230 / 262
第6章
余話:夢の中の少女と少年
しおりを挟む
いつもより早起きをして、ローゼは恋人と共に外へ出た。
10歳になったばかりの少年は当て所なく城を歩くうち、背中を向けて立つ同じ年ごろの少女を見つけた。
少女の髪は夕の日を映し取ったかのような赤色。身に着けているものは緑の足首丈ワンピースと、飾り気のない革製の靴。ドレスではなく、華奢な女性用靴でもない。
どう見ても余所者で、間違いなく平民だった。
この少女がなぜ城の中に入れたのかは分からない。だがこのままだと、誰かに見つかって酷い目にあうだろう。
早く逃がさなくては、と思いながら声をかけようとしたとき、少年は振り向いた少女と目が合った。
少女は髪だけでなく、瞳も鮮烈な赤色をしている。今まで知るどんな宝石よりも美しい輝きに、少年は釘付けとなった。
一方で、自身に見惚れる少年へ向けて少女は笑みをこぼす。その笑みは、ずっと探していたものをようやく見つけたと言いたげな、本当に幸せそうなものだった。
少女は弾むような足取りで少年に近づき、左手を差し出す。腕に輝く銀の鎖が立てる涼やかな音と共に溌剌とした声が辺りに響いた。
「行こう!」
おずおずと差し出された彼の右手を握り、彼女は駆けだす。思わず転びそうになった彼は何とか姿勢を立て直し、彼女の後について走り始めた。
勢いに巻き込まれるようにして進み始めた彼だったが、走るうちに心の中にあった戸惑いが少しずつ消え始めたことを知る。やがて自分の意思で足を動かし、彼女の背ではなく横顔を見られるようになった時、彼は自分の周囲にあるのが城ではなく、広い草原だということに気が付いた。
広い広い草原。
この場所を、彼女とふたりで走って行くことができる。
そう思った時、今まで感じたことのない喜びが、解放感が、心の奥底から湧き上がってきた。今なら空に手が届くのではないかという思いすら抱くが、彼が真実欲しいものはたったひとつで、それはもう、彼の手の中にあった。
「楽しいね!」
繋いだ右手の先にいる、彼が望む唯一の存在――赤い髪をなびかせて走る娘が声を上げる。
「ああ、楽しい!」
彼が返すと、彼女は遠くを見ていた瞳を横へ向けた。
「一緒に来てくれてありがとう、アーヴィン!」
手に力を籠めるローゼに合わせ、アーヴィンも手を強く握る。
「私を見出してくれてありがとう、ローゼ!」
その時、調子のはずれた陽気な歌が聞こえてきた。聖剣からだ。
顔を見合わせて笑い声を上げた後、今度は3人で調子はずれの歌を歌いながら、アーヴィンはローゼと手を繋いだまま、青い空の下に広がる草原をどこまでも走り続けた。
* * *
身支度を整えながら、アーヴィンは先ほどまで見ていた夢のことを思い返していた。
あの小さなローゼが着ていた緑の服には覚えがある。17歳の誕生日に、祝いとして両親から贈られたという服だ。
「よそ行き用にって買ってもらったんだけど……に、似合うかな」
祝いの聖詩を聞くため、真新しい服に身を包んで神殿へ来た彼女は、頬を赤らめてそう尋ねてきた。似合うと答えると、弾んだ声で「ありがとう!」と言って、無邪気な笑顔を見せてくれた。
夢の中のローゼは10歳ほどだったのだから、17歳の時に贈られた服を着ているはずはない。そもそも7つ違いの彼女が、自分と同じ年齢で横に並ぶこともない。
(まあ、夢だしな)
いかにもらしいと思いながら、アーヴィンは寝起きしている離れの建物から出て北の方へ顔を向ける。
「ローゼ。私は今日、とても幸せな夢を見たよ。ローゼはどんな夢を見た?」
どんなものか分からず、一生見いだすこともできないと思っていた幸せという言葉を、すんなりと口に出せるのがこんなにも嬉しい。
グラス村からはイリオスの山並みもフィデルの高峰も見えないのだから、その距離のその分だけローゼとは場所が離れていることになる。しかし必ず戻ってくるとの約束をもらっている今、アーヴィンは寂しさを感じていなかった。
「次に帰って来た時に良いものを見せてあげるよ。ローゼもレオンも、きっと驚くと思う」
フロランの結婚式が終わって村に帰ってきた後から、アーヴィンは神殿の保管庫がどうしても気になって仕方がなかった。
昨日ようやく時間を見つけて中の品々を整理した際にこれを見つけ、大いに驚くと同時に、なぜ気になっていたのかを理解したのだった。
「――待っているよ。だから、無事に帰っておいで」
手のひらで胸元を押さえたアーヴィンは北から目を離し、何よりも大事な彼女の無事を祈るため礼拝堂へ向けて歩き出した。
10歳になったばかりの少年は当て所なく城を歩くうち、背中を向けて立つ同じ年ごろの少女を見つけた。
少女の髪は夕の日を映し取ったかのような赤色。身に着けているものは緑の足首丈ワンピースと、飾り気のない革製の靴。ドレスではなく、華奢な女性用靴でもない。
どう見ても余所者で、間違いなく平民だった。
この少女がなぜ城の中に入れたのかは分からない。だがこのままだと、誰かに見つかって酷い目にあうだろう。
早く逃がさなくては、と思いながら声をかけようとしたとき、少年は振り向いた少女と目が合った。
少女は髪だけでなく、瞳も鮮烈な赤色をしている。今まで知るどんな宝石よりも美しい輝きに、少年は釘付けとなった。
一方で、自身に見惚れる少年へ向けて少女は笑みをこぼす。その笑みは、ずっと探していたものをようやく見つけたと言いたげな、本当に幸せそうなものだった。
少女は弾むような足取りで少年に近づき、左手を差し出す。腕に輝く銀の鎖が立てる涼やかな音と共に溌剌とした声が辺りに響いた。
「行こう!」
おずおずと差し出された彼の右手を握り、彼女は駆けだす。思わず転びそうになった彼は何とか姿勢を立て直し、彼女の後について走り始めた。
勢いに巻き込まれるようにして進み始めた彼だったが、走るうちに心の中にあった戸惑いが少しずつ消え始めたことを知る。やがて自分の意思で足を動かし、彼女の背ではなく横顔を見られるようになった時、彼は自分の周囲にあるのが城ではなく、広い草原だということに気が付いた。
広い広い草原。
この場所を、彼女とふたりで走って行くことができる。
そう思った時、今まで感じたことのない喜びが、解放感が、心の奥底から湧き上がってきた。今なら空に手が届くのではないかという思いすら抱くが、彼が真実欲しいものはたったひとつで、それはもう、彼の手の中にあった。
「楽しいね!」
繋いだ右手の先にいる、彼が望む唯一の存在――赤い髪をなびかせて走る娘が声を上げる。
「ああ、楽しい!」
彼が返すと、彼女は遠くを見ていた瞳を横へ向けた。
「一緒に来てくれてありがとう、アーヴィン!」
手に力を籠めるローゼに合わせ、アーヴィンも手を強く握る。
「私を見出してくれてありがとう、ローゼ!」
その時、調子のはずれた陽気な歌が聞こえてきた。聖剣からだ。
顔を見合わせて笑い声を上げた後、今度は3人で調子はずれの歌を歌いながら、アーヴィンはローゼと手を繋いだまま、青い空の下に広がる草原をどこまでも走り続けた。
* * *
身支度を整えながら、アーヴィンは先ほどまで見ていた夢のことを思い返していた。
あの小さなローゼが着ていた緑の服には覚えがある。17歳の誕生日に、祝いとして両親から贈られたという服だ。
「よそ行き用にって買ってもらったんだけど……に、似合うかな」
祝いの聖詩を聞くため、真新しい服に身を包んで神殿へ来た彼女は、頬を赤らめてそう尋ねてきた。似合うと答えると、弾んだ声で「ありがとう!」と言って、無邪気な笑顔を見せてくれた。
夢の中のローゼは10歳ほどだったのだから、17歳の時に贈られた服を着ているはずはない。そもそも7つ違いの彼女が、自分と同じ年齢で横に並ぶこともない。
(まあ、夢だしな)
いかにもらしいと思いながら、アーヴィンは寝起きしている離れの建物から出て北の方へ顔を向ける。
「ローゼ。私は今日、とても幸せな夢を見たよ。ローゼはどんな夢を見た?」
どんなものか分からず、一生見いだすこともできないと思っていた幸せという言葉を、すんなりと口に出せるのがこんなにも嬉しい。
グラス村からはイリオスの山並みもフィデルの高峰も見えないのだから、その距離のその分だけローゼとは場所が離れていることになる。しかし必ず戻ってくるとの約束をもらっている今、アーヴィンは寂しさを感じていなかった。
「次に帰って来た時に良いものを見せてあげるよ。ローゼもレオンも、きっと驚くと思う」
フロランの結婚式が終わって村に帰ってきた後から、アーヴィンは神殿の保管庫がどうしても気になって仕方がなかった。
昨日ようやく時間を見つけて中の品々を整理した際にこれを見つけ、大いに驚くと同時に、なぜ気になっていたのかを理解したのだった。
「――待っているよ。だから、無事に帰っておいで」
手のひらで胸元を押さえたアーヴィンは北から目を離し、何よりも大事な彼女の無事を祈るため礼拝堂へ向けて歩き出した。
0
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
最後に言い残した事は
白羽鳥(扇つくも)
ファンタジー
どうして、こんな事になったんだろう……
断頭台の上で、元王妃リテラシーは呆然と己を罵倒する民衆を見下ろしていた。世界中から尊敬を集めていた宰相である父の暗殺。全てが狂い出したのはそこから……いや、もっと前だったかもしれない。
本日、リテラシーは公開処刑される。家族ぐるみで悪魔崇拝を行っていたという謂れなき罪のために王妃の位を剥奪され、邪悪な魔女として。
「最後に、言い残した事はあるか?」
かつての夫だった若き国王の言葉に、リテラシーは父から教えられていた『呪文』を発する。
※ファンタジーです。ややグロ表現注意。
※「小説家になろう」にも掲載。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
【完】愛していますよ。だから幸せになってくださいね!
さこの
恋愛
「僕の事愛してる?」
「はい、愛しています」
「ごめん。僕は……婚約が決まりそうなんだ、何度も何度も説得しようと試みたけれど、本当にごめん」
「はい。その件はお聞きしました。どうかお幸せになってください」
「え……?」
「さようなら、どうかお元気で」
愛しているから身を引きます。
*全22話【執筆済み】です( .ˬ.)"
ホットランキング入りありがとうございます
2021/09/12
※頂いた感想欄にはネタバレが含まれていますので、ご覧の際にはお気をつけください!
2021/09/20
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる