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オレンジ【全2篇】

甘くなれオレンジ

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「酸っぱい!」

持ってきたミカンの皮をむき、一房口にした私は思わず叫んだ。確かに皮はまだ青かったけれど、この酸っぱさは予想以上だ。

「ごめん、こんなに酸っぱいと思わなかった。残していいよ竜二」

隣で竜二も少し顔をしかめている。

「ちょうどいいよ」

それなのに嘯くようにそう言って、今度は二房まとめて口に放った。

 夕焼けが差し込む合唱部の部室に、竜二と私の二人だけ。向かい合って座る机の上には、彼が合唱用に編曲してくれた楽譜が広がっていた。私が昔、大好きだったアニメのエンディングソングだ。

 これ以上は食べられなかった私は、ミカンをそっと鞄に仕舞う。少し気まずい雰囲気をどうにかしたくて、私はふと思いついた話を振ってみた。

「私ね、最後の『すきだよ』ってところお気に入りなの。好きって言葉は真っすぐで飾らないぶん、心がこもってる気がする」

すると竜二は楽譜をめくって、その部分を出しながら「ちょっとしたことなんだけど」と話をし始めた。

「この曲、『すきだよ』のフレーズはほとんどが、メロディーの音程と日本語としてのイントネーションが一致してない。でも1番の最後だけ、あえてメロディーを変えて、普段話すときと一致させてるんだ。そこがエモい」

「気づかなかった」

言われれば確かにそうだ。でも私には気付けなかった。編曲を教えてもらうという口実で放課後に部室で過ごすようになってから、竜二に音楽的な知識を沢山教えてもらったけれど、それでも彼にはちっとも及ばない。それはいつまでたっても、私が彼に追いつけない事の証拠みたいで、悔しいと同時に切なくなる。

 彼が見ている世界は、私には見えない。

 彼の見ている世界に、私はいないのかもしれない。

「でもラストでそのメロディーを出した後、最後にもう一回、一致してない方のメロディーで歌ってしめるんだ」

それはまるで、想いを伝えられない私のように。

「もうこんな時間だね。そろそろ帰ろっか」

楽譜を揃えながら私は立ち上がった。

「俺はもう少し残るよ」

「そっか。じゃあ私は先に行くね」

呼び止めてほしいけれど、そんなこと言えない。その代わりに、私は振り返らずに後ろの竜二に向かって呼びかけた。

「ねえ竜二、今度髪を切ろうと思うんだけど、どうかな?」

ほんの一瞬の間。

「いいんじゃねえか。大河ならどんな髪型でも似合うだろ」

そっか。止めてくれないんだ。

「ふうん」

落胆を滲ませないように平坦な声を必死に装う。今度こそ私は部室を後にする。竜二が編曲してくれた楽譜を胸の前に抱える、その手に無意識に力がこもった。

 階段を下りながら左手に着けていたシュシュを外すと、私は髪をまとめた。しばりなれたポニーテール。学校にいる間はいつもそうだから、髪にもすっかり跡がついてしまった。

 いつだか、竜二がロングヘアーが好きだと知ってから、彼の前でだけ髪留めを外すようになった。気づいてくれたらいいなって、心のどこかで期待しながら。そしていつも何も言わない竜二に少し傷つきながら。

「似合うだろ、か」

褒めてほしかったわけじゃない。お前はそのままの髪型にしとけよって、ちょっとぶっきらぼうに言ってくれるのを期待していたのに。

「あ、大河。お疲れさま」

階段を上ってきたのはアルトパートリーダーの香苗だった。

「香苗、お疲れ様」

「なに、また竜二君と2人で部室にいたの?」

「うん、まあね」

「そろそろ大河から告白しちゃえばいいのに」

「無理だよ、私には」

だって竜二はきっと、私になんか興味ないんだもの。

「言ってみたら意外と上手く付き合えたりすると思うけどな」

「いいのよ、別に」

私はじゃあ、と手を振って階段を下りていく。すると後ろから、そういえば!と香苗が呼び止めた。

「部室で編曲しているときにね、ぼそっと竜二君言ってたの。『大河にはdimコードがよく似合う』って。その意味わかる?」

dimコード。それを教えてくれたときに、竜二が言っていた言葉が不意によみがえってくる。部室のピアノを弾きながら編曲のコツを教えてくれた、あれは一番初めの時。

『dimコードは音が詰まった切ない響きがするんだ。だからここぞってときによく使う。』

『見せ場のコードなのね』

『いや見せ場というよりは、その一歩手前かな。俺の中では、誰かのことを考えて少し胸が苦しくなるような感じが一番近いと思ってる』

竜二、あなたがdimコードで思い出すのは、もしかして私なの?

「……大河?」

「ううん、ごめん。わかんないや」

「そっか」

私は少しだけ高揚する気持ちを抑えながら香苗と別れる。

 まだ酸っぱいオレンジ。いつか甘くなるときがくるって、信じてみたくなった。
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