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第3章(前)

15.引き換えるもの

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 ローゼはフロランに案内され、イリオス北方神殿の最奥に出る。
 雲間からの光を浴びて、古の大精霊が宿っていた木は静かにたたずんでいた。

 神々しさすら感じる木に感銘を受け、ローゼは言葉をなくす。

 木の形状はジュストに見せてもらったものと同じだ。しかし大きさはまったく違う。幹の太さもかなりのもの、高さだってずいぶんと高い。いくつあるのか分からないほどの銀の花は、緑の葉とともに美しい光景を描き出している。

 ように見えた。

 しかし目を凝らせば、上の方の葉はかなり茶色くなってきている。根元に目を転じれば、かなりの数の枯れ葉と、そしてしおれた花が落ちていた。

 ローゼの左側に立っているフロランは、地面の様子を見て眉根を寄せる。

「大精霊がいた間は落ちた花も葉もなかったからね。こうもひどい状態だとこちらも困るよ」

 今はフロランが木を見ると言うこともあって、一時的に民衆が木に立ち入るのを止めているらしい。
 その隙に見栄えを良くするためか、術士が根元で花と枯れ葉を集めている。

「さて、剣の精霊。これが大精霊の木だよ。小さい精霊たちは、頑張れば20年くらいもつと言ってるけどね」
【そんなわけあるか】

 レオンは吐き捨てるように言う。

【このまま何もせず放置するなら1年で枯れる。術士の数と力にもよるだろうが、精霊たちの力を使っても5年がいいとこ、10年はとても考えられないぞ。まったくあいつらは、年月の流れってもんが分かってない】

 精霊の一種であるはずのレオンは、自分が妙なことを言っていることに気が付いていない。
 しかしフロランは思ったより短い現実を突きつけられた方に気を取られているらしく、難しい顔をして考え込んでいる。レオンの発言には気づいていないようだった。

 レオンはため息をつき、小さくローゼを呼んだ。

【すまん、ローゼ。これは俺には無理だ】
「無理?」
【俺がこの地の守護を引き受けてやろうかと思ったんだが……】

 木そのものは残っているのだから、あとは中身となる精霊の力があれば木は枯れずにすむ。

 ただし、中身となる精霊は、単独で木を支配下に置けるだけの強い力を持っている必要がある。バラバラの力では、木の本体を支配することができないので、小さな精霊たちをいくら集めても意味がない。

 これがレオンの見立てだった。

【……俺が聖剣から力を送ればいいと思ったんだ。それでも駄目そうなら、俺が木に憑依しようかと。でも俺では本体を維持するのが精一杯で、各町の守護には力がまわせそうにない】

「レオンが言ってた考えってそういうことだったのね。でも木へ移動するなんて、そんな簡単にできるもんじゃないでしょう?」

【この木は精霊によって変化している。小さいやつらの力を借りれば、聖剣から木に憑依する方法もなんとか見つかるんじゃないかと思ったんだが……俺の力が足らないから、それも意味がなさそうだ】

「やあね。レオン程度が、恐れ多くも数千年を生きた大精霊の代わりになるつもりだったなんて、思いもしなかったわ。しかも木に移るなんて。そんなことできると本気で思ってたの?」

【……思ってた……】

 小さな声で答えた後に黙り込んだレオンを、ローゼは鼻で笑う。

「そもそも、レオンのことはなんか良く分からないって神々も放置してたのよ? 移動するなんて無理に決まってるでしょ。まったく、本当にレオンは傲慢なんだから」

「ふーん、なるほど」

 楽しげな声がしたので横を見ると、とっくに我に返っていたらしいフロランがにやにやとローゼを見ている。

「ローゼは素直じゃないって、よく言われないかい? そのまま『剣の精霊と離れるのは嫌だから、木に移らなくて良かった』って伝えればいいじゃないか」

 北方の最初にある町で別れた少女の言葉が思い出されて、赤くなったローゼはフロランと反対の方へ顔を向けた。

【よし、次だ】

 急に元気を取り戻したレオンはフロランを呼ぶ。

【銀の森を知ってるか】
「知らない人がいたらそれはシャルトス領の民じゃないよ。銀色の狼が主をしていたと言われる森だろう?」

 その言葉にローゼは思わずフロランを見る。
 レオンも一転して暗い声を出した。

【主を、していた? 銀狼はもういないのか?】

「いないと言われているね。最後に見たという話は100年以上も前だよ。それ以降だって何人もの術士が銀の森で探したけど見つからない。精霊たちに尋ねても「探したって無駄」という答えしか戻ってこないらしくてさ」

【そうか……】

 大きくため息をついたレオンは、考え込むように沈黙する。
 しばらくして、重い口を開いた。

【……それでも何かが見つかるかもしれん。行ってみたい。場所を教えてくれ】
「いいよ。銀の森へ行った後はどうする?」
【またイリオスへ戻ってくる。どうだったかを伝えた方がいいんだろう?】
「そうしてくれると嬉しいな。ぜひ銀の森の詳細を聞きたいところだからね」

 そこまで言ってフロランはひとつ手を打つ。

「これを渡しておこうか。下手な芝居をせずに私を呼んでもらえるよう、北方神殿の術士たちに言っておくよ」

 口元をニヤつかせながら、フロランは右手の指輪を抜き取って差し出す。
 下手な芝居という言葉にムッとしたものの、とにかく左側に立っていた彼から指輪を受け取るため、ローゼは左手を差し出した。

 その瞬間、銀の鎖が袖から零れ落ち、しゃら、と音をたてる。

 腕飾りを見たフロランは目を見開くと、指輪を渡そうとする手を止めてローゼの左腕をつかんだ。

「なにをっ……」
「……へえ」

 振りほどこうとするが、がっちりつかまれた手はまったく動く気配がない。

「これは、どこで手に入れたのかなー?」
「あなたのお兄さんにもらったんです!」
「兄が? 無気力な上に人の言いなりでしか動けないあの兄が、これを作って渡したってことか?」
「はあ!?」

 ローゼは怒りに任せて全身で抵抗し、フロランの手の中から腕を離した。

「あの人は無気力でも、人の言いなりでしか動けないわけでもないわ! 馬鹿にしないで!」
「……ふうん……」

 睨みつけるローゼを気にも留めることなく考え込んでいたフロランは、やがて晴れやかな表情でうなずく。

「……ところで、君たちがエリオットを公爵家から解放する方法をまだ聞いていなかったね。どういう風にするつもりだったのかな?」
【……本当は俺がこの木をどうにかできればいいと思っていた。俺が駄目なら、何とかできるやつを探すつもりだったが】
「ふんふん。で? 候補が見つかったら?」
【公爵に面会を求める。その上で交渉して、木の存続と引き換えにお前の兄を返してもらおうと思っていた】

 公爵に面会という言葉を聞き、フロランはニヤリとする。

「どうやって祖父に会うつもり?」
【お前は知らないだろうが、ローゼは貴族や王家に知り合いがいる。一度王都へ戻り、誰かから働きかけてもらう予定だ】

 フロランは忍び笑いを漏らした。

「ずいぶん手間のかかることをするね。そんなことをしているうちに、エリオットは公爵になってしまうよ」
【分かっている。だが、他に方法がない】

「ならば私が手を貸そうか。木を存続させる手段が見つかったなら、祖父に面会する機会を作ってあげよう」

 レオンが何か言う前に、ローゼが口を挟む。

「どうして急に気が変わったんですか」

 先ほどまでは情報だけなら、と言っていたはずだ。
 用心しながら尋ねるローゼに、すました顔でフロランは言う。

「確実な手段があるなら手を貸すと言ったよね?」
「それだけですか?」

 んー、と小さくうなって、フロランはあどけない笑みをローゼに向けた。

「私はね、女の子が大好きなんだよ」
「……そうでしょうね」
「やっぱり分かるかい? 私はモテるんだよねぇ。次期公爵の上に顔もいいから、女の子たちは私に夢中だったけど……」

 フロランは少しだけ顔をゆがめる。

「エリオットが戻って来て、次の公爵が変更になったらさ、女の子の一部はエリオットに興味を持ったみたいなんだよね。――もちろん、ごく一部だけどね」

 矜持きょうじが許さないのか最後に一言付け加えた後、フロランはちらりとローゼに目線を寄こす。

「気になるだろう?」
「別に」

 本当に気にならなかったので、ローゼは言い切る。

 何しろグラス村の神官は、女性たちに絶大な人気を誇っていたのだ。
 どちらかといえば、相手にされていないと聞く方が気になったかもしれない。

 しかしフロランは、無理しちゃって、と言いたげな表情を浮かべて肩をすくめる。

「マリエラがずっと想い続けてた相手だっていうのも、女の子たちの興味をひいてるみたいでさ。まったく、そんなことが私の母に――」

 フロランは思わず口を滑らせたと言いたげに、不自然な様子で口をつぐみ、ごまかすように笑う。

「というわけで、女の子が好きな私はローゼに興味がわいた。計画が失敗してエリオットが公爵になった時、君をもらえるというなら手を貸す」

【断る!】
「いいですよ。条件を飲みます」

 レオンとローゼが同時に言う。

【ローゼ!】
「公爵位に『エリオット』が就いてしまったら、どうせすべて意味がなくなるもの」

 それにローゼは聖剣の主なのだから、フロランがなんと言おうと強引に出かけて後、二度と彼のところへ戻らなければいいだけだ。

 喚き続けるレオンを宥めるように柄を撫で、ローゼは木を見上げる。

 大精霊が宿っていた木は風が吹いて枝を揺らすたび、枯れ葉の音が混じった。ローゼですらもの悲しく思うのだから、北方の人たちはこの音を聞いてどのような思いを抱くのだろうか。

 少しの間、木を眺めていたローゼは、小さくため息をついてフロランへと視線を投げる。

「……なんで急にあたしへの興味が湧いたんですか?」

「決まってるじゃないか。精霊銀を渡すほどの相手が、他の人間、しかも弟のものになってることを知った兄の顔をね、見たくなったのさ」

「悪趣味ですね。でもこれはお祝いでもらったんです。あなたが想像しているようなことではありません」

「……へーえ」

 揶揄するようなフロランの声色に、ローゼは顔をしかめる。

「……そういえば、あなたのお兄さんが公爵になったら、他の人たちはどうするんですか?」

 質問を聞いたフロランは微笑んだ。

「エリオット以外の親族は全員、王都にある屋敷へ移ることになってるよ」

 以前見かけた、大きな庭のあるあの屋敷のことだろう。

「荒れた領地を立て直そうとする若い公爵閣下の奮戦ぶりと、おそらくたおれるであろう様子に思いをはせつつ、王都で自適に暮らすだろうねぇ」

 フロランの笑みはさわやかなものだった。
 レオンはあまりのことに絶句している。

 ローゼの目にはフロランがぼやけて歪んで見えた。これは悔しくて涙が浮かんできているからか。それとも怒りで目がくらんでいるせいだろうか。

「だから、頑張って手段を見つけておいで。もし見つかったなら、その時は北方神殿じゃなくて直接城へ来るといい。城の門番にも言っておくからさ」
「……分かりました」

 フロランが差し出した指輪を受け取りつつ、食いしばった歯の間から押し出すようにしてローゼは言葉を発した。
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