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第6章

10.見込み外れ

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 すぐに理解が得られるわけではない、とはローゼにも分かっている。
 そもそもローゼは精霊を知ってから、ほんの1年程度しか経っていない。そんな自分の言うことに『フィデル国の筆頭術士』であるカーリナが耳を傾けてくれていること自体が破格と言ってもいいだろう。

 そんなカーリナは口を閉じたローゼに向け、諭すような調子で話を続ける。

「実はね、新たにシャルトス領の守護についた銀狼も例外ではないのよ。今までは、大精霊の意思を受けていたから人には好意的だったの。でも残念ながら今後は少しずつ、厳しい態度を取り始めるわね」

 言ってカーリナはふとローゼの背後へ視線を向け、小さく笑う。

「良い護衛だわ。ローゼ様はきっと、良い主なのね」

 何のことかと振り返ると、後ろでひっそりと控えるメラニーは、顔色を変えることなく周囲を警戒し続けていた。

 精霊に関する力は無くとも、シャルトス領で生まれ育った彼女は、精霊がどんなものか知っている。
 その知識が覆された上、大精霊に代わって銀狼が守護に就いてくれた矢先に「今後は精霊の本質が変わる。人に対し好意的ではなくなる」と聞けば動揺するのは当然のはずだが、メラニーの態度はまるでローゼたちの会話を聞いていなかったかのように平常通りだ。カーリナが良い護衛だと言ったのはその辺りが理由だろう。

 身分の高い人物に仕えていれば、重要な話を聞いてしまうことはきっとある。だが、護衛はそれらに聞き入ってはいけない。役目はあくまで主を危険から護ることなのだ。

 ローゼはカーリナへ向き直り、ゆっくりと首を横に振る。

「こちらの護衛騎士の主は私ではありません。シャルトス家のリュシー様です。この方が優れているのは、リュシー様が主として優れているからなんです」

 だって、と言ってローゼは机の上の聖剣を見つめる。

「私は誰かの……何かの主になれる器ではありません」
「そんなことないわ。あなたの活躍は、ダリュースから聞いて――」
「いいえ、あれは私の力じゃありません。力を貸してくれた、みんなのおかげなんです」

 何か言おうとするカーリナを遮ってローゼは続ける。

「私は聖剣に選ばれたその日から聖剣の主になったはずでした。……でも、なれてなかった。選ばれただけでは主になんてなれないのに、そんなことすら分かってなかった」

 主という言葉の意味を理解しないままだった。なのに聖剣の主だと名乗り、呼ばれてきたことが恥ずかしい。

「聖剣に気を配らなくてはいけなかった。いつもと違う点を見逃してはいけなかった。……なのに私は深く考えなかった。大丈夫だと思ってしまった。レオンには何も起きるはずがない、心配はいらないって信じたかったから。……そのせいで、変化を認めるのに時間がかかってしまった……」
「変化?」
「変化です」

 重い気持ちを抱えたまま、ローゼは重い息を吐いた。

 以前、川辺でダリュースと話した時。レオンは名を呼ばれると、不愉快さを隠そうともせずに会話に割って入って来た。「自分は何も変わっていない」と言って。
 しかし今の彼は、レオンの名を出しても話に入って来ない。
 先程の言葉を守ってみせるため、名前には反応しないと決めたのだろうか。あるいはもう、レオンという名が自分のことではないと思っているのかもしれない。
 いずれにせよ、先ほどの「人の名で呼ぶな」という言葉が、ローゼにずっしりとのしかかっていた。

「フィデルの方々は、精霊が人を好きでないと思ってらっしゃるんですね。ご自身の国にいる精霊たちが人を寄せ付けないから。――でもそれはきっと、間違いなんです」

 この世の誕生した時に生まれた、と言われるほど古い精霊のいるフィデルには精霊に関する膨大な記録がある。
 アーヴィンも言っていた。精霊に関する書物はフィデルから来たものが多いと。

 おそらくフィデル人には、この大陸のどの国の人物よりも精霊に関して詳しいとの自負があるはずだ。もちろんその自負は、フィデル国の精霊信仰における頂点となったカーリナが一番持っているに違いない。

 だが彼女は、いっそ失礼とも思える発言にも動揺することなく、幼子を見守る眼差しをローゼに向け続けている。
 ローゼはその視線を、真っ向から受け止めた。

「私は、フィデルのものでもなく、シャルトス領のものでもない精霊たちを知っています。どちらの地からも遠い場所にいるその精霊たちのことを、銀狼は『自分の知る精霊とは違う』と言いました」

 カーリナの表情が初めて少し動いた。笑みを消した彼女はシグリとよく似た青紫の瞳を大きくする。
 
「……どこに、そんな精霊が?」
「アストランの最西部――この大陸の最西部にある、ひとつの森に」

 ローゼは左腕にある銀の腕飾りをそっと撫でる。

「私には精霊に関する力がありません。森に精霊がいることは知りませんでした。ですが、ええと、私の婚約者、は、違います」

 こんな時でも、その言葉は少しくすぐったい。

「彼はそこの精霊たちと友達になっています。だから森へ行くと、みんな喜んで寄ってきてくれるそうですよ」

 村に戻った時、ローゼはアーヴィンの声を聞いていたくて、よく話をねだった。応じる彼は様々な話をしてくれ、中にはグラス村の北にある森の精霊たちとのこともたくさんあった。彼は村の精霊たちを「シャルトス領の精霊たちによく似ている」と評した。

 それに、レオン。
 ローゼは彼とも北の森に関する推測をしたことがある。

「あの森にはもう主がいません。小さな精霊たちは誰の意思も受けていない。でも、人に対して厳しい態度を取ったりしないんです」

 フィデルの精霊たちは人の近くに来ない。
 シャルトス領の精霊たちは積極的に人の傍へ行きたがる。
 そしてグラス村の精霊たちは基本的に仲間たちと共に居るが、決して人を遠ざけているわけではないのだ。

「きっと、森にいる小さな精霊たちの考えこそが本性なんだと思うんです。フィデルの精霊たちが人に対して厳しいのは本性からではなく、山の精霊自身の考えではないでしょうか」

 ローゼの話を聞くカーリナからは微笑みが消えている。彼女は今、固いものを飲んでしまったかのような難しい表情をしていた。

(……うん。すぐには納得できないよね)

 カーリナはフィデルで生まれ育った。ここに残された精霊に関する膨大な資料は、すべて山と山の支配下にある精霊たちが基準となっている。フィデルの人にとっては山の精霊が考えていることこそが精霊の本性であり、好奇心旺盛で陽気でお喋りな精霊たちというのは、山の精霊の支配下から外れた大精霊とその周辺の精霊が持つ例外的な性質だと考えていたのだから、にわかには受け入れがたいのだろう。

(精霊の認識を変えるためにも、少しは考えてもらう時間が必要だけど……でも、あんまり時間を取りすぎてもマズイから……)

 頃合いを見計らって、ローゼは頭を下げる。

「すみません、最初に余計な話をしてしまって」

 ローゼは元々精霊に関しての論議をしに来たわけではない。カーリナの用件を、そして何よりレオンを元に戻す方法をこそ聞きたいのだ。精霊の本性に関係する話は、レオンが変わってしまった話の前振り程度のつもりでしかない。

 だから、と続けて話そうとした。

 レオンは元々違う性格で、人を嫌ったりはしていなかった。
 なのにシャルトスの城で急に変わってしまった。きっと山の精霊の意思を受けたからこんな風に人を嫌いになったのだろう。
 あなたたちはレオンに一体何をしたのかと。 

 持っている知識を提示しながら優位に立ったままで話をすることができれば、カーリナの考えていることもうまく引き出せるのではないかと思った。
 しかし時間を与えている間、今までとは違う表情で何かを考えていたらしいカーリナは、ローゼが改めて本題に入ろうとする前に顔を上げて言う。

「やはりあなたは、芳暁花ね」

 その表情は、声は、雰囲気は、変わらず優しい。だが、先ほどまでとは何かが違うような気がして、ローゼは息をのむ。

(もしかしてあたし、何か失敗した?)

 思うと同時にカーリナの様子は完全に元通りになった。違和を感じていたのはごくわずか、気のせいだと思えば思えるほどの時間だ。だが、ローゼは気付いた。今しがたのカーリナは、ほんの少しだけアレン大神官に似ていた。企みを抱えてグラス村に来た、一番最初のアレン大神官の姿に。

 良くない兆候だ、とローゼの中で声がする。
 この後、話の主導権をカーリナに握らせてはいけない。何でもいいから先に話をするべきだと。

 だが、残念ながらカーリナもローゼの様子に気付いたようだ。状況にまごついてしまったローゼよりも早く、優美な色をした唇から言葉が紡がれる。

「ローゼ・ファラー様にお願いがございます」

 次の話題を出すまでのわずかな時間を制したのはカーリナだった。それでもなんとか挽回したいローゼは口を開きかけるが、もちろんカーリナが待つことはない。

「我々の代表となり、使者となっていただきたいのです」
「使者?」

 意外なことを言われて目を丸くしたローゼは、うっかり問い返してしまった。問い返して悔いた。――これでカーリナが会話を支配することになってしまった。

 フィデルの筆頭術士は満足そうに微笑み、うなずく。

「ええ、使者です」

 肩を落とし、ローゼは仕方なくカーリナの話に乗る。

「アストランの出身の私が、フィデルの使者になるんですか?」
「出身国は関係ありません。どうかご安心ください」
「……どういうことでしょう。私はどこの誰のところへ行くんですか?」
「あちらへ」

 微笑んで立ち上がったカーリナは、窓の向こうに見える、薄い雲を纏った山を示す。

「人の代表として、山の精霊の元へ行っていただきたいのです」

 今度こそローゼは言葉を失くした。
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