都市伝説と呼ばれて

松虫大

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第一章 都市伝説と呼ばれて

42 バルコニーにて(2)

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 少しずつぎこちなさが溶けてきた二人。
 しばらくは取り止めない会話を楽しむが、ふとトゥーレが思い出したように尋ねた。

「姫は乗馬を嗜んでいると聞いているが、本当なのか?」

「えっ!? そうですね。乗馬は、いたします」

 トゥーレの言葉に狼狽えたように視線を泳がせた後、言いにくそうにリーディアが答えた。

 彼女は幼い頃から父のいくさの話を聞くのが好きだった。
 母からは『女性らしくしなさい』と眉を顰められていたが、幼い頃は指定席である父の膝の上に陣取って飽きもせず戦の話をせがんでいたのだ。
 あれはいつからだろうか。
 リーディアは父や兄と同じように、騎士として戦場に立ちたいと密かに願うようになっていた。
 しかし彼女の願いも虚しく、女性というだけでなく成人していない子供を戦場に立たせることを、オリヤンは許可することはなかった。
 そのため彼女は、街の子供達を集め、いつしか戦場に立つ日が来ることを夢見て『特訓』と称して、剣術や馬術の稽古を隠れるように行っていた。
 残念ながら彼女にとっては、大真面目に特訓しているつもりでも周りの大人からみ見れば、あくまでも遊びとみられていた。真面目に受け取られないことに意固地となった彼女は、ますます特訓に明け暮れるようになっていく。その行動が結果的に『けもの憑き』の噂の一端となったことは否めない。
 もちろんその噂はリーディアの耳にも届いていた。
 自分の意図と違って決して好意的と言えない噂が広がっていることに傷ついた彼女だったが、それでも特訓をやめることはなかった。

「えっと・・・・」

 あくまでも彼女はフォレス内での噂だと思っていた。しかしトゥーレまで彼女の乗馬を知っているということは、あの噂も彼の耳に届いていることを意味する。
 そのことに動揺するリーディアはスカートを掴んで俯いてしまった。トゥーレはそんな様子に気付いている筈だが、気にすることなく嬉しそうに言葉を続けた。

「よかった。それなら今度俺がフォレスに来たとき、一緒にトレッキングにいかないか?」

「えっ!」

 トゥーレのその言葉に、リーディアは思わず身を震わせた。

「よ、よろしいのですか?」

「もちろんだ。せっかく乗馬をしているんだ。一緒に出掛けよう」

 窺うように上目遣いに尋ねたリーディアに、トゥーレはコクリと大きく頷く。影が差していた彼女の表情が、溢れんばかりの笑顔にみるみる包まれていく。

「うれしいです! わたくし、それまでにトゥーレ様の迷惑にならないようにたくさん練習致します!」

 しかしその笑顔も長くは続かない。

「でも、駄目です・・・・。わたくし、お父様から馬に乗ることを禁じられていますもの・・・・」

 再び表情に影が差し、声も消え入りそうに小さくなっていく。
 リーディアは理由なく乗馬を禁じられた訳ではない。それまでは黙認されていたほどなのだ。
 数ヶ月前のある日のことだ。
 いつものように街の友達と特訓に励んでいた際、友達のちょっとした悪戯により彼女の乗馬がコントロールを失って暴走してしまったのだ。彼女は必死にコントロールを取り戻そうとするが、十二歳の少女の力ではどうすることもできず落馬してしまった。
 リーディアに怪我はなかったが、そのまま暴走を続けた馬は、一緒に特訓していた子の一人に接触し大怪我を負わせてしまった。幸いにして命に別状はなかったが、それ以来彼女はオリヤンから乗馬を禁じられてしまったのだ。
 他の子供の悪戯が引き起こした事故だったとはいえ、一歩間違えれば大惨事になっていた。また黙認とはいえ我流で乗馬を続ける危険性を指摘され、彼女は黙って従うしかなかったのだ。

「姫は興味本位なだけの理由で、馬に乗りたい訳じゃないんだろう?」

「・・・・」

 俯くリーディアを諭すようにトゥーレが優しく語りかけると、彼女は黙ったままこくりと頷く。

「だったらちゃんと練習すれば大丈夫だよ」

「で、でもお父様が許してくれません」

「今まで姫はオリヤン様に内緒で一人で練習していたんだろう? それで大切な友達を怪我させたんだ。多分オリヤン様じゃなくたって禁止するよね」

「・・・・」

「だから、どうして馬に乗りたいのか。どうして剣術を習いたいのか。何のために槍を振るうのか。姫の気持ちをオリヤン様に説明すればきっと解ってくれるはずさ」

「解っていただけるかしら

「姫は騎士になりたいのだろう?」

 リーディアはハッとする。
 彼女の騎士になりたいという秘めた想いは、誰にも告げたことはなかった。トゥーレに恋心を抱いてもその思いは消えることはなく、黙って訓練を続けてきたのだ。
 トゥーレの言葉に俯いていた顔を上げると、彼が柔らかい笑顔でコクリと頷いた。彼の仕草に勇気づけられたリーディアから不安そうな表情が消えていく。

「あとは姫がオリヤン様を説得できるかだ。それで駄目なら姫を唆した俺がオリヤン様に怒られてしまうから、頑張ってもらわないとね」

「まぁ酷いですわ!」

 トゥーレは冗談めかして片目を瞑り、悪戯っ子のような笑顔を浮かべる。リーディアの顔にも花が咲いたような笑顔が浮かんだ。
 二人が笑っているとユーリの傍を抜けて来た侍女が、申し訳なさそうな表情で二人に声を掛ける。

「ご歓談中失礼致します、リーディア姫様。オリヤン様がお呼びでございます」

 リーディアの筆頭側勤めのセネイだった。
 かつてはふくよかな身体を揺すって、ボロボロになりながら幼いリーディアを追いかけていた。長年リーディアを追いかけ続けた影響なのか、今では見違えるほどすらりとした体型で、もともと備わっていた美貌に見合う容姿となっていた。

「セネイ殿、久しぶりだな! 息災そうで何よりだ」

「お久しぶりでございますトゥーレ様。お気遣い痛み入ります」

 セネイは隙のない洗練されたカーテシーでトゥーレに腰を折った。

「姫が相手では毎日気の休まる暇はないであろう?」

「それはもう毎日振り回されております。そのお陰でダイエットに成功いたしました。それでもシルベストル様の気苦労にお比べすれば、それほど大変ではございません」

「ははは、これは手厳しい」

 セネイから予想外の冗談と辛辣な言葉が返ってきて思わず乾いた笑い声を上げる。リーディアも彼女の遠慮のない言葉に驚きを隠せない。
 彼女の侍女はこれくらいでなければ勤まらないのだ。

「姫、残念ながら今日は時間切れのようだ」

「そのようですわね」

「次は夏までには来られるだろう。その時は必ずトレッキングに行こう」

「酷いですわトゥーレ様。その前に明日、婚約式があるのをお忘れですか?」

「そうだったな。大事な儀式を忘れるところだった。では改めて明日会おう!」

「わたくしもちゃんとお父様とお話ししたいと存じます。ですからトレッキングの約束、忘れないでくださいませ」

「もちろんだ。俺も楽しみにしているよ」

「それではトゥーレ様、失礼致します」

 リーディアはローブをトゥーレに返すとカーテシーをおこない、セネイとともに会場へと戻っていった。
 彼女と入れ替わるようにユーリがバルコニーに戻ってくる。無言だがその表情に浮かぶニヤニヤした顔を隠そうともしない。

「なんだ? 言いたいことがあるならさっさと言え」

 トゥーレはうんざりしたように溜息を吐き口を開く。

「中々、甘酸っぱい会話をしておられましたね。聞いていて思わず身悶えしそうでした」

「盗み聞きとは感心せんぞ」

「まあそこは護衛ですので」

 そう言って開き直るユーリに、やれやれと軽く溜息を吐くと続ける。

「まともに話すのは七年振りだぞ。多少手探りになるのは仕方ないだろう?」

「それにしては会話が弾んでいたじゃないですか?」

「話の切っ掛けを掴むのに時間が掛かったが、それさえ掴んでしまえば七年前に戻ったように懐かしく思いながら話していたよ」

 若干照れているのか頬を染めながら答える。
 ほんの短い間だったが、会話している間にかつて兄妹のように仲良く過ごしていた頃に戻った気がしたのだ。

「それにしても、リーディア姫様は思ったよりも普通の方でしたね」

「普通? どう言う意味だ?」

 ユーリが何気なく零した発言の意味が理解できず、トゥーレは思わず聞き返す。

「いえ、その、言いにくいのですが、私は姫様の噂を信じていたんです」

 ユーリは『しまった』という表情を浮かべたが、照れたように指で頬を掻きながら続けた。

「今日初めてお目にかかって、姫様は『けものに憑かれてる』ようにはとても見えませんでした」

 思いがけず披露されたユーリの本音に一瞬ポカンとなったトゥーレだが、苦笑気味に笑いを零した。

「ははは・・・・貴様はたまに面白いことを言う。サザンで傍若無人の限りを尽くしていた男が、そんな噂を信じていたとはな」

「たまにとは失礼な!」

「気にするところはそこなのか?」

 トゥーレは呆れた様に笑った。

「い、いいじゃないですか。坑道に潜っていた私にとっては、今でも領主様といえば遠い存在です。そんな方々ですので、けものに憑かれることもあるんだと思っていました」

 珍しく真っ赤になって拗ねたように口を尖らせる。

「ちょっとその言葉は看過できんぞ! 普段から俺に遠慮のない態度をとっておいてよく言う。それに貴様に懐いているエステルもああ見えて姫様だぞ」

「それはそうです。トゥーレ様は私を悪巧みに引き入れた張本人です。その妹君のエステル様共々領主様とは違う生き物だと認識しております」

 ユーリがいつもの遠慮のない辛辣な言葉を返す。
 秋の夜空に二人の笑い声が響いた。
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