都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第二章 巨星堕つ

27 エステルの願い

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 最後はテオドーラが子供のように拗ねて頬を膨らませる中、長かったお茶会もようやくお開きとなった。シルベストルやクラウスなどが退出していくと、後に残ったのはトルスター家だけとなったため四人は円卓からソファへと移動する。
 呼び入れられた側勤めが円卓の片付けをすると同時に、ソファの前に置かれたテーブルにそれぞれお茶を煎れて退出していく。

「エステル、疲れたでしょう?」

 ぐったりとソファにもたれ掛かるエステルの隣に腰を下ろしたテオドーラが、優しく声を掛けながら娘の頭を撫でる。

「ええ、疲れました。ですがそれ以上に、ほとんどのお話が分からなかったのが残念です」

 頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細めるが、エステルはほとんど理解ができなかったことに悔しそうに首を振った。

「初めは皆そんなものだ。寝落ちしなかっただけ大したものだ。先ほどシルベストルやクラウスが言っていたように・・・・」

「ちょっと、ザオラル様!」
「ちょっと、父上!」

 恥ずかしい黒歴史を、一度ならず二度までも披露されては堪らないと、母子の声が見事にハモる。真っ赤になって慌てる様子も、同じ白銀金髪も相まって流石親子という程そっくりだった。

「いいではないか? 本当のことなのだ」

「はぁ・・・・ほんと勘弁してください」

 いつもは天邪鬼あまのじゃくと呼ばれている通り、人を食ったような態度で相手を煙に巻くことの多いトゥーレだったが、晒されたくない黒歴史に触れられて盛大に溜息を吐くと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
 いつもはテオドーラが絡んだ際に慌てさせられることが多いが、今回はそのテオドーラも両手で顔を覆って身をよじらせている。

「ふふふ、お父様、今度詳しくお聞かせくださいませ」

 そんな二人を余所にエステルが、新しい玩具を見つけたような目でザオラルにおねだりをする。しかしそれはトゥーレの逆鱗に触れてしまう。

「調子に乗りすぎだ!」

 ゴチンと部屋中に鈍い音が響かせながら、トゥーレが拳骨を落としたのだ。
 エステルは余りの痛さに言葉も出せず、頭を抱えたまま蹲った。余りの痛さに目尻には涙が浮かんでいる。

「トゥーレ気持ちは分かりますが、女性に手を挙げてはいけませんよ」

 エステルが調子に乗ると暴走することを良く知っているテオドーラも口ではトゥーレを諫めているが、言葉とは裏腹に流石に自分の黒歴史に関わることなので足元で蹲るエステルは放置していた。

「冗談はさておき、そろそろエステルの嫁ぎ先も考えねばならんな。この状況でわざわざ火中の栗を拾うような所があるのかどうか」

 目の前で繰り広げられた妻や子供たちのやりとりをと切り捨てたザオラルが、気を取り直すように難しい顔を浮かべた。
 ウンダルと同盟を結んだといえど、ドーグラスがカモフに侵攻するのは最早時間の問題だ。
 同盟が発表された直後は、離反が相継ぎ戦略の立て直しを迫られたドーグラスだったが、現在は以前と変わらぬ勢力を取り戻し、最後に残ったポラーへの侵攻を始めるところだ。そのポラーの攻略が終わればいよいよカモフに食指を伸ばすだろうとのもっぱらの噂となっている。
 そんな中、今最も勢いのあるドーグラスと敵対してまでザオラルとよしみを通じたいと願う勢力はそれほど多くない。もしあるならドーグラスと敵対しザオラルの名が欲しい勢力か、逆にこちらの争いと関係のない遠く離れた領地を持つ騎士ぐらいだ。

「それなら、シエルの所はどうでしょう?」

「シエルか。そうだな、フィルベルならば情勢も安定していて戦火も遠いか。エステルもシエルがいれば心強いだろう。だが、シエルに続いてエステルも引き受けてくれるのか?」

 シエルとは、トルスター家の長女でトゥーレの姉に当たる人物だ。
 商業ギルドとの争いが激化の一途を辿り始めた頃に誕生した娘だった。当時彼女の身の危険を感じたザオラルによって、アルテミラの北西に位置するフィルベルのグリース家に養女に出されたのだった。養女に出したタイミングはトゥーレ誕生の直後だったため、エステルとは面識はなくトゥーレも姉のことは当然ながら覚えてはいない。

「グリース家には成人前の男子がいたはずです。エステルよりひとつかふたつ年下ですので十一、二歳くらいでしょうか」

「そうか。ならば急いだ方がいいだろう」

 相手が決まってしまえば手遅れになる。そう言うとザオラルは、状況が飲み込めず目を白黒させていたエステルに向き直った。

「エステル、アルテの西方にフィルベルという土地がある。そこを治めているのがグリース家だ。お前はそこに嫁ぐのがいいのではないかと考えている。ここからは遠い地となるが、お前の姉のシエルもいるので心強かろう。お前に異論がなければ話を進めようと思う」

「・・・・わたくしは、お父様の決定には従いたいと存じます」

 突然の事にしばらく考え込むように俯いていたエステルは、膝の上に置かれた握りしめた手を見つめ、絞り出すような小さな声で呟く。

「フィルベルはいいところだぞ。温暖な気候で夏は暑いが冬に外に出られなくなることもない。近くには海もあって美しい海岸線を見ることもできる」

「それにシエルもいますもの。きっとエステルのことも大事にしてくれるはずです」

 不満そうにしながらも了承を示したエステルに、ザオラルはテオドーラと顔を見合わせてホッとした顔を浮かべ、翻意されない内にと矢継ぎ早にフィルベルの魅力について語っていく。

「それでいいのか?」

 そんな中、静かだが力強い声が部屋に響く。

「!? お兄様・・・・」

 顔を上げたエステルの正面に座ったトゥーレがエステルを見つめていた。

「そのまま父上の言う通りにしてお前は後悔しないのか?」

 驚いたテオドーラが腰を浮かせる。

「トゥーレ、何を言うのです!? わたくしたちはエステルの幸せを思って言っているのですよ!」

「それくらい分かってます。きっとこいつだって分かってる。だから俺はエステルに聞いているんです!」

「トゥーレ・・・・」

 テオドーラが力なく腰を下ろした。ザオラルも難しい顔で黙り込んだままだ。

「お前が後悔しないなら俺は何も言わないが、言いたいことがあるなら今言わなければもう言う機会はないぞ。フィルベルに行ってしまえば、お前とは二度と生きて会うこともないだろう」

 余程のことがない限り、生まれた土地を離れることのない時代だ。
 養子や婚姻で遠く離れた地に行けば、離縁でもされない限り戻ることはまずない。ましてやカモフにはドーグラスの脅威が迫っているのだ、帰りたくとも帰る土地がなくなっているという可能性が非常に高かった。

「・・・・わたくしは、お父様やお母様と離れたくはございません!」

 エステルが顔を上げて父と視線を合わせる。彼女の決意を秘めた力強い眼差しと言葉にザオラルは一瞬たじろぐように息を飲む。

「し、しかし、ここに残れば死ぬことになるかも知れんのだぞ」

「そうですよ、エステル。わたくしたちは貴女あなたに生きていて欲しいの!」

 エステルからの反論に、二人は訴えるようにして娘を説得する。

「そんなのは知らない土地で、ひとり残されるわたくしの気持ちなんて考えないから言えるんです!」

 目に涙を溜めたエステルの強い言葉に二人は思わず口を噤んだ。
 二人からすればどんな事が起ころうとも生き残って欲しいと思っているが、エステルからすれば例え死ぬことになろうと最後まで一緒に居たいと思っているのだ。

「何もない時であれば、お父様の言う通りフィルベルに嫁いでいたでしょう。ですが死ぬことが可哀想だという理由のためだけに遠ざけられるくらいなら、全力で拒否いたします。わたくしはこれでもトルスター家の一人です。覚悟などすでに決まっております。滅びる時にはぜひご一緒させてくださいませ」

「エステル・・・・ごめんなさい」

「お母様!」

 娘の涙ながらの訴えに、テオドーラも涙を浮かべて隣に座るエステルを優しく抱きしめた。
 トゥーレやユーリに対しては我が儘を言って困らせることの多いエステルだが、両親に対しては自分の意思を強く主張したのは初めてのことだった。

「だが、このまま嫁に行かないという訳にもいかぬだろう? 先ほどのリーディアの話ではないが、それこそとうが立ってしまう」

 どことなくほっとした顔を浮かべたザオラルが眉根を寄せる。余所よそに出さないと決めても、それが嫁に出さないという理由にはならない。この地を離れたくないなら、カモフ内で嫁ぎ先を探さなければならなかった。

「希望はないのか?」

 トゥーレはティーカップに手を伸ばしながら、エステルに希望を尋ねた。
 その言葉にザオラルとテオドーラもエステルを見る。希望があるなら叶えさせてやりたいと表情に出ていた。
 家族から視線が集まったエステルは居住まいを正すとトゥーレへと視線を向けた。
 そして、の爆弾を投下する。

「お兄様、ユーリをわたくしにくださいませ」

「なっ!?」
「はあ!?」
「まぁ!?」

 エステルの予想外の言葉に、三者三様の反応を見せた。
 絶句して固まったのはザオラルだ。目を見開いて口を半開きにし、中々見ることの出来ない動揺を見せながら震える手でテーブルのティーカップに手を伸ばした。
 怪訝な顔を浮かべているのはトゥーレだ。『何言ってんだこいつ』という表情で妹を睨んでいた。
 そしてテオドーラはその緋色の瞳を輝かせ、嬉しそうに微笑んでいる。

「ああ、何だ。違うと思うが一応言っておく。ユーリを側近に欲しいという事なら却下だ」

 ティーカップをカチャカチャ鳴らしながらテーブルに戻したトゥーレは、落ち着く時間を稼ぐために意味の取り違えの可能性を口にした。それに対するエステルの答えは、今だ衝撃から抜け出せていないザオラルへの追い打ちとなった。

「違いますお兄様。わたくしユーリにしております」

 頬を紅く染めて身をよじり、はっきりとそう言い切ったのだ。

「ごぶっ!? げふん! うぉほん!」
「懸想って、意味を解っているのか?」
「あらあら、ふふふっ」

 今度もまた三者三様の反応だ。
 口にしていたお茶で盛大に咽せたザオラル。
 妹の言葉に呆れた表情を見せるトゥーレ。
 娘の恋の話にキラキラした笑顔を浮かべるテオドーラ。

「お父様やお母様、ついでに言えばお兄様の死を、会ったこともないお姉様や旦那様から聞かされるくらいならば、わたくしはユーリに嫁ぎたく存じます」

「俺はついでなのか。しかし、いいのか?」

 苦笑を浮かべたトゥーレが問い掛ける。

「何がですか?」

「お前からすればユーリは十歳も年上だぞ。それに肝心のユーリの気持ちは確かめているのか?」

「そ、それはまだですけど、お兄様はひとつ間違えております。わたくしとユーリの年の差は九歳です。それにお父様とお母様の年は十四歳離れております。それを考えれば九歳差など気にいたしません」

 意外にも心配そうな顔で念を押したトゥーレに、年の差だけはニコリと微笑んで訂正する。エステルが指摘した通り、現在ユーリは二十一歳、エステルは十二歳で九歳差だ。
 十五歳で成人と見なされるこの国では、普通であれば二十歳までには結婚する者が多い。ユーリは十五歳で出奔し街で暴れていたが、それでも二十歳を過ぎて未婚であれば遅いと言われ始める年齢であり、所謂薹が立つと言われ始める年齢だ。
 彼は背も高く整った顔立ちをしているため、街や領主邸の女性からの人気は意外と高い。それでもこの年までそう言った話がなかったのは、若い頃の素行の悪さと額に刻まれた大きな傷痕が大きな理由だ。以前にそれとなく結婚を勧めたトゥーレだったが、額の傷を理由に断っていたくらいだ。
 今でこそ気にすることなく接しているエステルも、最初は傷痕を見て怖がっていたほどなのだ。

「そうですとも。わたくしはエステルを応援いたしますわ」

 瞳をキラキラさせたテオドーラが、エステルの手を握り興奮した様子で娘の恋路の背中を押す。

「ありがとう存じます、お母様! 年齢差なんかわたくし必ず乗り越えて見せます」

「あらあら、ふふふっ」

 『ふんすっ!』と鼻息荒く母の手を力強く握り返したエステルが、微笑みを浮かべたテオドーラにそう宣言する。

「やれやれだ・・・・」

 二人の勢いに押され、トゥーレは匙を投げたように溜息を吐きながら首を振るしか出来なかった。
 こうしてユーリの知らないうちに、エステルの嫁ぎ先が決まったのである。
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