都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第二章 巨星堕つ

1 朝靄の中で

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 遠く南の空には気の早い積乱雲が中途半端な大きさで頼りなさげに浮かんでいた。気温は高めだが湿気はそれほど高くないため、心地よい風が頬を撫でていく。
 トゥーレとリーディアの婚約から約半年が過ぎていた。
 婚約式以来、久しぶりとなるトゥーレのフォレス訪問だった。
 前回とは異なり今回は小規模な訪問団で、同行する役人はシルベストルを除けば彼の次男であるシルヴォのみで、護衛の数を合わせても百騎を少し超えるぐらいの小規模な訪問だった。
 シルヴォは三十代後半を迎えた男で父に似て内政官として優れ、普段はオリヴェルとともにシルベストルのサポートをおこなっていた。
 彼は父と並んで舷側に立ち父と同じヘーゼルの瞳を細めながら、遠くに見えてきたフォレスの街を眺めていた。
 この訪問ではトゥーレに従うメンバーもいつもの顔ぶれだったが、先日ユーリとルーベルト、それにオレクの三人が正式に騎士として叙任されたため、ユーリとルーベルトの二人は今回従者という扱いではなく護衛騎士という立場に変わっていた。
 二人の婚約が成立したとはいえどもリーディアはフォレスに留まったままで、サザンには移動していない。これはカモフにドーグラスの脅威が迫っている中で、戦場となる可能性が高いサザンへ嫁ぐことをフォレス側が危惧したというのもあるが、リーディアがまだ成人に達していなかったことが大きな理由だ。
 この国での成人の線引きは曖昧だが、通常なら大体十五歳を迎えると成人と認められる。まだ十三歳の彼女は、事前の取り決めによって成人するまではフォレスに留まることになっていたのだ。その代わりとして、一年のうち何回かトゥーレがフォレスへと通うことになっていたのだった。



 フォレス到着翌日の早朝、朝靄に包まれた城内の馬場に、トゥーレはリーディアを伴って姿を現した。
 トゥーレは珍しく濃緑色のチュニックに暗灰色のキュロットと乗馬ブーツという出で立ちだ。リーディアは浅黄色のチュニックを身に付け、薄茶色のキュロットに乗馬ブーツという格好である。
 彼女は婚約式後にトゥーレとの約束通り、乗馬の許可を求めすぐにオリヤンに話をしたという。初めは難色を示していたオリヤンだったが彼女の必死の説得の結果、無事に馬術の許可を得た。
 その後すぐに訓練を始めることになったのだが、驚いたことに指導はオリヤン自らがおこなっていた。
 リーディアに諦めさせる目的もあったのか、訓練はかなり過酷だったそうで、当初は体中痣だらけになり、全身の筋肉痛に悶絶するほどだったという。
 それでも彼女は歯を食いしばって厳しい訓練に耐え、決して弱音を吐かなかったのだ。
 そうして迎えたこの約束の日だった。

「トゥーレ様、この馬たちは!?」

 遠慮がちに聞いているが、リーディアのエメラルド色の瞳は期待に輝いていた。
 彼女の目の前に見慣れない青鹿毛と芦毛の二頭の馬が、トゥーレの側近に引かれて馬場に佇んでいたのだ。どちらもまだ若駒だが体躯は目を見張るほど大きく、見るからに駿馬と分かるほどの馬体だ。

「オリヤン様のしご、いや、訓練を乗り越えた姫へのプレゼントだ。よければ乗ってやって欲しい」

「こんな立派な馬をいただいてよろしいのですか?」

 トゥーレの零れかけた本音を敢えてスルーして、彼女は小躍りするように喜びを表す。
 これまでの訓練では、小振りの馬や老いた馬にしか乗せて貰えないこともあって、他の騎士達の乗騎を羨ましく見ていた彼女だった。
 目の前にいるのはそれらに勝るとも劣らない大きな馬なのだ。期待するなと言うのは無理というものだろう。

「姫のために俺が鍛えた馬だ。気に入ってくれると嬉しい。好きな方を選んでくれ」

「ありがとう存じます」

 リーディアは嬉しそうに礼を言うと二頭に近付いていく。
 青鹿毛は鼻先が僅かに褐色だがそれ以外は黒い毛で覆われ、額には三日月のような白斑がある。
 芦毛の方は、まだ若駒のため白と言うよりは全身青味がかかった濃い灰色だ。その灰色体毛の中に前脚の付け根から尾まで、星が瞬いているかのような明るめの毛が天の川のような模様となって流れていた。
 彼女は殆ど迷うことなく芦毛に近づいていく。

「わたくし、この子に致します」

 振り向いてトゥーレにそう告げると『これからよろしくね』と嬉しそうに芦毛の首を撫でた。

「トゥーレ様、この子、名前はあるんですか?」

「いや、まだないんだ。よかったら姫が名前を付けて欲しい」

 トゥーレは青鹿毛に近付いて黒い馬体を撫でながらそう言った。

「あたしが付けていいの!?」

 思いがけないことに余程嬉しかったのか、言葉遣いが乱れていることにも気付いていない様子だ。

「是非良い名を与えてやってくれ」

 苦笑を浮かべながらトゥーレがそう言うと、彼女は顎の先に右手を添えて真剣な表情で考え始めた。

「ポチ、は可愛すぎるし、タケミカヅチは立派すぎるかな? アレナにするとあの子の名前と同じだし、え~っとえ~っと・・・・」

「・・・・」

 トゥーレが思わず唖然とするほど、彼女は真剣な顔でうんうん悩んでいた。
 しばらくあれこれ考えていたリーディアだったが、やがてどれもしっくりこなかったらしく、困った顔をトゥーレに向ける。

「だ、駄目です。良い名前が浮かびません。・・・・そちらの子はもう名前を付けられたのですか?」

 ほんの僅かな時間だったが、どれほど真剣に悩んだのか。彼女の頭から煙が出てるのを幻視するトゥーレだった。

「あ、ああ。俺のはほとんど黒いけれど額に月のような白斑があるだろう? だからヤミヅキと付けた」

 彼女に名付けを任せたことを若干後悔するトゥーレだったが、ヤミヅキと名付けた青鹿毛の額を撫でながら答えた。
 五頭の乗騎を所有しているトゥーレは、いずれの馬も彼自身が鞭を当てて鍛え抜いた駿馬揃いだ。彼の乗騎はそれぞれシンゲツやゲッコウなどいずれも月にちなんだ名を与えていた。そのためそれほど悩むことなくヤミヅキと名付けていた。
 今回フォレスに持ち込んだ二頭は、新たに鍛えだした馬の中から頭角を現し始めた駿馬候補だった。

「ヤミヅキ・・・・」

 馬の名を呟きながらしばらく思案に耽っていたリーディアが、ふと思いついたように顔を上げる。

「トゥーレ様の乗騎がヤミヅキでしたら、この子は晴れた夜空のようですので、ホシアカリというのはどうでしょうか?」

「なるほど、ホシアカリか。姫らしい明るい良い名だよ」

「でしょう? お前は今からホシアカリだよ。よろしくね」

 トゥーレに褒められて嬉しそうにホシアカリの首を撫でる。ホシアカリもリーディアに顔を擦り寄せて甘えるように甘噛みをしていた。

「どうやらホシアカリも姫を気に入ったようだ」

 しばらく二人で並んで談笑しながらブラッシングをする。たっぷりとブラッシングをおこなった後、鞍を乗せて鞍上へと上がった。

「じゃあ、少し歩かせてみようか?」

 そう声を掛けると、二騎並んだまま常歩なみあしで馬場を一周していく。
 普段の乗り慣れた馬よりも大きくて高いことに、最初は緊張した表情を見せていたリーディアだったが、慣れてくると余裕が生まれたのか少しずつ笑顔を見せるようになっていく。

「次は軽く走らせてみるよ?」

 彼女のすっと伸びた騎乗姿勢を確認したトゥーレは、そう言って速歩はやあしへと速度を上げる。
 さすがに慣れてきたのか、リーディアは特に怖がる様子も見せずにトゥーレと並んだまましっかりとついていく。

「流石にオリヤン様直々に鍛えられただけはある。正直言って姫がここまで乗れるとは思ってなかったよ」

 脱帽したようにトゥーレが笑いかけた。
 速歩も難なく熟したリーディアは、駈歩かけあしから全力疾走の襲歩しゅうほへと速度を上げても問題なく乗りこなした。
 さすがに襲歩まで行くと普段乗り慣れた馬では体感できない速度だ。しかし戸惑ったのは最初だけで、しばらくすればトゥーレと遜色ないレベルでホシアカリを操って見せた。
 トゥーレの言葉に彼女は日々の訓練を思い出したのか、うんざりした表情で笑顔を見せる。

「基礎ばかり嫌と言うほど毎日繰り返し練習させられましたから」

「それでもだ。いくら基礎を積み重ねたって俺の鍛えた馬をいきなり乗りこなせないよ。姫はセンスがあるんだ」

「トゥーレ様にそう言っていただけると嬉しいです」

 リーディアが毎日必死で耐え抜いてきた稽古は、彼の想像以上に彼女を鍛えていたようである。現にトゥーレが鍛えた馬は誰でも簡単に乗れるような馬ではない。二人の様子を馬場の中央付近で固まって見守っていたユーリが、驚いた様子で目を見開いていた。

「お、おい、あれ本当にリーディア姫様なのか!?」

「トゥーレ様に負けてねぇ! っていうかトゥーレ様の馬っていきなりであんな簡単に乗りこなせるもんか?」

「いや、絶対無理だ。あの二頭ってトゥーレ様が最近鍛えた中でも最強の二頭だろ? それをあんなに簡単に乗りこなすなんてな・・・・」

 一緒に見ていたルーベルトたちも、口をポカンと開け驚きを口にする。
 今回連れてきた馬の中で最も馬格が大きく、脚の早い馬がヤミヅキとホシアカリの二頭だ。ユーリたちも跨がらせて貰ったことはあるが、彼らの中で最も馬に乗れるユーリでさえ襲歩は恐怖が勝ってとても乗れたものではなかった。それがまだ少女の華奢な体つきしかないリーディアが、ホシアカリを乗りこなしているのだ。

「トゥーレ様に匹敵するということか」

 ユーリは乾いた笑いを浮かべるしかなかった。
 トゥーレの側近である彼らは、戦時にはそのまま彼が率いる竜騎隊の主力として編成される。そのため馬術に関しては、ザオラル率いる騎馬隊に引けを取らないと自負していた。その彼らをしても、リーディアの乗馬センスは認めざるを得なかったのである。
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