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雲之介と鹿之助
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尼子勝久殿と山中幸盛殿のことは事前情報として知っていた。中国で隆盛を誇っていたが、毛利家に滅ぼされてしまった尼子家の生き残りとその家臣が彼らなのだ。
そのことを教えてくれたのは、織田長益さまだった。確か紀州征伐が終わり戦後処理をしていたとき、長益さまが堺に行くついでに寄ってくれて、その日の晩の会話の中で出てきたのだ。
「雲、知っているか? あの没落した尼子家の残党が織田家に来たことを」
「いえ。存じておりません」
徴収した民家で二人きりで話す。ろくな肴はなかったけど、長益さまは文句を言わなかった。
酒を自分の杯に注ぎながら、そう返答すると「まあ数日前のことだからな」と長益さまは笑う。
「主な武将は尼子勝久と山中幸盛だ。あやつら尼子家の再興を企んで織田家に近づいてきた。まったく何の恥じらいもないらしい。情けない奴らだ」
「なりふり構わないという感じなんですか?」
「まあな。しかし織田家の力を借りん限り再興など無理だろうな。そこの目の付けどころは褒めるしかないが」
「それで、お二人に会ったんですか?」
それほど興味がなかったが、気になったので訊ねてみる。
すると今まで馬鹿にしていた口調とは裏腹に、長益さまはその二人に対して好意的な物言いをした。
「品格ある主君と義理堅い家臣と言った二人組だった。それに人格と能力は申し分ない」
「……素晴らしい評価ですね」
「そうでなければ兄上が登用などせんわ」
織田家に来たとだけ言われていたので、まさか登用されていたとは思わなかった。
まあ上様はどんな出自でも能力さえあれば使う人だ。
不思議ではない。
「特に山中という男は優れた武将だ。毛利家に幾度も敗北していても、命だけは助かっている」
「それは軍略に明るいということですか?」
「そうだな。それに敗北と言っても『意義のある敗北』だったり『目的を達した敗北』が多い。だが山中という男の真価はそれだけではない」
「……何かあるんですね」
長益さまの杯に酒を注ぐ。
それを呑み干してから、答える長益さま。
「決して諦めない――不屈の心を持っていることだ」
どういう意味か判然としなかったので、さらに訊こうとしたとき、長益さまが続きを話し始めた。
「あの男は尼子家再興を諦めることはないだろう。何をしても曲がらない心を持っている。執念と言ってもいい。ひょっとしたらそれだけで毛利家を滅ぼしてしまうかもしれん」
「あはは。そんなことありえないですよ」
紀州征伐が終わった時期で、戦の大変さを思い知らされた直後だったので、思わずそう言ってしまう。しかし長益さまは気分を害されることなく「そうだな」と肯定した。
「あの男に直接会ってみないと、俺のようには思えないだろうな」
長益さまにしては意味深な言い方だったけど、当時の僕は秀吉が中国攻めを任されるとは思わなかったし、まさか尼子勝久殿と山中幸盛殿と会うとも思わなかったので、それ以上は追及しなかった。
だから与力として二人が派遣されるなんて未来を想像できなかったのだ。
「尼子勝久でございます。こちらは山中幸盛です」
凛とした声。典雅と評すべき声音をした、線が細いけどしっかりした体型の優しげな顔立ちをした人――尼子勝久殿が丁寧な礼を秀吉にした。
その後ろ斜め右に座っている、山中幸盛殿も主君に倣って頭を下げる。
山中幸盛殿はなかなかの美男子である。しかし歴戦の将としての貫禄を持っていて、体型は尼子勝久殿と対してがっちりしている。眼光鋭く、まるで鷹の目のようだ。
「おお。御ふた方が来てくださって助かりますぞ!」
秀吉が嬉しそうに上座から立ち上がり、尼子殿の前まで歩いて、その手を取った。
尼子殿は一瞬、驚いたように目を見開いて、それから軽く微笑んだ。
「助かるなどと……羽柴筑前守殿ならば我らの力など無くとも、平気ではなりませぬか?」
「いえいえ! 手が足りぬところでした。流石、上様のご判断ですな!」
上様を立てることも忘れない狡猾な秀吉だった。
「して、他の家臣の方々は? まさかお一人しか居ないというわけではないでしょうな?」
姫路城内の客間に居る家臣は僕しかない。秀長さんたちは仕事で忙しくてすぐに来れなかったのだ。
「ああ。皆仕事で忙しく……そこに居る雲之介しか手が空いていなかったのですよ」
秀吉が僕を手で指し示す。後ろに控えていた僕を見るため、首をこちらに振る二人。
僕は礼儀に則って頭を下げる。
「雨竜雲之介秀昭といいます」
「あなたが噂の……その名は存じております」
尼子殿が感心した声を出す一方、山中殿は油断無く僕を見つめる。
僕は「お二人の名も以前より存じております」と返す。
すると秀吉が「わしも知っておる」とにこにこ笑っている。
「尼子殿は名君の資質を備えたお方と聞いていますぞ」
「それは……過大な評価に尽きます」
「はっはっは! ご謙遜なさるな!」
それから山中殿に目を向ける秀吉。
「何でも山中殿は三日月に『七難八苦を与えたまえ』と宣言したらしいではありませんか! 自ら苦難を望まれるとは! 流石の覚悟ですな!」
「……若気の至りです」
そっけなく返す山中殿に秀吉は満足そうに頷く。
「それでは、お二人にも播磨国平定の手伝いをお頼み申す。よろしいか?」
「それは是非もなきこと」
尼子殿が頷くと秀吉はさっそく二人に調略を命じた。
まあ中国を支配せんとした尼子家だから、有利に交渉を進められるだろう。
二人は異存ないようで、明日から仕事を始めるそうだ。
「その前に、一つ訊いておきたいことがあります」
それまで口数少なかった山中殿が、話の終わりになってから秀吉に問う。
「なんですかな? 山中殿」
「羽柴さまは――毛利家をどうするおつもりか?」
どうするつもり?
「ふむ。まあ交渉で領土を削って従属化させるのが妥当ですな」
それが一番血を流さないやり方だろう。それに毛利家の広大な領土を攻め落とすのは時間がかかる。
しかしその回答に不満を持ったのか、山中殿はこう言った。
「ぬるいですな。毛利家は滅ぼすべきです」
中国方面の軍団長に向かって言うには、あまりに過激な発言だった。
秀吉はにこやかな表情を崩さず「どうしてそう思われるか?」と訊ねる。
山中殿は丁寧に自分の考えを述べる。
「中国のほとんどを支配したという実績を残しておけば、いずれ捲土重来されてしまうでしょう。それに吉川元春などの剛直な者は領土を削ることを了承しません。必ず牙を向くことになります」
秀吉はしばし黙って「では滅ぼせと?」と短く問う。
「ええ。確実に滅ぼすべきです」
「生き残りが居たら、あなた方のように復讐に燃える者が出てくるかもしれませんが?」
予想もしなかった言葉に山中殿は言葉を詰まらせる。
「だからほどほどに領土を残して、歯向かう気力を削ぐことが肝要なのです」
「し、しかし――」
なおも山中殿が反論しようとしたので「復讐のために無駄死にさせるのは間違っています」と口出ししてしまった。
山中殿は僕のほうを向く。
「今、なんと言った?」
「復讐するのは結構です。しかしそのために羽柴家の兵を無駄死にさせるのは、間違っていると言っているのです」
ここは退けなかった。戦とは太平の世という目的のための手段でしかない。
決して個人の復讐のためのものではない。
「もしも復讐にこだわるのなら、あなた一人で毛利輝元でも殺せばいい」
「き、貴様! 俺の悲願をそんなくだらないものにすり替えるんじゃない!」
山中殿は立ち上がり、僕の前に来て、刀を抜いた。
「撤回しろ!」
「…………」
僕は何も言わず、ただ真っ直ぐ山中殿の顔を見た。
無感情に、無表情で、見た。
「この――」
「やめよ。鹿之助」
止めたのは尼子殿だった。
厳しい目つきで山中殿を見ている。
「しかし殿――」
「私たちは織田家の家臣だ。そして羽柴筑前守殿は織田家重臣であり軍団長。従う他あるまい」
山中殿はしばらく葛藤していたが、刀を納めた。
そして僕に向かって低い声で言った。
「必ず毛利家を滅ぼす……」
長益さまが言っていたことは当たっているな。
この人は決して諦めない。執念の武将だ。
「座が濁ってしまったな。まあいい。御ふた方、明日からお頼みましたぞ」
その言葉で解散となった。
しかし僕の心は不安で一杯だった。
山中幸盛……かなりの危険人物だ。
そのことを教えてくれたのは、織田長益さまだった。確か紀州征伐が終わり戦後処理をしていたとき、長益さまが堺に行くついでに寄ってくれて、その日の晩の会話の中で出てきたのだ。
「雲、知っているか? あの没落した尼子家の残党が織田家に来たことを」
「いえ。存じておりません」
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酒を自分の杯に注ぎながら、そう返答すると「まあ数日前のことだからな」と長益さまは笑う。
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「それで、お二人に会ったんですか?」
それほど興味がなかったが、気になったので訊ねてみる。
すると今まで馬鹿にしていた口調とは裏腹に、長益さまはその二人に対して好意的な物言いをした。
「品格ある主君と義理堅い家臣と言った二人組だった。それに人格と能力は申し分ない」
「……素晴らしい評価ですね」
「そうでなければ兄上が登用などせんわ」
織田家に来たとだけ言われていたので、まさか登用されていたとは思わなかった。
まあ上様はどんな出自でも能力さえあれば使う人だ。
不思議ではない。
「特に山中という男は優れた武将だ。毛利家に幾度も敗北していても、命だけは助かっている」
「それは軍略に明るいということですか?」
「そうだな。それに敗北と言っても『意義のある敗北』だったり『目的を達した敗北』が多い。だが山中という男の真価はそれだけではない」
「……何かあるんですね」
長益さまの杯に酒を注ぐ。
それを呑み干してから、答える長益さま。
「決して諦めない――不屈の心を持っていることだ」
どういう意味か判然としなかったので、さらに訊こうとしたとき、長益さまが続きを話し始めた。
「あの男は尼子家再興を諦めることはないだろう。何をしても曲がらない心を持っている。執念と言ってもいい。ひょっとしたらそれだけで毛利家を滅ぼしてしまうかもしれん」
「あはは。そんなことありえないですよ」
紀州征伐が終わった時期で、戦の大変さを思い知らされた直後だったので、思わずそう言ってしまう。しかし長益さまは気分を害されることなく「そうだな」と肯定した。
「あの男に直接会ってみないと、俺のようには思えないだろうな」
長益さまにしては意味深な言い方だったけど、当時の僕は秀吉が中国攻めを任されるとは思わなかったし、まさか尼子勝久殿と山中幸盛殿と会うとも思わなかったので、それ以上は追及しなかった。
だから与力として二人が派遣されるなんて未来を想像できなかったのだ。
「尼子勝久でございます。こちらは山中幸盛です」
凛とした声。典雅と評すべき声音をした、線が細いけどしっかりした体型の優しげな顔立ちをした人――尼子勝久殿が丁寧な礼を秀吉にした。
その後ろ斜め右に座っている、山中幸盛殿も主君に倣って頭を下げる。
山中幸盛殿はなかなかの美男子である。しかし歴戦の将としての貫禄を持っていて、体型は尼子勝久殿と対してがっちりしている。眼光鋭く、まるで鷹の目のようだ。
「おお。御ふた方が来てくださって助かりますぞ!」
秀吉が嬉しそうに上座から立ち上がり、尼子殿の前まで歩いて、その手を取った。
尼子殿は一瞬、驚いたように目を見開いて、それから軽く微笑んだ。
「助かるなどと……羽柴筑前守殿ならば我らの力など無くとも、平気ではなりませぬか?」
「いえいえ! 手が足りぬところでした。流石、上様のご判断ですな!」
上様を立てることも忘れない狡猾な秀吉だった。
「して、他の家臣の方々は? まさかお一人しか居ないというわけではないでしょうな?」
姫路城内の客間に居る家臣は僕しかない。秀長さんたちは仕事で忙しくてすぐに来れなかったのだ。
「ああ。皆仕事で忙しく……そこに居る雲之介しか手が空いていなかったのですよ」
秀吉が僕を手で指し示す。後ろに控えていた僕を見るため、首をこちらに振る二人。
僕は礼儀に則って頭を下げる。
「雨竜雲之介秀昭といいます」
「あなたが噂の……その名は存じております」
尼子殿が感心した声を出す一方、山中殿は油断無く僕を見つめる。
僕は「お二人の名も以前より存じております」と返す。
すると秀吉が「わしも知っておる」とにこにこ笑っている。
「尼子殿は名君の資質を備えたお方と聞いていますぞ」
「それは……過大な評価に尽きます」
「はっはっは! ご謙遜なさるな!」
それから山中殿に目を向ける秀吉。
「何でも山中殿は三日月に『七難八苦を与えたまえ』と宣言したらしいではありませんか! 自ら苦難を望まれるとは! 流石の覚悟ですな!」
「……若気の至りです」
そっけなく返す山中殿に秀吉は満足そうに頷く。
「それでは、お二人にも播磨国平定の手伝いをお頼み申す。よろしいか?」
「それは是非もなきこと」
尼子殿が頷くと秀吉はさっそく二人に調略を命じた。
まあ中国を支配せんとした尼子家だから、有利に交渉を進められるだろう。
二人は異存ないようで、明日から仕事を始めるそうだ。
「その前に、一つ訊いておきたいことがあります」
それまで口数少なかった山中殿が、話の終わりになってから秀吉に問う。
「なんですかな? 山中殿」
「羽柴さまは――毛利家をどうするおつもりか?」
どうするつもり?
「ふむ。まあ交渉で領土を削って従属化させるのが妥当ですな」
それが一番血を流さないやり方だろう。それに毛利家の広大な領土を攻め落とすのは時間がかかる。
しかしその回答に不満を持ったのか、山中殿はこう言った。
「ぬるいですな。毛利家は滅ぼすべきです」
中国方面の軍団長に向かって言うには、あまりに過激な発言だった。
秀吉はにこやかな表情を崩さず「どうしてそう思われるか?」と訊ねる。
山中殿は丁寧に自分の考えを述べる。
「中国のほとんどを支配したという実績を残しておけば、いずれ捲土重来されてしまうでしょう。それに吉川元春などの剛直な者は領土を削ることを了承しません。必ず牙を向くことになります」
秀吉はしばし黙って「では滅ぼせと?」と短く問う。
「ええ。確実に滅ぼすべきです」
「生き残りが居たら、あなた方のように復讐に燃える者が出てくるかもしれませんが?」
予想もしなかった言葉に山中殿は言葉を詰まらせる。
「だからほどほどに領土を残して、歯向かう気力を削ぐことが肝要なのです」
「し、しかし――」
なおも山中殿が反論しようとしたので「復讐のために無駄死にさせるのは間違っています」と口出ししてしまった。
山中殿は僕のほうを向く。
「今、なんと言った?」
「復讐するのは結構です。しかしそのために羽柴家の兵を無駄死にさせるのは、間違っていると言っているのです」
ここは退けなかった。戦とは太平の世という目的のための手段でしかない。
決して個人の復讐のためのものではない。
「もしも復讐にこだわるのなら、あなた一人で毛利輝元でも殺せばいい」
「き、貴様! 俺の悲願をそんなくだらないものにすり替えるんじゃない!」
山中殿は立ち上がり、僕の前に来て、刀を抜いた。
「撤回しろ!」
「…………」
僕は何も言わず、ただ真っ直ぐ山中殿の顔を見た。
無感情に、無表情で、見た。
「この――」
「やめよ。鹿之助」
止めたのは尼子殿だった。
厳しい目つきで山中殿を見ている。
「しかし殿――」
「私たちは織田家の家臣だ。そして羽柴筑前守殿は織田家重臣であり軍団長。従う他あるまい」
山中殿はしばらく葛藤していたが、刀を納めた。
そして僕に向かって低い声で言った。
「必ず毛利家を滅ぼす……」
長益さまが言っていたことは当たっているな。
この人は決して諦めない。執念の武将だ。
「座が濁ってしまったな。まあいい。御ふた方、明日からお頼みましたぞ」
その言葉で解散となった。
しかし僕の心は不安で一杯だった。
山中幸盛……かなりの危険人物だ。
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