトゥーレは極力口を挟まないのもサザンでの会議の特徴だ。出席者に自由な意見を述べさせ、主催者はある程度方向性が決まってからそれを追認するような形が多いのだ。
その後も軍議は続くが、意見の大半はネアンの奪取を求めるものだった。しかし、武官のケビが慎重な意見を謀り文官のシルヴォが強攻策を唱えるなど、武官だからといって強攻な意見とは限らないのがサザンの会議であった。
そんな議論が続く中、ネアンの続報が入り始めた。
「ネアンは散発的な抵抗を続けている様子ですが、エンから敵兵五〇〇〇が援軍としてネアンに入った模様!」
「何だと! ストール軍はこれまで動きが無かったはずだ」
「既にエンに兵を隠していたか。我等はまんまとビリエルに騙されたって訳だ」
警戒されている中、五〇〇〇名もの兵力の動きを察知されることなく動かすことは難しい。それがエンのみならずネアンに入ったとなれば、以前からビリエルとヒュダは結託していたのだろう。
「それで、オイヴァ様の情報は?」
「依然として安否は不明。しかしネアン公館での目撃情報があるようです」
「監禁か軟禁かは分からぬがひとまずご無事のようだな」
未確認とはいえオイヴァの所在が分かっただけでも多少ましだが、続々と入ってくる情報のどれもが彼らにとって芳しいものではなく、会議の空気を重くさせていく。さらに彼らを追撃するような情報がもたらされた。
「ネアンへの援軍と共にジアン・グラント卿が入った模様」
この報告は重い空気を凍り付かせるのに充分だった。
ジアンはストール軍の中でも主力を担う騎士のひとりだ。ドーグラスの信頼も厚く、方面軍を任される事もある人物でもある。
「ぬぅぅぅ、ストール軍の動きが思ったより速いわ!」
シーグルドの口から苦渋の声が漏れる。
今までカモフにはデモルバのように期待値は高いが若い騎士が派遣されていた。それが一転してジアンのような経験豊富な主力級の騎士を派遣してきた。いよいよ本気でカモフ攻略に乗り出してきたことを、嫌でも彼らに思い知らされたのである。
ネアンだけの兵力だけなら勝負になると踏んでいた彼だったが、援軍五〇〇〇が既にネアンに入ったとなれば話は別だ。敵兵がこちらより多い状況では攻め手の数が足らなすぎた。
大半を占めていた強攻策だったが、さすがにこの状況でその意見を主張できる者はいなかった。
重い空気が会議の場を支配していく。
石造りの待合室に不敵な笑い声が響く。
「貴様、何を笑っている!?」
ヒュダを拘束していた衛兵の一人が怪訝そうに叫んだ。
「っ!?」
次の瞬間、ヒュダの身体が糸の切れた人形のように沈み込む。
その予想外の動きに、拘束していた衛兵は変化に対応できずに思わず蹈鞴を踏んだ。
「うわっ!」
身体を沈めたヒュダは、独楽のように身体を回転させると衛兵二人の足を払った。
崩れた体勢を立て直す間もなく足を払われた衛兵はたまったものではなく、受け身も取れずに床に倒れた。
拘束を解いたヒュダは隠しナイフをブーツからすばやく引き抜くと、再度拘束しようと手を伸ばしてきた衛兵と応援に駆け付けた衛兵の四人の間を、素早く潜り抜けていく。長い手足を素早く動かすその姿は正に昆虫のようであり、オイヴァはその姿にカサカサという幻聴を聞いた気がした。
「うわぁ!」
一瞬の後にはオイヴァの目の前にヒュダの姿があった。
目の前で見ていた彼も躱された衛兵ですら何が起こったのか分からないままだ。ただし衛兵の首には致命傷となる切り傷があり、噴水のように真っ赤な鮮血が噴き出していた。
「くっ!」
慌てたオイヴァは腰の剣に手を伸ばすものの、抜刀する前にヒュダによって左腕を締め上げられ、首筋にはナイフが突き付けられていた。
「さて、大人しくしていてもらいましょうか。ビリエル殿、いつまで惚けているのですか? さっさと行きますよ」
一瞬で形勢を覆したヒュダは、返り血を浴びた顔に卑しい笑みを浮かべると、呆然と立ち尽くしたままのビリエルに声を掛ける。
ビリエルは衛兵の拘束を解くと、ヒュダと二人ネアンの公館へと向かった。
「それで、オイヴァ様はご無事なのか?」
使者がネアンでの経緯を語り終えると、クラウスは焦れたように円卓に身を乗り出し立ち上がって尋ねた。
使者はネアンの門を守っていた衛兵の一人だった。
騒動が起こった後、すぐにヒュダの手勢と戦闘となった。戦いによる混乱の中、気付けば城門が開かれそこからストール軍が乱入してきたという。
彼は他の衛兵から伝令を託されネアンを脱出した後、途中乗っていた馬が潰れた。その後、代わりの馬を調達できなかったため、夜通し走ってきたそうだ。
「申し訳ございません。それは確認できておりません」
ヒュダと思われるひょろりと手足の長い男に連れて行かれるのを確認はしているが、その後直ぐに乱戦となり見失ったという。
衛兵はそう言うと悔しそうに唇を噛んだ。
「ご苦労! ゆっくりと休んでくれ!」
乱戦となったネアンから貴重な情報をもたらした衛兵だ。誰も責めることなどできなかった。
トゥーレは衛兵を労って下がらせると一同を見渡し最後にクラウスと目を合わせ軽く頷いた。
クラウスが立ち上がると、円卓を囲む騎士たちも緊張を浮かべた顔で背筋を正す。
「オイヴァ様の安否が分からんのは痛いな。恐らくネアンは既にストール軍の手に落ちたと考えるべきだろう。フォレスへ注力していた隙を突いた見事な作戦だ。これで我らはダニエル様に援軍を送ることができなくなった。だが悔いていても仕方がない。取り急ぎ現状でとれる手はふたつ。速攻でネアンを取り返すか、このサザンの防御を固めるか、だ。他に案があればそれでもいい。忌憚ない意見を頼む」
クラウスの進行によってそのまま軍議が始まった。
ピエタリもこの場で考え込むように腕を組んでいる。彼が送った偵察隊はまだ戻っていないため、先程の衛兵の情報以外はまだなかった。
もしかしたらネアンではまだ戦闘中ということも考えられるが、そう楽観できる状況ではない。指揮を執るオイヴァが拘束された中では、あっても散発的な抵抗がある程度だろう。
「幸いなことに軍勢は集結済みでございます。その兵力を持って速攻でネアンを奪還すべきだと愚考いたします」
クラウスの言葉を受けて早速シーグルドが口を開く。彼は先年三十路を超えたばかりの騎士だ。戦場では常に先陣を切り軍団に勢いを与える役目を担っている。クリクリの癖毛と顔を覆うほどの髭面が若さに似合わぬ風格を与えていた。トゥーレとは年が離れているため側近には取り立てられてはいないが、彼もザオラルやクラウスから期待を寄せられている騎士の一人だ。
「しかし既にネアンを掌握されていれば城攻めになるぞ。すぐに動かせるとはいえ我らの兵力は三〇〇〇ほどだ。それだけではネアンはとても落とすことはできん」
シーグルドの意見を真っ向から否定するのはシルベストルの長男であるケビだ。シルベストルに似て紳士風な風貌ながら父と違って彼は武官だ。戦場ではクレバーな進退を見せる人物だった。
「しかし完全に掌握されたと考えるのは早計ではございませんか? ネアンが落ちて一日も経っていない状況では、まだ抵抗している者がいるやも知れません。その者と呼応できれば奪還も可能だと考えますが?」
「私も駄目元でも動くべきかと存じます。仮にネアンが敵の手に落ちていたとしても掌握には時間が掛かる筈。タイスト殿の言うようにうまくいけば内部と呼応できるかも知れません」
ケビの意見にシルヴォが反論し、その意見にツチラトが同意する。
シルヴォはシルベストルの次男でケビの弟だ。ケビと違って文官だが彼のように軍議の席に普通に文官が出席し武官と同様に意見を出している。これは偏った考えでなく幅広く意見を求めるため、ザオラルの方針で導入されたものだ。
これは軍議の場だけではなく全ての会議についても同様に文武両方の騎士が出席するようになっていた。
また今回の会議の主催はトゥーレであるが、進行をクラウスがおこなっているように、ザオラルやトゥーレは極力口を挟まないのもサザンでの会議の特徴だ。出席者に自由な意見を述べさせ、主催者はある程度方向性が決まってからそれを追認するような形が多いのだ。
その後も軍議は続くが、意見の大半はネアンの奪取を求めるものだった。しかし、武官のケビが慎重な意見を謀り文官のシルヴォが強攻策を唱えるなど、武官だからといって強攻な意見とは限らないのがサザンの会議であった。
そんな議論が続く中、ネアンの続報が入り始めた。
「ネアンは散発的な抵抗を続けている様子ですが、エンから敵兵五〇〇〇が援軍としてネアンに入った模様!」
「何だと! ストール軍はこれまで動きが無かったはずだ」
「既にエンに兵を隠していたか。我等はまんまとビリエルに騙されたって訳だ」
警戒されている中、五〇〇〇名もの兵力の動きを察知されることなく動かすことは難しい。それがエンのみならずネアンに入ったとなれば、以前からビリエルとヒュダは結託していたのだろう。
「それで、オイヴァ様の情報は?」
「依然として安否は不明。しかしネアン公館での目撃情報があるようです」
「監禁か軟禁かは分からぬがひとまずご無事のようだな」
未確認とはいえオイヴァの所在が分かっただけでも多少ましだが、続々と入ってくる情報のどれもが彼らにとって芳しいものではなく、会議の空気を重くさせていく。さらに彼らを追撃するような情報がもたらされた。
「ネアンへの援軍と共にジアン・グラント卿が入った模様」
この報告は重い空気を凍り付かせるのに充分だった。
ジアンはストール軍の中でも主力を担う騎士のひとりだ。ドーグラスの信頼も厚く、方面軍を任される事もある人物でもある。
「ぬぅぅぅ、ストール軍の動きが思ったより速いわ!」
シーグルドの口から苦渋の声が漏れる。
今までカモフにはデモルバのように期待値は高いが若い騎士が派遣されていた。それが一転してジアンのような経験豊富な主力級の騎士を派遣してきた。いよいよ本気でカモフ攻略に乗り出してきたことを、嫌でも彼らに思い知らされたのである。
ネアンだけの兵力だけなら勝負になると踏んでいた彼だったが、援軍五〇〇〇が既にネアンに入ったとなれば話は別だ。敵兵がこちらより多い状況では攻め手の数が足らなすぎた。
大半を占めていた強攻策だったが、さすがにこの状況でその意見を主張できる者はいなかった。
重い空気が会議の場を支配していく。
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