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最終章
5.道は遥かな先へと
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ローゼは結婚式を3か所で挙げた。
最初は、故郷のグラス村だ。
以前、フロランの結婚式へ参列するためにイリオスの城へ行った際、
「ローゼが村で結婚式をする時の衣装は私に準備させて」
と言ってくれたリュシーは、約束を忘れていなかった。
それどころか、彼女自身がグラス村まで届けに来たのだ。
「フロランは王都の結婚式へ呼ばれているでしょう? だから私は、グラス村の式に参列させてもらおうと思っていたのよ」
リュシーはそう言い、驚くローゼに向かって微笑んで見せた。
また、リュシーはローゼの横に立つアーヴィンに対して、
「こちらがローゼの夫となる方ね。とても素敵だわ」
と、初対面のような態度を取ってくれた。アーヴィンが自身の出生を隠していることはリュシーも知っているのだろう。
おかげで村人はリュシーのことを完全に「ローゼの知り合い」だと判断していた。
リュシーが持参してきたドレスは北方風ではあったものの色は白、ベールも紫色とウォルス教の方式に則っている。ドレスやベールに施された見事な刺繍の数々は、主にリュシーとシグリの手によるものだった。
見ているだけでため息が出るほど美しい衣装は、ローゼが身に纏っても美しかったようだ。
「おめでとう、ローゼ。……その、本当に貴族のお嬢様みたいね」
自分で編んだという紫のショールを羽織ったディアナは式の後、緊張した面持ちでそう言いながら数人の乙女たちをを連れて来てくれた。
少し複雑な気分になりながらローゼが礼を述べると、乙女の中のひとりエーファも硬い表情で
「ローゼに話しかけてもいいのかどうか迷って、ディアナに連れて来てもらったの。結婚おめでとう、ローゼ」
と述べた。
皆の態度はどこか他人行儀で、ローゼは少し寂しく思う。しかし式の後に広場で行われた宴で「やっぱりローゼはローゼだったわ!」とディアナと共に笑った乙女たちは、全員が以前のように親しい態度で接してくれるようになった。
家族や友人、そして祭司のミシェラを始めとする村の皆に祝福されたこの日は、ローゼにとって最高の1日となった。
2か所目の結婚式は、王都の大神殿だ。
ここでローゼが着たものは、用意された紫のベールを除けばいつもの聖剣の主の衣装――すっかり馴染みとなっている、白い生地に銀の糸で刺繍が施されたローブだった。これは『ローゼの結婚式』というより『聖剣の主の結婚式』という公的な意味合いの方が強いためでもある。
事実、友人の参加はほんの少し。フェリシア、ジェラルド、ラザレスにコーデリアのたった4人で、他には要人の姿しか見えない。
祭司を務めるのはデュラン大神殿長であり、補佐をするのは5人の大神官。列席者はふたりの聖剣の主を始めとした大神殿内の高い地位の人物に加えて、カーライル家やトレリオ家といった有力貴族ばかり。
他にも隣国ベリアンドの使者のほか、フィデルに滞在していたときに見かけた人の姿もあったので、この後はアストランの王宮で会談でも開かれるのだろう。
こうしてローゼは2か所の式でそれぞれ違う衣装を着たが、逆にアーヴィンはどちらも同じ衣装だった。豪華な青い神官服と、ローゼが紫の糸で刺繍を施した手袋だ。
グラス村の人々は、あまり目にすることがない青の神官服に感嘆の声をあげていたが、大神殿の人々は特に反応がない。神官であれば同じ衣装を持っているし、そうでなくとも神殿騎士や貴族たちもこの衣装を見慣れているから当然だろう。むしろ、
「こんなもん着たってつまんないだろ? せっかくなんだからもっと派手な衣装がいいよなあ?」
神殿騎士の鎧に紫のスカーフを巻いたジェラルドには、そんな風に言われたりもした。
しかしそれはそれで、彼の感覚も独特ではあったようだ。
「いくら結婚式とはいえ、全部が濃い紫色、なんていう奇妙な衣装を着てしまうのはお兄様だけですわよ」
紫のリボンで髪を結った白い鎧のフェリシアは、ジェラルドの横で呆れたように肩をすくめていた。
とはいえ例外的に、アーヴィンの青い神官服に見惚れる人物もいた。
「おめでとう、兄……アーヴィン殿」
”歴史上初めてウォルス教の結婚式に出席した北方の領主”は祝いの言葉を述べ、アーヴィンの全身をじっくり眺めた後に呟く。
「まあ、悪くないな」
口調はそっけないが、頬の紅潮と瞳の潤みが称賛を現わしていることに、本人はきっと気付いていないのだろう。
精霊信仰の頂点に立つフロランがどのような姿で現れるだろうかとローゼは少し心配だったが、意外にも彼の装いはウォルス教の礼儀に則っていた。
貴族風の衣装を着て、首元のタイには紫の宝石。
それでも宝石の台座が銀であり、衣装も薄い緑なのは、特別な出身地ゆえの矜持かもしれない。
「ところでさ。このあとアーヴィン殿たちは北方へ来るんだろ? いつ頃になる?」
「4日後に王都を発つ予定でいます」
「ちなみにあたしたち、北方には行くけどイリオスの城には行かないからね。もし何か準備してるなら片付けといて」
「はあ!?」
フロランはようやく兄から目を離し、アーヴィンの横で立つローゼに顔を向ける。
「城へ来ないって……ど、どうして!」
「特に用事が無いから行かないのよ。当たり前でしょ」
「だっ……なっ……式は!? 結婚式を挙げるんだろ!?」
「挙げるけど」
ローゼはアーヴィンの左手を取る。ローゼの左手首で腕飾りが輝くように、アーヴィンの左手首には結ばれた銀狼の毛が眩しい光を放っている。
「あたしたちが行くのは銀の森よ。――神と人の前での式はここで終わり。今度は彼らの前で式を挙げるの」
* * *
婚礼用の衣装に着替えたローゼを銀狼が背に乗せてくれる。どういう不思議なのか、彼は木々にぶつかることなく素晴らしい速度で森を走り抜け、あっという間にアーヴィンの元へ連れて行ってくれた。
「ローゼ」
待っていたアーヴィンが着ているものは青い神官服ではない。銀に見えるほどくすみのない白い生地を、金の糸で縁取りした貴族風の衣装だ。
精霊の銀と神殿の金が美しく合わさるこの装いは、アーヴィンにとても相応しいとローゼは思う。
銀狼の背に座るローゼの手をそっと取り、彼は囁いた。
「綺麗だよ、ローゼ」
愛しい相手に褒められてローゼの頬に血がのぼる。恥ずかしくてつい、瞳を伏せた。
今回もローゼは新しい衣装だ。
ベールもドレスもアーヴィンと同じく銀に近い白、そこに白い花を飾り、首と腕には銀の宝飾品をつけた。左手首に輝くのはもちろん3連の銀鎖だ。アーヴィンが贈ってくれたこの腕飾りは、これからも、どんな時だって、ローゼの元で輝き続ける。
寄り添うふたりを見たのだろう、聖剣から嬉しそうな声が聞こえる。
【お前たち、似合ってるぞ】
「レオンも美しいですよ」
「でしょう? あたし、頑張ったんだから」
【……必要だったとは思えないけどな】
「必要だったに決まってるわ。なにしろ『聖剣』は『聖剣の主』のものだし、その逆だってまた然りなんだからね」
聖剣の刃は今、ローゼと同じ白い花で飾られている。その中で柄と鍔の黄金と、花を模した赤い石が鮮やかな色彩を放っていた。
【確かにお前と揃いだしな……まあ、いいか】
気恥ずかしそうなレオンからは続いて、「あいつにも聞かせてやろう」という小さな声が聞こえた。
黙って微笑んだローゼの腕がアーヴィンに引かれる。
立たせてくれるつもりだろうか、と思った次の瞬間。
「えっ?」
浮遊感のあとに背と膝裏がしっかりと支えられる。驚くローゼが辺りを見回すと、すぐ横にアーヴィンの顔があった。
「な、なに!?」
「暴れたら落ちるよ」
そこでようやくローゼは、自分がアーヴィンに横抱きにされているのだと気が付いた。
「う、嘘! あたし、重いのに!」
「全然。村の男性に比べたら、物の数に入らないよ」
服を着てしまうとそうとは見えないのだが、実際のアーヴィンはかなり逞しい体をしている。村でも体を痛めた男性の手助けしたり、時には抱えあげたりすることもあった。――それは知っている。だが。
「……なんとなく、比べる対象が嬉しくない……」
「では、まるで羽根のようだ」
「そんな、取ってつけたみたいに言われても」
ローゼが唇と尖らせると、悪戯ぽく笑うアーヴィンがかすめるように口付ける。途端にちっぽけな不満など、どうでも良くなった。
両腕を彼の首に回して上目遣いに見つめると、ねだる気持ちを理解してくれたのだろう、目元を和ませたアーヴィンがもう一度口付けをくれる。
目を閉じたローゼの唇から彼の温度が体中に伝わって胸の奥があたたかくなる。同時に、さまざまな思いがどっと押し寄せた。
悲しいこと。楽しいこと。驚き、感動、そして幸せ。
(ああ……ここまで、本当にたくさんのことがあったな……)
ローゼの道が大きく変わったのは17歳になって少し経った頃、聖剣の主に選ばれてから。
(あのとき聖剣を手にしてなかったら、あたしはどうなってたのかな)
もしも聖剣の主とならなければ、ローゼはきっと普通の村娘として生きた。
外の世界に焦がれたまま、レオンを知ることもなく。アーヴィンではない誰かと結婚し、子を産み、年を取り、やがてひっそりと世を去ったのだろう。
だが、ローゼは聖剣を手に入れた。
さまざまな人に会い、行ったことの無い場所へ行き、知らなかったものをいくつも見て、精霊にまで遭遇できた。村娘ローゼが夢見ていたことは、ここまですべて叶った。
――だから、次は。
微かな音と共に唇を離し、ローゼはアーヴィンの瞳を見つめる。
「……嬉しいな」
「何が?」
「何もかもが、かな」
何もかも。
こうして彼が、ローゼと一緒にいることも。
思えば以前のこの灰青の瞳は、どこか寂しそうで、空虚で、影があった。
今はそれらもすっかり姿を消し、愛しさと幸福とで溢れている。
――その感情の元が自分なのだと思うと、喜ばしく、誇らしい。
「大好きよ、アーヴィン」
ローゼが囁くと、彼もローゼの耳元で囁いてくれる。
「私もだ。愛しているよ、ローゼ」
もう一度唇を重ねた後にアーヴィンはローゼを地に降ろす。周囲を見回したローゼは、木の合間からちらりと姿を覗かせる雄大な山に気が付いた。
「あれ? ここからでも見えるんだ。もしかして向こうからも見えるかな? ――おおーい!」
飾り立てた花を落とさないようにして右手の聖剣を振ると、頭上から迷惑そうな声が聞こえる。
【……さすがに遠すぎるだろ。そもそも山のお方は、聖剣の石を通じてここを見ておられるはずだ】
「何よ、レオンは夢がないんだから!」
やり取りを聞いて銀狼が声をあげて笑った。
『娘の言う通りだ、友よ。御方のお力があれば、あの場からでも見えるやもしれぬ』
銀狼の声に合わせてローゼの中にいる大精霊の微笑む気配がする。
ローゼには聞こえないが、周囲の木々で弾むたくさんの精霊たちもきっと笑っているのだろう。
今回の式は今までと違って他に人がいない。形式も決まっていない。精霊たちに囲まれて未来への誓いを述べる、ただそれだけのもの。
ほかの誰かからは「勝手に森へ行って好き勝手言うだけじゃないか」と思われるかもしれない。しかしこれはローゼが、アーヴィンやレオンと一緒に決めた自分たちなりの結婚式だった。
もちろん先に挙げた2か所の結婚式では、たくさんの祝福をもらって素晴らしい思い出になった。だが今回の式も負けてはいない。精霊がいるのだと知らなかった頃には、思いもよらなかった式なのだから。
(ああ――本当に)
「本当に、幸せだ」
呟いたアーヴィンが正面に立ち、自身の右手でローゼの左手を取る。腕飾りがシャララと涼やかな音を立てた。
「ローゼ。私は――アーヴィン・レスターは、これからローゼのために生きる。私のすべてがローゼのものだと誓うよ」
「ええっ? それはどうなの? だって、あたしは――」
言いかけるローゼの唇を、アーヴィンの左手がそっと押さえる。
「今の私はもう、すべてがローゼのためだけに在るんだ」
【いいじゃないか。受けてやれ、ローゼ】
レオンが何もかもを分かっているような声で後押しをする。
「うん。じゃあ――」
少し迷って、ローゼは心を決めた。
「聖剣の主としてのローゼ・ファラーはレオンのものよ。でも、そのほかのローゼ・ファラーは、全部アーヴィンのものだって誓うわ。……で、どう?」
【いいんじゃないか? ――な】
「ええ」
満足そうなレオンの言葉を受けて、微笑むアーヴィンも満足そうにうなずいた。
風で枝が揺れ、木漏れ日が降ってくる。眩しさに目を細めながらローゼが顔を上げると、緑の先には抜けるような青空が広がっていた。まるで今日のこの日を祝福してくれるかのようだ。
「ああ。本当に、幸せ」
右手にあるのは馴染み深くなった感触。これはローゼが外で羽ばたくために必要なもの。この翼がある限り、ローゼはどこへ行っても怖くない。
左手からはあたたかさが伝わってくる。これはローゼがローゼであるために必要なもの。この温もりがある限り、ローゼは帰る道を見失わない。
だからこれからもローゼは進んで行ける。遥かな先の、思い描いた夢へ向かって。
最初は、故郷のグラス村だ。
以前、フロランの結婚式へ参列するためにイリオスの城へ行った際、
「ローゼが村で結婚式をする時の衣装は私に準備させて」
と言ってくれたリュシーは、約束を忘れていなかった。
それどころか、彼女自身がグラス村まで届けに来たのだ。
「フロランは王都の結婚式へ呼ばれているでしょう? だから私は、グラス村の式に参列させてもらおうと思っていたのよ」
リュシーはそう言い、驚くローゼに向かって微笑んで見せた。
また、リュシーはローゼの横に立つアーヴィンに対して、
「こちらがローゼの夫となる方ね。とても素敵だわ」
と、初対面のような態度を取ってくれた。アーヴィンが自身の出生を隠していることはリュシーも知っているのだろう。
おかげで村人はリュシーのことを完全に「ローゼの知り合い」だと判断していた。
リュシーが持参してきたドレスは北方風ではあったものの色は白、ベールも紫色とウォルス教の方式に則っている。ドレスやベールに施された見事な刺繍の数々は、主にリュシーとシグリの手によるものだった。
見ているだけでため息が出るほど美しい衣装は、ローゼが身に纏っても美しかったようだ。
「おめでとう、ローゼ。……その、本当に貴族のお嬢様みたいね」
自分で編んだという紫のショールを羽織ったディアナは式の後、緊張した面持ちでそう言いながら数人の乙女たちをを連れて来てくれた。
少し複雑な気分になりながらローゼが礼を述べると、乙女の中のひとりエーファも硬い表情で
「ローゼに話しかけてもいいのかどうか迷って、ディアナに連れて来てもらったの。結婚おめでとう、ローゼ」
と述べた。
皆の態度はどこか他人行儀で、ローゼは少し寂しく思う。しかし式の後に広場で行われた宴で「やっぱりローゼはローゼだったわ!」とディアナと共に笑った乙女たちは、全員が以前のように親しい態度で接してくれるようになった。
家族や友人、そして祭司のミシェラを始めとする村の皆に祝福されたこの日は、ローゼにとって最高の1日となった。
2か所目の結婚式は、王都の大神殿だ。
ここでローゼが着たものは、用意された紫のベールを除けばいつもの聖剣の主の衣装――すっかり馴染みとなっている、白い生地に銀の糸で刺繍が施されたローブだった。これは『ローゼの結婚式』というより『聖剣の主の結婚式』という公的な意味合いの方が強いためでもある。
事実、友人の参加はほんの少し。フェリシア、ジェラルド、ラザレスにコーデリアのたった4人で、他には要人の姿しか見えない。
祭司を務めるのはデュラン大神殿長であり、補佐をするのは5人の大神官。列席者はふたりの聖剣の主を始めとした大神殿内の高い地位の人物に加えて、カーライル家やトレリオ家といった有力貴族ばかり。
他にも隣国ベリアンドの使者のほか、フィデルに滞在していたときに見かけた人の姿もあったので、この後はアストランの王宮で会談でも開かれるのだろう。
こうしてローゼは2か所の式でそれぞれ違う衣装を着たが、逆にアーヴィンはどちらも同じ衣装だった。豪華な青い神官服と、ローゼが紫の糸で刺繍を施した手袋だ。
グラス村の人々は、あまり目にすることがない青の神官服に感嘆の声をあげていたが、大神殿の人々は特に反応がない。神官であれば同じ衣装を持っているし、そうでなくとも神殿騎士や貴族たちもこの衣装を見慣れているから当然だろう。むしろ、
「こんなもん着たってつまんないだろ? せっかくなんだからもっと派手な衣装がいいよなあ?」
神殿騎士の鎧に紫のスカーフを巻いたジェラルドには、そんな風に言われたりもした。
しかしそれはそれで、彼の感覚も独特ではあったようだ。
「いくら結婚式とはいえ、全部が濃い紫色、なんていう奇妙な衣装を着てしまうのはお兄様だけですわよ」
紫のリボンで髪を結った白い鎧のフェリシアは、ジェラルドの横で呆れたように肩をすくめていた。
とはいえ例外的に、アーヴィンの青い神官服に見惚れる人物もいた。
「おめでとう、兄……アーヴィン殿」
”歴史上初めてウォルス教の結婚式に出席した北方の領主”は祝いの言葉を述べ、アーヴィンの全身をじっくり眺めた後に呟く。
「まあ、悪くないな」
口調はそっけないが、頬の紅潮と瞳の潤みが称賛を現わしていることに、本人はきっと気付いていないのだろう。
精霊信仰の頂点に立つフロランがどのような姿で現れるだろうかとローゼは少し心配だったが、意外にも彼の装いはウォルス教の礼儀に則っていた。
貴族風の衣装を着て、首元のタイには紫の宝石。
それでも宝石の台座が銀であり、衣装も薄い緑なのは、特別な出身地ゆえの矜持かもしれない。
「ところでさ。このあとアーヴィン殿たちは北方へ来るんだろ? いつ頃になる?」
「4日後に王都を発つ予定でいます」
「ちなみにあたしたち、北方には行くけどイリオスの城には行かないからね。もし何か準備してるなら片付けといて」
「はあ!?」
フロランはようやく兄から目を離し、アーヴィンの横で立つローゼに顔を向ける。
「城へ来ないって……ど、どうして!」
「特に用事が無いから行かないのよ。当たり前でしょ」
「だっ……なっ……式は!? 結婚式を挙げるんだろ!?」
「挙げるけど」
ローゼはアーヴィンの左手を取る。ローゼの左手首で腕飾りが輝くように、アーヴィンの左手首には結ばれた銀狼の毛が眩しい光を放っている。
「あたしたちが行くのは銀の森よ。――神と人の前での式はここで終わり。今度は彼らの前で式を挙げるの」
* * *
婚礼用の衣装に着替えたローゼを銀狼が背に乗せてくれる。どういう不思議なのか、彼は木々にぶつかることなく素晴らしい速度で森を走り抜け、あっという間にアーヴィンの元へ連れて行ってくれた。
「ローゼ」
待っていたアーヴィンが着ているものは青い神官服ではない。銀に見えるほどくすみのない白い生地を、金の糸で縁取りした貴族風の衣装だ。
精霊の銀と神殿の金が美しく合わさるこの装いは、アーヴィンにとても相応しいとローゼは思う。
銀狼の背に座るローゼの手をそっと取り、彼は囁いた。
「綺麗だよ、ローゼ」
愛しい相手に褒められてローゼの頬に血がのぼる。恥ずかしくてつい、瞳を伏せた。
今回もローゼは新しい衣装だ。
ベールもドレスもアーヴィンと同じく銀に近い白、そこに白い花を飾り、首と腕には銀の宝飾品をつけた。左手首に輝くのはもちろん3連の銀鎖だ。アーヴィンが贈ってくれたこの腕飾りは、これからも、どんな時だって、ローゼの元で輝き続ける。
寄り添うふたりを見たのだろう、聖剣から嬉しそうな声が聞こえる。
【お前たち、似合ってるぞ】
「レオンも美しいですよ」
「でしょう? あたし、頑張ったんだから」
【……必要だったとは思えないけどな】
「必要だったに決まってるわ。なにしろ『聖剣』は『聖剣の主』のものだし、その逆だってまた然りなんだからね」
聖剣の刃は今、ローゼと同じ白い花で飾られている。その中で柄と鍔の黄金と、花を模した赤い石が鮮やかな色彩を放っていた。
【確かにお前と揃いだしな……まあ、いいか】
気恥ずかしそうなレオンからは続いて、「あいつにも聞かせてやろう」という小さな声が聞こえた。
黙って微笑んだローゼの腕がアーヴィンに引かれる。
立たせてくれるつもりだろうか、と思った次の瞬間。
「えっ?」
浮遊感のあとに背と膝裏がしっかりと支えられる。驚くローゼが辺りを見回すと、すぐ横にアーヴィンの顔があった。
「な、なに!?」
「暴れたら落ちるよ」
そこでようやくローゼは、自分がアーヴィンに横抱きにされているのだと気が付いた。
「う、嘘! あたし、重いのに!」
「全然。村の男性に比べたら、物の数に入らないよ」
服を着てしまうとそうとは見えないのだが、実際のアーヴィンはかなり逞しい体をしている。村でも体を痛めた男性の手助けしたり、時には抱えあげたりすることもあった。――それは知っている。だが。
「……なんとなく、比べる対象が嬉しくない……」
「では、まるで羽根のようだ」
「そんな、取ってつけたみたいに言われても」
ローゼが唇と尖らせると、悪戯ぽく笑うアーヴィンがかすめるように口付ける。途端にちっぽけな不満など、どうでも良くなった。
両腕を彼の首に回して上目遣いに見つめると、ねだる気持ちを理解してくれたのだろう、目元を和ませたアーヴィンがもう一度口付けをくれる。
目を閉じたローゼの唇から彼の温度が体中に伝わって胸の奥があたたかくなる。同時に、さまざまな思いがどっと押し寄せた。
悲しいこと。楽しいこと。驚き、感動、そして幸せ。
(ああ……ここまで、本当にたくさんのことがあったな……)
ローゼの道が大きく変わったのは17歳になって少し経った頃、聖剣の主に選ばれてから。
(あのとき聖剣を手にしてなかったら、あたしはどうなってたのかな)
もしも聖剣の主とならなければ、ローゼはきっと普通の村娘として生きた。
外の世界に焦がれたまま、レオンを知ることもなく。アーヴィンではない誰かと結婚し、子を産み、年を取り、やがてひっそりと世を去ったのだろう。
だが、ローゼは聖剣を手に入れた。
さまざまな人に会い、行ったことの無い場所へ行き、知らなかったものをいくつも見て、精霊にまで遭遇できた。村娘ローゼが夢見ていたことは、ここまですべて叶った。
――だから、次は。
微かな音と共に唇を離し、ローゼはアーヴィンの瞳を見つめる。
「……嬉しいな」
「何が?」
「何もかもが、かな」
何もかも。
こうして彼が、ローゼと一緒にいることも。
思えば以前のこの灰青の瞳は、どこか寂しそうで、空虚で、影があった。
今はそれらもすっかり姿を消し、愛しさと幸福とで溢れている。
――その感情の元が自分なのだと思うと、喜ばしく、誇らしい。
「大好きよ、アーヴィン」
ローゼが囁くと、彼もローゼの耳元で囁いてくれる。
「私もだ。愛しているよ、ローゼ」
もう一度唇を重ねた後にアーヴィンはローゼを地に降ろす。周囲を見回したローゼは、木の合間からちらりと姿を覗かせる雄大な山に気が付いた。
「あれ? ここからでも見えるんだ。もしかして向こうからも見えるかな? ――おおーい!」
飾り立てた花を落とさないようにして右手の聖剣を振ると、頭上から迷惑そうな声が聞こえる。
【……さすがに遠すぎるだろ。そもそも山のお方は、聖剣の石を通じてここを見ておられるはずだ】
「何よ、レオンは夢がないんだから!」
やり取りを聞いて銀狼が声をあげて笑った。
『娘の言う通りだ、友よ。御方のお力があれば、あの場からでも見えるやもしれぬ』
銀狼の声に合わせてローゼの中にいる大精霊の微笑む気配がする。
ローゼには聞こえないが、周囲の木々で弾むたくさんの精霊たちもきっと笑っているのだろう。
今回の式は今までと違って他に人がいない。形式も決まっていない。精霊たちに囲まれて未来への誓いを述べる、ただそれだけのもの。
ほかの誰かからは「勝手に森へ行って好き勝手言うだけじゃないか」と思われるかもしれない。しかしこれはローゼが、アーヴィンやレオンと一緒に決めた自分たちなりの結婚式だった。
もちろん先に挙げた2か所の結婚式では、たくさんの祝福をもらって素晴らしい思い出になった。だが今回の式も負けてはいない。精霊がいるのだと知らなかった頃には、思いもよらなかった式なのだから。
(ああ――本当に)
「本当に、幸せだ」
呟いたアーヴィンが正面に立ち、自身の右手でローゼの左手を取る。腕飾りがシャララと涼やかな音を立てた。
「ローゼ。私は――アーヴィン・レスターは、これからローゼのために生きる。私のすべてがローゼのものだと誓うよ」
「ええっ? それはどうなの? だって、あたしは――」
言いかけるローゼの唇を、アーヴィンの左手がそっと押さえる。
「今の私はもう、すべてがローゼのためだけに在るんだ」
【いいじゃないか。受けてやれ、ローゼ】
レオンが何もかもを分かっているような声で後押しをする。
「うん。じゃあ――」
少し迷って、ローゼは心を決めた。
「聖剣の主としてのローゼ・ファラーはレオンのものよ。でも、そのほかのローゼ・ファラーは、全部アーヴィンのものだって誓うわ。……で、どう?」
【いいんじゃないか? ――な】
「ええ」
満足そうなレオンの言葉を受けて、微笑むアーヴィンも満足そうにうなずいた。
風で枝が揺れ、木漏れ日が降ってくる。眩しさに目を細めながらローゼが顔を上げると、緑の先には抜けるような青空が広がっていた。まるで今日のこの日を祝福してくれるかのようだ。
「ああ。本当に、幸せ」
右手にあるのは馴染み深くなった感触。これはローゼが外で羽ばたくために必要なもの。この翼がある限り、ローゼはどこへ行っても怖くない。
左手からはあたたかさが伝わってくる。これはローゼがローゼであるために必要なもの。この温もりがある限り、ローゼは帰る道を見失わない。
だからこれからもローゼは進んで行ける。遥かな先の、思い描いた夢へ向かって。
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2021/09/20
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