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禁じられた戯れ 其ノ壱
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「元太、賭け事をすっぱりと止めたそうですぜ。真面目に大工仕事に勤しんでいるって話です」
「ククク……上々だな……」
とある日の午前。
前日までの雨が止み、すっかり晴天になっていた。
もうすぐ昼になろうかという時刻だった。
それにも関わらず、桐野と弥助は益体の無い話をしていた。
本来なら彼らも仕事をするべきなのだろうが、猫女房以来仕事が無かった。
事件を解決したとはいえ、方法があまりよろしくなかったので、世間の評判は『近寄りたくない万屋』から変わっていない。
だから依頼が来ないのも無理も無い話だった。
「今日、何食べに行きますか? いつもの蕎麦屋ですかい?」
「そうだな……ありきたりだが……」
昼食の相談をしているあたり、本当に暇なのだろう。
二人してそれなりに盛り上がった話をしていると、唐突に万屋の戸が乱雑に開かれた。
桐野は「ふぇ!?」と変な声を出し、弥助は「何者だ!」と厳戒態勢になった。
「あなたたちが万屋ね! よくもあたしのお父さんに恥をかかせてくれたわ!」
怒気を発しながら桐野と弥助を睨みつける、巫女と思わしきの少女がずかずかと万屋に入ってきた。
年の頃は十五か十六。真っすぐに伸ばした髪を後ろで二本にまとめている。つり目が印象的な勝気な美少女。小柄な桐野よりもさらに背が低く、細い身体をしていた。
赤と白の巫女装束を纏っているが、とても神に仕えるような穏やかな神職には見えない。
「おいおい。どうしたんだお嬢ちゃん。随分と気合が入っているじゃないか……」
警戒を解かずに少女の出方を窺う弥助。
桐野はその背に隠れて、じっと眺めていた。
「ふん! そりゃ気合も入るってもんよ――敵に対してはね!」
「敵って……まさか、旦那の恰好のことを言っているのか? これはだな、ただの趣味……いや、悪趣味でしているだけだ」
「ち、違うぞ! これは我の邪気眼を抑えるための――」
弥助の言葉を桐野が否定した瞬間、少女が「その邪気眼が問題なのよ!」と喚いた。
何が何だか分からないが、少女がこちらに敵意を持っていることは明らかだ。
弥助は「とりあえず、落ち着きな」と宥めに入る。
「そんな興奮していても、分かりっこねえよ。茶でも飲むか?」
「……そうね。あなたたちに罪を自覚させるには、あたしも落ち着く必要があるわ」
そうは言いながらもぎろりと桐野を睨んでいる。
弥助は座布団を勧めて座らせた。桐野も弥助の傍に座った。
「まずはお嬢ちゃんの名前だな。それとどこのもんかも教えてもらおう」
「あたしは、さくらって言うわ。桜桃神社の一人娘よ」
弥助の用意した茶を用心深く啜りながら、少女――さくらは名乗った。
それならばと今度は弥助が自分たちの名を明かす。
「あっしは弥助。こちらは桐野政明という。それで桜桃神社の一人娘、さくらは一体何の用で万屋に?」
桜桃神社とは江戸に町ができる前から存在する由緒ある伝統的な神社だ。
地域の人々の信仰を集め、夏祭りには江戸の郊外から人がやってくるほど盛況で、かく言う桐野や弥助も出店を依頼で手伝うことがあった。
弥助の記憶だと古来の神々を祭神として崇めている。そんな立派な神社の神主の一人娘が、こんなちっぽけな万屋に何の用だろうか。
「用件は単純よ。そこの邪気眼侍と勝負しに来たの!」
びしっと指さしたさくらに対し、桐野は「わ、我と勝負?」と怯えていた。
桐野の旦那は予想外のことを怖がるからなと弥助は内心思った。
「待ってくれ。勝負ってどういうことだ? 確かに桐野の旦那は不審者より怪しげな恰好をしているが……決して悪人ではない」
「我が相棒よ、後で話がある……」
「あなたたち、大工の元太の依頼を『見事』に解決したらしいじゃない」
見事の部分を皮肉たっぷりに言うさくら。
桐野と弥助は顔を見合わせて、それから「それがどうしたんだ?」と弥助が訊ねる。
「別に悪いことはしていないだろう。むしろ善行だ。犬も食わねえ夫婦の問題を解決したんだから」
「それが問題なのよ。元太から聞かなかった? 神主に祓ってもらったって」
そう言えばと二人は思い出した。
医者と僧と神主に見てもらったが、まるで効果が無かったと元太が言っていたことを。
「おかげでお父さんは大恥をかいたわ。邪気眼って怪しげでうさん臭いものが解決できたのに、長年信仰を集めている桜桃神社の神主が祓えなかった……」
そう解釈されてしまったら、恥をかいてしまうのは仕方のないことだ。
弥助は困った顔のまま、言い訳をする。
「待ってくれよ。猫女房は祓う祓えないって問題じゃねえんだ。あれは――」
「詳細は聞いたわ。でもね、真相がどうであれ――お父さんが邪気眼に負けた事実は変わらないわよ!」
怒鳴るさくらに対し、ようやく余裕ができた桐野が「つまり、雪辱をそそぐために来たわけか……」と解釈した。
「そうよ! このままお父さんを馬鹿にされたままでいられないわ!」
「だからさ。猫女房は違うんだって。何なら馬鹿にしている奴らに事情を話してもいい」
弥助の提案に「そんな情けないことはできないわ!」と頭に血が昇っているさくら。
鋭い目つきのまま、彼女は宣言した。
「あたしはっ! お父さんのためにっ! 勝たなければいけないのよ――邪気眼侍っ!」
弥助はここに至って、ああこのお嬢ちゃん話聞かない感じだと知った。
思い込んだら一直線な性格をしている。
このままだと面倒だ――
「……ククク。いいだろう。その勝負、受けよう」
すっかり元の調子に戻った桐野が、弥助が止める間もなく受けてしまった。
矜持の問題ではなく、単純に暇であるのと面白そうであるのとで請け負ったのだろう。
「いいんですかい、桐野の旦那。どんな勝負か分からないんですよ?」
「安心するがいい、我が相棒よ……邪気眼に不可能はない」
そしておもむろに右腕を抑える桐野。
身体中を痙攣させて笑い出す。
「ククク……お前も疼くか……久方ぶりだな、闘争に巻き込まれるのは……!」
「な、なんだかよく分からないけど、絶対に負けないわ!」
桐野の発作を見て若干引いたさくらだったが、気を取り直して戦いに臨むことを決意する。
弥助はもうどうにでもなれと天を仰いだ。
「それで、勝負の内容は?」
発作が収まった桐野が、彼にしてはまともな問いをした。
髪をかき上げながら、さくらは「あたしの神社にはいろんな依頼が来るの」と自慢げに言う。
「その中から対決に使えそうな依頼を見つけるわ。それを解決したほうの勝ちね」
「ふむ……貴様が勝った場合はどうする?」
「そうねえ……皆の前で邪気眼は桜桃神社の神主には及ばないって宣言して」
そもそも邪気眼自体があやふやなのだから、及ぶ及ばないという問題ではない。
しかし邪気眼侍である桐野にしてみれば、屈辱的とも言えるだろう。
「良いだろう。ではそちらが負けたらどうする?」
「なんでも言うことを聞くわよ」
「女が軽々に言うことではないが……まあ考えておこう」
黒衣の着物を纏った桐野は、巫女服のさくらに宣言した。
その姿は絵巻物に出てくる妖怪のようだった。
「貴様は後悔するだろう――邪気眼を宿し我に挑んだことを!」
「くっ! なんて迫力なの……!」
さくらは何とも言えない不気味さを覚えたが、傍目から見ていた、桐野の言動に慣れている弥助は面倒なことになったなあと頭を抱えた。
「はあ。旦那と一緒に居ると退屈しねえや……」
呆れ果ててそれしか言葉が出ない弥助。
いや諦めてしまっていると言ったほうが正しい。
こうして、邪気眼侍と巫女の少女の勝負が始まる――
「ククク……上々だな……」
とある日の午前。
前日までの雨が止み、すっかり晴天になっていた。
もうすぐ昼になろうかという時刻だった。
それにも関わらず、桐野と弥助は益体の無い話をしていた。
本来なら彼らも仕事をするべきなのだろうが、猫女房以来仕事が無かった。
事件を解決したとはいえ、方法があまりよろしくなかったので、世間の評判は『近寄りたくない万屋』から変わっていない。
だから依頼が来ないのも無理も無い話だった。
「今日、何食べに行きますか? いつもの蕎麦屋ですかい?」
「そうだな……ありきたりだが……」
昼食の相談をしているあたり、本当に暇なのだろう。
二人してそれなりに盛り上がった話をしていると、唐突に万屋の戸が乱雑に開かれた。
桐野は「ふぇ!?」と変な声を出し、弥助は「何者だ!」と厳戒態勢になった。
「あなたたちが万屋ね! よくもあたしのお父さんに恥をかかせてくれたわ!」
怒気を発しながら桐野と弥助を睨みつける、巫女と思わしきの少女がずかずかと万屋に入ってきた。
年の頃は十五か十六。真っすぐに伸ばした髪を後ろで二本にまとめている。つり目が印象的な勝気な美少女。小柄な桐野よりもさらに背が低く、細い身体をしていた。
赤と白の巫女装束を纏っているが、とても神に仕えるような穏やかな神職には見えない。
「おいおい。どうしたんだお嬢ちゃん。随分と気合が入っているじゃないか……」
警戒を解かずに少女の出方を窺う弥助。
桐野はその背に隠れて、じっと眺めていた。
「ふん! そりゃ気合も入るってもんよ――敵に対してはね!」
「敵って……まさか、旦那の恰好のことを言っているのか? これはだな、ただの趣味……いや、悪趣味でしているだけだ」
「ち、違うぞ! これは我の邪気眼を抑えるための――」
弥助の言葉を桐野が否定した瞬間、少女が「その邪気眼が問題なのよ!」と喚いた。
何が何だか分からないが、少女がこちらに敵意を持っていることは明らかだ。
弥助は「とりあえず、落ち着きな」と宥めに入る。
「そんな興奮していても、分かりっこねえよ。茶でも飲むか?」
「……そうね。あなたたちに罪を自覚させるには、あたしも落ち着く必要があるわ」
そうは言いながらもぎろりと桐野を睨んでいる。
弥助は座布団を勧めて座らせた。桐野も弥助の傍に座った。
「まずはお嬢ちゃんの名前だな。それとどこのもんかも教えてもらおう」
「あたしは、さくらって言うわ。桜桃神社の一人娘よ」
弥助の用意した茶を用心深く啜りながら、少女――さくらは名乗った。
それならばと今度は弥助が自分たちの名を明かす。
「あっしは弥助。こちらは桐野政明という。それで桜桃神社の一人娘、さくらは一体何の用で万屋に?」
桜桃神社とは江戸に町ができる前から存在する由緒ある伝統的な神社だ。
地域の人々の信仰を集め、夏祭りには江戸の郊外から人がやってくるほど盛況で、かく言う桐野や弥助も出店を依頼で手伝うことがあった。
弥助の記憶だと古来の神々を祭神として崇めている。そんな立派な神社の神主の一人娘が、こんなちっぽけな万屋に何の用だろうか。
「用件は単純よ。そこの邪気眼侍と勝負しに来たの!」
びしっと指さしたさくらに対し、桐野は「わ、我と勝負?」と怯えていた。
桐野の旦那は予想外のことを怖がるからなと弥助は内心思った。
「待ってくれ。勝負ってどういうことだ? 確かに桐野の旦那は不審者より怪しげな恰好をしているが……決して悪人ではない」
「我が相棒よ、後で話がある……」
「あなたたち、大工の元太の依頼を『見事』に解決したらしいじゃない」
見事の部分を皮肉たっぷりに言うさくら。
桐野と弥助は顔を見合わせて、それから「それがどうしたんだ?」と弥助が訊ねる。
「別に悪いことはしていないだろう。むしろ善行だ。犬も食わねえ夫婦の問題を解決したんだから」
「それが問題なのよ。元太から聞かなかった? 神主に祓ってもらったって」
そう言えばと二人は思い出した。
医者と僧と神主に見てもらったが、まるで効果が無かったと元太が言っていたことを。
「おかげでお父さんは大恥をかいたわ。邪気眼って怪しげでうさん臭いものが解決できたのに、長年信仰を集めている桜桃神社の神主が祓えなかった……」
そう解釈されてしまったら、恥をかいてしまうのは仕方のないことだ。
弥助は困った顔のまま、言い訳をする。
「待ってくれよ。猫女房は祓う祓えないって問題じゃねえんだ。あれは――」
「詳細は聞いたわ。でもね、真相がどうであれ――お父さんが邪気眼に負けた事実は変わらないわよ!」
怒鳴るさくらに対し、ようやく余裕ができた桐野が「つまり、雪辱をそそぐために来たわけか……」と解釈した。
「そうよ! このままお父さんを馬鹿にされたままでいられないわ!」
「だからさ。猫女房は違うんだって。何なら馬鹿にしている奴らに事情を話してもいい」
弥助の提案に「そんな情けないことはできないわ!」と頭に血が昇っているさくら。
鋭い目つきのまま、彼女は宣言した。
「あたしはっ! お父さんのためにっ! 勝たなければいけないのよ――邪気眼侍っ!」
弥助はここに至って、ああこのお嬢ちゃん話聞かない感じだと知った。
思い込んだら一直線な性格をしている。
このままだと面倒だ――
「……ククク。いいだろう。その勝負、受けよう」
すっかり元の調子に戻った桐野が、弥助が止める間もなく受けてしまった。
矜持の問題ではなく、単純に暇であるのと面白そうであるのとで請け負ったのだろう。
「いいんですかい、桐野の旦那。どんな勝負か分からないんですよ?」
「安心するがいい、我が相棒よ……邪気眼に不可能はない」
そしておもむろに右腕を抑える桐野。
身体中を痙攣させて笑い出す。
「ククク……お前も疼くか……久方ぶりだな、闘争に巻き込まれるのは……!」
「な、なんだかよく分からないけど、絶対に負けないわ!」
桐野の発作を見て若干引いたさくらだったが、気を取り直して戦いに臨むことを決意する。
弥助はもうどうにでもなれと天を仰いだ。
「それで、勝負の内容は?」
発作が収まった桐野が、彼にしてはまともな問いをした。
髪をかき上げながら、さくらは「あたしの神社にはいろんな依頼が来るの」と自慢げに言う。
「その中から対決に使えそうな依頼を見つけるわ。それを解決したほうの勝ちね」
「ふむ……貴様が勝った場合はどうする?」
「そうねえ……皆の前で邪気眼は桜桃神社の神主には及ばないって宣言して」
そもそも邪気眼自体があやふやなのだから、及ぶ及ばないという問題ではない。
しかし邪気眼侍である桐野にしてみれば、屈辱的とも言えるだろう。
「良いだろう。ではそちらが負けたらどうする?」
「なんでも言うことを聞くわよ」
「女が軽々に言うことではないが……まあ考えておこう」
黒衣の着物を纏った桐野は、巫女服のさくらに宣言した。
その姿は絵巻物に出てくる妖怪のようだった。
「貴様は後悔するだろう――邪気眼を宿し我に挑んだことを!」
「くっ! なんて迫力なの……!」
さくらは何とも言えない不気味さを覚えたが、傍目から見ていた、桐野の言動に慣れている弥助は面倒なことになったなあと頭を抱えた。
「はあ。旦那と一緒に居ると退屈しねえや……」
呆れ果ててそれしか言葉が出ない弥助。
いや諦めてしまっていると言ったほうが正しい。
こうして、邪気眼侍と巫女の少女の勝負が始まる――
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