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第4章(後)

余話:雨夜の星 1

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 アーヴィンが町を発ったのは、ローゼに会った翌日の朝早くだった。

 本来ならばここまで早く出立する必要はない。
 ただ、早めの帰還にはベアトリクスも、そしてフォルカーも嫌がることはなかったので、町の神殿に頼んで早めに馬車を用意してもらうことになったのだ。

「確かに、グラス村の神官はおひとりですからな。気になるのも道理です」

 正神官はそう言ってうなずいたので、アーヴィンはあえて否定せず「よろしくお願いします」と頭を下げる。神殿の様子が気になると言うのも嘘ではない。ただ、一番の理由が違うところにあるだけで。

 理由を問われなければ良い、と思っていたのだが、残念ながら正神官は首をかしげ、

「しかし、聖剣の主様にはお会いしなくてもよろしいのですか」

 と尋ねてきた。

 アーヴィンは苦い思いを抱く。それこそが、早めに町を出立したい一番の理由だ。

 仕方なく用意しておいた答えを返す。

「昨日の様子だと体調が悪いかもしれません。今はそっとしておきます。治って村へ帰って来れば、ゆっくり会えますから」

 言って誤魔化すかのようにアーヴィンが笑うと、わずかに怪訝そうにしながらも、正神官は「そうですか」と答えた。

 もちろんローゼの体調が悪いなら負担をかけたくない、という言葉にも嘘はない。ただ、今のアーヴィンは、ローゼの前でうまく言動を取り繕うだけの自信がないのだ。

 せめてあと何日かあれば、とアーヴィンは思っていた。そうすればローゼの前でもうまく笑うこともできるだろう、と。

 だからこそ、神殿が気になると言う言い訳の下、逃げるように町を去ることに決めたのだ。

 ほぼ眠れないまま朝を迎え、支度を終えて空を見上げる。
 今日も雲は厚く、陽の射す様子はない。

 雨が降らなければ良いと思いつつ、今回も御者を務めてくれる神官補佐に「またお世話になります」と声をかける。準備の終わっていたベアトリクスと、宿から来たフォルカーを馬車に乗せようとしたところで、神殿の方から、おおい、と声がした。

「私も一緒に参ります!」

 走り寄るカーシーの手に宿泊用と思しき荷があるのを見て、アーヴィンは呆れると同時に笑いがこみ上げてきた。

 カーシーが昨日、ベアトリクスを少しでも長く引き留めようと必死だったのは知っている。
 アーヴィンのところへも

「昼頃の出立ではいけませんか? 村の閉門までに戻ればいいんですよね?」

 と、言いに来ていたのだが、まさか一緒に来るとは思わなかった。

 馬車の横に到着したカーシーは、息を切らせながら満面の笑みで言う。

「どうせ、この馬車は、町へ戻るんですから、その時、一緒に帰ります。中が空で戻るか、私がいるか程度の、違いですよ。正神官様にも、お許しをいただきました」

 カーシーの背後に視線を移すと、げんなりとした様子の正神官がこちらへ来ている。
 彼の表情を見るに「お許しをいただいた」より「食い下がって無理やり許可を得た」が正解なのだろう。

 正神官の苦労に思いを馳せながら、アーヴィンはカーシーにうなずいた。


   *   *   *


 グラス村までの道のりは順調だった。
 そしてアーヴィンはこの道中、カーシーの外出許可を出した正神官に感謝をした。

 ベアトリクスの向かいに当のカーシーがいるため、フォルカーは『遠く離れた者同士が心変わりをする話』を持ち出すことがなく、ベアトリクスもまた『手紙の話』をすることがない。
 おまけにカーシーは喜びのあまりかずっと饒舌で、アーヴィンが黙っていてもおかしくはない状態だった。

 おかげで、そっとしておいて欲しいアーヴィンが相槌だけに徹することができる中、昼をわずかに過ぎたあたりで馬車はグラス村の神殿に到着した。

 今度は神殿の業務が待っている。
 だが馬車の中にいるよりもずっと気が楽だと思いながら、出迎えの挨拶をする壮年の女性神官補佐にアーヴィンは尋ねた。

「何か問題は起きていませんか?」
「こちらは平気ですとも。――それはそうとアーヴィン様。昨日、ローゼが村に戻ってきましたよ」

 勢い込んで言う神官補佐に「知っている」と告げようとして、アーヴィンはわずかに目を見開く。

 ――彼女は今、ローゼが村に戻って来たと言わなかったか。

 その様子を喜びと解釈したのだろう、神官補佐はさらなる笑顔で続ける。

「ローゼは元気でしたよ。怪我や病気の心配もなさそうでした」

 呆然とするアーヴィンの視界の端で、フォルカーがそっと立ち去った。

「……確かですか?」
「もちろんですとも。帰って来たローゼを出迎えたのは、この私なんですからね」

 神官補佐はアーヴィンに諭すような調子で言う。最古参の神官補佐である彼女は時々、息子に接するような態度をアーヴィンに見せることがあった。

「昨日の昼過ぎ、ローゼは雨に濡れながら帰ってきましてね。ちょうどそこに立って、アーヴィン様の所在を真っ先に尋ねてきたんです」
「……ローゼの同行者は何人でしたか?」

 アーヴィンの問いに神官補佐は不思議そうな顔で答える。

「同行者なんて誰もいませんよ。あの子はひとりで帰ってきたんです。――帰って来た時は、本当に嬉しそうだったんですよ。だけどアーヴィン様が町へお出かけだと知ったら、ひどく気落ちした様子になりましてね」

 神官補佐の話を聞きながら、アーヴィンは眉を寄せる。――なにか、おかしい。

「ローゼは今、どこに?」

 アーヴィンが問うと、神官補佐は「それが」と言いながら戸惑いの表情を浮かべる。

「またどこかへ行ってしまったようなんですよ。乗ってきた馬がいないんです。家へ戻る途中で母親と別れ、神殿の方へ戻ったことは分かっているんですが……ああ、そうだ」

 神官補佐は手を叩く。

「実は客間のひとつに見知らぬ荷物があるんです。あれはもしかしたら、ローゼの――」

「アーヴィン様」

 そこに玲瓏な声が割って入る。ベアトリクスだ。

「副神官様を客間にご案内してもよろしいでしょうか?」
「ああ……そうですね、気が付かず申し訳ありません。お願いします、ベアトリクス」

 グラス村の神殿にある客間は3室だ。
 例え1室に荷物が置いてあって使えずとも、他に2室ある。カーシーと、御者を務めてくれた町の神官補佐のふたりが泊まる分には問題なかった。

 立ち去るベアトリクスとカーシーの背を見ながら御者に馬車の置き場を指示し、アーヴィンが改めて神殿へ向かうと、神官補佐はローゼのこと以外の報告を始める。

 ローゼのことを考えそうになるが、まずは神殿のことを聞かねばならない。集中しろ、と己に言い聞かせながらアーヴィンは横を歩く神官補佐に視線を向けた。

「執務室で伺いましょうか」

 アーヴィンの言葉を聞き、神官補佐は朗らかに笑う。

「そんな仰々しい話なんてありませんよ」

 彼女の言葉通り、村で大きな出来事は起きていなかった。神殿の前庭を歩く間だけで報告という名の雑談を終え、アーヴィンはそこで神官補佐と別れる。

 ひとりになったアーヴィンは、今度こそローゼのことへ思いを巡らせた。

(どういうことだ?)

 昨日の夕方、ローゼは町の神殿にいた。フォルカーも「ローゼは村へ寄らず、恋人の神殿騎士を追って町へ来た」と言っていたし、彼の言葉を裏付けるかの如くローゼの隣には神殿騎士の姿だってあったのだ。

 しかし、神官補佐の言葉を信じるならば、昨日の昼過ぎにローゼは村へ戻って来ている。

(この齟齬をどう考えれば)

 歩きながら、アーヴィンは顎に手を当てる。

 村と町の距離はかなりある。昼過ぎに発って夕方に到着するのは普通に考えれば難しい。
 だがローゼの馬は、名馬の産地である北方でも名高い茜馬だ。足も速く、体力もある。
 セラータなら、移動は可能かもしれなかった。

 だとすれば、誰かの言ったことが偽りだということになる。

 嘘をついたであろう人物の名を思いついたところで、ふと最近の村の状況も脳裏をよぎる。
 同時にいくつかのことが組み合わさるのを感じて、アーヴィンは小さく息をのんだ。

(……まさか)

 村に流れているであろう『アーヴィンに関する噂』は自然に発生したと思っていた。
 現在の神殿の状態を考えれば何かしらの話が出てもおかしくない状態だったため、実際に噂されてもアーヴィンもさほど深刻に考えることはなかったのだ。

 だが改めて考えると、村人が誰もアーヴィンに噂話をしなかったことは気にかかる。今までならば必ず噂の真相を尋ねてくる人がいたものだ。
 おかげで今回アーヴィンは噂の内容を知ることができず、何も対処ができなかった。

 もしかすると、「アーヴィンに噂を聞かせるな」と指示されているようなこの状況は、本当に誰かの手によって作られたものかもしれない。

 その人物はアーヴィンに『遠く離れた者同士が心変わりをする話』をよく聞かせていた。そして、町で嘘をついた。 

(一体、何のために?)

 何のために、はまだ確証が持てない。
 ただ、誰がやったのか、に関してはほぼ間違いない。

 ――きっと、この状況を仕組んだのはフォルカーだ。
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