75 / 203
第二章 巨星堕つ
27 エステルの願い
しおりを挟む
最後はテオドーラが子供のように拗ねて頬を膨らませる中、長かったお茶会もようやくお開きとなった。シルベストルやクラウスなどが退出していくと、後に残ったのはトルスター家だけとなったため四人は円卓からソファへと移動する。
呼び入れられた側勤めが円卓の片付けをすると同時に、ソファの前に置かれたテーブルにそれぞれお茶を煎れて退出していく。
「エステル、疲れたでしょう?」
ぐったりとソファにもたれ掛かるエステルの隣に腰を下ろしたテオドーラが、優しく声を掛けながら娘の頭を撫でる。
「ええ、疲れました。ですがそれ以上に、ほとんどのお話が分からなかったのが残念です」
頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めるが、エステルはほとんど理解ができなかったことに悔しそうに首を振った。
「初めは皆そんなものだ。寝落ちしなかっただけ大したものだ。先ほどシルベストルやクラウスが言っていたように・・・・」
「ちょっと、ザオラル様!」
「ちょっと、父上!」
恥ずかしい黒歴史を、一度ならず二度までも披露されては堪らないと、母子の声が見事にハモる。真っ赤になって慌てる様子も、同じ白銀金髪も相まって流石親子という程そっくりだった。
「いいではないか? 本当のことなのだ」
「はぁ・・・・ほんと勘弁してください」
いつもは天邪鬼と呼ばれている通り、人を食ったような態度で相手を煙に巻くことの多いトゥーレだったが、晒されたくない黒歴史に触れられて盛大に溜息を吐くと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
いつもはテオドーラが絡んだ際に慌てさせられることが多いが、今回はそのテオドーラも両手で顔を覆って身をよじらせている。
「ふふふ、お父様、今度詳しくお聞かせくださいませ」
そんな二人を余所にエステルが、新しい玩具を見つけたような目でザオラルにおねだりをする。しかしそれはトゥーレの逆鱗に触れてしまう。
「調子に乗りすぎだ!」
ゴチンと部屋中に鈍い音が響かせながら、トゥーレが拳骨を落としたのだ。
エステルは余りの痛さに言葉も出せず、頭を抱えたまま蹲った。余りの痛さに目尻には涙が浮かんでいる。
「トゥーレ気持ちは分かりますが、女性に手を挙げてはいけませんよ」
エステルが調子に乗ると暴走することを良く知っているテオドーラも口ではトゥーレを諫めているが、言葉とは裏腹に流石に自分の黒歴史に関わることなので足元で蹲るエステルは放置していた。
「冗談はさておき、そろそろエステルの嫁ぎ先も考えねばならんな。この状況でわざわざ火中の栗を拾うような所があるのかどうか」
目の前で繰り広げられた妻や子供たちのやりとりを冗談と切り捨てたザオラルが、気を取り直すように難しい顔を浮かべた。
ウンダルと同盟を結んだといえど、ドーグラスがカモフに侵攻するのは最早時間の問題だ。
同盟が発表された直後は、離反が相継ぎ戦略の立て直しを迫られたドーグラスだったが、現在は以前と変わらぬ勢力を取り戻し、最後に残ったポラーへの侵攻を始めるところだ。そのポラーの攻略が終わればいよいよカモフに食指を伸ばすだろうとのもっぱらの噂となっている。
そんな中、今最も勢いのあるドーグラスと敵対してまでザオラルと誼を通じたいと願う勢力はそれほど多くない。もしあるならドーグラスと敵対しザオラルの名が欲しい勢力か、逆にこちらの争いと関係のない遠く離れた領地を持つ騎士ぐらいだ。
「それなら、シエルの所はどうでしょう?」
「シエルか。そうだな、フィルベルならば情勢も安定していて戦火も遠いか。エステルもシエルがいれば心強いだろう。だが、シエルに続いてエステルも引き受けてくれるのか?」
シエルとは、トルスター家の長女でトゥーレの姉に当たる人物だ。
商業ギルドとの争いが激化の一途を辿り始めた頃に誕生した娘だった。当時彼女の身の危険を感じたザオラルによって、アルテミラの北西に位置するフィルベルのグリース家に養女に出されたのだった。養女に出したタイミングはトゥーレ誕生の直後だったため、エステルとは面識はなくトゥーレも姉のことは当然ながら覚えてはいない。
「グリース家には成人前の男子がいたはずです。エステルよりひとつかふたつ年下ですので十一、二歳くらいでしょうか」
「そうか。ならば急いだ方がいいだろう」
相手が決まってしまえば手遅れになる。そう言うとザオラルは、状況が飲み込めず目を白黒させていたエステルに向き直った。
「エステル、アルテの西方にフィルベルという土地がある。そこを治めているのがグリース家だ。お前はそこに嫁ぐのがいいのではないかと考えている。ここからは遠い地となるが、お前の姉のシエルもいるので心強かろう。お前に異論がなければ話を進めようと思う」
「・・・・わたくしは、お父様の決定には従いたいと存じます」
突然の事にしばらく考え込むように俯いていたエステルは、膝の上に置かれた握りしめた手を見つめ、絞り出すような小さな声で呟く。
「フィルベルはいいところだぞ。温暖な気候で夏は暑いが冬に外に出られなくなることもない。近くには海もあって美しい海岸線を見ることもできる」
「それにシエルもいますもの。きっとエステルのことも大事にしてくれるはずです」
不満そうにしながらも了承を示したエステルに、ザオラルはテオドーラと顔を見合わせてホッとした顔を浮かべ、翻意されない内にと矢継ぎ早にフィルベルの魅力について語っていく。
「それでいいのか?」
そんな中、静かだが力強い声が部屋に響く。
「!? お兄様・・・・」
顔を上げたエステルの正面に座ったトゥーレがエステルを見つめていた。
「そのまま父上の言う通りにしてお前は後悔しないのか?」
驚いたテオドーラが腰を浮かせる。
「トゥーレ、何を言うのです!? わたくしたちはエステルの幸せを思って言っているのですよ!」
「それくらい分かってます。きっとこいつだって分かってる。だから俺はエステルに聞いているんです!」
「トゥーレ・・・・」
テオドーラが力なく腰を下ろした。ザオラルも難しい顔で黙り込んだままだ。
「お前が後悔しないなら俺は何も言わないが、言いたいことがあるなら今言わなければもう言う機会はないぞ。フィルベルに行ってしまえば、お前とは二度と生きて会うこともないだろう」
余程のことがない限り、生まれた土地を離れることのない時代だ。
養子や婚姻で遠く離れた地に行けば、離縁でもされない限り戻ることはまずない。ましてやカモフにはドーグラスの脅威が迫っているのだ、帰りたくとも帰る土地がなくなっているという可能性が非常に高かった。
「・・・・わたくしは、お父様やお母様と離れたくはございません!」
エステルが顔を上げて父と視線を合わせる。彼女の決意を秘めた力強い眼差しと言葉にザオラルは一瞬たじろぐように息を飲む。
「し、しかし、ここに残れば死ぬことになるかも知れんのだぞ」
「そうですよ、エステル。わたくしたちは貴女に生きていて欲しいの!」
エステルからの反論に、二人は訴えるようにして娘を説得する。
「そんなのは知らない土地で、ひとり残されるわたくしの気持ちなんて考えないから言えるんです!」
目に涙を溜めたエステルの強い言葉に二人は思わず口を噤んだ。
二人からすればどんな事が起ころうとも生き残って欲しいと思っているが、エステルからすれば例え死ぬことになろうと最後まで一緒に居たいと思っているのだ。
「何もない時であれば、お父様の言う通りフィルベルに嫁いでいたでしょう。ですが死ぬことが可哀想だという理由のためだけに遠ざけられるくらいなら、全力で拒否いたします。わたくしはこれでもトルスター家の一人です。覚悟などすでに決まっております。滅びる時にはぜひご一緒させてくださいませ」
「エステル・・・・ごめんなさい」
「お母様!」
娘の涙ながらの訴えに、テオドーラも涙を浮かべて隣に座るエステルを優しく抱きしめた。
トゥーレやユーリに対しては我が儘を言って困らせることの多いエステルだが、両親に対しては自分の意思を強く主張したのは初めてのことだった。
「だが、このまま嫁に行かないという訳にもいかぬだろう? 先ほどのリーディアの話ではないが、それこそ薹が立ってしまう」
どことなくほっとした顔を浮かべたザオラルが眉根を寄せる。余所に出さないと決めても、それが嫁に出さないという理由にはならない。この地を離れたくないなら、カモフ内で嫁ぎ先を探さなければならなかった。
「希望はないのか?」
トゥーレはティーカップに手を伸ばしながら、エステルに希望を尋ねた。
その言葉にザオラルとテオドーラもエステルを見る。希望があるなら叶えさせてやりたいと表情に出ていた。
家族から視線が集まったエステルは居住まいを正すとトゥーレへと視線を向けた。
そして、特大の爆弾を投下する。
「お兄様、ユーリをわたくしにくださいませ」
「なっ!?」
「はあ!?」
「まぁ!?」
エステルの予想外の言葉に、三者三様の反応を見せた。
絶句して固まったのはザオラルだ。目を見開いて口を半開きにし、中々見ることの出来ない動揺を見せながら震える手でテーブルのティーカップに手を伸ばした。
怪訝な顔を浮かべているのはトゥーレだ。『何言ってんだこいつ』という表情で妹を睨んでいた。
そしてテオドーラはその緋色の瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んでいる。
「ああ、何だ。違うと思うが一応言っておく。ユーリを側近に欲しいという事なら却下だ」
ティーカップをカチャカチャ鳴らしながらテーブルに戻したトゥーレは、落ち着く時間を稼ぐために意味の取り違えの可能性を口にした。それに対するエステルの答えは、今だ衝撃から抜け出せていないザオラルへの追い打ちとなった。
「違いますお兄様。わたくしユーリに懸想しております」
頬を紅く染めて身を捩り、はっきりとそう言い切ったのだ。
「ごぶっ!? げふん! うぉほん!」
「懸想って、意味を解っているのか?」
「あらあら、ふふふっ」
今度もまた三者三様の反応だ。
口にしていたお茶で盛大に咽せたザオラル。
妹の言葉に呆れた表情を見せるトゥーレ。
娘の恋の話にキラキラした笑顔を浮かべるテオドーラ。
「お父様やお母様、ついでに言えばお兄様の死を、会ったこともないお姉様や旦那様から聞かされるくらいならば、わたくしはユーリに嫁ぎたく存じます」
「俺はついでなのか。しかし、いいのか?」
苦笑を浮かべたトゥーレが問い掛ける。
「何がですか?」
「お前からすればユーリは十歳も年上だぞ。それに肝心のユーリの気持ちは確かめているのか?」
「そ、それはまだですけど、お兄様はひとつ間違えております。わたくしとユーリの年の差は九歳です。それにお父様とお母様の年は十四歳離れております。それを考えれば九歳差など気にいたしません」
意外にも心配そうな顔で念を押したトゥーレに、年の差だけはニコリと微笑んで訂正する。エステルが指摘した通り、現在ユーリは二十一歳、エステルは十二歳で九歳差だ。
十五歳で成人と見なされるこの国では、普通であれば二十歳までには結婚する者が多い。ユーリは十五歳で出奔し街で暴れていたが、それでも二十歳を過ぎて未婚であれば遅いと言われ始める年齢であり、所謂薹が立つと言われ始める年齢だ。
彼は背も高く整った顔立ちをしているため、街や領主邸の女性からの人気は意外と高い。それでもこの年までそう言った話がなかったのは、若い頃の素行の悪さと額に刻まれた大きな傷痕が大きな理由だ。以前にそれとなく結婚を勧めたトゥーレだったが、額の傷を理由に断っていたくらいだ。
今でこそ気にすることなく接しているエステルも、最初は傷痕を見て怖がっていたほどなのだ。
「そうですとも。わたくしはエステルを応援いたしますわ」
瞳をキラキラさせたテオドーラが、エステルの手を握り興奮した様子で娘の恋路の背中を押す。
「ありがとう存じます、お母様! 年齢差なんかわたくし必ず乗り越えて見せます」
「あらあら、ふふふっ」
『ふんすっ!』と鼻息荒く母の手を力強く握り返したエステルが、微笑みを浮かべたテオドーラにそう宣言する。
「やれやれだ・・・・」
二人の勢いに押され、トゥーレは匙を投げたように溜息を吐きながら首を振るしか出来なかった。
こうしてユーリの知らないうちに、エステルの嫁ぎ先が決まったのである。
呼び入れられた側勤めが円卓の片付けをすると同時に、ソファの前に置かれたテーブルにそれぞれお茶を煎れて退出していく。
「エステル、疲れたでしょう?」
ぐったりとソファにもたれ掛かるエステルの隣に腰を下ろしたテオドーラが、優しく声を掛けながら娘の頭を撫でる。
「ええ、疲れました。ですがそれ以上に、ほとんどのお話が分からなかったのが残念です」
頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めるが、エステルはほとんど理解ができなかったことに悔しそうに首を振った。
「初めは皆そんなものだ。寝落ちしなかっただけ大したものだ。先ほどシルベストルやクラウスが言っていたように・・・・」
「ちょっと、ザオラル様!」
「ちょっと、父上!」
恥ずかしい黒歴史を、一度ならず二度までも披露されては堪らないと、母子の声が見事にハモる。真っ赤になって慌てる様子も、同じ白銀金髪も相まって流石親子という程そっくりだった。
「いいではないか? 本当のことなのだ」
「はぁ・・・・ほんと勘弁してください」
いつもは天邪鬼と呼ばれている通り、人を食ったような態度で相手を煙に巻くことの多いトゥーレだったが、晒されたくない黒歴史に触れられて盛大に溜息を吐くと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
いつもはテオドーラが絡んだ際に慌てさせられることが多いが、今回はそのテオドーラも両手で顔を覆って身をよじらせている。
「ふふふ、お父様、今度詳しくお聞かせくださいませ」
そんな二人を余所にエステルが、新しい玩具を見つけたような目でザオラルにおねだりをする。しかしそれはトゥーレの逆鱗に触れてしまう。
「調子に乗りすぎだ!」
ゴチンと部屋中に鈍い音が響かせながら、トゥーレが拳骨を落としたのだ。
エステルは余りの痛さに言葉も出せず、頭を抱えたまま蹲った。余りの痛さに目尻には涙が浮かんでいる。
「トゥーレ気持ちは分かりますが、女性に手を挙げてはいけませんよ」
エステルが調子に乗ると暴走することを良く知っているテオドーラも口ではトゥーレを諫めているが、言葉とは裏腹に流石に自分の黒歴史に関わることなので足元で蹲るエステルは放置していた。
「冗談はさておき、そろそろエステルの嫁ぎ先も考えねばならんな。この状況でわざわざ火中の栗を拾うような所があるのかどうか」
目の前で繰り広げられた妻や子供たちのやりとりを冗談と切り捨てたザオラルが、気を取り直すように難しい顔を浮かべた。
ウンダルと同盟を結んだといえど、ドーグラスがカモフに侵攻するのは最早時間の問題だ。
同盟が発表された直後は、離反が相継ぎ戦略の立て直しを迫られたドーグラスだったが、現在は以前と変わらぬ勢力を取り戻し、最後に残ったポラーへの侵攻を始めるところだ。そのポラーの攻略が終わればいよいよカモフに食指を伸ばすだろうとのもっぱらの噂となっている。
そんな中、今最も勢いのあるドーグラスと敵対してまでザオラルと誼を通じたいと願う勢力はそれほど多くない。もしあるならドーグラスと敵対しザオラルの名が欲しい勢力か、逆にこちらの争いと関係のない遠く離れた領地を持つ騎士ぐらいだ。
「それなら、シエルの所はどうでしょう?」
「シエルか。そうだな、フィルベルならば情勢も安定していて戦火も遠いか。エステルもシエルがいれば心強いだろう。だが、シエルに続いてエステルも引き受けてくれるのか?」
シエルとは、トルスター家の長女でトゥーレの姉に当たる人物だ。
商業ギルドとの争いが激化の一途を辿り始めた頃に誕生した娘だった。当時彼女の身の危険を感じたザオラルによって、アルテミラの北西に位置するフィルベルのグリース家に養女に出されたのだった。養女に出したタイミングはトゥーレ誕生の直後だったため、エステルとは面識はなくトゥーレも姉のことは当然ながら覚えてはいない。
「グリース家には成人前の男子がいたはずです。エステルよりひとつかふたつ年下ですので十一、二歳くらいでしょうか」
「そうか。ならば急いだ方がいいだろう」
相手が決まってしまえば手遅れになる。そう言うとザオラルは、状況が飲み込めず目を白黒させていたエステルに向き直った。
「エステル、アルテの西方にフィルベルという土地がある。そこを治めているのがグリース家だ。お前はそこに嫁ぐのがいいのではないかと考えている。ここからは遠い地となるが、お前の姉のシエルもいるので心強かろう。お前に異論がなければ話を進めようと思う」
「・・・・わたくしは、お父様の決定には従いたいと存じます」
突然の事にしばらく考え込むように俯いていたエステルは、膝の上に置かれた握りしめた手を見つめ、絞り出すような小さな声で呟く。
「フィルベルはいいところだぞ。温暖な気候で夏は暑いが冬に外に出られなくなることもない。近くには海もあって美しい海岸線を見ることもできる」
「それにシエルもいますもの。きっとエステルのことも大事にしてくれるはずです」
不満そうにしながらも了承を示したエステルに、ザオラルはテオドーラと顔を見合わせてホッとした顔を浮かべ、翻意されない内にと矢継ぎ早にフィルベルの魅力について語っていく。
「それでいいのか?」
そんな中、静かだが力強い声が部屋に響く。
「!? お兄様・・・・」
顔を上げたエステルの正面に座ったトゥーレがエステルを見つめていた。
「そのまま父上の言う通りにしてお前は後悔しないのか?」
驚いたテオドーラが腰を浮かせる。
「トゥーレ、何を言うのです!? わたくしたちはエステルの幸せを思って言っているのですよ!」
「それくらい分かってます。きっとこいつだって分かってる。だから俺はエステルに聞いているんです!」
「トゥーレ・・・・」
テオドーラが力なく腰を下ろした。ザオラルも難しい顔で黙り込んだままだ。
「お前が後悔しないなら俺は何も言わないが、言いたいことがあるなら今言わなければもう言う機会はないぞ。フィルベルに行ってしまえば、お前とは二度と生きて会うこともないだろう」
余程のことがない限り、生まれた土地を離れることのない時代だ。
養子や婚姻で遠く離れた地に行けば、離縁でもされない限り戻ることはまずない。ましてやカモフにはドーグラスの脅威が迫っているのだ、帰りたくとも帰る土地がなくなっているという可能性が非常に高かった。
「・・・・わたくしは、お父様やお母様と離れたくはございません!」
エステルが顔を上げて父と視線を合わせる。彼女の決意を秘めた力強い眼差しと言葉にザオラルは一瞬たじろぐように息を飲む。
「し、しかし、ここに残れば死ぬことになるかも知れんのだぞ」
「そうですよ、エステル。わたくしたちは貴女に生きていて欲しいの!」
エステルからの反論に、二人は訴えるようにして娘を説得する。
「そんなのは知らない土地で、ひとり残されるわたくしの気持ちなんて考えないから言えるんです!」
目に涙を溜めたエステルの強い言葉に二人は思わず口を噤んだ。
二人からすればどんな事が起ころうとも生き残って欲しいと思っているが、エステルからすれば例え死ぬことになろうと最後まで一緒に居たいと思っているのだ。
「何もない時であれば、お父様の言う通りフィルベルに嫁いでいたでしょう。ですが死ぬことが可哀想だという理由のためだけに遠ざけられるくらいなら、全力で拒否いたします。わたくしはこれでもトルスター家の一人です。覚悟などすでに決まっております。滅びる時にはぜひご一緒させてくださいませ」
「エステル・・・・ごめんなさい」
「お母様!」
娘の涙ながらの訴えに、テオドーラも涙を浮かべて隣に座るエステルを優しく抱きしめた。
トゥーレやユーリに対しては我が儘を言って困らせることの多いエステルだが、両親に対しては自分の意思を強く主張したのは初めてのことだった。
「だが、このまま嫁に行かないという訳にもいかぬだろう? 先ほどのリーディアの話ではないが、それこそ薹が立ってしまう」
どことなくほっとした顔を浮かべたザオラルが眉根を寄せる。余所に出さないと決めても、それが嫁に出さないという理由にはならない。この地を離れたくないなら、カモフ内で嫁ぎ先を探さなければならなかった。
「希望はないのか?」
トゥーレはティーカップに手を伸ばしながら、エステルに希望を尋ねた。
その言葉にザオラルとテオドーラもエステルを見る。希望があるなら叶えさせてやりたいと表情に出ていた。
家族から視線が集まったエステルは居住まいを正すとトゥーレへと視線を向けた。
そして、特大の爆弾を投下する。
「お兄様、ユーリをわたくしにくださいませ」
「なっ!?」
「はあ!?」
「まぁ!?」
エステルの予想外の言葉に、三者三様の反応を見せた。
絶句して固まったのはザオラルだ。目を見開いて口を半開きにし、中々見ることの出来ない動揺を見せながら震える手でテーブルのティーカップに手を伸ばした。
怪訝な顔を浮かべているのはトゥーレだ。『何言ってんだこいつ』という表情で妹を睨んでいた。
そしてテオドーラはその緋色の瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んでいる。
「ああ、何だ。違うと思うが一応言っておく。ユーリを側近に欲しいという事なら却下だ」
ティーカップをカチャカチャ鳴らしながらテーブルに戻したトゥーレは、落ち着く時間を稼ぐために意味の取り違えの可能性を口にした。それに対するエステルの答えは、今だ衝撃から抜け出せていないザオラルへの追い打ちとなった。
「違いますお兄様。わたくしユーリに懸想しております」
頬を紅く染めて身を捩り、はっきりとそう言い切ったのだ。
「ごぶっ!? げふん! うぉほん!」
「懸想って、意味を解っているのか?」
「あらあら、ふふふっ」
今度もまた三者三様の反応だ。
口にしていたお茶で盛大に咽せたザオラル。
妹の言葉に呆れた表情を見せるトゥーレ。
娘の恋の話にキラキラした笑顔を浮かべるテオドーラ。
「お父様やお母様、ついでに言えばお兄様の死を、会ったこともないお姉様や旦那様から聞かされるくらいならば、わたくしはユーリに嫁ぎたく存じます」
「俺はついでなのか。しかし、いいのか?」
苦笑を浮かべたトゥーレが問い掛ける。
「何がですか?」
「お前からすればユーリは十歳も年上だぞ。それに肝心のユーリの気持ちは確かめているのか?」
「そ、それはまだですけど、お兄様はひとつ間違えております。わたくしとユーリの年の差は九歳です。それにお父様とお母様の年は十四歳離れております。それを考えれば九歳差など気にいたしません」
意外にも心配そうな顔で念を押したトゥーレに、年の差だけはニコリと微笑んで訂正する。エステルが指摘した通り、現在ユーリは二十一歳、エステルは十二歳で九歳差だ。
十五歳で成人と見なされるこの国では、普通であれば二十歳までには結婚する者が多い。ユーリは十五歳で出奔し街で暴れていたが、それでも二十歳を過ぎて未婚であれば遅いと言われ始める年齢であり、所謂薹が立つと言われ始める年齢だ。
彼は背も高く整った顔立ちをしているため、街や領主邸の女性からの人気は意外と高い。それでもこの年までそう言った話がなかったのは、若い頃の素行の悪さと額に刻まれた大きな傷痕が大きな理由だ。以前にそれとなく結婚を勧めたトゥーレだったが、額の傷を理由に断っていたくらいだ。
今でこそ気にすることなく接しているエステルも、最初は傷痕を見て怖がっていたほどなのだ。
「そうですとも。わたくしはエステルを応援いたしますわ」
瞳をキラキラさせたテオドーラが、エステルの手を握り興奮した様子で娘の恋路の背中を押す。
「ありがとう存じます、お母様! 年齢差なんかわたくし必ず乗り越えて見せます」
「あらあら、ふふふっ」
『ふんすっ!』と鼻息荒く母の手を力強く握り返したエステルが、微笑みを浮かべたテオドーラにそう宣言する。
「やれやれだ・・・・」
二人の勢いに押され、トゥーレは匙を投げたように溜息を吐きながら首を振るしか出来なかった。
こうしてユーリの知らないうちに、エステルの嫁ぎ先が決まったのである。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい
一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。
しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。
家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。
そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。
そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。
……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──
復讐の刃ーー独りになった少年が、世界を血の海に変えるまでーー
ノリオ
ファンタジー
時は戦国時代。
三大国と呼ばれる3つの国が世界を統治し、共に戦争を繰り返していた時代ーー。
男は、その争いが最も苛烈だった頃に生まれた。
まだ三大国という体制にまでなっていなかった頃、男は日本という国の小さな部族の嫡男として生まれ、毎日楽しい日々を過ごしていた。
彼には両親がいて、
幼馴染がいて、
親戚がいて……
皆が家族だった。
幸せだった。
しかし、 ある時を境に、彼の幸せは地獄の日々へと急転落下することになる。
大国の1つ『ミッドカオス』によって日本は容赦なく叩き潰され、彼の部族はそのミッドカオスによって皆殺しにされたのだ。
彼は復讐を誓った。
1人も許さない。
誰も逃がしはしない。
ーーこれは、そんな彼が、世界に向けた復讐戦を描く物語。
国が世界が立ちはだかる中で、彼はどこまで復讐を成し遂げることが出来るのかーー。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
転生ヒロインと人魔大戦物語 ~召喚された勇者は前世の夫と息子でした~
田尾風香
ファンタジー
***11話まで改稿した影響で、その後の番号がずれています。
小さな村に住むリィカは、大量の魔物に村が襲われた時、恐怖から魔力を暴走させた。だが、その瞬間に前世の記憶が戻り、奇跡的に暴走を制御することに成功する。
魔力をしっかり扱えるように、と国立アルカライズ学園に入学して、なぜか王子やら貴族の子息やらと遭遇しながらも、無事に一年が経過。だがその修了式の日に、魔王が誕生した。
召喚された勇者が前世の夫と息子である事に驚愕しながらも、魔王討伐への旅に同行することを決意したリィカ。
「魔国をその目で見て欲しい。魔王様が誕生する意味を知って欲しい」。そう遺言を遺す魔族の意図は何なのか。
様々な戦いを経験し、謎を抱えながら、リィカたちは魔国へ向けて進んでいく。
他サイト様にも投稿しています。
田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。
けむし
ファンタジー
突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。
日本と異世界を行き来する転移魔法、物を複製する魔法。
あらゆる魔法を使えるようになった主人公は異世界で、そして日本でチート能力を発揮・・・するの?
ゆる~くのんびり進む物語です。読者の皆様ものんびりお付き合いください。
感想などお待ちしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる