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娘と語り合う
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訊ねてくれた雪隆くんが秀晴と共に九州攻めに向かって、しばらく経った頃、僕はまた体調が悪化してしまった。
何度目だろうか。このまま死ぬと思うくらいの酷い熱と呼吸のしづらさが僕を襲った。血痰を吐かなかった時間が無いくらい吐いた。意識が朦朧として、現実との境界が曖昧になるほどだった。
しかしまだ死ぬべきときではないらしい。自分でも信じられないほど持ち直して、意識がはっきりとなるくらいには回復した。なかなか僕もしぶといらしい。
その日は雨だった。しとしと降り続ける雨。なんとなく静養している屋敷の庭を眺めていると懐かしい声がした。
「お前さま。入るぞ」
すっと襖が開かれた。
そこには、僕の妻のはると娘の雹が立っていた。
「はる! 雹! 久しぶり――ごほごほ!」
思わず起き上がろうとして、激しく咳き込んでしまった僕。
慌ててはるが僕に近づいて「無理するな」と背中をさする。
「どうして、二人とも……雹、大きく、美しくなったね」
子どもだったのに、いつの間にか少女になっていた雹。
会わないうちに大きくなっていて、なんと言えばいいのか分からない。
「父上。私は……その……」
はるの後ろに隠れる雹。
どうやら照れているらしい。
「なんだお前さま。私には美しいとは言ってくれないのか?」
「はるが美しいのは当たり前だろう?」
「それでも口に出してくれないと拗ねるぞ」
僕は微笑んで「ああ、美しいよ」と言う。
「僕にはもったいないくらいのできた妻だ」
「ふふ。嬉しいことを言う」
「それで、どうして二人ともここに?」
はるは至極当然のように「私たちもここに住む」と宣言した。
「もう移動に耐え切れない身体だろう? 玄朔が手紙で知らせてくれたのだ」
「なるほど……でも、本当にいいのかい?」
「いいに決まっている。愛する人の傍に居ることは、女の幸せだ」
ありがとうと言おうとして、咳き込んでしまった。
「お前さま。水でも持ってこようか?」
「ああ、頼むよ」
はるが気を利かせて、水を取りに出ていく。
雹と二人きりになってしまった。
娘は父親と一緒に居て、なんだか気まずそうだった。
「えっと、雹――」
「ち、父上! 今日は良き天気ですね!」
会話の第一歩は天気の話題から。
しかし悲しいかな、今日は雨だ。
「そ、そうだね。雨には雨の風情があるね」
「あ……いや、その……」
雹はますます居心地の悪くなってしまったみたいだ。
「雹は、何が好きかな?」
「な、何が好き?」
「ほら。趣味だったり、食べ物だったり」
「わ、私は、書物を読むのが好きです」
女の子にしては珍しい……いや、お市さまも書物が好きだったな。
「そうか。僕も結構好きなんだ。何を読むんだい?」
「た、竹取物語とか……」
会話は続くけどぎこちない。
うーん、どうしたものか。
「父上に、前々から訊きたいことがありました」
ちょっとの沈黙の後、雹が僕に訊ねた。
「うん? なんだい?」
「父上は、秀晴兄さまがおっしゃっていたのですが、とてもお優しいらしいですね」
僕は頬を掻きながら「よく言われるね」と答えた。
「父上は――どうして優しいのですか?」
雹はおどおどした態度から、とても真剣なものへと変えていた。
それが僕に会いに来た一番の目的と言わんばかりの態度。
「私も確かに、人が困っていたら助けたいと思います。しかしできるかできないかは始めに考えます。でも父上は――考えなしに人を助けようとすると兄さまから聞きました」
少しは考えているけど、傍目からするとそう見えるらしい。
「お爺さまに仕えていたときの話は昔、聞きました。他にもいろいろ聞きました。その度に思うのです。どうして父上は――見返りもなしに人に優しくできるんですか?」
雹は僕を異常だと思っているのだろうか。
でもその目からは真実を知りたいということしか読み取れなかった。
だから僕も真剣に考えて――答えた。
「優しさに理由なんかないよ」
雹は僕の答えを飲み込めなかったみたいだった。
「理由なんか、ない……?」
「僕は自分のしたいように生きてきた。結果としてそれが優しさを伴っていた。ただそうれだけだよ」
きっと雹は僕の言っている意味が分からないんだろう。
僕のことを理解できないのだろう。
でもそれでいい。もしも理解して真似でもされたら、雹の人生は滅茶苦茶になる。
無意味で無理解な父親であると断じてくれれば、それでいい。
「他には聞きたいこと、あるかな?」
「……では父上は、病になって悔やんでいますか?」
僕は「まあ悔やむと言うか悔しいね」と答えた。
「もっとやりたいことがあったんだけどね。でもまあ仕方ないかな」
「仕方ないで済ませるんですか?」
「それ以外に済ませる方法はないよ」
雹は感情を抑えながら「父上は、未練や無念はあるんですね」と言う。
「たとえば、なんですか?」
「雹が大人になった姿を見れないことかな」
雹は髪をかき上げて「それは私も残念です」と笑った。
「嫁入り姿を見せたかったです」
「それは見たいような見たくないような……」
「……父上。私、最後に聞きたいことがあるんです」
僕は「これから一緒に住むのだから、たくさん訊けばいい」と咳をしながら言う。
「幸せになるってどうすればいいんですか?」
「……雹は幸せじゃないのかい?」
「退屈です。毎日、城の中や屋敷の中で過ごさないといけませんから」
退屈こそ幸せの一部であるのだけど、それを知るにはまだ早すぎるな。
「そうだね。幸せになる、か。僕の場合は誰かのために働くことだった」
「それは、母上や兄上さまたちのためですか?」
「それもある。主君だったり家臣だったり。雹の言うとおり家族のためだったり」
咳をして、僕は雹に言う。
「幸せなんて、他人が決めることじゃない。自分で描くものさ」
「…………」
「僕が例示しても、雹が不幸せだと思うのなら、そうなんだろう。あるいは雹の幸せが僕には幸せとは思えないとか、そういうこともある」
僕は雹に伝えなければいけないことがあった。
「でも、僕の幸せの中には、雹がいるよ」
「えっ?」
「雹が無事に産まれてくれたこと。それも僕の人生の中で素晴らしい幸せだった」
僕はにっこりと笑って雹に言う。
「ありがとう。僕の娘に産まれてきてくれて」
夜になって。
雹が寝た後、僕とはるは二人きりで話した。
「昼間。僕と雹を二人きりにしたのはわざとかな」
はるは「わざとに決まっているだろう」とあっさりと白状した。
「雹はお前さまとの思い出がほとんどない。だから、こういう機会がないとな」
「なんというか、上様を思い出すよ」
そういう気遣いというか悪戯半分のやり方は上様の血を感じる。
「そうそう。秀晴殿の息子の話、聞いたか?」
「うん? ああ、雪隆くんから聞いた。やっぱり妊娠していたんだな」
なつさんとの子どもらしい。顔ぐらい見たいが、秀晴も忙しいからな。
「名前は雷次郎(らいじろう)と名付けたそうだ」
「秀晴にしては荒々しいな」
はるはそれを聞いて笑った。
「はる。こんなときに言うのもなんだけどさ」
「なんだお前さま」
「僕が死んだら、三箇所に分けて葬ってほしい」
はるは笑みをやめた。
それどころか、とても泣きそうな顔をした。
「一つは丹波国。一つは志乃の墓。一つは大坂城近く」
「お前さま……」
「墓参りは一ヶ所でいい。好きなところを選んでくれ」
はるは「本当に死んじゃうんだな」と涙を流した。
僕は頬を流れるそれを指で拭き取った。
「分かっていたことだろう?」
「…………」
「ごめんな。早く死んじゃって」
はるは「嫁いだときから、看取ることを覚悟していた」と呟く。
「でも、こんな早いとは、思わなかった」
「……ごめん」
はるは「謝る必要はない」と僕に手を握った。
「私は、お前さまと一緒になれて、幸せだった」
僕は胸が一杯になりながら応じた。
「僕も、はるが一緒に居てくれて、幸せだったよ」
過去形で語り合うのは悲しくて虚しいけど、仕方がなかった。
死にゆく者の定めだった――
何度目だろうか。このまま死ぬと思うくらいの酷い熱と呼吸のしづらさが僕を襲った。血痰を吐かなかった時間が無いくらい吐いた。意識が朦朧として、現実との境界が曖昧になるほどだった。
しかしまだ死ぬべきときではないらしい。自分でも信じられないほど持ち直して、意識がはっきりとなるくらいには回復した。なかなか僕もしぶといらしい。
その日は雨だった。しとしと降り続ける雨。なんとなく静養している屋敷の庭を眺めていると懐かしい声がした。
「お前さま。入るぞ」
すっと襖が開かれた。
そこには、僕の妻のはると娘の雹が立っていた。
「はる! 雹! 久しぶり――ごほごほ!」
思わず起き上がろうとして、激しく咳き込んでしまった僕。
慌ててはるが僕に近づいて「無理するな」と背中をさする。
「どうして、二人とも……雹、大きく、美しくなったね」
子どもだったのに、いつの間にか少女になっていた雹。
会わないうちに大きくなっていて、なんと言えばいいのか分からない。
「父上。私は……その……」
はるの後ろに隠れる雹。
どうやら照れているらしい。
「なんだお前さま。私には美しいとは言ってくれないのか?」
「はるが美しいのは当たり前だろう?」
「それでも口に出してくれないと拗ねるぞ」
僕は微笑んで「ああ、美しいよ」と言う。
「僕にはもったいないくらいのできた妻だ」
「ふふ。嬉しいことを言う」
「それで、どうして二人ともここに?」
はるは至極当然のように「私たちもここに住む」と宣言した。
「もう移動に耐え切れない身体だろう? 玄朔が手紙で知らせてくれたのだ」
「なるほど……でも、本当にいいのかい?」
「いいに決まっている。愛する人の傍に居ることは、女の幸せだ」
ありがとうと言おうとして、咳き込んでしまった。
「お前さま。水でも持ってこようか?」
「ああ、頼むよ」
はるが気を利かせて、水を取りに出ていく。
雹と二人きりになってしまった。
娘は父親と一緒に居て、なんだか気まずそうだった。
「えっと、雹――」
「ち、父上! 今日は良き天気ですね!」
会話の第一歩は天気の話題から。
しかし悲しいかな、今日は雨だ。
「そ、そうだね。雨には雨の風情があるね」
「あ……いや、その……」
雹はますます居心地の悪くなってしまったみたいだ。
「雹は、何が好きかな?」
「な、何が好き?」
「ほら。趣味だったり、食べ物だったり」
「わ、私は、書物を読むのが好きです」
女の子にしては珍しい……いや、お市さまも書物が好きだったな。
「そうか。僕も結構好きなんだ。何を読むんだい?」
「た、竹取物語とか……」
会話は続くけどぎこちない。
うーん、どうしたものか。
「父上に、前々から訊きたいことがありました」
ちょっとの沈黙の後、雹が僕に訊ねた。
「うん? なんだい?」
「父上は、秀晴兄さまがおっしゃっていたのですが、とてもお優しいらしいですね」
僕は頬を掻きながら「よく言われるね」と答えた。
「父上は――どうして優しいのですか?」
雹はおどおどした態度から、とても真剣なものへと変えていた。
それが僕に会いに来た一番の目的と言わんばかりの態度。
「私も確かに、人が困っていたら助けたいと思います。しかしできるかできないかは始めに考えます。でも父上は――考えなしに人を助けようとすると兄さまから聞きました」
少しは考えているけど、傍目からするとそう見えるらしい。
「お爺さまに仕えていたときの話は昔、聞きました。他にもいろいろ聞きました。その度に思うのです。どうして父上は――見返りもなしに人に優しくできるんですか?」
雹は僕を異常だと思っているのだろうか。
でもその目からは真実を知りたいということしか読み取れなかった。
だから僕も真剣に考えて――答えた。
「優しさに理由なんかないよ」
雹は僕の答えを飲み込めなかったみたいだった。
「理由なんか、ない……?」
「僕は自分のしたいように生きてきた。結果としてそれが優しさを伴っていた。ただそうれだけだよ」
きっと雹は僕の言っている意味が分からないんだろう。
僕のことを理解できないのだろう。
でもそれでいい。もしも理解して真似でもされたら、雹の人生は滅茶苦茶になる。
無意味で無理解な父親であると断じてくれれば、それでいい。
「他には聞きたいこと、あるかな?」
「……では父上は、病になって悔やんでいますか?」
僕は「まあ悔やむと言うか悔しいね」と答えた。
「もっとやりたいことがあったんだけどね。でもまあ仕方ないかな」
「仕方ないで済ませるんですか?」
「それ以外に済ませる方法はないよ」
雹は感情を抑えながら「父上は、未練や無念はあるんですね」と言う。
「たとえば、なんですか?」
「雹が大人になった姿を見れないことかな」
雹は髪をかき上げて「それは私も残念です」と笑った。
「嫁入り姿を見せたかったです」
「それは見たいような見たくないような……」
「……父上。私、最後に聞きたいことがあるんです」
僕は「これから一緒に住むのだから、たくさん訊けばいい」と咳をしながら言う。
「幸せになるってどうすればいいんですか?」
「……雹は幸せじゃないのかい?」
「退屈です。毎日、城の中や屋敷の中で過ごさないといけませんから」
退屈こそ幸せの一部であるのだけど、それを知るにはまだ早すぎるな。
「そうだね。幸せになる、か。僕の場合は誰かのために働くことだった」
「それは、母上や兄上さまたちのためですか?」
「それもある。主君だったり家臣だったり。雹の言うとおり家族のためだったり」
咳をして、僕は雹に言う。
「幸せなんて、他人が決めることじゃない。自分で描くものさ」
「…………」
「僕が例示しても、雹が不幸せだと思うのなら、そうなんだろう。あるいは雹の幸せが僕には幸せとは思えないとか、そういうこともある」
僕は雹に伝えなければいけないことがあった。
「でも、僕の幸せの中には、雹がいるよ」
「えっ?」
「雹が無事に産まれてくれたこと。それも僕の人生の中で素晴らしい幸せだった」
僕はにっこりと笑って雹に言う。
「ありがとう。僕の娘に産まれてきてくれて」
夜になって。
雹が寝た後、僕とはるは二人きりで話した。
「昼間。僕と雹を二人きりにしたのはわざとかな」
はるは「わざとに決まっているだろう」とあっさりと白状した。
「雹はお前さまとの思い出がほとんどない。だから、こういう機会がないとな」
「なんというか、上様を思い出すよ」
そういう気遣いというか悪戯半分のやり方は上様の血を感じる。
「そうそう。秀晴殿の息子の話、聞いたか?」
「うん? ああ、雪隆くんから聞いた。やっぱり妊娠していたんだな」
なつさんとの子どもらしい。顔ぐらい見たいが、秀晴も忙しいからな。
「名前は雷次郎(らいじろう)と名付けたそうだ」
「秀晴にしては荒々しいな」
はるはそれを聞いて笑った。
「はる。こんなときに言うのもなんだけどさ」
「なんだお前さま」
「僕が死んだら、三箇所に分けて葬ってほしい」
はるは笑みをやめた。
それどころか、とても泣きそうな顔をした。
「一つは丹波国。一つは志乃の墓。一つは大坂城近く」
「お前さま……」
「墓参りは一ヶ所でいい。好きなところを選んでくれ」
はるは「本当に死んじゃうんだな」と涙を流した。
僕は頬を流れるそれを指で拭き取った。
「分かっていたことだろう?」
「…………」
「ごめんな。早く死んじゃって」
はるは「嫁いだときから、看取ることを覚悟していた」と呟く。
「でも、こんな早いとは、思わなかった」
「……ごめん」
はるは「謝る必要はない」と僕に手を握った。
「私は、お前さまと一緒になれて、幸せだった」
僕は胸が一杯になりながら応じた。
「僕も、はるが一緒に居てくれて、幸せだったよ」
過去形で語り合うのは悲しくて虚しいけど、仕方がなかった。
死にゆく者の定めだった――
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