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創りし者、死にゆく者、託される者

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 僕の目の前に置かれた茶器――茶碗。
 恐る恐る手に取って確かめる。
 本当に実在するのか、現実としてあるのか、それが分かるには手に取るしかないから。
 そしてそれは――実物として存在した。

 『灰茶碗』と名付けたらしい。
 白が特徴的な志野焼とは違う。
 お師匠さまの黒茶碗とも違う。
 純白の光と漆黒の闇を合わせたような、新しい美の極致だった。

「これが、私の全てを注ぎ込んだ、灰茶碗だ」

 自信満々で僕にそう告げるのは創りし者――山上宗二さん。
 自身の茶室に僕を招いて、見せたいものがあると言った。
 ようやく宗二好みができたのかと思って来てみたら――予想以上だった。

「美しい……そして素晴らしい」

 それしか言葉が出なかった。
 いや、たったそれだけで十分表せている。

「僕は山上宗二という茶人を尊敬し、期待をしていたけど、まさかここまでのものを創るとは思わなかった」
「最高の褒め言葉だな。私もこれ以上は創れまい」

 謙遜はしない。否、する必要がない。
 そのくらい、自分の美を確立させた者は――強い。

「しかし、これは高級すぎる。民たちには手が出せないんじゃないか?」
「まあな。民には安価に作った灰茶碗もどきを売ることにする。だからこれは雲之介――あなたに渡すためのものだ」

 思いもかけない言葉にぎょっとして宗二さんを見る。
 目を見て分かった。嘘は言っていない。

「安心しろ。既に自分の分もお師匠さまの分もある」
「……嬉しいが、今の僕は受け取れない」

 宗二さんは「気に入らないというわけではないようだが」と前置きをして言う。

「残り少ない寿命では――愛でられないということか?」

 宗二さんにも僕の寿命のことを言っておいた。
 その五日後に招かれたのだ。

「それもあるけど、どうしても執着してしまうんだ」
「執着? ……生きることにか?」
「そうだ。未練と言い換えてもいいかもしれない」

 僕は手中の灰茶碗を畳に置いた。

「それに僕よりも他に相応しい人が居るよ」
「……確か、三日後に来るらしいな」
「そのとき、茶を振舞ってくれ」

 宗二さんは顔をしかめて「弟弟子だが、あの方は可愛げがない」と吐き捨てた。

「それならばせめて、この国の主、雨竜秀晴さまに献上したい」
「それなら大賛成だよ。あの子は茶を多少知っている程度だから。これで興味を持ってくれればいいな」

 咳払いしてから僕は「今日は素晴らしいものを見せてくれてありがとう」と礼を言う。

「雲之介。あなたは――仏門に入らないのか?」

 退座する直前に、宗二さんが何気なく聞いた。

「出家するつもりはないよ」
「何故だ? もう隠居したのだろう? であるのなら――」
「比叡山を焼き討ちした僕に、仏の加護なんてあるわけないよ」

 宗二さんは一転して悲しげな表情になった。

「あれは、織田殿が命じたことだ」
「違うよ。僕の妻、志乃のために僕がしたことだ」

 思い出したくない過去だ。
 善僧も悪僧も、女も子どもも殺した、非情で悲惨な過去だった。

「進んで地獄に行くのか?」
「さあね。あるいはこう考えているのかも」

 僕は宗二さんを見つめた。
 彼は僕から目を逸らさなかった。

「仏に縋っても、寿命が延びるわけないって」

 宗二さんは――黙ったまま灰茶碗を僕の前に置いた。

「やはり、あなたが持つべき茶器だ」
「宗二さん……」
「どうして、灰色を選んだのか、分かるか?」

 僕は首を横に振った。

「黒でもなく、白でもない。未熟で半端な灰色。それすなわち、この私を表している。どこまで行っても、どこまで貫いても、私はお師匠さまには敵わない。であるならば――未熟で半端な覚悟で歩もうと思ったのだ」

 宗二さんが何を言おうとしているのか、何を伝えようとしているのか、なんとなく分かった気がした。

「僕は――僕のままで居ればいいのですね」
「そうだ。仏に頼ることなく、生と死の狭間で揺れ動くあなたのままで居なさい」

 宗二さんはそこで笑った。

「ということで、この灰茶碗に銘を授けてくれ」
「僕でいいのですか?」
「ああ。あなたしか名付けられない」

 しばらく悩んで僕は「……浮雲なんてどうですか?」と言う。

「ああ、悪くない」
「では、頂戴します」

 僕は大切に布に包んで、箱に収めた。
 そして蓋に銘を筆で書く。
 ――浮雲と。



「ふうん。なるほど、浮雲か。お前にしては良き名を付けたな、雲」

 久しぶりに再会した織田源五郎長益さまは、浮雲を手に取ってしげしげと眺めた。
 丹波亀山城の中に作った茶室。それで宗二さんが茶を点て、僕と長益さまは茶を楽しんでいた。

「それにしても、お前、本当に死ぬのか?」
「……長益殿。はっきりと申されるな」

 宗二さんが厳しく叱った。
 僕は手を挙げて「大丈夫ですよ」と応じた。

「ええ。もう永くありません。五年生きられたら御の字です」
「そうか……淋しくなるな」

 長益さまは茶を作法通り飲み、僕に渡す。
 僕が飲み干すと「俺のこと、聞いたか?」と切り出した。

「ええ。秀吉の御伽衆の一員になったとか」
「元公方さまも同じだぞ。どうだお前も隠居したのだから、ならんか?」

 首を横に振って「もうすぐ死ぬ身ですから」と断った。

「なんだ。殿のことが好きではないのか?」
「大好きですよ。だからこそ、死にゆく姿を見せたくない」

 僕は浮雲を畳にそっと置いた。

「なんだ。お前も死ぬのが怖いのか」
「長益殿! それはあまりに――」

 宗二さんが注意すると長益さまは手を挙げた。

「悪かったよ。てっきり俺は死を目前にしても動じない男だと勝手に思っていたんだ」
「あはは。僕もそう思っていました」

 上様にかつて斬られたときは死んでも構わないと思っていた。
 でも、今になっては――命が惜しい。

「これからだってときに、死んでしまうのは、本当に怖い」
「…………」
「悔しいし、どうして僕なんだと思います」

 やっぱり僕が本音を言えるのは、長益さましか居なかった。

「今思えば半兵衛さんも同じ気持ちだったんでしょうね。でも、そんなことおくびに出さなかった。それどころか、僕以上に恐怖と戦っていた」
「その反動で女装癖となったとも考えられるが」
「あははは。だとしたら凄いですね」

 もしかしたら女装することで、病気の自分を俯瞰していたのかもしれない。
 自分ではないように演じていたのかもしれない。

「それで、俺を呼びつけたのは他にも用があるんだろう?」

 長益さまがつまらなそうに僕に訊ねる。

「自分の死を告げるだけなら、手紙でもいいしな」
「良くないでしょう」
「さっさと言え。気になって夜も眠れなかったわ」

 わざとらしく欠伸をする長益さまに僕は「秀晴のことです」と言う。

「あの子は少し実直すぎるところがあります」
「良い意味で真面目、悪い意味で頑固なところがありそうだな」
「まったくそのとおり。だから僕が死んだ後、いろいろ助けたり教えたりしてあげてください」

 長益さまはつまらなそうに「なんだよ。お前も子が大事か」と呟いた。

「兄上にも信忠を頼むって言われたことがある。なんでどいつもこいつも子を託そうとするんだ。俺がいい加減な男に見えないのか?」
「僕は、あなたを信頼しています」

 そっぽを向く長益さまの横顔を僕は見つめた。

「僕は自分以上に長益さまを信頼してますよ」
「……助けるにも限度があるぞ」
「ええ。できる範囲で構いません」
「……教えられることなんてないぞ」
「ええ。あなたの生き様を見せればいい」
「……俺の身が危うくなれば、約束を破るかもしれないぞ」

 僕は笑った。

「それは――危うくならなければ守るということですね」

 長益さまは笑わなかった。

「雲。お前、会わないうちに性格が悪くなったな」
「あははは。酷いですね」
「分かった。できる限り、お前の息子を助けよう。俺はできない約束はしない主義だ」

 僕は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」
「……山宗。もう一杯茶を点てろ」

 宗二さんは僕たちをしばし見つめて「……準備は整っている」とだけ言った。
 そんなやりとりを見ていると、堺での修行を思い出すようで。
 とても――懐かしかった。
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