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第8話 一炊之夢-2
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いつぶりだろうか、この場所に来たのは。辺りには田んぼしかないこの道。街灯もないので、夜は月明かりだけが頼りだ。
7年前、美幸にプロポーズされた場所。
俺がそれを断ってから、全てが変わってしまった。
あの時なんで、俺は断ってしまったんだろうか。いま思えば、あの頃から美幸のことが好きだったのに。もっと早く、その気持ちに気づいていれば……。
辺りを見渡す。人影らしいものは見えない。やはり、ここにもいないのか。くそ、他にいそうな場所なんて思い浮かばないのに。
「…………純平?」
「美幸!」
いた、美幸だ。20メートルほど先に美幸は立っていた。最近落ちた視力のせいでハッキリとは見えないが、聞こえてきた声は確実に美幸のものだ。
「どうして、こんなところに……?」
「……美幸に会いにきた」
「私に? どうして……」
「告白の返事、ちゃんと聞いてないから」
「…………」
美幸は地面を見つめ、ジッと何かに耐えているようだった。
「さっき、中宮さんと話をした」
「……っ!」
「美幸と付き合ってるんですか? って聞いたよ。まあ、あの人は答えてくれなかったけど」
「…………」
美幸の視線は、バツが悪そうにあちこち泳いでいる。その様子を見て、俺は悟った。
「その答えは、美幸に聞こうと思って」
「私は……」
美幸は、だんだんと俺との距離をつめてくる。ぼんやりとしか見えなかったその顔が、次第にハッキリと見えてくる。その距離、10メートルほどだろうか。
「私はね……」
心臓が、跳ねる。
「……純平のこと、好きだよ。大好き」
「……じゃあ、上司と付き合ってるって話は? あれは本当?」
大好きと言われ、心臓の高鳴りが最高潮に達しているが、それを悟られないようにクールに返す。その辺は完璧な俺。
「…………嘘」
「嘘って……なんでそんな嘘を?」
「ああいう風に言えば、純平は私から離れてくれるかなって。そう思ったから」
「なんで、そんなこと……」
と、美幸の目には涙が滲んでいた。それは、バーで見た時と同じ。何かに耐えて苦しんでいるような、悲痛な訴え。その姿に、俺の心も痛む。
「だから、純平のことが好きだからじゃん……! 私だって、自分に素直になりたいよ……!」
泣きじゃくる美幸は、まるで子どもの頃の美幸に戻ったようだった。素直になりたいって、どういうことだ? 話が見えてこない。美幸は、何に苦しんでいる?
「なあ、美幸はなんで、あの時俺にプロポーズしてくれたんだ?」
「…………焦っていたから」
「焦ってた?」
「そう。私には……時間がなかったの」
時間がない……。もともと東京に進学するつもりだったってことか? それで、引っ越しやら何やらがあるから、その前に求婚してきたってこと、なのか?
「……私、失敗作なの」
「失敗作?」
「子どもが、できない体なの」
何かに怯えるような、怖い何かに追われているような表情で、美幸は言った。その言葉を俺に伝えるのに、どれだけ勇気を出してくれたのだろうか。美幸の悲壮感が、ハッキリと伝わってきた。
美幸はただ、ボロボロと涙を流していた。それは止まる様子はなく、勢いを増す一方だ。
そうか。美幸は、そのことで悩んでいたのか。苦しんでいたのか。もっと早く気付いてあげられていれば……。
「美幸……」
「何も言わないで……。私は、純平には似つかわしくない女なの。分かって」
「そんなこと……!」
「そんなことあるの!」
それは、聞いているこっちが辛くなる叫びだった。俺はそれ以上、何も言葉が出なくなった。もっと伝えたいことがあるのに、喉から出てこない。
「さようなら。私のことは、忘れて」
美幸はそう言うと、パッと姿を消した。暗がりに隠れたのかと思い、美幸の立っていた辺りを探してみたが、美幸の姿はなかった。本当に突然、その場所から消えてしまった。
「美幸……? 美幸! どこだ!?」
俺の問いかけに対する返事はない。それどころか、辺りには人のいる気配すらない。走って周辺を確認してみたが、やはり美幸はどこにもいない。
どういうことだ。さっきまで話をしていたのに、どこに消えたんだ? 俺は幻覚を見ていたとでも言うのか? いや、そんなわけない。そんなわけ……。
「…………夢、か?」
白昼夢、という言葉を聞いたことがある。夢というよりも、まるで夢を見ているような空想のことを指す言葉だが。俺の見たそれは、その言葉がピッタリではないだろうか。
今は夜だが、俺はしっかり目を覚ましている。意識だって、記憶だってハッキリしている。夢なんて見るような状態じゃないはずだけど、どういうことなんだ。
「くそっ、また振り出しかよ」
まずい。結局、また美幸の居場所が分からなくなってしまった。今頃ホテルで休んでいるのだろうか。そうだ、真由美さんなら美幸に聞き出してくれるんじゃないか?
……どうだろうか。さっき真由美さんに電話した時も、美幸に連絡を取ろうとしてくれていた。でも繋がらなかった。美幸の携帯は、電源が入っていないらしい。
完全に手詰まりだ。折角、美幸が抱えている悩みがわかったというのに。先ほどの美幸の言葉が本当ならの話だが。俺はやはり、白昼夢とやらを見ていたのか? さっきの美幸の話は、全部俺の妄想?
妄想だと言うなら、それはそれでいい。むしろその方がいいか。美幸のあんな悲しそうな姿は見たくない。自分のことを失敗作だなんて、言ってほしくない。
とにかく、もう一度美幸に会いたい。まだ聞けてないことが多すぎる。このモヤモヤを抱えたままでは、この先の人生を満喫できる気がしない。俺はそこまで器用じゃないからな。
さて、問題は美幸がいまどこにいるかだけど……。この場所じゃないとすると、残る候補はほとんどない。とりあえず、心当たりがある場所を当たってみよう。
そう思って駆け出そうとした時、俺はふと夜空を見上げた。そこには、満天の星が広がっていた。星空はよく見るが、ここまで綺麗な夜空を見ることができたのは、今日で何度目になるのだろうか。最初に見たのは、確か俺が小学生の頃だった。
あの日も今日みたいに、美幸を探していた。親と喧嘩して家を飛び出した美幸を、俺も必死になって探していたんだ。喧嘩の原因は、美幸のプリンを真由美さんが食べたとかそんな下らない理由だったと思う。プリンで家出するか普通。
でも、探しても探しても見つからなくて、とうとう警察にも連絡しようかという時だった。俺は美幸を見つけたんだ。
この場所にアイツはいた。美幸はただジッと空を見上げていたんだ。今日みたいな、満天の星空を。
『こんなとこで何してんの?』
って俺が聞いたら
『お腹空いてきたから帰ろうと思って』
って言いやがった。なんだそれ。お前は放し飼いの猫かっ!
そのあとは、二人で一緒に星空を見ていた。あのとき見た景色は、本当に綺麗だった。また一緒に見たい、なんて考えたもんだ。
……よし、行こう。もう後悔はしたくない。何があっても美幸を探し出す。
俺は勢いよく地面を蹴り、走り出した。
7年前、美幸にプロポーズされた場所。
俺がそれを断ってから、全てが変わってしまった。
あの時なんで、俺は断ってしまったんだろうか。いま思えば、あの頃から美幸のことが好きだったのに。もっと早く、その気持ちに気づいていれば……。
辺りを見渡す。人影らしいものは見えない。やはり、ここにもいないのか。くそ、他にいそうな場所なんて思い浮かばないのに。
「…………純平?」
「美幸!」
いた、美幸だ。20メートルほど先に美幸は立っていた。最近落ちた視力のせいでハッキリとは見えないが、聞こえてきた声は確実に美幸のものだ。
「どうして、こんなところに……?」
「……美幸に会いにきた」
「私に? どうして……」
「告白の返事、ちゃんと聞いてないから」
「…………」
美幸は地面を見つめ、ジッと何かに耐えているようだった。
「さっき、中宮さんと話をした」
「……っ!」
「美幸と付き合ってるんですか? って聞いたよ。まあ、あの人は答えてくれなかったけど」
「…………」
美幸の視線は、バツが悪そうにあちこち泳いでいる。その様子を見て、俺は悟った。
「その答えは、美幸に聞こうと思って」
「私は……」
美幸は、だんだんと俺との距離をつめてくる。ぼんやりとしか見えなかったその顔が、次第にハッキリと見えてくる。その距離、10メートルほどだろうか。
「私はね……」
心臓が、跳ねる。
「……純平のこと、好きだよ。大好き」
「……じゃあ、上司と付き合ってるって話は? あれは本当?」
大好きと言われ、心臓の高鳴りが最高潮に達しているが、それを悟られないようにクールに返す。その辺は完璧な俺。
「…………嘘」
「嘘って……なんでそんな嘘を?」
「ああいう風に言えば、純平は私から離れてくれるかなって。そう思ったから」
「なんで、そんなこと……」
と、美幸の目には涙が滲んでいた。それは、バーで見た時と同じ。何かに耐えて苦しんでいるような、悲痛な訴え。その姿に、俺の心も痛む。
「だから、純平のことが好きだからじゃん……! 私だって、自分に素直になりたいよ……!」
泣きじゃくる美幸は、まるで子どもの頃の美幸に戻ったようだった。素直になりたいって、どういうことだ? 話が見えてこない。美幸は、何に苦しんでいる?
「なあ、美幸はなんで、あの時俺にプロポーズしてくれたんだ?」
「…………焦っていたから」
「焦ってた?」
「そう。私には……時間がなかったの」
時間がない……。もともと東京に進学するつもりだったってことか? それで、引っ越しやら何やらがあるから、その前に求婚してきたってこと、なのか?
「……私、失敗作なの」
「失敗作?」
「子どもが、できない体なの」
何かに怯えるような、怖い何かに追われているような表情で、美幸は言った。その言葉を俺に伝えるのに、どれだけ勇気を出してくれたのだろうか。美幸の悲壮感が、ハッキリと伝わってきた。
美幸はただ、ボロボロと涙を流していた。それは止まる様子はなく、勢いを増す一方だ。
そうか。美幸は、そのことで悩んでいたのか。苦しんでいたのか。もっと早く気付いてあげられていれば……。
「美幸……」
「何も言わないで……。私は、純平には似つかわしくない女なの。分かって」
「そんなこと……!」
「そんなことあるの!」
それは、聞いているこっちが辛くなる叫びだった。俺はそれ以上、何も言葉が出なくなった。もっと伝えたいことがあるのに、喉から出てこない。
「さようなら。私のことは、忘れて」
美幸はそう言うと、パッと姿を消した。暗がりに隠れたのかと思い、美幸の立っていた辺りを探してみたが、美幸の姿はなかった。本当に突然、その場所から消えてしまった。
「美幸……? 美幸! どこだ!?」
俺の問いかけに対する返事はない。それどころか、辺りには人のいる気配すらない。走って周辺を確認してみたが、やはり美幸はどこにもいない。
どういうことだ。さっきまで話をしていたのに、どこに消えたんだ? 俺は幻覚を見ていたとでも言うのか? いや、そんなわけない。そんなわけ……。
「…………夢、か?」
白昼夢、という言葉を聞いたことがある。夢というよりも、まるで夢を見ているような空想のことを指す言葉だが。俺の見たそれは、その言葉がピッタリではないだろうか。
今は夜だが、俺はしっかり目を覚ましている。意識だって、記憶だってハッキリしている。夢なんて見るような状態じゃないはずだけど、どういうことなんだ。
「くそっ、また振り出しかよ」
まずい。結局、また美幸の居場所が分からなくなってしまった。今頃ホテルで休んでいるのだろうか。そうだ、真由美さんなら美幸に聞き出してくれるんじゃないか?
……どうだろうか。さっき真由美さんに電話した時も、美幸に連絡を取ろうとしてくれていた。でも繋がらなかった。美幸の携帯は、電源が入っていないらしい。
完全に手詰まりだ。折角、美幸が抱えている悩みがわかったというのに。先ほどの美幸の言葉が本当ならの話だが。俺はやはり、白昼夢とやらを見ていたのか? さっきの美幸の話は、全部俺の妄想?
妄想だと言うなら、それはそれでいい。むしろその方がいいか。美幸のあんな悲しそうな姿は見たくない。自分のことを失敗作だなんて、言ってほしくない。
とにかく、もう一度美幸に会いたい。まだ聞けてないことが多すぎる。このモヤモヤを抱えたままでは、この先の人生を満喫できる気がしない。俺はそこまで器用じゃないからな。
さて、問題は美幸がいまどこにいるかだけど……。この場所じゃないとすると、残る候補はほとんどない。とりあえず、心当たりがある場所を当たってみよう。
そう思って駆け出そうとした時、俺はふと夜空を見上げた。そこには、満天の星が広がっていた。星空はよく見るが、ここまで綺麗な夜空を見ることができたのは、今日で何度目になるのだろうか。最初に見たのは、確か俺が小学生の頃だった。
あの日も今日みたいに、美幸を探していた。親と喧嘩して家を飛び出した美幸を、俺も必死になって探していたんだ。喧嘩の原因は、美幸のプリンを真由美さんが食べたとかそんな下らない理由だったと思う。プリンで家出するか普通。
でも、探しても探しても見つからなくて、とうとう警察にも連絡しようかという時だった。俺は美幸を見つけたんだ。
この場所にアイツはいた。美幸はただジッと空を見上げていたんだ。今日みたいな、満天の星空を。
『こんなとこで何してんの?』
って俺が聞いたら
『お腹空いてきたから帰ろうと思って』
って言いやがった。なんだそれ。お前は放し飼いの猫かっ!
そのあとは、二人で一緒に星空を見ていた。あのとき見た景色は、本当に綺麗だった。また一緒に見たい、なんて考えたもんだ。
……よし、行こう。もう後悔はしたくない。何があっても美幸を探し出す。
俺は勢いよく地面を蹴り、走り出した。
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