上 下
211 / 262
第5章(後)

22.思いもよらず

しおりを挟む
 歓談は予想以上に長引いた。射し込む日差しはいつの間にか光量を落とし、室内の影も長くなってきている。
 請われて話し続けるローゼが何杯目かの茶を飲み干した時、シグリの横に座っていたフロランがそっと声をかけた。

「シグリ。兄たちと仲良くしてくれるのはとても嬉しいのだけれど、そろそろ終わりにしよう。夕食に間に合わなくなりそうだ」
「あら。もうそんな時間?」

 フロランから声をかけられて周囲を見回したシグリは「本当ね!」と言って笑う。

「つい時間を忘れてしまったわ。義兄上も義姉上もお話がとてもお上手なんですもの」
「我々の話で楽しんで頂けましたのなら幸いです」

 微笑んだアーヴィンの視線を受けてローゼもうなずくと、正面のシグリは輝くような笑みを見せた。

「おかげで、とても楽しい時間を過ごすことができましたわ! よろしければお二方が滞在している間、またお話をしていただけると嬉しいのですけれど」

 小さく首を傾げたシグリが問うようにフロランを見ると、彼はうなずき、立ち上がる。

「私と挙げる大事な結婚式を忘れないでいてくれるのなら、余暇はいかようにもお使い下さいませ、美しき我が婚約者殿」
「もちろんよ。お二方とお話できるのはとても楽しいけれど、あなたと家族になれるということも私は嬉しいのよ、フロラン」

 明るい笑みを送り、シグリはフロランの手を取って立つ。ローゼとアーヴィンに向けて優雅に礼をした彼女は、護衛や侍女を従えて扉へと向かった。
 しかしフロランは扉の手前で立ち止まり、シグリの手の甲に口付ける。

「すまないが、私はここで一度お別れをするよ。夕食の時にまたお会いしよう、シグリ」
「分かったわ、フロラン。また後でね」
「では姉上、私の代わりに頼みましたよ」
「任せてちょうだい。――さあ、お部屋へ案内するわ」

 フロランに代わって先へ立つリュシーの後に続き、シグリは美しい微笑みを残して立ち去る。
 何とも形容しがたい圧力から解放されて緊張の解けたローゼが大きく息を吐いた時、にこやかに婚約者を見送っていたフロランが笑みを消して室内を振り返った。

「兄上」

 目で合図をし、フロランは部屋の隅へ移動する。呼ばれたアーヴィンが傍へ行くと、硬い表情でフロランは何事かを言い、聞いたアーヴィンは眉をひそめた。
 以降の彼らは室内に背を向けて話し始めたので、ローゼは表情を窺い知ることはできなくなったが、明るい顔をしていないことだけはふたりの背中からでも容易に想像ができる。

「……なんだろう」
【さあな】

 しばらくの後に話し終えた弟は護衛を従えて扉から出て行く。兄は室内へ向き直るが、やはり表情は浮かなかった。

「アーヴィン!」

 ドレスの裾を持つローゼが小走りに彼の方へ寄ると、顔を上げたアーヴィンが微笑み、立ち止まって両腕を広げた。

「ええと……大丈夫?」

 腕の中でローゼが問いかけると、アーヴィンは曖昧にうなずく。その様子が言葉を探して迷っているように見えたので、ローゼはアーヴィンの背に腕を回し、安心させるように笑って見せた。

「大丈夫だったらいいの。だけど、何かあった時はいつでも話して。あたしでも聞くことくらいはできるから」

 フロランがあのように深刻な表情でアーヴィンを呼ぶということは、シャルトス家に関わることで何かあったのだろう。ならばきっとローゼに言えないことだってあるはずだ。
 互いに隠し事をしないとの約束はしたが、すべてを曝け出すのが難しいことくらいローゼにも分かっていた。

 ローゼの言葉を聞いてわずかに目を見開いたアーヴィンは、どこか安堵したような笑みを浮かべる。

「ありがとう」

 しかし続いてわずかに逡巡する様子を見せた後、アーヴィンは小さな声で話しだした。

「ローゼ、それにレオンも聞いて下さい。……今後、重要なことを話す時は自室の中だけにして欲しいのです」
【なに? 俺もか?】

 怪訝そうなレオンの声を聞き、アーヴィンは静かに告げた。

「はい。レオンもです。フィデル側は、シャルトス家が予想した以上の術士を連れてきていますから」
「え?」

 思わず声を上げた声を潜め、ローゼは早口で尋ねる。

「どういうこと? なんでフィデルは術士を連れてこられるの? シャルトス領の誰かがジェーバー領に移住したの?」
「そういうわけではないよ。それに今回の術士はジェーバー領のほか、フィデルの王都からも来ている」
「嘘でしょ?」

 思わず大きくなりそうな声を必死に抑えながらローゼは問いかける。

「だって、シャルトス領の人じゃないのに術士なんて、そんなことありえるの?」
「もちろん」
「もちろんって……」

 基本的に術士がいるのは精霊が多い場所だ。辺りに満ちた精霊の力が人にも宿って術士という存在を生み出す。
 だからこそシャルトス領には精霊に関する力を持つ者、術士が多く生まれるのだ。

「まさかフィデルにはたくさん精霊がいて、だから術士だっている。なんて言わないでしょうね?」
「言う。フィデルには精霊が存在しているんだ。それも数多くの。場所によってはおそらくシャルトス領より多い。だから術士も多い」

 ローゼは目を見開いた。

 聖剣の主になって以降、ローゼはアストランの西と中央、南へ行ったことがある。
 しかし精霊の姿を多く見たのは、シャルトス領を除けばグラス村にある北の森くらい。
 北方の地にほど近い中央部では見たことがあったが、あれはおそらくシャルトス領から出て来た精霊たち。
 東にはまだ行ったことはないが、他の地と大きく差異はないだろうと、ローゼだけでなくレオンも考えている。

 つまりアストランにはもう、精霊がほとんどいないのだ。

(だからこの大陸にはもう精霊がほとんど残ってないんだと思ってた。シャルトス領にいるのが最後の精霊たちで、術士もシャルトス領にしかいないんだって。……でもまさか、フィデルにはいたなんて……)

 しかし考えてみれば、自国にいないからと言って他国にいない道理にはならないのだ。

「アストランの大神殿やグラス村の神殿に精霊の本があったね? あれはフィデルで書かれたものなんだよ」
「……知らなかった」
「公にはされていないからね」

 呆然とするローゼの頬にそっと触れ、アーヴィンは淡々と語る。

「今までにも結婚の関連でシャルトス領に訪れた際、フィデル側は大精霊と話すための術士を4~5人連れていた。だが今回はいつもより多くの術士を連れてきているらしい。おそらく10人以上いる」

 アーヴィンの言葉を聞いてローゼは思い出す。
 先ほどの歓談中にシグリの背後にいた侍女がレオンの声を聞いて笑ったように見えた。気のせいかと思ったが、あれはきっと気のせいではなかったのだ。

「……どうして今回はたくさん術士を連れて来たの?」
「分からない。だからこそ、少し警戒をするつもりだ」
【なるほどな】

 呟くレオンの声は重々しい。

【相手方の考えが分からん以上、余計な情報は与えない方が賢明ってことか。……よし、分かった。今後、部屋の外でするのは雑談程度にとどめておこう】
「お願いします」

 聖剣に向かってうなずいたアーヴィンは、一度ローゼから体を離し、改めて手を差し出す。

「さあ、私たちも部屋へ戻ろうか」

 沈む心のままローゼが大きな手を取ると、穏やかに微笑むアーヴィンはローゼを勇気づけるように微笑んだ。

「あまり気負う必要は無いよ。実は銀狼に挨拶をしたいと考えた人が多かっただけかもしれない」
「うん……」
【それに重要な話以外は別にしても構わないんだろ。だったら晩飯のことでも話すか。――さて、今日は何だと思う? ソースが跳ねにくい献立だといいよなあ、ローゼ?】

 揶揄するような声のレオンに話を振られ、ローゼは言葉に詰まる。

(どう答えようか)

 レオンはおそらく、ローゼの気分を変えさせようとしているのだろう。

 シグリのことも気になる、アーヴィンから聞いた話も気になる。
 今すぐにでもその話をしたいのだが、もし本当にフィデルの人々が何かを考えているのなら、ローゼも滅多なことを言わない方が良い。

(それに本当にまずいことが起きたら、アーヴィンはちゃんと教えてくれる。レオンだって何か勘づいたらきっと言ってくれるもの)

 そう結論付けたローゼは、とりあえずレオンの話に乗ろうと決めた。

「どうしてそういう嫌みなことを言うわけ? だって、ドレスを汚したらって思うと怖いんだもの、ちょっとだけ不格好な食べ方になっちゃうのはしょうがないでしょ」
【ちょっとだけか?】
「うるさい、レオンの馬鹿! アーヴィンも笑わないで! ……もう、なんでこんな話題なのよ! ふたりとも嫌い!」

 恥ずかしくなってきたローゼが顔を赤らめてそっぽを向くと、男性ふたりの朗らかな笑い声が聞こえた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

最後に言い残した事は

白羽鳥(扇つくも)
ファンタジー
 どうして、こんな事になったんだろう……  断頭台の上で、元王妃リテラシーは呆然と己を罵倒する民衆を見下ろしていた。世界中から尊敬を集めていた宰相である父の暗殺。全てが狂い出したのはそこから……いや、もっと前だったかもしれない。  本日、リテラシーは公開処刑される。家族ぐるみで悪魔崇拝を行っていたという謂れなき罪のために王妃の位を剥奪され、邪悪な魔女として。 「最後に、言い残した事はあるか?」  かつての夫だった若き国王の言葉に、リテラシーは父から教えられていた『呪文』を発する。 ※ファンタジーです。ややグロ表現注意。 ※「小説家になろう」にも掲載。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完】愛していますよ。だから幸せになってくださいね!

さこの
恋愛
「僕の事愛してる?」 「はい、愛しています」 「ごめん。僕は……婚約が決まりそうなんだ、何度も何度も説得しようと試みたけれど、本当にごめん」 「はい。その件はお聞きしました。どうかお幸せになってください」 「え……?」 「さようなら、どうかお元気で」  愛しているから身を引きます。 *全22話【執筆済み】です( .ˬ.)" ホットランキング入りありがとうございます 2021/09/12 ※頂いた感想欄にはネタバレが含まれていますので、ご覧の際にはお気をつけください! 2021/09/20  

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

処理中です...